第75話 バレットアント急襲
外の様子がおかしい。
異常なくらい騒がしいのだ。
私を含め皆が訝しがっていると部屋のドアが勢い良く開けられた。
ドアを開けたのはミランダさん。
だけど、いつもの妖艶なミランダさんではなくて、真っ青な顔をして慌てふためいている彼女の姿だった。
「ザックさんが……ザックさんが……」
「ザックがどうした?」
ギルマスが尋ねるけれどミランダさんは震えるばかりで上手く答えられない。
「大丈夫だ、ゆっくり……落ち着いて喋ればいいから……ザックがどうしたんだ?」
ギルマスが子供をあやすようにとても優しくミランダさんに語りかけている。
んまっ、ギルマスったら紳士なんだから。
おっと、ゴメンなさい。
不謹慎だったね。
わなわなと震えるミランダさんも少し落ち着きを取り戻して
「ザックさんが蟲に襲われて……怪我をして…………血を流してて…………。」
そのまままたブルブルと震えてしまう。
「危険な状態で……私たちじゃどうにも出来なくて…………。」
えっ、大変。
ザックさんてアルマさんの彼氏さんのアイザックさんよね?
「ギルマス、すぐ来て下さい!」
メイジーさんが叫ぶ声が聞こえる。
ヤバイヤバイヤバイ。
これって緊急事態だ。
「嬢ちゃんたちも一緒に来てくれ! 行くぞっ!」
「「「はい!」」」
ギルマスを先頭に私たちは駆け出した。
アイザックさんの怪我ってどれくらいの怪我?
危険な状態って言うからかなり酷い?
治療はしてるのか?
アルマさんには知らせたのかしら?
色々な疑問がぐるぐると頭の中を駆け巡る。
そこには人だかりが出来ていた。
みな心配そうに見つめている。
けど見つめるその眼には諦めにも似た色が見て取れた。
……っ!
うっ。
血の臭いがここまで漂ってくる。
かなり出血してる?!
「オイ、場所を開けろ。」
するとザザザッと人だかりが割れて寝かされているアイザックさんが見えた。
お腹の辺りが赤く血濡れている。
床には夥しい血が流れている。
これは相当に拙いかも。
側には同じパーティーの仲間が付き添って
「ザック頑張れっ! 今治してやるからな。」
「お前彼女と結婚するって言ってたよな? だったらこんなトコでくたばってる場合じゃねーぞ!」
大きな声を張り上げている。
「ああ、分かってる……コフッ、俺はまだ死ねない。」
ああ、アイザックさんの顔色が悪い。
血の気が感じられない。
かなり青白い顔色で弱々しく見える。
同じパーティーの人が叫ぶ。
「アルマはまだ来ないのか?」
かなり苛立っているように見える。
もう既に呼びに行っていると誰かが叫んだ。
「アルマ……」
アイザックさんが力なく呟く。
アルマさんが来ればアイザックさんの生きようとする力になる筈。
アルマさん早く来て。
ギルマスがアイザックさんの仲間にどうしてこうなったのか事の顛末を聞き出している。
事が事だけに正確な情報が知りたいのだ。
「俺たちは東の森の浅い所、かなり草原に近い所を調査してて、何も無さそうだからそろそろ街に戻ろうと言う話になり、一旦休憩でもと思って気を緩めたその時だったんだ……」
「蟲が襲ってきたんだ……バレットアントの小さい群れだった。」
蟲! やっぱり蟲が入り込んでた。
それも単体ではかなり強いとされるバレットアントが。
アイザックさんは結界の魔道具を持ってた筈、それなのに怪我をした?
まさか結界の魔道具が上手く働かなかった?!
もし、そうなら私……
「本当に突然だったんだ。ザックのヤツ反応が遅れてバレットアントに襲われたんだ。だが彼女に貰ったという結界の魔道具がバレットアントの攻撃を防いでくれたんだ。」
結界の魔道具はちゃんと動いてくれたんだ、良かった。
けれど、だったらアイザックさんはどうして怪我したんだろう?
