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繰り返すこと、そうでないこと

 部屋が開いたのは偶然だ。どんな風にやったのか、それは薄ぼけて分からない。

 とにかく、全開にされた扉と、その先の異空間とが見えていた。

 恐る恐る、部屋の主がいないことを確かめた上で、中に忍び込む。得体の知れない、小難しい機器の数々。それらに紛れて一つ、際立って古めかしい機体がある。旧式のコンピュータモニター、いつ作られたかも見当のつかない画面。

 ぼやけた好奇心に引きずられるように、それを覗き込んだ。


 直後。頭を砕かれるような、形の無い衝撃に貫かれて。

 未過子は、何度目かの夢からまた目覚めた。



「頭痛い」

 朝、リビングに飛び出すなり少女は呻く。一人皿を洗っていた青年は、普段と違う様子に眼をしばたたかせた。

「風邪か何か?」

「百パー違うわ。頭以外は別に何とも」

 声を絞り出して、テーブルに勢いよく突っ伏す。動かないその小さな頭は、鉄球の様にすら見えた。

「頭痛薬とかあったかなあ。流石に医薬品は僕には作れないし」

「期待してないし、仮に作っても飲みたくないし」

「ひどいなあ」

 ほんの僅か、いつも通りの苦笑を浮かべて『助手』は戸棚へと向かう。

 その顔の端に表れた複雑な感情を、伏せたままの少女が汲み取ることは無い。


 世界の崩壊と同時に二人の生活が始まってから、結構な時間が経っていた。

 現状、シェルターでの暮らしが困窮したことは無い。スペースや内装の美しさと引き換えに、ライフラインに関しては最高と言っていい設備が用意されていたからだ。緊急時用の建築物としては完璧と言えた。

 ただしそれは、中に住む人間の健全な暮らしを保証するものではない。

 物資と耐久の面が満たされていても、日頃想定しないような怪我や病などは発生し得る。そして医者も有用な薬も消え失せたこの世界では、大きくない傷でも致命傷となり得る。

 助手は近頃、その『致命傷』を一際恐れるようになった。


「とりあえず寝てなね、しばらく」

 簡易な朝食を終え、戸棚から発見された頭痛薬を飲んだ後、少女はベッドへ横たえられた。そこまでしなくていいと病人の方は反発したが、半ば強引に押さえこまれたのだ。

「時々様子見に来るから」

「ノーサンキュー」

「英語の発音が悪いから聞き取れませーん」

「No, thank you.」

「やればできる子だね!?」

 打って変わったネイティブ張りの発音に、助手は半ば驚きながら部屋を出る。

(……英語なんて、最後に習ったのもいつだったか)

 珍しく冗談じみたことを言った後、することもなく枕に頭を落とした少女はそんなことに思いを馳せる。学力は悪くなかったし語学も嫌いではなかった。学校も、好きかどうかはいざ知らず彼女なりに楽しんではいた。

 今となっては学校も無く、そこにいた知人たちも塵の中である。語学力も何ら意味を為さない。少なくとも、彼女にとっては。

(……何で、こんなに平気なんだろう?)

 一つ、間を置いて。自分にそう問い掛けて返事がないことは、過去の試行でもう分かってはいるのだ。それでも繰り返してしまう。

 あの日、世界が消えた時以来。彼女の記憶にある限り、彼女は現実味というものと無縁だった。最初の方は慌てて、状況も認識できずにいたはずなのに。それが落ち着いてくると、以降はひたすら淡々と日々を過ごしてきた。余りに唐突すぎて、そうしたものが湧いてこないのだろうと一時結論付けた。では、今日に至るまで一度も覚えのないその現実味とやらが起こるのはいつなのか。或いは、一生そんなものも無いまま――ぽっかりと自分の世界を作ったまま、死んだように生きて死ぬのかもしれない。

 ただ。

(どうして、現実感なんかより……違和感ばっかり……)

 化学繊維に包まれていた頭を、小さな手で覆った。いや、とても面積は足りていない。それでも必死に、抑えつけるように被せた。

 今現れている頭痛と前後して、彼女を苦しめているものがある。ほんの二日前、鮮明且つ不明瞭に溢れ出した、奇異な感覚。全ては、あの場所だ。

 二日前のあの時、少女は助手の部屋に忍び込んだ。助手が常にその部屋にロックをかけていた理由を、彼女は知らない。ただ、偶然にも閉め忘れられていたその扉を見た時、まず好奇心がその手を突き動かした。

 そして気が付くと、その部屋の床に大の字で寝転がっていた。入室、からの転倒、そして助手に発見される、その一連のプロセスに繋がりが全く見えない。その時の気分は、これまで経験したことのない異様なものだった。何か記憶でも抜け落ちてしまったかのような、空虚感と躊躇。頭でも打ったのかと考えてみても、それらしき外傷はどこにもない。

(ああもう、また痛くなってきた……)

 代わりに、がんがんと締め付けるような内側からの痛みが少女を苦しめている。更に、同時に現れた妙な現象として、睡眠時の『夢』があった。

 その夢の内容は、中々はっきりとしない。何度も似たようなものを見た。何かの出来事を追体験しているような、そんな感触。しかし目覚めた時の認識は如何せん不正確で、何をしていたかもあやふやなのだ。何かをそこから読み取ろうにも困難な事だった。

