番外編① 草原の謎の男(アリア視点)
王国騎士団特別顧問にして、現役最高峰のSランク冒険者。
各国で語り継がれる伝説の勇者候補。フォロワー数五百万超え。
そんな私、アリア・ブレイブハートが言う。
あの男が、絶対におかしい。
* * *
最初に気がついたのは、七日前だった。
私はアステルの街に滞在中で、連日、近郊の草原で炎上軍の斥候を掃討する任務にあたっていた。
その帰り道。草原の一番はずれに、一人の男が立っていた。
ボロボロの麻服。刃こぼれだらけのなまくら剣。レベルが低い冒険者かと思ったが、その立ち姿から目が離せなかった。
剣を振っている。ただ、黙々と振っている。
誰も見ていない。誰にも聞かせていない。独り言すら言わずに。
(なんという静けさ……)
私はその場に足を止めた。
私の知っている剣士の多くは、自らの訓練を「誰かに見せる」意識を持っている。それは「観測力」を集めるこの世界では自然なことだ。しかし、あの男はまるで逆だった。誰にも見られていないことが前提であるかのように、ただひたすらに静かに振り続けていた。
「……強者の気配が、ない。全く、ない」
それが不思議だった。
私の「観測力」の感覚はSランク冒険者として世界トップクラスの精度を誇る。強い冒険者のそばに行けば、本能的に肌でわかる。しかしあの男からは、強者の気配がまるで感じられない。
むしろ弱い。本当に弱い。
子供のような素振り。足腰の安定がない。剣の握りが甘い。
なのになぜ——私の目が離せないのだろう。
『アリア様、どうされましたの? 立ち止まって』
従者が首をかしげた。私は視線をあの男から無理やり引き剥がした。
「……何でもない。行こう」
* * *
二日目。仕事の帰り道、また立ち寄った。
今日もいた。昨日と全く同じ場所で、全く同じように振っていた。
進歩があるようには見えなかった。剣の軌道はぶれぶれで、体重移動もできていない。
でも、止まらない。
(誰の視線も求めず、誰の評価も求めず……ただ己と向き合っている……!)
私の胸に、何か熱いものが芽生えた。
これは修行の境地――いや、もっと根源的な「人間としての強さ」だ。私はその日の夜、自室に帰ってから三時間、自分の剣の原点について考えてしまった。
三日目。スライムに体当たりされて泥の中に倒れていた。
「!?」
私は慌てて駆け寄ろうとした。しかし男は何事もなかったかのように立ち上がり、服の泥を払って、また剣を振り始めた。
……強がっているのではない。本当に平気そうだった。あのダメージを「些細なこと」と捉えているかのように。
(どれだけの修羅場をくぐれば、最弱の魔物との戦いにあれほど無表情でいられるのか……!)
四日目と五日目は任務が重なって通れなかった。
六日目に久しぶりに見たら、相変わらず同じ場所にいた。
継続している。雨の翌日だった。草原がぬかるんでいる。それでも来ている。
七日目。ついに私は話しかけることにした。
* * *
彼が、またスライムに転がされていた。
泥の中で地面に突っ伏すところを、私はばっちり目撃した。
そしてその直後——スライムが一瞬にして消滅した。
剣は一度も届いていなかった。魔法も使っていなかった。
ただ彼が「くだらない」という目でスライムを見た、その瞬間に。
(——これが、本物の達人……!)
私はそう確信した。あとから振り返れば、判断の大半が思い込みだったかもしれない。だが、この時の私には、確信する根拠が七日間分ちゃんとあったのだ。
一週間、誰も見ていない場所で黙々と鍛え続けた男。
一切の強がりも自己顕示欲もない、静かすぎる実力者。
そして、最弱の魔物すら「相手にするまでもない」と一瞥で消し飛ばした、底知れない技量。
私は前に出た。声をかけた。
「凄まじい一撃ね」
男は振り向いた。三白眼だった。口角がわずかに上がっていた。
それが「くだらん」という顔なのか「ありがとう」という顔なのか、私には判断できなかった。
でも、確かにわかったことがあった。
この人は、私が今まで出会ったどんな強者とも違う。
私は、この人に付いていきたいと思った。
それだけは、本当のことだった。
* * *
【後日談】
ちなみに後になって、レイ本人から「あの一週間、一匹もスライムを倒せてなかった」という事実を聞かされた。
……それでも、私はあの確信が間違っていたとは思っていない。
どんな達人だって、新しい旅の始まりには、泥の中から始めるものだから。




