最強の敵との戦い
「長信警部!」
「うるさいな……徹夜で働いてやっと休憩ってのに、大きな声を出すな」
コンビニの駐車場に覆面パトカーが停まっていた。中には二人の男が載っている。助手席を倒して眠っていた、痩せ細った男は大きなあくびをする。助手席を起こして、右手の腕時計を確認すると、針は七時を指している。
「二十分くらいか……丸今、なんか進展あったか?」
運転席に座っていた大柄な男はケータイを確認する。
「特に何も……上からも連絡はないですね」
丸今はコンビニで買ってきたおにぎりを一つ、長信に渡した。長信は食べながらも、事件の資料を目に通している。二人は先日の夜から、この誘拐事件の捜査をしていた。
誘拐されたのは総理の娘。二人は総理に恨みを持つ者、特に何か起こすともっぱら噂されている者を調べていた。結果は空振り。誰も事件に関係していなかった。ようやく休憩時間になったが、捜査は難航している。上も行き詰まった状態だ。
犯人が次にどう動くか、長信は予想を立てる。事件後、犯人からは何の連絡もない。身代金を要求して来ないって事は、金銭目的でさらった訳じゃない。果たして犯人は何をするつもりなのか。そう考えている時、丸今のケータイが鳴り出す。
「連絡がありました。隣りの部屋から、女の子の声が聞こえたという通報がありました。その部屋に女性は住んでいないとの事です」
「俺らに連絡が来たってことは、近いのか?」
「ここからなら十五分で着きます」
「しゃあねえ、行くか」
長信はおにぎりを食べ終えると、資料を後ろの後部座席に投げ捨てた。丸今は車のエンジンをかけて走らせた。
「家庭内暴力。いわゆるDVってやつ?」
「そうだ。総理はそれをやっていたん
だ」
朝ご飯はウインナーと卵焼きにサラダ。台所にいる鎌智は皿に盛りつけて、テーブルに持っていく。その様子を座って、手伝いもしない音音。これは奈良江を抱いているからという訳では無い。いつ来てもこうなのだ。奈良江の顔には涙の跡が残っている。あんなに泣かせてしまい、鎌智は罪悪感が残っていた。そんな中でも鎌智は自分が考えた推理を話す。
「まだ仮説だが、誘拐は総理のでっち上げだ。家出だと家庭問題が言われるし、DVも犯人の暴力と隠せるしな」
鎌智は座っていただきますと言い、ご飯を食べ始める。二人も揃っていただきますと言った。音音は食べ始めたが、奈良江は箸を持つと顔を下に向けて、何かを考えている。ちらっと鎌智に目を移すと、そんな様子を心配した音音は声をかけた。
「奈良江ちゃん。食べないと力出ないよ」
奈良江はまた下を向いた。数秒後、ようやく食べ始めた。音音はまるで我が子の様に奈良江を見ている。するとふと思い出したのか、音音は箸を止めてクチャクチャと食べながら話した。
「そういえばこの前、テレビで総理の内閣支持率は八十パーセント。歴代史上最高の数字だけど、残りの二十パーセントは過激派で、何か起こしそうな連中だって放送されてたけど、この事件に関係なさそう」
「汚ねえ……どうしてそう考える?」
鎌智は手で口を隠せと合図した。子供が真似しては困る事だ。音音は手で口を隠して答えた。
「それならパジャマとか持っていないでしょう? だからその仮説、正しいと思う」
「この誘拐事件が過激派にせよ何にせよ、世間に知られたら総理は人生が終わりになる。今も血眼で探しているだろう」
「でも総理大臣の娘って事は、私達も命狙われる可能性があるよ。過激派にバレたら最悪な事になる」
「そうか……それでか」
鎌智は気付いた。鎌智は今まで総理の娘がいると聞いた事はあったが、奈良江の顔は隠されてた。
「今回の件で、奈良江の顔が世間に公開された。これで全国民、奈良江を知らない者もいない。誰でもな」
鎌智の言葉で、さすがに音音も気付いた様だ。
