その次の目覚め
翌朝。
少女は仏頂面でトーストを齧っていた。
「……まだご機嫌斜め?」
気を遣うような青年の声にも無反応。
実際の所、少女は青年を嫌っている訳ではない。唐突に現れたことに対する警戒心は有ったが、彼は大人しく、好青年という言葉がよく似合った。寧ろ、父の助手とは言えこんな状況になっても自分の世話を焼いてくれることに怪訝ささえ感じていた。ただ、
「当然でしょ」
それでも心なしか剣呑な対応になってしまうのは彼女の性格と気分ゆえである。
「歳を取るってのも悪い事じゃないよ? みーちゃんはもうちょっと育ったら美人さんになるだろうし」
「見る人も碌にいないのに綺麗になってどうすんのよ」
「僕が嬉しい」
「私は嬉しくない」
その一言と共に少女の口の動きは加速した。見る見るうちにトーストの面積を削り、食べ終わってもう一言、
「別にあなたのために生きてる訳でもないし」
きっぱりと告げた。
「……冷たいなあ。もう結構長い事暮らしてきたのに」
少し間を置いて沈んだような口調になった青年。
対して少女は思う。長く暮らしてきたから、この破滅した非日常に慣れてきてしまったからこそ、不満や変化と言ったものが出てきたのだろうと。少なくとも最初の十日間程度は慌てていたはずだし、それから先もしばらくは何らかの期待を抱いていたはずだ。その期間中、ここまで青年にあれこれ話したことは無かった。
「ちょっと気分転換でもしようよ。資材集め手伝って」
「やだ」
「いや、二人の方がずっと多く持ち帰れるしさ……」
青年の発明に使われる資材は、主に近隣の残骸から調達されていた。殆どの建材やら何やらは使い物にならないが、たまに文字通りの掘り出し物がある。周囲の山の量が途方も無く多い上に競争相手もいないので、青年が資材不足に困ったことは無い。
「手伝ってくれなきゃ、今日の晩ご飯は豆雑炊にするから」
「その脅しやめてよ……」
豆雑炊は自動調理機のラインナップの一つである。率直に言って、味は酷いものだ。全体的に平均程度の味を出してくれる調理機だが、その雑炊だけやたら不味いということに関しては二人で意見が一致していた。
「あんなの豆と米への冒涜よ」
「何を思ってあんなレシピにしたんだろうね開発者は。博士が改良してくれてりゃ良かったのに」
「それもそれで嫌」
「ワガママだなあ。それはさておき資材集め来てよ」
青年は雰囲気こそ柔らかいものの、こういった時には中々譲らない。少女は依然仏頂面を崩さないままで、渋々了解の意を伝えた。
「近場はもう掘り尽くしたかな? ちょっと遠出してみよう」
二人は北へ十分か二十分程歩き、まだ手の入っていない屑山へと行き着く。
青年の方は収穫を載せるための荷車を引いている。少女はその後ろをとぼとぼと追いかける。たまに二人で外へ出ると、大抵このような図になっていた。
「この辺、何があったか覚えてる?」
「もう場所の感覚も無いわ」
素っ気無い反応に対して、青年は残念そうに俯いた。
「僕より昔からこの街にいたってのになあ……僕はいくらか覚えてるよ」
彼は一度顔を上げて、脚を止めないままで語る。
「あそこはでっかい集合住宅があった。子供連れの家族ばっかり入ってた。そこが喫茶店。洒落てたねえ、一度あんな店で優雅なティータイムとやらをやってみたかったよ」
心なしか目が輝いているような――彼女は彼の顔を横から見てそう捉える。こんな東西南北変わらぬ風景に囲まれていても過去のことを思い出せる青年に対し、少女は感心すらしていた。
「それでそこには公園があってさ」
止まらずにいた脚が、段々と鈍くなり始めた。
「戦争がある程度進んでても、都市部から離れてるからって呑気にお祭りなんてやってて。小奇麗な商店とか家とかの中で、元気なおっちゃんのやってる年代物の屋台とか沢山来てて」
輝きの中に、他の色が混ざったのを少女は見逃さない。
「提灯がぼやあっと光ってて、太鼓がずっと響いてて、皆がニコニコしてて……なんか、何だかな。何もかも、とは言えないかもしれないけど、何かが揃ってたんだよなあ」
次第に考えがまとまらなくなってきたのか、ぽりぽりと頬をかきながら話を区切る。
「そんなに良かった? 普通の祭だと思ってたけど」
「お祭は楽しいさ。変わったところなんか無くたって」
手を離して、小さな笑みを見せる。
私とは感受性が違う、なんてことを少女は言わない。ただ、もう消え去ってしまった過去に思いを馳せる青年に対し、自分とは差異があることを見出して――そして、ほんの少しだけ憐みの念を覚えた。
やがて、静止しかけていた青年の脚が完全に止まる。それから彼は少女の方へ振り返った。
「さて、今日はこの辺で集めようか。手袋付けてー」
