第1部 山田桂介
なぜ私はわざわざ大勢の前で煌煌と光を浴びて演技を見せているのか? と私は私が不思議だった。
すべては彼のせいだとしておけば良いのかもしれないけれど結局は私自身が流され易く落着きのないだらしない女だからだろう。
私は気がつくと相手の気持ちいい所を察知しそれへ合わせる技術を身に付けていた。そうすることが自分にとって安全で優位に立てることなのだと経験から学んできた成果なんだと思う。
そしてそれらの積み重ねは男を操るという行為を成熟させ私の陳腐な自尊心が出来上がり、それに拍車をかけるように私は人目つく舞台と言うものに立ち演技することを厭わない気質が出来上がってしまったようだ。そして看板女優と呼ばれのぼせ上がる体たらくを見せるまでになった。
私はつくづく嫌な女だ――
劇場から人混みに押し出され雑音響く中、私の耳へ聞き覚えのある男の声が割り込んだ。
「本日はありがとうございましたぁ!」
反射的にその声の方へと顔を向けていた私は声の主と思しき男を簡単に見つけた。
周りの人達の頭から顔半分飛び出した背丈に肩幅がしっかりあり胸を張って立つ姿は凛々しい。そして男気香る眉の作りを持った気持ち彫りの深い顔立ち。その男の瞳から放つ眼光にはどこか鋭さがある。でも少し散らした首筋を隠すほどの長い黒髪は色気すら感じさせる。
そんな風貌を持った男に憧れを抱いていた私の友人、斉藤輝來の誘いで芝居を観に来ていた時の事。今からおよそ二年前、桜の蕾が膨らみ始めた頃だった――
劇場出口を出ると舞台の上に立っていた男女十名ほどの役者達が並び、出てきた観客に対し会釈を繰り返していた。お見送りと呼ばれるものだ。
その列の最後尾にいたその男は立ち襟シャツに紋付き袴という風変わりな格好をしていた。
「どうしよ、どうしよ……握手してもらおうかな……」と私の後ろで随分まごついていた輝來に対し私は「遠慮しないで行っておいでよ、折角なんだから」と言葉通り輝來の背中を押した。すると彼女は私の腕を掴み言った。
「じゃあヒメちゃんも一緒に行こ!」
「ええ?! 私はいいよー」
私は慌てて身を退け彼女から離れたけれど彼女は自分の体へ引き付けるように勢いよく私を引っ張った。そしてひ弱な私の抵抗では意味を成さず輝來と共に男の方へとずるずる向かった。
男に近付いていくと男の周りには女が数名囲っていた。輝來と同様のファンなのだろうか? 男に対しハイトーンで何やら話しかけている。その女性に対し男は笑顔で応対していた。その男の作りすぎな笑顔を笑ってもいいくらいだったが私は輝來を立てて軽く会釈するだけで凌ごうと思った。
がその時、男と私は目が合った。多分。そして何が起きたのか男は囲っていた女性達に対し何度も小さな会釈を繰り返しながら女性達の囲みを切り抜け私達の方へと向かってきた。
「まほろば一座の山田桂介と申します」
低く甘い声を響かせた男は例の笑顔で目の前にいた。そして山田桂介と名乗った男は笑顔のまま胸元から名刺入れを取り出し私の目の前に名刺を手際よく流麗に差し出してきた。私は軽い笑みで黙ったままそれを受け取り目にした。
劇団まほろば一座
座長 山田桂介
「座長さんなんですね」
別に何かを確認したいわけではなかったが私の口から言葉が洩れた。
「はい! 座長でございます! と言っても別に団長でも主宰でも別に役者兼劇作家でも何でもいいんですけどね。雰囲気だけですよ。座長という肩書きで好き勝手にやってますわ!」
軽い調子の口調で言葉滑らかに話す目の前の男はそう言って豪快に笑った。
すると輝來が可愛らしいはしゃぎ声の早口で言葉を発した。
「嬉しい! 桂介さんから名刺貰えるなんて……! 舞台、もー凄く面白かったです!」
「そんなに喜んで貰えるとこっちもとても嬉しいですわ。ありがとうございます!」
と威勢の良い口調で言うと共に私達を目にしながら頭を軽く下げた男は続けた。
「お二人はよくお芝居を?」
「はい! 私、まほろばさんのお芝居観て演劇を始めたんです!」
私の隣ではしゃぐ輝來。私では真似が出来ない可愛らしさだ。彼女自身舞台に立っている事もあり異性のファンが幾らかいて同性のファンも存在するなかなかの人気者。その彼女らしい可愛い笑顔を輝かせている。彼女の反応に合わせるかのような明るい声で対応する男。
「お、そうなんですか!? すみません存じ上げなくて。因みにどちらの劇団さんで?」
「大学のサークルレベルなのでご存知ないかと思いますけど茨ノ道という劇団です。」
「茨ノ道って確か……横峯さんがいた?」
「そうです! 横峯先輩をご存知なんですね」
「劇作家協会繋がりで。色々と仲良くさせてもらってますよ! と言うことはお連れの方も?」
そう言って男は目を丸くして私を見てきた。
「いえ。彼女は私のお友達です」
私の代わりに応えてくれた輝來。私は笑顔を作り遠慮がちに「そうなんです」とだけ口にした。すると男は少し大袈裟に驚いた表情で言った。
「そうなんですか!? 何か雰囲気があるんでてっきり。良かったらこれを切っ掛けに演劇なんぞ始めてみてはどうですか?」
突拍子もない事を言ってきた男。私は男の瞳を一瞬だけ目にし無難に応えた。
「いえいえ、私は観客で十分です」
「じゃあ観客の役から始めると言うことで」
男は目を見開き口元を緩め分かり易い冗談を口にしてきた。
「そう来るんですね。驚きました」と私はほどほど笑った。すると男はアハハと溌剌とした心地良い声で笑うと言った。
「すみません、詰まらない冗談でしたね。でも冗談抜きでウチは24時間365日、いつでも団員募集してるんでほんのちょいとでも興味湧いたら気軽に連絡ください。見学会なんぞもちょいちょいやってるんで」
ノリよく言った山田桂介と言う男は身を低くし人良さげな笑顔を残し私達の元を去った。
私は男の後ろ姿を追うことなく手にあった名刺を眺めぽつり口にした。
「でも何で名刺をわざわざ……」
観劇後の観客が溢れる雑踏の中での私の小さな呟きを輝來は拾っていた。
「やっぱり香織ちゃん目当てだよ」
「そんなの……止めてよ」
「私聞いた事あるから。まほろばさん、役者の勧誘のために名刺を配ってるって。うちの劇団も真似て人集めようか? なんて言ってた時あったから」
「だったらなおさら輝來ちゃん目当てでしょ?」
「んん、違うよ。だって桂介さん、最初ヒメちゃんに名刺を渡してたもん」
そう言って小さく微笑んだ輝來の視線は真っ直ぐ前を向いていた。
「考えすぎだよ……」
――この出来事自体に意味する事は無かったけれど、それからじわりと輝來との距離が離れ始めたのは間違いない。
シャツのポケットへ押し込んだ名刺は私のシャツと一緒にきれいに洗われ紙くずへと変化した。