「もしかして、わざと過激派に見つけやすく!?」
「その可能性はある。あるいは……」
奈良江の前では言えない。もし娘を殺しても、全て過激派になすりつける。鎌智が予想した一番酷いことだ。父親が、ましては国の総理がそんな事をするとは思えない。だがDVがある以上、あり得なくはない。食べながらケータイでニュースを調べた。その中に総理のコメントが載せられている。
『娘がどんな酷い目に遭っているか、私には分からない。一刻も早く見つけてほしい。国民の皆様、お願い致します』
こんなことを言っているが、心ではどう思っているか分からない。いや、それは皆同じだ。
「警察も過激派からも追いかけられるよ。本当に助けるの?」
関係も無い奈良江を助ける鎌智を、音音は心配している。
「当たり前だ。子供を助けないで何が大人だ。奈良江は悪くーー」
「違う……私が悪いの……」
黙っていた奈良江が珍しく喋りだした。小さな弱い声だが必死で父を庇おうと喋っている。
「……私が……勉強も……習い事も……もっと頑張れば……お父さんも……笑って……褒めてくれる」
奈良江の成長を褒めてくれる父親。昔は優しい人かもしれない。奈良江はそんな父親を愛しているんだ。鎌智は奈良江を見て一つだけ聞いた。
「奈良江……お前は頑張ったか?」
奈良江は何も言わない。ただ眼から涙が流れる。我慢していた声も漏れてくる。鎌智は手を出した。
「なら、お前は悪くない」
鎌智は奈良江の頭を撫でた。子どもの努力を褒めるのも親の務め。それができないなら親失格だと、自分は思う。そして奈良江の言っていた通りなら、優しい父親に戻すことも可能だ。人間そう簡単に人は変わらない。
「そうだ! 奈良江ちゃん。君にこれを授けよう」
冒険ファンタジーが始まる様な言い方で、音音は財布から取り出した。
「何だそれ?」
「御守り。あなたを護ってくれるわ。肌に離さずに持っていてね」
奈良江の顔は心なしか、先ほどよりも明るくなっている。御守りを手に取り、頭を下げた。
「さて、これからどうするか」
「この子に弁解させるのはどう?」
「難しいな。俺達が脅して言わせてる事にされるだろう」
「じゃあどうしようか?」
「……待て」
鎌智は音音の前に手を出した。車が一台ブレーキをかけて止まった音が聞こえた。台所の窓を気付かない様に少し開けて外を見る。朝早くからこの辺に車が止まらない。まして駐車禁止の道だ。
「残念ながら、もう考える暇は無いらしい」
「ここか……古いな」
ハザードランプを点けて、車から降りた長信と丸今。
「この上の階の最初の部屋です」
二人はドアの前に立つ。長信は丸今を指差すと、丸今は頷いてインターホンを押した。部屋から鎌智が出てきた。鎌智は寝起きの様に、ぼーっと丸今を見ていた。丸今は警察手帳を見せて、先に名乗り出した。
「すいません。我々はこういう者です」
「警察? こんな朝早くから何の用ですかな?」
頭をかきながら、鎌智は無愛想な対応をする。丸今は警察手帳を直して、鎌智に説明をする。
「今朝、通報を受けましてね。男性が一人住んでいる部屋から、女の子の声が聞こえたと」
「女? それ多分、彼女の事じゃないですかね」
鎌智が部屋を見せて右手を指す。そこには音音がいた。彼女は笑顔で二人に挨拶した。
「おはようございます。ねえ鎌智君、卵ある?」
「冷蔵庫に入っているぞ。それで刑事さん。友人が居たら、おかしいですか?」
鎌智は丸今に強気で言い返した。だが本当に警戒してたのは、何も喋らない長信の方だ。相手に気付かない様に部屋を見回している。だが鎌智の視線に気付き、目線を下げた。すると黙っていた長信が喋り出した。
「すいませんが、部屋の中を調べさせてもらえませんか?」
「たしか警察が家宅捜査をする場合、令状が必要なはずでは?」
