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題未定  作者: はやなき
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波と蔭に2

いつもと同じ少年が、いつもと同じ鞄に仕舞ってある封書を、いつもとは違って険しい表情で運んでいた。

少年は大樹の近くに建てられた村長の家屋に急いで入っていった。

それからすぐに村人の全員が、村長の招集で大樹の前に集められた。

メムロナンはひりひりとした空気に触れ、何かよくないことが起こると感じていた。


天を貫かんばかりにそびえたつ大樹の陰で、老人は村人たちに話し始めた。

「聴けい、お前たち!」

幾年も土を踏み鳴らし、先端の見事に擦り減った老木を杖にした老人が村長としての威厳をもって叫んだ。

杖は老人と同じ程の背丈があり、彼らは互いに半身であるかのように寄り添っている。

「2ヶ月前のことじゃ。我らが親愛なる王、ドリツェン様がお亡くなりになられた」

ドリツェンという男は一風変わった性格で、それなりに慕われていた。

人間の世界を牛耳り田畑を荒らす他の王とは違い、部屋にこもりきりになっているからだ。

穏やかに微風が吹いていた。

小鳥の囀り、揺れる木の葉が囁きあい、ひそかに恋の話をしているみたいだ。

「病を患っておったらしい。我々を心配させぬ為、後継が決まるまでと死去が隠されたようじゃ」

ガラスの砕ける音が遠くから聞こえた。

誰かが手を滑らせてグラスを割ったのだろう。

静寂の中でその音は一層鮮明に響き渡った。

「だが、心配にはおよばんぞ。故王の側近だった男が尽力してくださる」

唐突に知らされた彼の死は、誰もを混乱に陥れるに充分なものだった。

ガサガサと草々が先程よりも強くざわめく。

陰鬱で不吉の前兆たる黒鳥が群れをなし、空気を侵しながら飛びたった。

「その男の名は皆も知っておるじゃろう? その名は……」

「そんな! 俺たちはどうなるんだよ!」

上擦った男の声が、老人の言葉を打ち消す。

灰色の雲が太陽にかかり、大樹の蔭が暗闇色を増した。

「心配には及ばぬといったじゃろう」

「だが! だが!」

「そうよ、子供たちはどうなるの!」

光を取りあげられ、望みのない老人の顔が悲痛に歪む。

彼が死んだということは、彼の治めていた土地を他の誰かが支配するということだ。

そしてそこには他の王の干渉がある。

野蛮で欲深い魔王たちが黙って見ているなんてありえない。

これまでの平穏が崩れ去る音がした。

きゃあっ!

少女の叫びを村人全員が聞く。

「どけっ! 邪魔だ! 俺は生きる。逃げる。生きる!」

「お、俺もだ。早く逃げないと俺たちみんな奴隷だぞ!」

「きゃっ、いたい!」

「あなた。子供たちを」

狂乱した人々のたてる足音が、大樹の怒りが引き起こした地鳴りのように響き渡る。

体格の劣る弱者が強者にぶつかられ、引き倒され、あるいは押しとばされたりして悲鳴をあげる。

強者。狭い世界の強者。

自由という幻想に塗り潰された醜い生への渇望が彼らを突き動かした。

「静まれ! 静まれ!」

哀れな老人の声は、あまりにも無力で虚しい。

暗澹と垂れ込める重く湿った空気が孤独に取り残された老人を襲う。

杖がなければ立ってもいられなさそうなほど、その体は小さく見える。

慌ただしく逆巻く人の渦に呑み込まれ、とうとう老人の体は見えなくなり、罵倒や怒声によって声も聞こえなくなっていた。


老人は自身の半身でもある杖を投げ捨てていた。

どれほどの決意と覚悟が彼にそうさせたのだろうか。

メムロナンは彼と杖が互いに離されたのを初めて見たような気がする。

「若くして!」

杖を持たない彼は自由を謳歌するように両手を高々と掲げ、這いずりまわる不安と恐怖を切り払うために叫んだ。

「若くして領地を継ぎ、ドリツェン候は40年もの間、我らと共にあった!」

その寿命は決して若くない。

その声は騒音に掻き消され、逃げ惑う村人には聞こえないかもしれないが、未だ近くに留まっている何人かは確実に聞きとった。

「しかし! しかしだ諸君! 彼もまた、死滅を避けられえぬ鎖の子にすぎぬ。この生命の転換には逆らえんのだ! 考えろ。我々には何ができるか!」

踏みつけられ疲弊しきった大地に冷たく静かな波が広がってゆく。

渦に沈まぬ術を持つ者が聴衆に加わった。

「送別か? それもいいじゃろう。あの御仁のおかげで我々の今があるのだからな。盛大に催したい」

波は広がり続け次々と村人を包み込む。

「だが、それよりも前にすべき事がある! 違うか!」

波はとうとう村人の全員を捉え、今や老人の声は村中に響いている。

「わからぬのか? 時は移ろいゆき、席に座る者の顔も変わる。その度に、かしずく者達の態度も変わらねばならん!」

薄々気づいていた。

村人の誰もが心の奥隅にそれを追いやり、平穏で覆い隠している。

子供たちは理解していない。

だけど大人達の顔を見上げ、喋れなくなっていた。

また、数人いるはずの赤児も鳴き声をあげず、その老人に見入っている。

いつしか静寂が訪れていた。

静寂に始まり、狂乱を過ぎて、再び訪れた静寂は、最初のそれとは感じる空気が違うような気がした。

集められた時よりも人の円は広がり、そして確固たる静寂だった。

抗争だ。

誰かが言った。

それは囁くような小さな声だったが、耳の遠い老人にも、遠く離れたところにいる他の村人にも聞こえるものだった。

「ほう? 抗争とな?」

「そうだ。立ちあがるべきだ。自由のために!」

「ただでは済まぬぞ」

「覚悟の上だ! みんな、そうだろう? 奴隷の日々に戻りたいのか?」

声をあげたのは高齢の男だった。

その男は村の識者として子供たちに勉学を教えている。

たくさんの村人との仲もよく、老人よりも慕われていた。

そうだ。戦おう。

ちらほらと賛同の声が聞こえてきて、それはたちまち拡がった。

彼らの熱叫に吹きとばされ、渇いた空気がやってきた。

空にたちこめていた暗雲は切り裂かれ、光の筋が大樹に降りそそぎ、木漏れ日が老人の顔を照らす。

蔭に呑まれるとどんよりとして、光を浴びると晴々としているようだ。

けれども彼は始終同じ表情をしていた。

メムロナンは老人の顔をずっと見ていた。

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