第三章 虚飾のハンマー
小章① 鑑定士の値段
強制調査を目前に控え、加賀美はもう一つの重要な「パズルピース」を埋めようとしていた。 それは、誰がこの贋作に「三億円」という価格のお墨付きを与えたのか、という点だ。 絵画の価格は、専門家による「鑑定書」がなければ公的な評価額として認められない。
牧村が調査した資料によれば、『虚無の青』の鑑定を行ったのは、美術評論家の海堂 巌。 テレビのコメンテーターとしても知られる有名人だが、その評判は芳しくない。金で動くという噂が絶えない男だ。
金曜日の夜。加賀美は海堂が常連だという銀座の会員制クラブの前に張り込んでいた。 深夜一時。海堂が千鳥足で店から出てきた。 加賀美は路地裏で彼を待ち構えた。
「海堂先生。少しよろしいですか」
加賀美が警察手帳ならぬ「国税局」の身分証を提示すると、海堂の酔いが一瞬で覚めたのがわかった。
「こ、国税? 私は何も……」
「立ち話もなんですから」
加賀美は海堂を近くの公園のベンチに座らせた。
「単刀直入に聞きます。SAKURAという画家の『虚無の青』。あれに三億円の評価額をつけましたね?」
「ああ、あれか。素晴らしい作品だ。現代の抽象表現主義を刷新する傑作だよ」
海堂は脂ぎった額の汗を拭いながら、饒舌に語り始めた。
「先生、あれはAIが作った画像に、美大生が上塗りをしただけのものです。原価は五万円もしない」
加賀美が冷たく告げると、海堂の動きが止まった。
「そ、そんな馬鹿な。私は筆致や絵具の厚み(マチエール)を見て……」
「佐山健太という学生が、全て証言しましたよ。制作手順も、報酬も」
海堂が絶句する。
「先生、あなたの口座に『ギャラリー・ニブス』から定期的にコンサルティング料が振り込まれていますね。あれは鑑定料、いや、口止め料ですか?」
「ち、違う! あれは正当な……」
「脱税幇助になりますよ。鑑定士としての名声も地に落ちる。……今なら、まだ『騙されていた』という言い訳が立つかもしれません」
加賀美の言葉に、海堂は崩れ落ちた。 彼は震える声で白状した。
「……九条に頼まれたんだ。『箔をつけてくれ』と。海外のオークション実績を作れば、誰も文句は言えなくなると」
「海外オークション?」
「そうだ。香港のオークションハウスだ。そこで九条の息のかかったダミー会社が、SAKURAの作品を高値で落札する。そうすれば『三億円で取引された実績』が残る。私はその実績に基づいて鑑定書を書いただけだ……」
やはりそうか。 自作自演のオークション(出来レース)。 自分の会社で絵を作り、自分の金でそれを海外で買い戻し、価格を吊り上げる。そして国内に持ち込み、美術館に寄附して税金を消す。 完璧なマネーロンダリングの円環構造だ。
小章② 香港ルート
翌土曜日。査察部の会議室。 加賀美はホワイトボードに相関図を描いていた。 『ニブス・テック』→(資金移動)→『香港ペーパーカンパニー』→(落札代金)→『オークションハウス』→『ギャラリー・ニブス』。 金は国境を越えて洗浄され、綺麗な「売上」として九条の懐に戻ってくる。そして、手元には高額な評価額がついた絵画が残り、それが節税の道具となる。
「海外送金の記録は押さえました」
牧村が分厚いファイルを机に置いた。租税条約に基づく情報交換制度(CRS)を利用して取り寄せた、香港の銀行口座の記録だ。
「九条が支配する香港の法人『レッド・ドラゴン・アート』。ここからオークションハウスへの送金と、落札日の日付が完全に一致しています」
「決まりだな」
加賀美はホワイトボードの「九条蓮」の名前に、太い赤丸をつけた。
「これは単なる個人の脱税じゃない。海外を利用した組織的な消費税還付詐欺の疑いもある。絵画を輸出するふりをして消費税の還付を受け、実際には国内で還流させていた可能性が高い」
被害額は数十億円に上るだろう。 現代アートという「見えない価値」の皮を被った、巨額詐欺事件だ。
「Xデーは月曜の朝六時だ。相手はIT長者だ。データの消去には細心の注意を払え。電子機器は全て押収。クラウドのアクセス権も確保しろ」
加賀美の号令に、部下たちが一斉に頷いた。 獲物は檻の中だ。あとは扉を閉めるだけ。