合成素材の手袋は肌触りがよろしくない。それでも強度を考慮すると、それを着ける以外の選択肢は無いのだ。ぶつぶつと文句を言いながら少女はそれを受け取って、慣れた手つきで装着する。
「……兵器が強すぎたってのは、私にとっちゃ幸運だったかもね」
「どういうこと?」
「発掘の最中に御遺体が出てくるとか、とてもじゃないけど無理よ」
世界が壊滅してから少女が初めて外に出たのは、およそ二週間後の事。
彼女が覚悟していた現実はそこには無かった。殆どの人間が死んだのならば、相応のものが出てくるはずなのに――一つも見つからない。
「……まあ、ね」
青年はそれに長い返答をしない。ただ小さく肯定したのみで、それきり口を開かなかった。
「しんどい。帰ったら休ませてよ」
「はいはい」
荷車には金属の部品やコンクリート片、木材など、バリエーション豊かな収穫が積み込まれている。低い位置にある太陽の陽を浴びながら、二人は研究所へと帰り着いた。気温は季節の割に高くなかったが、それでもあちこち動き回ったために二人は今も汗が止まらずにいる。
「僕は晩ご飯の支度するから、できるまで部屋で休んでるといいよ」
「夕飯も部屋で食べたい」
変わらない態度を見て、青年は肩をすくめた。
少女は自室へと向かおうとして、ある扉の前で動きを止める。
青年の部屋。日頃彼が多くの時間を過ごしている部屋。そして、少女が昨日何故か寝転がっていた部屋。その部屋のことが、彼女にはずっと引っ掛かっていた。どこか、違和感があるような。あの倒れていた時も含めて、奇妙な感覚が生じているような。記憶喪失、なんて言葉も幾らか前に出したが、はっきりとはしない。
(……まあ、そうは言っても入れはしないし)
電子ロックがその扉を塞いでいることは、一目で分かる。ご丁寧にモニター表示だ。生憎機械知識の無い人間ゆえ、そのモニターから彼女が読み取れる事項は、この扉が閉ざされていることとそのロックが彼女には解けないものだということ。しょうがない、と立ち去ろうとして――
「んぐっ!?」
少女は突如バランスを崩した。揺れる視界で、足元を捉える。気付いた。そこにある工具。名前は知らない。ただ、それの持ち主だけ分かった。
「危な――」
声は途中で途切れる。直後。
少女の頭は、鮮やかな弧を描いて、宙をかきまわして――ロックのモニターに真っ直ぐ突き刺さる。
ばちん、と。機械と人間の衝突する大きな音がして。そして。
「ロック解除キー認証。開キマス」
「は?」
少女が状況も把握できないうちに、扉からは小さな金属音が響き出す。恐る恐る扉の取っ手を掴んで、静かに引いてみる。驚くほど軽く、スムースにその扉は道を譲り渡す。
「……え、ちょ、何これ」
逆に慌てた。
今諦めていた扉が、もう拝めないかと思っていた青年の部屋のロックが――誤ってぶつかった衝撃で、あっさりと、その封を解いてしまった。
(こんなザルなシステムで……え?)
思わずモニターの方に目を向けると、初見の画面が移っている。意味不明な文字列が並んで、断続的に小さなエラー音を吐く。幸いにも、リビングの青年には届かない程度の音量だったが――
(つまり、私がこれを壊してしまったと……? え、頭突き程度で?)
沈黙。少女は暫く、思考も口も止めてしまった。そして我に帰った時、少女は、
(リビングであいつが食事の準備を終えるまで、後十分くらい……ちょっとだけなら……)
故障に対する懸念ではなく、元からあった好奇心を優先した。周りに誰もいないことを確認し、一度呼吸を整えて、改めて青年の部屋へと踏み込む。
(……昨日と、特に変わった様子は無し……)
中を見て、まずはそれを確かめる。壁も床も無機質で、隅にある木製の本棚やベッドの方が異質なものに思えた。そして例によって、残りのスペースには機械が所狭しと並べられている。形の整えられたものから明らかに未完成なものまで、幅広い。
(あれ? コンピュータのモニター……)
その機械に囲まれて、少女は一箇所に目を留める。机の上に鎮座する、一台のパソコン――それのモニターが、光を放っている。直近のモデルに比べて分厚く、旧式であるのは直ぐに分かった。先進的な物が溢れる中で、そのモニターは異質なものに見えた。
(文字、書かれてるけど……これは、読んでいいのかしら?)
数秒の逡巡の末に。彼女は、自らの好奇心を最後まで優先することにした。
モニターに映るのは、イラストも何もないシンプルな文書。どこかのホームページなどではなく、所謂「メモ帳」に書かれている。
(これは……日記……?)
日付と数行の文章がセットになっている。一番上の行に記された日付を見る。
2153年 7月21日
「……ちょっと待ってよ」
目を見開く。声が揺れる。これは誤記入だ。少女は信じようとした。
だって今は。今この時間は。
(今って……21世紀……じゃないの……?)
