第二章 虚構のアトリエ
小章① ゴースト・ペインター
調査は難航した。 SAKURAに関する情報は、ネット上にも美術界にも皆無だった。画廊の主人たちに聞いても、「聞いたことがない」「最近急に出てきたバブル画家だろう」と首を傾げるばかりだ。 唯一の手がかりは、九条がSAKURAの作品を購入したとされる画廊『ギャラリー・ニブス』だった。
場所は銀座の一等地。だが、看板は小さく、完全予約制のサロンのような店構えだ。 加賀美は、身分を隠して接触を試みたが、門前払いを食らった。 「一見さんお断り」の壁は厚い。
だが、捨てる神あれば拾う神あり。 牧村が、銀行調査(バンク調査)で妙な金の流れを見つけてきた。
「先輩、これを見てください。『ギャラリー・ニブス』の口座から、毎月決まった日に、ある個人の口座へ振り込みがあります。相手は『佐山 健太』。美大の大学院生です」
「美大生? 金額は?」
「月三十万円。名目は『画材代』および『作業委託費』となっています」
「作業委託費……」
三億円の絵画を売る画廊が、美大生に三十万? 桁が違う。だが、もしSAKURAが架空の人物で、実際の制作をこの学生がやっているとしたら? 「ゴーストライター」ならぬ、「ゴーストペインター」だ。
加賀美たちは、佐山のアパートを張り込んだ。 練馬区の古びた木造アパート。三億円の画家の住処にしては、あまりに質素だ。 夜、佐山が帰宅した。 痩せぎすで、猫背の青年。手にはコンビニの袋を下げている。
加賀美は、佐山がゴミ出しをするタイミングを狙った。 彼が出したゴミ袋を回収し、中身を調べる。マルサの基本動作だ。 中からは、絵具のチューブや、失敗したデッサンの切れ端が出てきた。 そして、一枚のメモ用紙。 『仕様書 No.104 テーマ:静寂の森 出力設定:高彩度 納期:10/20』
「仕様書? 出力設定?」
加賀美は首を捻った。 絵を描くのに「出力」という言葉を使うだろうか?
小章② AIと手仕事
翌日、加賀美は意を決して佐山に接触した。 国税局の身分を明かし、任意での聴取を求めた。 佐山は最初怯えていたが、「脱税の調査をしている。君が被害者かもしれないと思っている」と告げると、重い口を開いた。
「……僕は、SAKURAじゃありません。ただの仕上げ屋です」
「仕上げ屋?」
「はい。絵の『元データ』は、九条社長の会社から送られてくるんです。AIが生成した画像データです」
佐山はスマホを取り出し、画像を見せた。 画面には、美術館で見た『虚無の青』とそっくりの画像が表示されていた。
「社長は、最新の画像生成AIを使って、大量の『抽象画』を作らせています。僕はそのデータを高精細プリンターでキャンバスに印刷し、その上から透明なメディウム(盛り上げ材)や油絵具を塗って、筆跡のような凹凸をつけるんです」
「なるほど……。印刷物に手作業で凹凸をつけて、手描きの油絵に見せかけているわけか」
「はい。作業時間は一枚あたり三日くらいです。報酬は一枚五万円。……まさか、それが三億円で売られているなんて知りませんでした」
佐山の声が震える。 彼は、自分の仕事が犯罪の片棒を担いでいるとは知らなかったのだ。ただのバイト感覚だったのだろう。
「元データを作っているのは誰だ?」
「分かりません。でも、指示書はいつも『ニブス・テック開発部』のアドレスから届きます」
加賀美は確信した。 SAKURAなど存在しない。 九条は、自社のAIに描かせた「ゴミ」を、美大生を使って「アート」に偽装し、それに自分で法外な値段をつけているのだ。 原価は、キャンバス代とインク代、そして佐山へのバイト代数万円のみ。 それを三億円と評価し、寄附することで、約一億五千万円の税金を免れる。 濡れ手で粟の錬金術だ。
「佐山君、このことは他言無用だ。君は重要な証人になる」
加賀美は佐山を保護し、次なる一手へ向かった。 贋作の製造工程は割れた。 次は、その「価格」を正当化している共犯者たちを炙り出す必要がある。 オークションハウス、鑑定士、そして画廊。 アート市場という名の「伏魔殿」に、マルサのメスを入れる時が来た。
加賀美は、牧村に指示を出した。
「ガサ入れ(強制調査)の準備だ。ターゲットは『ニブス・テック』本社、九条の自宅、そして『ギャラリー・ニブス』。……Xデーは来週の月曜、早朝だ」
雨が上がっていた。 東京の空に、どす黒い雲が渦巻いている。 それは、これから始まる嵐の前兆のようだった。