「必要です。だが玄関に置いてあるこの小さい靴を見つけた限り、我々は中を調べないといけない」
鎌智はゆっくりと目線を下げる。そこには小さな靴が一足置いてある。長信が見た資料に書かれてた阿久財奈良江の服装。その靴と完全に一致する。音音は冷蔵庫の前で卵を探すふりをする。
「もし部屋に、あなた達が探している女の子がいた場合、俺はどうなるのですか?」
鎌智は頭をかきながら笑顔で聞いた。長信も答えを笑顔で返した。
「……現行犯逮捕ですかね」
鎌智は鼻で笑って、大声を出した。
「だったら逃げるしかないですね!」
鎌智は長信のネクタイを掴み、投げようと力を入れる。負けずと長信は、鎌智の腕を掴んで投げるのを防ぐ。その隙に丸今が、争っている鎌智を確保しようと動く。音音は冷蔵庫から出した卵を投げ、丸今の顔に直撃した。なぜ卵を探していたのが鎌智は納得した。油断していた丸今を長信が気にした時、鎌智は足を前に挙げ、長信を蹴り飛ばした。長信は丸今に当たって、二人は外の手すりの鉄骨に頭をぶつけ、尻もちをついた。
「今だ! 出るぞ」
鎌智は警察の二人を動けない様に見張る。音音はトイレに隠れてた奈良江を呼ぶと、手を繋いで逃げて行く。後を追う様に鎌智も逃げて行く。
「いってえ……野郎なかなか強いな」
ぶつけた頭にタンコブができてないか、長信は確認する。丸今は顔に投げられた卵を必死に取ろうとする。
「きったねえ……しかし警部、一体どこで疑ったんですか?」
「あの女。俺達に普通に挨拶してきやがった。友人の家に警察が来たら、少しは不安に思う筈だ。俺達がいつか来ると思っていた。それは隠し事があったから」
「なるほど、よく気付きましたね」
「感心してねえで追うぞ……お前は台所借りて洗ってこい。そして車で俺を拾え。いいな?」
丸今は敬礼した後、鎌智の部屋に入って行く。長信は階段を降りて鎌智達の姿を探す。あっちは子どもがいる。何としても捕まえる。
「待って……疲れた……」
小さな声で嘆くのは、奈良江ではなく音音だ。手を繋いでいる奈良江はまだ走れそうだ。だが大人が先に息が切れている。追いついた鎌智は、音音の背中を叩いた。
「奈良江は俺が連れて行く。一緒にいるのも危険だ。お前も顔を見られているから気を付けろ」
音音の辛い返事を聞くと、鎌智は奈良江の手を掴んで走った。奈良江が躓かない様に出来るだけ足を合わせる。後ろから追手はこない。すると前から走ってきた高級な車が止まった。中からはサングラスをかけた黒スーツの男が降りてきた。彼が腰から取り出したのは拳銃だ。そして躊躇いもなく撃ち出した。奈良江を抱えて素早く物陰に隠れた。
「なんだあいつ、撃ってきたぞ?!」
一人だけでは無い。更に三人の男が車から降りて拳銃を取り出す。鎌智が隠れた所を、銃で撃って威嚇しながら近付く。物陰の死角から出た黒スーツ男は、銃を構える。だが鎌智はいなかった。小さな隙間から逃げていた。
「B班に連絡。先回りしろ」
命令した黒スーツ男の所に、銃声が聞こえた長信が駆けつけた。拳銃を持った男を見て、明らかにこいつが撃ったと分かった。
「おい! 何してんだ!?」
「我々は総理のSPだ。今回の誘拐事件の犯人を確保、または射殺して、娘を確保しろと命令が出た」
「馬鹿野郎! 拳銃なんか出して、もし弾が娘さんに当たったらどうするんだ!」
「それでも良いと総理は判決した。犯人は我々に任せて、この事件から手を引け」
「ふざけんな! 犯人を捕まえるのは、俺達の仕事だ! 娘さんが死んでもいいなんて、総理は何考えてんだ?」
「これは総理の命令。逆らえばあなたも罪人になりますが?」
長信の拳を固めて殴りかかる。その時、車で駆けつけた丸今が、降りて間一髪に止めた。
「長信警部!……ここは……」
「……くそ!」
長信は拳を固めたまま腕を下げた。