「蟲が多くて俺たちも1人1匹相手にするので精一杯で……」
小さい群れでバレットアントが襲ってきた。
最初に襲われたアイザックさんは結界が効いていてなんとか凌いでいる状態で、残りのメンバーだけで蟲と闘う事を余儀なくされた。
1人1殺で対応するもアイザックさんの周りには2匹のバレットアントが縋っていた。
一般的に蟲の魔物の傾向として外殻が硬いものが多い。
物理攻撃ではダメージを与えにくく梃子摺る事も多いと聞く。
魔法には比較的弱いので魔法が使えると効率よく闘えるのだがアイザックさんのパーティーは物理での力押しパーティーだった。
だから仕留めるのに時間が掛かったのだと言う。
梃子摺りながらも仲間の人がやっとの事でバレットアントを片付けた頃アイザックさんを守っていた結界の効果が切れてしまった。
そしてアイザックさんはバレットアントの馬鹿デカい凶悪な牙に片腹を貫かれ負傷した。
アイザックさんは負傷しながらも奮闘し、その場は全員でなんとかこれを退けた。
その時点でアイザックさんは瀕死の重傷だったそうだ。
「俺たちも必死でザックの方まで手が回らなかったんだ。」
仲間の1人が悔しさを滲ませながら呟いた。
冒険者にとって怪我は最も避けなければならないもの。
万が一を考えて怪我を治すポーションは必須。
仲間の人はすぐにハイポーションを使った。
中級ではなく上級のハイポーションを最初から。
これで治る……そう思ったのだが、効き目が足りなかった。
怪我が治り切らなかったのだ。
瀕死の重傷が普通の重傷になった程度にしか治らなかった。
アイザックさんが負った怪我はそれ程酷かったらしい。
使ったポーションがハイポーションでなかったら生きて戻っては来られなかっただろうとも仲間の人は言っていた。
そしてポーションにしても『治癒魔法』にしても重ね掛けは効かないのだそうだ。
正確には効かないのとはちょっと違って、例えば中級ポーションを使ったとするならば続けて中級ポーションを使っても既に使用済みと言う事で効果が得られない。
続けて同じグレードのポーションを使う場合、1日以上空ける必要がある。
連続使用で更なる効果を得ようと思ったらより上位のポーションが必要になる。
今回の場合で言うと既にハイポーションを使っているので更に重ね掛けする場合はより上位のエクストラハイポーションが必要と言う訳だ。
ハイポーションは通常流通しているポーションの最上位で小金貨1枚する。
それに対してエクストラハイポーションは部位欠損は治せないがそれ以外であればどんな怪我でもたちどころに治す秘薬。
これは一般には流通していなくて貴族専用でとんでもない高値で取引されているらしい。
しかし1つだけ抜け道がある。
それはポーションと『治癒魔法』となら重ね掛けが出来ると言うものだ。
ただし重ね掛けが出来るのは最初の1回だけ。
2回目からは通常通り1日の間隔を空けないと連続では使用できないのは同じ。
つまり私の『治癒魔法』なら助ける事が出来る?
一瞬だけ、ほんの一瞬だけ迷ったけど私は『治癒魔法』を使おうと決めた。
リズさんたちには私の魔法はあまり人には知られないように注意しろと言われていた。
だから一瞬迷いはしたものの、この状況で怪我してるアイザックさんを私は見殺しには出来ないよ。
私がアイザックさんの方へ向かおうとした丁度その時、
「ザック! ザック!」
アイザックさんが怪我をしたと聞いたアルマさんが駆け込んできた。
肩で息をし倒れ込むようにして寝かされているアイザックさんの側に座り込む。
「ザック ザック! 大丈夫?」
「アルマか。すまん下手を打っちまった。」
「なんで、こんな事に……」
周りの人はみな辛そうにアルマさんを見ている。
何かしてあげたいけど、どうにも出来ないのだ。
アイザックさんがアルマさんの目を見ながら振り絞るように言葉を紡ぐ。
「アルマ、落ち着いてよーく聞いてくれ。」
「う、うん。」
「多分俺はもうダメだ、きっと助からんだろう。 だから俺と別れてくれ。俺の事は忘れろ、いいな!」
っ!!
