第108話 風使いの魔女
くーちゃんが森を睨みながらこれ以上ないって程に警戒している。
くーちゃんがこれ程までに警戒してるのってちょっと記憶にない。
この先の森にまだ何かあるの?
それとも何かが起こってる?
(くーちゃんどうしたの? 森に何かあるの?)
(はい、非常に良くない状況かと。蟲が、それも数えきれない程の蟲がこちらに向かっているようです。)
「は? はあぁぁぁぁ? ホントに?」
急に大声を上げてしまった私に皆の視線が集中する。
けれど今はそれどころじゃない。
まずはくーちゃんに状況確認しないと。
(はい、事実でございます。先程の蟲、最後に鳴き声を上げたアレですが、アレはどうやら仲間を呼び寄せる合図だったようです。)
「アレが……蟲を」
(はい、正確な数は分かりませんが、百や二百できかない、おそらく千匹単位で集まっているのではないかと思われます。)
「ねぇ、それって良くないどころかすっごく拙いよね? 」
皆が不安そうに私とくーちゃんの会話、と言ってもくーちゃんの念話は聞こえないから私が喋る言葉をひと言も聞き漏らすまいと必死に耳を傾けている。
アシュリー様や侍女のジャスミンさんはさっきの恐怖を思い出したのか小刻みにふるふると震えてる。
護衛の3人も眉間に皺を寄せて険しい顔をしている。
「ねぇ、くーちゃん。 それ現れるまでどれくらい時間ある? 逃げきれそう?」
(『否』とだけ申し上げます。 主様含めたわたくしたちだけならば可能でしょうが、ここに居る全員となると如何な主様のお力を持ってしても無理かと。)
いや、私の力なんて高が知れてるから。
そもそも私はいつもくーちゃんやさくちゃんにおんぶに抱っこだから。
ま、それは今はこっち置いといて。
さて、これからどうする?
逃げ切れないなら戦う?
(主様、彼奴らの気配がいよいよ濃くなって来ております。もう幾許の猶予も無いかと。)
考えるまでもないわね。
全員が生き残る為には戦うしかない。
「ねぇ、オルカさん。どうなってるの?」
「そうだ、嬢ちゃん教えてくれねーか。」
何がどうなっているのか状況が分からないハイディさんやザッカリーさんが早く教えろとせっついて来る。
何から言ったら良いものか…。
まずはさっきの蟲の遠吠えと言うか最後の鳴き声から。
あの鳴き声は森に居る仲間を呼び寄せる為だった。
そしてその死の間際の鳴き声を聞いたバレットアントが群れを成してこちらに向かっている。
「数はどれくらいなの?」
震える声でハイディさんが聞いて来る。
なので私はくーちゃんから聞いた通り正直に伝える。
ここで嘘を言ったってどうせ直ぐに分かるもの、だったら正確に現状把握する為にも正直に言った方がいいに決まってる。
「その数およそ数千てくーちゃんは言ってたわ。」
「「「ひっ!!!」」」
「くそ、何てこった!」
護衛のベアトリーチェさん、アシュリー様とジャスミンさんがその場にへたり込み怯えるように抱き合い小さく声を上げる。
ザッカリーさんは忌々し気に悪態をつき、馬丁の2人は絶望するように「あああああ……」と頭を抱えて蹲り震えている。
トッドさんは「折角助かったと思ったのに」と項垂れている。
「エミリー、ドンナ。覚悟決めな!」
ハイディさんが2人に発破をかけて剣を抜きいつでも対応できるように身構える。
悲壮感漂う中、森の雰囲気が変わったのが分かった。
急に森から受ける圧みたいのが強くなったように感じる。
森の奥の方、遠くで地鳴りのように微かに音が聞こえてくる。
ゴゴゴゴ。
地面から伝わる振動。
地響き。
遠くで木々が倒れる音が聞こえる。
それらが徐々に大きくなる。
イヤな緊張感がザワザワと心を蝕んでゆく。
敵意と憎悪を集めて煮詰めたような濃い悪意のような物が此方に向かって来る。
森に住む動物たちが我先にと逃げ惑う。
木々から鳥が飛び立ち逃げる。
ガサガサガサ。
バキバキバキッ!
