右の似るものぞなき4
嵐時にはぐれた子供がどうなるかは、火を見るよりも明らかだろう。
少女は豪雨に揉まれて滅茶苦茶になったような髪の毛を抑えながら、そして、走り続けて乱れた心拍を整えながら話してくれた。
「わたしは夜のうちに空が晴れていくのを見たわ。山際が白く光りはじめて、わたしの足首にできた擦り傷に光をあてた。赤黒く腫れていた。とてもいたくて、でも泣いたりはしなかったわ」
少女は行方不明の報を聞きつけると、1人で隠れながら山に向かったらしかった。
山道から逸れて、身体中に木枝のひっかき傷を作りながら探していた。
夜が更けても、時々、葉々の間に光る獣の目に怯えながら名前を呼び続けたそうだ。
そして急な傾斜に足を踏み入れると、ぬかるんだ土に片足を滑らせて、そのまま滑り落ちて傷を作った。
少女は飾り立てることなく、ぽつぽつと語った。その真摯な瞳からはいささかの嘘偽りも見つけられなかった。あるいは俺の曇った両の目が見つけたとしても、それを拒み、覆い隠してしまったのかもしれない。
「3時間くらいかしら。山の中でじっとしていたのは。いいことにわたしが怪我したのは麓のあたりで、すぐに見つかったわ。そう、わたしはね」
けわしい表情を浮かべ乱暴に髪を撫でていた。
「お前は……」
「トワ・テアよ。メムロナン?」
「トワ・テア?」
少女のまわりに不機嫌がまとわりついた。
「テアでいいわ。わたしの名前を、まるで1つの単語のように呼ばれるのが好きじゃないの」
「テア……お前は強いな、そして傲慢だ」
「ごうまん?」
テアはクイっと顎をあげて、伏し目がちだった瞳で俺を射すくめた。
その時になってようやく、テアがまだ年端もいかぬ少女だということを思い出したのだ。
「俺みたいな奴に付けられる、不名誉な称号さ」
テアは再び目を伏せた。
何かを考えるふうではなく、じっと地面を見つめ、思考を放棄しているようだった。
長らく沈黙が続いた。
ずっと、微風に囲まれるだけの時間が続くかのように思われた。
言葉の意味など、この少女には理解できてはいないだろう。
そうしてまた、この位の年齢の少女は他人を忘れ、自分に降りかかった災厄のみを記憶し、髪の毛と背丈を伸ばしていくのだろうと考えた。
「山にいくの?」
不意に少女のつぶやきが聞こえた。
「そうだ」
「死体をさがすのね?」
「いや、おそらく魔獣の討伐だろう」
「魔獣? 魔獣がでるの? それで誰も近寄らないわけね」
「知らされていないのか?」
俺は新鮮な驚きを持って、この少女の眺めあげる双眸を見比べた。
確かに、魔獣などと聞けば恐慌をきたすかもしれない。
俺はテアの傷ひとつない顔を見ながら、顔中に深い皺を刻んだ男を思い浮かべた。
彼の行った情報統制は、見事に成功したようだ。
魔獣という危機に対して勇者という希望を与えることにより、ここに住まう人々にとりあえずの安寧を持たせることができる。
優れた政治的判断だが、はて、俺が立ち寄らなかったらどうする心算だったのだろうかと思うと、素直に感心できない。
「そう、魔獣ね。きっと骨も残ってないわ」
テアは伏し目がちな顔を一層沈鬱に染め、消え入りそうなほど弱い溜息をついた。
梢が互いに擦りあい、ざわめきたてる木々に耳を傾けながら、テアが自分で喋り出すのを待った。
そうしなければならないと、どこか暗い心の底で感じ入ったからだ。
ところが疲れるほど待たされることはなかった。
テアは奇妙に感情の抜け落ちたような顔をこちらに向け、俺に言うのではなく、何か人型のオブジェクトに向かって言うように1人で囁いた。
「わたしもいくわ。連れてって」
「お前の好きにしろ」
もし、遠くから2人を眺めているものがいるならば、2つある影のうち片方だけが頷いたのを見てとるだろう。