みんなが息を呑む。
「ダメ! ザック死なないでっ!」
「お願いよ、独りにしないで……。」
「アルマすまん。」
「ザックお前何言って……」
アイザックさんの仲間の人が絶句したように言う。
アルマさんがアイザックさんを真っすぐに見据えて言う。
「私のお腹の中には貴方の子供が居るの。ここに新しい命が宿っているの、だから死なないで。」
「父親になるのよ、だからこんな所で死んじゃダメ!」
っうく。
っえう。
すすり泣きが聞こえる。
「そっか、俺父親になるのか……生まれてくる子供の顔見たかったな……」
「イヤアァァァ! ザーック、死なないでよぉーっ!」
「アルマ可哀相……」
男たちは唇を噛み涙をグッと堪えている。
女の子たちは目を真っ赤にして泣き腫らしている。
「アルマさん……」
私の呟く声が聞こえたようでアルマさんがハッと振り返り立ち上がる。
そのまま私の所まで来て力一杯にガッと私の両肩を掴んだ。
「……痛っ。」
「オルカさん、貴女言ったわよね? 結界の魔道具があるから大丈夫だって! なのに何でザックが怪我してるのよ! 魔道具がちゃんと動かなかったんでしょ? そうなんでしょ?」
アルマさんが叫びながら私の両肩をガクガクと揺すり始める。
「い 痛い。」
「これくらい何よっ! ザックの方が痛いのよ! 貴女のせいよ、責任とりなさいよ! さっさとザックの怪我を治しなさいよ!」
「お、おい。アルマ止めろ。 カーリー・ベル、アルマを止めてくれ。」
ギルマスがカーリーさんとベルさんに声を掛けている。
その間も私は揺すられ続け……あ、これ以上はマズイ。
くーちゃんたちが怒ってしまう。
(くーちゃん・さくちゃんダメ! 二人とも大人しくしてて、お願い。)
(しかし主様……)
(ご主人様……)
アルマさんは私が二人と念話で話してるのを無視してると勘違いして、
「何だんまり決め込んでるのよ! バカにしてるの?! 何とか言いなさいよっ!!」
「アルマ やめろ。 オルカは悪くないんだ。」
「っ!! ザックまでこの女を庇うの?」
そしてアルマさんは掌を突き出すようにして、ドンと私の肩を強く押した。
その拍子に私はよろけてふらふらと後ろ歩きになり、そのままお尻からペタンと崩れ落ちた。
「ぐるるるる……ぐがあぁぁぁぁぁっ!!!!」
くーちゃんが私とアルマさんの間に入り咆哮する。
くーちゃんがビリビリとした威圧を四方に撒き散らす。
さくちゃんの身体が攻撃色に変わり、臨戦態勢へと移って行く。
(ダメ! 二人ともヤメて。 私は大丈夫だから。)
「ひいっ!」
「うおっ。」
「きゃあぁぁぁぁぁぁ!」
周りが騒然となる。
両側からリズさんとメロディちゃんに支えられて立ち上がる私。
リズさんとメロディちゃんに「ありがとう」とお礼を言ってからくーちゃんたちの横まで歩いて行く。
「くーちゃん・さくちゃん、私は大丈夫だから大人しくして、ねっ。」
優しくそう言いながらくーちゃんの背中をゆっくりと撫でてやる。
リズさんたちが私の横まで来て言った。
「何すんのよ、オルカさんは何も悪くないんだよ!」
「そうですよ、人の話も聞かないでいきなり突き飛ばすとか在り得ないっ!」
「でもザックは怪我してるじゃない! あれはどう説明すんのよ!!」
ま 拙い。リズさんたちとアルマさんが険悪になってる。
「アルマ違うんだ、俺たちが悪かったんだよ。」
同じパーティーの仲間の人がそこで起こった事情を説明してくれた。
蟲に襲われたのは本当に突然で対処する暇も無かった事。
結界の魔道具はちゃんと動いていてアイザックさんを守ってくれた事。
ハイポーションを使ったが治りきらなかった事などなど。
アルマさんの顔色がみるみる青ざめて行く。
