第四章 崩落
小章① 強行突入
月曜日、午前六時。 空は薄曇り。冷たい風が吹いている。 港区六本木。九条蓮が住む高級タワーマンションの前に、数台の黒塗りの車が静かに滑り込んだ。 降り立ったのは、揃いのスーツに身を包んだ国税局査察部の精鋭たち。総勢五十名。 加賀美は先頭に立ち、マンションのエントランスを見上げた。 最上階のペントハウス。そこが「現代の錬金術師」の城だ。
「行くぞ」
加賀美の合図とともに、査察官たちが動き出した。 オートロックを管理会社立会いのもとで解錠し、エレベーターで最上階へ。
午前六時三分。 九条の部屋のインターホンが鳴らされた。 応答はない。 規定の時間待った後、加賀美は解錠を指示した。
ドアが開く。 広大なリビングには、朝の光が差し込んでいた。壁には、例の『SAKURA』の新作と思われる巨大なキャンバスが飾られている。 九条蓮は、窓際のソファに座り、バスローブ姿でコーヒーを飲んでいた。 まるで、彼らが来るのを待っていたかのように。
「おはようございます、九条さん」
加賀美が裁判所の許可状(令状)を提示した。
「首都圏国税局査察部です。法人税法違反、および所得税法違反の疑いで、強制調査に着手します」
九条はカップを置き、薄く笑った。
「朝早いね、マルサの皆さんは。……どうぞ、好きなだけ調べてくれ」
余裕の態度だ。 すでに証拠は隠滅済みだとでも思っているのか。
「一課は書斎のパソコンを確保! 二課は寝室と金庫! 三課は美術品のリスト作成!」
加賀美の怒号が飛ぶ。 査察官たちが部屋中に散り、段ボール箱を組み立て始める。
小章② 無価値の証明
捜索開始から二時間。 パソコンや書類は次々と段ボールに詰められていくが、決定的な「裏帳簿」や「指示書」が見つからない。 九条はソファで足を組み、タブレットでニュースを眺めている。
「無駄だよ。僕のビジネスは全てクラウド上にある。パスワードは僕の頭の中だ。拷問でもするか?」
九条が挑発的に言った。
加賀美は九条の前に立った。 そして、鞄から一枚の写真を取り出した。 美大生・佐山が作業をしている隠し撮り写真だ。
「佐山健太君。彼が全て話してくれましたよ。あなたの指示で、AI画像を印刷し、上塗りしていたと」
九条の表情が初めて強張った。
「……それがどうした? アートの制作過程なんて自由だ。アシスタントを使うのは常識だろう」
「ええ。だが、架空の画家『SAKURA』をでっち上げ、自作自演のオークションで価格を吊り上げたとなれば話は別だ。それは詐欺であり、脱税の意図的な工作だ」
加賀美は、香港の銀行口座の取引記録のコピーをテーブルに叩きつけた。
「あなたの香港法人からオークションハウスへの送金記録だ。日付も金額も一致している。言い逃れはできませんよ」
九条が押し黙る。 その額に汗が滲んだ。
「さらに、海堂先生も認めました。あなたに頼まれて、嘘の鑑定書を書いたと」
外堀は全て埋まっていた。 九条は深いため息をつき、天井を仰いだ。
「……アートなんて、所詮は『共同幻想』だ。一万円札の原価が二十円なのと同じだ。みんなが価値があると信じれば、ゴミだって宝になる」
「その通りだ。だがな」
加賀美は、壁にかかっている『SAKURA』の絵を指差した。
「税金の世界じゃ、幻想は通用しないんだよ。俺たちが見るのは『事実』だけだ。この絵の価値は三億円じゃない。キャンバス代とインク代、合わせて二万円だ」
九条は力なく笑った。
「……二万円か。安いもんだな」
その瞬間、彼の「アート思考」という虚飾のメッキが剥がれ落ちた。 そこにいたのは、ただの小賢しい脱税犯に過ぎなかった。




