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罠と記憶

「あれ、大丈夫なのみーちゃん」

「ま、いくらかマシにはなったわ」

 少女がベッドから抜け出した時、助手はリビングで紙に何かを書いていた。見た所また機械関連の何かのようだが、そこに注意は払わない。時刻は四時、もうすぐ日が暮れはじめるかという頃だ。

 それならよかった、と安堵の色を見せる助手は、それでもペンを手元から離さない。設計図や文書を作るにしても便利な機器はあるはずなのだが、手書きにこだわる理由は彼女には分からなかった。

「あ、忘れてないよね」

「何を?」

「僕の部屋の事」

 当然、とばかりに少女は鼻を鳴らす。一方で、内心ではまた考えを深めている。

 念を押してくるあたり、単に自身の身を案じてのことではなく、彼の方で隠したいことでもあるのではないか。そんな風に勘繰りをしてしまうのは、彼女が助手を完全に信頼していない証左でもあった。

「ほんと、近づかないでね。何が起きるか分からない」

「はいはい」

 適当な返事をしながら、『何が起きるか分からない』という言葉の意味を読み取る。単に機械の故障と言うだけでなく、それ以上の意味――先日のことに関する重要な意味が含まれている、そう受け取った。

「……僕は、また外を周ってこようかな。もう少し集めたいものがあるし」

 一旦ペンを置き、伸びをした助手はそう言って玄関に向かう。少女としては願ってもない展開だ。部屋を調べるに当たっては、彼がいない方が都合は良い。

「私は行かなくていいの?」

 本心を悟られないように努めつつ、訊いてみる。

「もう少し休んでなよ。大した量じゃないしね」

 とんとん拍子、とはこういうことを言うのだろう。内心小躍りしつつ、荷車を引っ張り出す彼の姿を少女は見つめる。

 そこから後ろ姿を見届けるまで、十分とかからなかった。


(無用心、ね)

 人の良い同居人の言い付けを、彼女は真っ向から破るつもりでいた。ロックの調子が悪いというなら、あわよくば中に入れるかもしれない。何かを知ることができたら上々、その上でバレずにいられたら最高、そんな程度に捉えつつ足を動かしていく。

「さて、どうなることか……」

 先日の一件の時、自分が大分動揺していたことを忘れてはいない。今度は何かあっても冷静さを保たねば、と改めて言い聞かせる。その上で、問題の場所へと辿り着く。

 そこで、

「……何これ」

 少女は思いもよらぬ物体に面食らうこととなった。

 てんで記憶に無い、手のひらほどのサイズの白いボタンが壁に張り付いているのだ。その横には、何度も見た記憶のある部屋をロックする機械。モニターには何も映っていない。壊れていると聞いているが、傍目には判別できない。

(でもこれ、押してくれと言ってるようなものね……)

 その機械よりも、彼女の意識はボタンの方に集中している。何せ、そのボタンの表面には手書きで「押さないで」などと書かれているのだ。筆跡から、助手の書いたものだとわかる。少女はふと、昔見た映像を思い出した。何十年も前のコメディアンたちのギャグに、こんな言葉が出てきた。止めろと言われたら、やりたくなるのが人間の心理――その事実は彼女もよく分かっているし、それは彼女自身も例外ではない。

「……押そう、かな」

 流石におかしすぎる、としばし悩んだ。だが予想もしていない好機に恵まれたせいもあってか、彼女の躊躇は最終的に勢いに蹴り飛ばされていた。

 恐る恐る、人差し指をその白い球面に向けて近付ける。そして、思いのほか軽いその面を、ゆっくりと押し込んだ。

 かちり、と軽い音がして、指を戻すのと同期して面が帰ってきて。

 その直後。

「ひゃあっ!?」

 甲高い叫びを上げた。突如、何かに触られた。首筋の当たり、慣れない感触、綺麗な音、これは、

「……か、紙コップ……?」

 紙製の、安っぽい紙コップ。天井から紐でぶら下げられたそれが、背後にいた。中を覗き込むと、そこには一個の小さな鈴が付けられている。音の元はこれだろう。

「……まさかここまで早く引っ掛かるなんて……予想以上だよ」

 戸惑うばかりの少女から少し離れた位置、ゆらりと現れた人物は、半ば呆れたようにそう言い出す。少女にとって、もうすっかり耳に馴染んだ声である。

「……なんで……いるのよ……」

 現れた助手は、わざとらしい程にやにやと笑みを浮かべている。この状況を期待していたと言わんばかりのその様子に、少女はへたりと座り込んだ。

「いや、資材集めってのは嘘で……一旦出た後、物音を立てないようにしながら戻って来たんだよ。大急ぎで」

「いや、だからなんで……」

「どうせ近づくなって言ったら近づくでしょみーちゃん。かと言って、言わなくても近づくだろうけど」

 言われた側は唸ることしかできない。

「だから、あえて一回近づかせて痛い目見せようかと思って。トラップとかをいくらか設置して、近づきやすい状況作って、こんな風にして……それでも流石に、そのボタン押すとは思わなかった。やっぱりみーちゃんは博士の娘だね、好奇心旺盛」

「ぬ、ぬ……」

 説明を聞いていくうちに、少女は段々と赤面していく。自分はまんまと、そして非常に容易く、彼の企みに引っ掛けられたのだ。

「いや、さっきのビックリした声とか、正直いつもの感じと違って可愛らしいと僕はぶッ」

 フォローでもしようと話を続けた助手は、顔面に紙コップを叩きつけられた。少女にとってはかなりの恥なのだ。少なくとも、これまでの人生でこれを上回るものは中々見つけられない。