私の記憶が訴える時間は――ここに書かれた時間と、百年はずれている。
(……間違いよね? 有り得ない。あいつの、ミスだよね……?)
自分に言い聞かせながら、その下にある文章を読む。
今日、みーちゃんに装置Aを使った。これで四回目。特に問題も無く成功したと思われる。
前回が非常に長く続いただけに、寂しい気分になった。悲願だった装置Bの完成ももう近い。一層寂しい。けれどけじめは付けなくちゃならない。
ずっと一緒にいたのに、それでもこんな気持ちになってしまうのは、やはり僕が
「みーちゃん? どこ?」
思いのほか早く聞こえた声に、少女はびくりと震えた。既に前科がある。温厚な青年でも流石に怒る。間違いない。彼女は一瞬でそこまで思考を広げた。内容が気になってしょうがないが、やむを得ず日記の盗み見を中断した。隠れ場所を探すも見当たらない。
よろりとよろめいて、彼女はあるものにぶつかった。あの時目にした、カップ大の太さの細長い装置。
(なんか、この状況打開できないかな……?)
とは言っても装置の使い方なんてわからないし、下手に触ってしまえば何が起こるかは尚わからない。
「え、ちょ、ロックが壊れて……おーい!」
少女は最早落ち着きを失った。扉の方へ向き直って、無意識に後ずさりをして――
何かを、押し込んだ。
「あっ……ちょっ」
非常にまずいことになったのを、彼女は即座に認識した。今の得体の知れない装置が、少女の背に押されて、怪しげな音と輝きを出し始めたのだ。
「……え、何してるのさ! ちょっと、そこから離れて――」
そこで部屋へやってきた青年が、冷静さを失って叫ぶ。ただ、少女の方がそれに反応できない。
彼女は、動けなかった。
その謎の輝きが、彼女の身を纏っていくのを――未知の感覚に引きずり込んでいくのを、ただの人形の様に、ぼんやりと受け入れていた。
「…………い。おーい」
声。
「大丈夫かい。みーちゃん?」
そこで少女はがばりと起き上った。先程から呼びかけているのがこの部屋の主だと、少女はすぐに気付く。
「ここには入んないでって、何度も言ったよね」
窘めるような口ぶりに対し、その顔には安堵の色が見受けられる。
声の主は青年だ。すらりとした長身に、質素なシャツとジーンズを纏っている。笑みを浮かべた表情は柔らかく、同時に整っていた。
少女は起き上がり、気を取り直す様に頬を二度三度はたく。それから青年に向き直った。
「分かってるわよそんなの。ただ、日頃閉まってるドアが開いてたら覗きたくなるのが人間の性よ」
「気持ちは分からないでもないけどやめてよ。ホント焦るから」
沈黙から一転、反省の素振りなど一切見せずに弁解をする少女に対し、青年は苦笑する。
「夕食できてるから来なよ。今日はカレーにするつもりだったけど、残念ながら豆雑炊に変わりました」
「何でよ……」
「ご立腹だから」
そう言った青年の横顔は、いつもより心なしか拗ねているように感じられた。少女は渋々立ち上がりかけて、ふと横にあったある物を見据える。
「……これ」
「……どうかしたかい?」
「なんか、なんか……見たことあるような……なんだろう、変な感覚」
彼女は、得体の知れない装置を眼前にして、頭を抱える。
彼女は何かを思い出そうとした。この装置、この物体について、何かをしたような、自分に対する何事かが発生したような――如何とも言い難い記憶があるような。
「おかしい……おかしいんだよ」
「……ごめん、僕には、ちょっとよく分からない」
青年はいつになく落ち着いた口調で応じる。
「みーちゃんはこの装置を見たことが無いはずだよ。何か、他の物と間違えてるとかは」
「いや、そんなこと無い」
妙にきっぱりと言い切ったのを受けて、青年は少し考え込む。
「……この装置について話すことはできない。けどそんなに言うなら、僕もちょっと原因については考えてみる」
そう言うと、彼は少女の手を引いて立ち上がらせる。
彼女はそれに応じた。それからリビングへと促されていって――さりとて、躊躇いがひたすら彼女の心の中にはあった。後ろ髪を引かれる様な思いで、何度も後ろを振り返る。彼女が気にするその装置は動きも喋りもせず、ただそこに座り込んでいた。
(無事に済んでよかった……)
少女が倒れていた理由を青年は理解していた。あの装置が作動してしまったのだ。一歩間違えればどうなっていたか分からない、そう考えて少し身震いをする。
(まさかロックがあんな簡単に壊れるとはなあ……直さなきゃ)
長年手入れもせず使ってきたのだから不調になるのも自明。少女を引き連れながら、青年は内心考える。
同時に、それだけの期間を過ごしてしまったのだ、と自覚して気を重くした。
(……明らかにやばい。問題ありだ。あと少しだっていうのに)
焦燥感、危機感。腹の底から突き上げてくるそれらを、彼は懸命に抑え込んだ。