右の似るものぞなき6
青い空に2つの黒い影が上下に揺れるのを、メムロナンは目を細めながら見た。
「メムロナン様、どうか調査のほど、よろしくお願いします」
「ああ、わかってる」
黒い影の左右に広がる両翼が時折力強く羽ばたきながらも、これから探索に出かける山の斜面に向かって下降していった。
隣にテアはいない。
おそらく引き留められるのを避けるために、隠れているのか、あるいは既に山のどこかに潜伏しているのだと思われた。
振り返り、深皺男とサッと視線を交わして、俺は何も言わずに歩き始めた。
見張っているのだろうか?
俺が逃げないように?
悩みながらも活き活きと右腕を掲げた。
歩きながら、腰の剣を煩わしく思いながら、ひとつの意思表示として高々と握りこぶしを作った。
例の気にくわない男の為ではなく、声援を無邪気に送ってくれる住人たちに、彼奴の被害者達から少しでも人気を得ようとした。
彼への意趣返しのつもりだった。
もし帰ることが出来たとしても手柄の半分は、なんの危険も犯していない彼に奪われるだろうから、精一杯記憶に残るように泰然と歩いたのだった。
出迎えたのは落とし穴だった。
木根が土に穴を開け、次第に腐り崩れなくなって、自然の作ったなだらかな小穴だった。
俺はそこに片足を突っ込み、抜け出すのに多少の苦労を要した。
「はぁ〜、最初からこれかよ」
いつもはしない一人呟きをメムロナンは自棄気味にした。
気が参っているのだと直覚した。
湿った土がくっついたのを払いもせず、注意深く観察しながら探索を進めた。
きゃっ!
う、くはっ!
遠くから若い女の声がきこえてハッとなった。
テアの声だ。
俺はそれでも冷静に、音を立てないように茂みを掻き分けて近づいていく。
「な、によ。あなたは!」
草がザワザワと語るように乾いた声だった。
無理をしている!
迷うことなく突き進んだ。
人影が見える。
「あはっ? 俺様か?」
テアは幹の太い木にもたれかかっていた。
対面する人型の何かは背中をテアと向き合っていて、俺からは背中しか見えない。
「うんうん!」
充分に高いと言えるが、皮膚にざらつくように不愉快な声色で、満足そうにうなづいた。
「あは? じゃあ自己紹介といこうかな。俺様はバイユー。そう呼ばれている」
バイユーはテアにだけ視線を向けていて、辺りを見回すような真似はしなかった。
だが一番近くにある茂みから走っても、バイユーに辿りつく前に気付かれるほど距離が離れていた。
「くくっ、貴様は? 俺様が名乗ったのだから、当然名乗るのだろう? はやくしろよ」
テアは苛立たしげに口を歪め、そろそろと立ちあがった。足か膝を気にするようなぎこちない動作だった。
「……テアよ」
ふん!
バイユーはまるで、どうでもいいことを聞いたかのように鼻で笑った。
テアの幼い顔が更に歪んだ。
「……それで? 貴様の方はどうなんだ? あはっ?」
バイユーと名乗る男はゆっくりとした動作で振り返り、ニタニタと横に伸びた口を俺に見せつけた。
居場所がバレている!
「もしかしてそれで隠れているつもりなのかい? あはっ? だとしたらお笑いものだ!」
「隠れる? 違うね」
「ふん! まあいい。貴様に用があったのさ」
バイユーは余裕たっぷりの表情で、後ろのテアを警戒する風もなく言い切った。
反対に俺は立ち上がりはしたものの、茂みから出たりはせずに逃走の準備を図っている。
「俺に?」
「そう、貴様にだ!」
俺はこいつを知らない。
「へぇ〜。その貴様ってのはやめてくれないか? 聞き慣れないんでね」
「あっはぁ〜? やだね! 貴様ごときの言うことを聞くと思うか、メムロナン?」
だが相手は俺の名前を知っていた。
それだけでなく俺の顔まで知っていたのだろう。
バイユーが俺の名前を呼ぶと、テアが睨みつけてきた。
知り合いだと思われたのだろうから、バイユーに応えるフリをして違うと伝える。
「いいぜ。なんとでも呼べ。初対面の奴に貴様呼ばわりされるとは思わなかったがな」
「ふん! そうさせてもらうさ。ところで、おいメムロナン! 本題に入ろうぜ。用というのはな、まあ端的に言ってしまえば勇者をやめろ。ということだ」
「それはできない相談だ」
俺が迷いもせず直ぐさま答えると、テアの驚いた顔がこちらに向いた。
「あっは? 勘違いするなよ、こいつは相談なんかじゃあないぜ。俺様はやめろと言ったのさ」
拒否権はないと、暗に言っているようだ。
「いや、出来ないことを言うほど、お前は頭が悪いのか? 俺は選ばれたんだ! やめるなんて不可能だ」
「クックッ。まだ分かってないようだな。いいぜ、教えてやるよ。俺様は貴様に帰れ、なんて親切に諭したのだと貴様は思っているようだが、あっはぁ? 違うね。死ねと言ったのさ。死んで勇者は終わる。そう、貴様は勇者をやめることになる」
バイユーはクツクツと笑みをこぼした。
「……そうか。お前がどうしようもない妄想癖の持ち主だってことはよく分かったぜ。それで、拍手でもすればいいのか?」
「いらないね」
「じゃあこいつが欲しいのか?」
俺は腰の剣をこれ見よがしに見せつけた。いつでも襲いかかれる体勢をとり、バイユーの表情にいささかの変化もないことを見ると、何かに躓いたように会話が途切れた。
「なんだ? おい、一体何の用で俺に会いに来た? 何が目的だ!」
バイユーはニタニタ笑いを続けていて、俺が叫んでいるのを楽しむように何も喋らない。
その後ろではテアが隙を窺っているようだったが、腰が震えていて、バイユーの無警戒な背後に竦んでいた。
「俺様はぁ、伝えたぜ。それと善意で教えておいてやろう。この山に来た人間共は、みんな死んだ。あは? そうすれば貴様がやってくると思ったし、実際その通りだったな」
何がいいたい?
再三の疑問を投げかけようとしたが、前のめりになって茂みをカサカサと揺らし、その音で我に帰った俺は口をつぐんだ。
「勘違いするなよ。俺様は伝言を伝えに来ただけだ。それが命令なんでね」
バイユーと名乗る男は、それだけ言い捨てると憎らしい笑みをおぞましい笑みに変えた。
「待ってるぜ。そこで貴様を殺す!」
意味がわからなかった。
この男は何を言いたいのだろうか?
突然吹き荒れる嵐のように唐突に現われて、辺りに爪痕を残して去っていく。
彼もまた話に聞いた嵐と同じように、それでいて違うところは小声で呪文を唱え、霧が晴れるように忽然と消えた。
俺は最後まで何もできなかった。
残像の向こう側からドサッと倒れこむ音が聞こえ、テアがもはや立っていないことを確認した。
俺はあの時に掻き入れなかった茂みを飛び越えて、テアを介抱しながら考えた。
あの男は……?