キキキキ ギギッ。
こちらの精神を逆撫でするかのような不快な鳴き声が聞こえて来た。
さっきより随分と近づいている。
もうホントに時間的猶予はなさそう。
増してくる森の奥から伝わる殺気と威圧感。
ビリビリと空気が震える。
「トッド、俺たちも覚悟決めねーとな。一丁かますか。」
「俺が死んだら悲しむ女の子が沢山居るから絶対生きて帰りますよ!」
軽口を叩く二人だけど、その目にはある種の決意と確固たる強い意志が感じられる。
漢の目だね。
ハイディさんたちは今も油断なく剣を抜き構えている。
遠くの森の木々が次々と倒れていくのが見える。
木々が倒れる度に砂が舞い木々の枝が飛び散る。
もうかなり近い。
地面から伝わる振動が一段と大きくなったように感じる。
しょーがない、やりますか。
私はしゃがんでアシュリー様の侍女のジャスミンさんの手に2つ目の結界の魔道具を握らせる。
二重結界ならちょっとやそっとじゃ破られる事はないから安心よ。
だからね、絶対にここから出てはダメよ。
次にアシュリー様の方を向き優しく笑いながら優しく語りかける。
「大丈夫よ、安心して。 何があっても絶対に守るから。」
少しでも安心出来るならと声を掛けたのだけれどアシュリー様はポッと頬を赤らめ「はい。」と小さく返事をした。
そのあまりの可愛らしさに抱きしめたくなる気持ちをグッと抑え込みどうにか耐えきった。
この子ヤバイわ、めちゃくちゃ可愛いわ。
いつもの妄想が暴走しそうになるのを必死に我慢して立ち上がる。
そのまま護衛たちに向かいお腹に力を籠め声を張る。
「貴方たちはお仕えする主を守るが仕事、そのお役目しっかりと果たしなさい!」
ちょっと上から目線だったかな?とも思わなくもないけど私の激励は通じたようで二人とも力強く頷いてくれた。
ハイディさんたちには結界から出ないようにお願いして私は結界の外へ足を踏み出す。
「ちょ ちょっと、オルカさん貴女何するつもりなの?」
ん? 何って、こっちに向かってるって言うバレットアントの群れをやつけるんだけど?
そんなに心配そうな顔しないで。
大丈夫よ、多分。
「くーちゃん、私がやるよ。」
もう程なく数千匹のバレットアントの群れがここへやって来る。
如何なくーちゃんが強いとは言ってもその全てを相手どるには数が多すぎる。
多勢に無勢。
こうゆう場合は範囲魔法で殲滅するのが最善手だと思う。
思うのだけど、問題があるとしたら魔力を練るのに少々時間が掛かる事と少なからず撃ち漏らしが出る可能性か。
後はどの範囲魔法を使うかだけど……。
ここで私は考えを巡らせる。
土はダメね。
外殻の硬い蟲型の魔物に石礫のベレッタの弾じゃ全く効いてなかったもの。
木 もダメよね。
森の中なら対処のし様もあるから良かったんだけど。
一番効きそうなのは火なのだけど、それだと蟲そのものが燃えてしまって素材として回収出来なくなるのが痛い。
私はベレッタの弾に利用したいから出来る事なら燃やさず回収したい。
とすると残ったのは水と風なのだけど、水は水刃と言う魔法が、風は風刃と言う魔法がある。
けど水だと最後水浸しになってしまうのが頂けない。
と言う事で消去法で風魔法を使う事にした。
使う魔法は『鎌鼬』。
日本人なら良く知る妖怪、つむじ風に乗って人を切りつけるアレ。
この範囲魔法を使おうと思う。
この魔法に魔力を込めに込めて威力を高める。
私のMPは今朝確認した時には18,877あった。
『鎌鼬』その数18発、これを全力でぶっ放せばバレットアントの群れもかなり数を減らせるんじゃないかしら。
最悪少しくらい撃ち漏らしても後はくーちゃんたちが何とかしてくれるだろうしね。
そうと決まればすぐ始めないと。
私は後ろを振り返り再度みんなには絶対に結界から出ないよう念を押す。