 もしや、二日前の妙な現象とこの頭痛、そしてこの夢とに関連性が有るのでは――そんな発想に、ふと彼女は思い当った。しかし直ぐにその思考も止まる。実際その関連性とやらが何なのか、多少探したって具体的なものは見つからないし作れない。体調の悪さも手伝って、脳はすぐ休息に甘んじる。

「もういいわ、寝よ」

 一層増した痛みに対し、彼女はそう呟いて不貞寝することしかできない。



 そこでは頭の痛みは無かった。今までよりも詳細な夢だ。

 ロックのモニターがエラーを吐いている。壊れた理由は分からないけれど、扉が開いたのは機器の故障のためだと気付いた。

 何時ぞや異次元のようにも思えたその部屋が、今では未知のものとは思えない。いつかどこかで、経験したにおいと概観。それでもはっきりとはしない。見知った絵を水でぼかしたような、既視感と違和感。気持ちの悪い感情。

 その絵面の中で光るそれも、変わらずぼやけていたけれど。そこに何かが――最も曖昧で最も肝心な何かが、書かれていることを――好奇心に引きずられる寸前、思い出して。


 未過子は、鈍痛とともにもう一度目覚める。



「……なんと、勢いの良い事で……」

 少女が起き抜けに頭突きをかますという、助手にとって全く以て予想外な事態。

「いや、やろうと思ったわけじゃないんだけど……たまたま」

 憎まれ口を叩く余裕も無く、少女は弁解する。覚醒とほぼ同時、彼女は勢い良く身を起こした。そしてたまたま傍にいた助手に衝突、結果的に頭突きになっていた。彼女も無論痛い。

「なんか変な夢でも見た?」

 助手の何気ない言葉に、一瞬少女の息は止まる。それから、僅かな逡巡。

「別に……」

 嘘、ではある。しかし彼女は、一連の夢を――度々現れては、原型を保って少しずつ変化していく謎めいた夢のことを、同居人に話していない。

 夢に出てくる空間が彼の部屋であること、それが彼女に推測できる数少ないことの一つであった。それを知った上で、彼にこの話をするのはどうしたものかと、彼女自身決めかねていた。唯でさえ頭痛やら何やらで悩まされている時に、面倒事を増やす気にはならない。

「まあいいや……さっきの薬、どう?」

「効いた感じはしないけど」

 その頭痛も、今しがたの頭突きで度を強めた気がした。

「やっぱり、ありあわせの市販薬じゃ駄目かなあ……医者の一人もいればなあ」

「そんなこと言い出したらキリが無いでしょ」

 嘆く助手を少女は冷たくはねつける。

「……ね、みーちゃんは思わない?」

 一呼吸置き、トーンを少し落として彼は問い掛けた。訊かれた方は少し顔をしかめる。こんな風に助手が調子を変えて質問してくるときは、大体真面目な話を持ちかけてくる。実例から学んだことだ。

「もしも、こんなことになる前――元の世界に帰れたら、って」

 経験則は嘘を吐かない。聞こえた声を反芻する。

「嫌なこともあったけど、長閑で楽しくて……希望とか、そういうものがあったあの頃に、って」

「どうだかね」

 両手を組み、過去を思い出す様に語るその姿に、少女はあえて素っ気無い言葉を当てる。殆ど考えもせずに、というよりも前々からこうした質問に対する返し方は決めていた。はっきり肯定する気には到底なれず、一方で完全に否定することも何故だか恐ろしい。

「言うほど良かったもんでもないと思うんだけど」

「……そう、かなあ。僕は、そう思わないんだけど」

 一層声が沈んだ。

 この青年の性格を、少女はいつ頃からか理解していた。反抗相手がいなくなっても反抗期を引きずり、暗さと尖りを残した自分に対し、彼は暗い思考を見せないし、常に温和だ。その違いは度々彼女に苛立ちを、あるいは申し訳なさを、あるいは憐憫の念を抱かせる。

「そんなこと話しに来たの?」

「いやいや、様子見に来ただけだけどね。ちょっと、薬のこととかを考えたら聞きたくなったんだよ」

 気を取り直して青年は立ち上がる。

「そう、ちょっと人並みに、魔が差しただけ……というか、ね」

 もにょもにょと言葉を濁して去ろうとするその背中が、少し小さく見えた。

「また後で様子を見に来るよ」

 取ってつけたように告げて、しかし直後助手はまた振り向いた。

「言い忘れてた。しばらく、僕の部屋に近づかないでね」

 その言葉に、少女はどきりとする。ここ最近夢の中で何度も訪れている、加えて先日のこともあり、今最も気にしている事項。昨日今日と、あえて触れないようにしていたのだが。

「ロックの機械が調子悪くてさ。誤作動でも起こして、なんか危ないことが起きないとも限らない。近いうちに、直せるか試してみるから」

 最後にまたいつもの笑顔を残して、今度こそ扉が閉められた。一方、ただ命令だけされてベッドに残された少女は、身動きもとらずに考えを巡らす。

 ロックの機械の故障。それはまさしく、先程の夢で見たのと同じ内容だ。

 あの夢の内容は、つい最近起きたことだとでもいうのか。もしそうだとすれば、先日の出来事との関連性を、より強く疑わざるを得ない。

 もしかしたら本当に危険があるかも知れない、という内からの声を聞き流す。それから、この疑いを晴らさずにいられるだろうか、と一度自分に問い掛けた後、

「本当、私もひねくれたガキよね」

 自嘲気味に呟いて、彼女はこの後の行動を練り始めた。

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