わなわなと震え
「うそ……そんな。 だって私さっき酷い事言っちゃったし……」
「どうしよう……どうしよう……」
慌てふためくアルマさん。
でも当たり前だと思う。
誰だって彼氏が目の前で血まみれになってたら気が動転すると思うよ。
だから
「アルマさんは悪くないよ。」
私は出来るだけ優しくそう語りかける。
そりゃあね、私だって人間だもん、思う所はあるよ。
あるけどさ、今は状況が状況だからね。
そんな事言ってる場合じゃないし。
「だ だったら誰かエクストラハイポーション持ってない?!」
アルマさんが叫ぶが皆下を向いたまま誰も答えない。
私も材料がなくてエクストラハイポーションは作れなかった。
そもそも一般に流通してないんだから……
「アルマ……それは……お前も分かるだろ?」
ギルマスが辛そうに言う。
「分かってる、そんな事は分かってるわよ! でも若しかしたら誰か持ってるかも知れないじゃない!」
「誰か『治癒魔法』使えないの? このままだとザックが死んじゃう!」
沈痛な面持ちでみな静まり返っている。
掛ける言葉が見つからないのだ。
この世界の人間は多かれ少なかれ皆魔力を持って生まれてくる。
その内魔法が使えるのが100人に1人、割合にして1%。
複数属性持ちは魔法が使える人間100人に1人、つまり1万人に1人しか居ない事になる。
ちなみに全属性持ちは100万人に1人と言われている、つまり私。
この国の人口がおよそ500万人だから全属性持ちって私入れても5人か6人しか居ない……。
ここメイワース領の人口は約30万人と言われているから複数属性持ちは約30人。
たったそれだけ。
その30人の内『治癒魔法』が使えるのは恐らく5人居るか居ないかくらいだろう。
となればそんな貴重な人材を騎士団が放っておく訳がない。
すぐに取り込まれるに決まっている。
或いは王国騎士団に取られているか…。
つまり現実的には市井で『治癒魔法』を使える人間は居ない……私を除いてはだけど。
やっぱやるっきゃないよね!
私は決意を目に乗せリズさんを見て軽く頷く。
もう決めた、アイザックさんを助けるよ。
「なっ、オルカさんダメ。 そんな事したら……もし貴族にでも知られたら取り込まれて良いように搾取され使い潰されて、最悪慰み者にされるかも知れないのよ?! そんなの絶対ダメだったら!」
「ううん、いいの。いや、良くはないかな。でも目の前に困ってる人が居て、私にはその人を助けられる力がある、だったら助けなきゃ。」
「助けないで居るときっと後悔する、自分が自分を許せなくなるから。それに私にはくーちゃん・さくちゃんて言う心強い味方が居るしね。最悪この国捨ててどっかに逃げるから。」
そう言って私は笑う。
周りの冒険者たちが何を言ってるんだ?って顔して聞いている。
そんな訳ないだろう?
半信半疑、そんな感じだ。
「姫さん、……まさか? 使えるのか?」
私はギルマスの顔を見てコクリと頷く。
言葉の意味を理解したのかアルマさんがハッとこちらを見る。
「ホント? 『治癒魔法』使えるの?」
アルマさんを見ながら私は無言で頷く。
「お願いっ! ザックを助けて。助けてくれたら何でもする!」
「ちょっと、何自分勝手な都合のいい事言ってんの?! さっき散々オルカさんに酷い事言ってたじゃない!」
「ザックさんを助けて、それでもしオルカさんに何かあったら私許さないから、絶対に許さないから!」
リズさんが怒ってる。
でもそれは私の身を案じて私の代わりに怒ってくれてるって分かるから。
だから私の口からは何も言えないよ。
「まぁまぁ、二人とも。今はまずは人命救助が先だよ。」
いがみ合ってても埒明かないしね。