「オイ、ヤメろ。死ぬ気か?」
ザッカリーさんが何か言っているけど今は構っている暇はない。
「くーちゃん・さくちゃん、私が魔法を撃ったあと急激な魔力使用で一時的に動けなくなると思うの、だから撃ち漏らしが出たらそれをお願い、私を守ってね。」
(御意。)
(お任せ下さい。)
私はストレージから木の杖を取り出して腕を前に突き出して地面に突き刺し両手でグッと握る。
これは魔法使いらしいからって理由なんかじゃなくて、単に自分の身体を支える為だけの杖。
意識のリソースを8対1対1に分割して、一番大きいリソースが全力で魔力を練り上げる。
残った1は生成した魔法が霧散・暴発しないように留めるのと、もう1つの1は最後の引き金を引く為のトリガーとして使用する。
背筋を伸ばしお腹にグッと力を入れる。
おへその下の下腹部辺りにある丹田を意識して体内の魔力を練り上げ循環させる。
身体の周りに魔力の揺らぎが起こり私の周りだけ空気の密度が高くなったように感じる。
私の方へ向かって緩やかに空気が流れて来る。
けれどまだまだ。
私の全力はまだこんなもんじゃない!
もっと、もっとよ。
みんなを助けるんだからホントのホント、持てる力を全て注がないと。
私は森をジッと睨みつけ『鎌鼬』を発動させる。
くーちゃんは軽くひと吠えしその巨躯にグッと力を漲らせる。
ボディビルダーがパンプアップでもしたかのように元々大きかったくーちゃんの身体が更に一回り程大きくなり、来るべきその瞬間に備え臨戦態勢を整える。
さくちゃんは身体がブルリと震えたかと思うとブワッと大きく膨れて、それから分裂するみたいに自分の兵隊スライムを吐き出している。
へー、吸収したスライムってこんな風に使うんだなんてちょっと場違いな事を思ってしまった。
私の目の前、くーちゃんの背中に乗ったさくちゃんと、その左右にずらっと並んだ兵隊スライムたち。
彼女たちはさっき言った「私を守ってね」って言う私のお願いを聞いてくれているのを見ると嬉しくなってつい口元が緩んでしまう。
バガァァァーンッ!
森の出口が黒い何かに塗り替えられるように突然 割れた。
黒い流れのような何かが木々をなぎ倒し飲み込む。
まるでアメーバのように不定形で、また津波のように折り重なるようにこちらへ向かってくる。
蟻の群体。
それがまるで意思を持つ1個の生命体のようにさえ感じる。
森から流れ出た黒い波はその範囲を拡げつつ草原を覆うように進む。
ギギギギ
ギチギチギチ
不快な鳴き声をあげ濁流のようにこっちへ来る。
その距離およそ700mm程。
魔法はイメージ。
イメージが明確なら明確な程良いとされている。
私がイメージする『鎌鼬』は両手両脚が鎌になったイタチの妖怪の姿だ。
魔力を練り上げ魔法を発動させると真空の風魔法が一層濃くなり『鎌鼬』の姿を形作り始める。
薄い緑色をした透明の『鎌鼬』。
それが私の頭より少し高い位置辺りの左右にずらっと9対並ぶ。
もう少しで完成する。
バレットアントの群れと私たちとの距離400mm。
魔法の準備は出来た、けれどまだ撃たない。
もう少し近づいてから確実に仕留めたい。
禍々しいまでの蟲の殺気が容赦なく私たちを襲う。
蟲の殺気に中てられて馬丁の2人は腰が抜けて立てなくなり頭を抱えて蹲りブルブル震えているし、アシュリー様と侍女のジャスミンさんは青い顔をして抱き合って震えている。
それが普通よね。
普通でないのは私たち冒険者と護衛の人たちか。
「ね、まだなの? まだ魔法は撃たないの?」
「もうすぐ其処まで来ているぞ!早くしろっ!」
距離200mm。
よしっ!この距離なら確実に当てられる。
私は右手で杖を持ち高く掲げてから前方へ一気に振り下ろす。
「鎌鼬!ヤツ等を切り刻め!」
バシュッ!