「……私を怒らせてどうするつもりよ」

「いや、怒らせるつもりじゃなくて……というか僕、さっきから『いや』って言い過ぎだね」

 熱の納まらない少女を前に、彼は冗談を混ぜつつ弁解をする。

「あくまで、この部屋に近づかないようにもう一度念押しするつもりでやったんだよ」

 少女は口をつぐんだ。

「本当に、何が起きるか分からないから。みーちゃんの考えることは大体予想できるよ。この部屋にまた入りたがるだろうなって」

 否定できる所は無い。黙って聞き続ける。

「気持ちは分かるけど、本気で勘弁してほしいんだ。部屋の中には大事な研究成果が色々あるし、この間みーちゃんが部屋で言ってた『おかしい』の意味もまだ分かってない。それについて考えたくて入ろうとしたんだろうけど、もう少し僕の方で考えてからにしてほしい」

 でも、と言いたくなったが、少女はその声を飲み込んだ。こう丁寧に説得されてしまっては、反論の仕方も咄嗟に出てこない。

 それに、彼は彼なりに自分を気にかけていることも承知している。

「言っとくけど、他にも色々仕掛けは有るからね。入ろうとすると警告音が出るとか、色々。ロック壊れてる間の代わりでもあるから」

「いつの間にそんなもん作ってんのよ……あなたの日頃してることってこういうことばっかなの?」

「そういう訳じゃない、そういう訳じゃないよ! ちょっと息抜きがてら作っただけで」

 身体の動きを交えて否定しながら、助手はリビングの方を向いた。

「とりあえず夕飯の支度でもしながら話そうよ。今日はカレーにするつもりだよ」

「……手抜き」

「カレーに失礼だよ」

 減らず口を叩きながら、少女は彼を後ろから追っていく。途中、何度か後ろの部屋と、床に放られた紙コップとを眺めながら。


(結局、何も分からずじまい……)

 夕飯と入浴を終え、自室に戻った少女は再びベッドに寝転がる。

 カレーの準備と夕飯とを通じて、助手とずっと話していた。ただ彼の方もよく分かっていないのか、はたまたあえて言っていないのか、その中で諸々の異変に関して興味深い話が出てくることは無かった。

(このまま、これからも過ごしていくの?)

 疑問は解けないまま、変わらない日々を送る。やはり現実味は無くて、でも途方の無いことは理解できて、それはきっと自分にとって嫌なことなのだろうと彼女は感じる。

(ああもう、また頭痛出てきたし……)

 折角消えかかっていた頭痛も、苦悩に寄り添って再発してしまった。

 日中していたように、もう一度枕の上に頭を乗せ、彼女は目を閉じる。

 深夜に寝られなくなるだろう、という予測はどうでもよいものだった。



 毛色が違う。第一印象はそれだった。今までのと違って、鮮明なものだ。

 そこでは、ロックは壊れてなんかいない。ただし、今はそれが解除されている。部屋の戸も心なしか新しい。

 そして、記憶に新しい紙コップが紐で吊るされている。それを横目に、もう一度部屋へ入ろうとした。

 すると直後、足元からけたたましい音が響いた。センサーで作動するサイレン。慌てふためきながら扉に手を付けると、極め付けとばかりに横の壁の一部が開き、そこからクラッカーのようなものが飛び出した。一瞬の空白の後、破裂音がして、驚きはピークに達して――

 笑っている。部屋の中から出てきた人物と一緒に、一連の仕掛けを見て、笑いあっている。


 その人物はよく知っているのだけど、こんなに笑ったことはあっただろうか。

 楽しいような気分と、最大の違和感とを引き連れて、未過子は目覚める。



 少女は咄嗟に時計を見る。深夜二時、普段通りなら、助手は例の部屋にいる。それでも居ても立ってもいられなくなって、部屋を静かに出ていく。

 リビングから明かりが漏れていることに気付いた。まさかと思い彼女が息を殺して覗き込むと、珍しく助手はリビングで作業をしている。また紙に何かを記している。話しかけたりはしない。寧ろ、今度こそ絶好の機会だと考えて、彼女は忍び足で廊下を進む。

 一分と経たず、助手の部屋には到着した。無論ボタンは押さない。ロックの故障を確かめてから、足を止める。普段通り不用意に踏み出すと、センサーに掛かるだろう。

 それから扉の周囲を、よくチェックする。僅かでも異変があれば、間近から眺めて考察する。たまにリビングの方を振り返りながら、繰り返した。

 そしてチェックを終えて、少女は細い左腕を扉の横の壁に押し付けた。場所はこのあたりで正しかったはずだと、もう一度確認して――右手の方で、扉に触れる。

 開きそうになった壁を、左腕が抑え込んだ。壁の中に入っていた何かも、そこから出てくることは叶わない。この瞬間さえ抑えておけばあとは大丈夫らしいと、左腕に掛かる感触から判断する。右手を被せたままの扉は、横へゆっくりと押してみると、意外なほどあっさりと滑り出す。

 何故なのか、さっぱり分からなかった。さっき見た夢は、今までのものとは明らかに違う。助手が仕掛けたであろうトラップ、それらに引っ掛かる夢。しかも異様にはっきりしたものだった。その夢を確かめるため、今まさに潜入を試みて――結果、どんな仕掛けがくるか、正確に見抜くことができた。

 この夢の正体は、全く想像がつかない。今までのものにも増して。どう捉えたらいいかなんて、分かるはずもない。

 しかし。

(この中に、何か手がかりは……)

 入ろうとして入れなかったこの部屋に、今は忍び込める。散々気になっていたこの部屋に入ることしか、今取る選択肢は無い。最早考えることも無く、倒れるように中へ吸い込まれた。

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