私の掛け声と共に左右9対全部で18体の『鎌鼬』が左右の一番端から順に連続でバレットアントの群れへと真っすぐに放たれる。
18条の真空の刃。
地面を抉り蟲を切り刻み黒い波を突き抜ける。
耳をつんざくような不快な鳴き声、断末魔の叫び。
濛々と砂煙が上がる。
体内から一気に魔力が抜けて強烈な脱力感が私を襲い、私はガクッと片膝を地面についてしまう。
これは辛い、軽い眩暈がする。
けれど油断は出来ない、まだバレットアントの気配は無くなってない。
「来る! くーちゃん・さくちゃんお願い!」
舞い上がる砂煙の中から次々とバレットアントが顔を出すがくーちゃんの攻撃とさくちゃんの兵隊スライムにより次々と駆除されていく。
私の放った『鎌鼬』で9割がた処理出来たはずなんだけど、それでもまだ大分残ってるわね。
見たところ数百匹は居るみたい。
くーちゃんたち大丈夫かしら。
(怪我しないでね。)
聞いてないかもしれないけど一応念話を飛ばしておく。
(相変わらず心配性にございますね。)
(心配無用なのです。)
あら、ちゃんと聞いてたんだ。
余裕あるみたいね、それなら安心だ。
眩暈も治まったのでゆっくりと立ち上がりくーちゃんたちの様子を見守る。
くーちゃんは噛み付き噛み砕き、首を振ってぶん投げる。
投げられたバレットアントが他のバレットアントをなぎ倒す。
前足でひと薙ぎすれば頭と胴体が泣き別れる。
蟻型魔物最強と言われるバレットアントでさえくーちゃんにとってはただの蟲。
相変わらずふざけた戦闘力ね。
あれでもくーちゃんにとっては全力全開ではないみたいだもの。
ホント底が知れないわ。
さくちゃんはくーちゃんの背に乗り蟲とすれ違いざま溶解液を正確にバレットアントの頭部に当てている。
頭を溶かされて死なない生物は居ないからね。
さくちゃんの兵隊スライムたちも容赦ない攻めをしている。
元は普通の野良スライムで兵隊化した今もそれは変わらないんだけど、さくちゃんが統括運用する事で組織的に動く事が出来るようになる。
単独では弱くても大勢で一斉にかかればスライムでもバレットアントに勝てる。
指の無いバレットアントでは身体に取り付かれたスライムを引き剥がす事など出来はしないのだから。
身体中スライムに取り付かれたバレットアントはそのまま溶かされてスライムの養分と成り果てる。
うわぁぁぁ。
くーちゃんもさくちゃんもえげつないわね。
これ、後でくーちゃんとさくちゃんが討伐対象とか言われないよね?
そっちの方が心配になる程の惨状なんだけど。
くーちゃんたちの攻撃をかいくぐってこっちに向かって来る蟲が居る。
ま、それくらいは私が何とかするしかないか。
私は身体強化魔法を掛けてバレットアントの横へ高速移動して風の弾を撃ち出す。
パァン!
これだけでバレットアントの頭部が弾け飛ぶ。
『風弾』は単体攻撃としては扱いやすい極めて優秀な風魔法だものね、使わない手はない。
単体で偶にかいくぐって来るバレットアント程度なら私でも対処出来るからね。
「ふぅ。こんなものかな。 くーちゃん・さくちゃんそっちはどう?」
辺りを見回すと死屍累々、目を覆わんばかりの惨状。
飛び散ったバレットアントの体液。
酷い臭い。
正に地獄絵図。
その中に立っている私たちの方がなんか悪者っぽくない?
気のせいかしら、さっきから感じる後ろから突き刺さる視線が痛いのだけど……。
「「………………マジかよ。」」
「「「オルカさん……は 怒らせちゃダメね。」」」
「助かった の?」
ねぇ、もっと素直に喜んでもいいと思うのは私だけ?
私すっごく頑張ったよ?
感謝の気持ちが足りないと思うのよね。
後ろを振り向いてニコッと笑ったのにビクッと身体を強張らせる面々。
ひどい……。