第105話 尾行する者 ②
夕方に差し掛かってもアシュリー一行の乗る馬車はまだ森の中を走っていた。
あと少し、もう少し。
もうちょっと頑張ればかなりな距離を稼げる、そうすれば明日には比較的楽に森を抜ける事が出来る。
そんな思いで無理を承知で馬車を走らせるザッカリー。
普通ならば暗くなる前に野営地に入り食事や泊りの準備をするのだが、無理を押してもう1つ先の野営地を目指す事にした。
フランとマシューに声を掛け先を急がせる。
もうひと踏ん張りだ。
夕方、陽が沈むギリギリ直前に漸く目指す野営地に到着した。
馬にも相当な無理を掛けたが何とか無事に辿り着いた事にホッと息を吐くザッカリーを始めとする護衛たち。
休む間も惜しむように到着したらすぐに野営の準備だ。
護衛達は火を熾しアシュリーとその侍女の寝床を確保し、侍女のジャスミンは食事の用意をする。
馬丁は馬の水遣りなどの世話をする。
それぞれがテキパキと動き自分のすべき仕事をしている。
アシュリーは伸びをしたりして身体を解したりして休んでいたのだが手持無沙汰になり何か手伝う事は無いかとジャスミンに声を掛けたがすげ無く却下された。
「どうぞお嬢様は休んでいて下さい。今お茶をお持ちしますね。」
そう言われてしぶしぶ従うアシュリー。
仕方がないので馬車の縁にちょこんと腰掛け皆の様子をボーっと見ていた。
日没直後の薄明り、現代ならばマジックアワーと呼ぶ美しい時間帯。
人口の光源がなくとも何とか目視で行動出来る程には明るい。
そんな美しい光景ではあるが、別名「逢魔時」あるいは「大禍時」とも呼ばれ、化け物や魔物に遭遇しやすい時間帯だと考えられている。
実際に彼女等に害意を持つ人物が離れたところから監視しているのだが、アシュリーはそんな事をつゆとも思わずオレンジから濃いブルーに変わる美しいグラデーションになった空を堪能していた。
ジャスミンが皆の食事の用意をしている。
護衛たちが作った簡易竈には火がくべられ大鍋が掛けられており、ぐつぐつと音を立てている。
辺りにはよい匂いが立ち込めていて、鍋の中の具はソーセージと大きめに切った色々な野菜。
ソーセージから染み出た肉の脂が鍋に浮かぶ。
味付けはシンプルに塩とハーブ各種。
貴族の令嬢であるアシュリーが食べるには些か庶民的ではあるが、野営地で温かい料理が食べられるだけでも十分に贅沢なのだ。
温かいポトフと柔らかいパン、それと食後の紅茶と果物。
これが冒険者なら塩辛い干し肉と日持ちする硬いパンと水なんてのが普通なのだから。
「お嬢様、どうぞ。熱いのでお気を付け下さい」
そう言って出来立て熱々のポトフを入れたボウルを差し出すジャスミン。
護衛や馬丁の分はベアトリーチェが給仕している。
ボウルに盛られた熱々のポトフにスプーンを入れようとして自分に視線が集まっているのを感じるアシュリー。
ここではアシュリーが一番位が高い為、皆アシュリーが食べ終わるのを待っているのだ。
それが分かったから「温かい内にみんなも食べなさい。」と言うと、
「宜しいので?」
と、ザッカリーが聞いて来る。
その問いに「ここはお屋敷じゃないし、それを咎める人は誰も居ないわよ。」と返せば、トッドは嬉しそうに笑って「では、遠慮なく。」と食べ始めた。
ザッカリーはそれを軽く嗜めたが主であるアシュリーに笑顔で首を横に振られてはそれ以上何も言えなかった。
「それにみんなで食べた方が楽しいし美味しいじゃない。」
小さい声で言ったつもりだったが皆にはバッチリと聞かれていたようでアシュリーを見てニッコリと笑っている。
「な、何よ。 笑ってないで早く食べなさい。」
プイと横を向いたらクスリと笑うジャスミンの優しい顔があった。
「素直でないですな。」ザッカリーにはそう言われ、トッドには「そうゆうお嬢様も可愛いですよ。」と言われて顔を真っ赤にしたアシュリーは顔が熱くなって来るのを感じた。
「ーーーーっ!」
声にならない声で悶えながら食事をするアシュリー。
自分でも分かっているのだが時々どうしても素直になれない時があるアシュリーではあるが基本的には優しいのだ。
使用人にも気さくに声を掛けたり笑顔で会話したりする。
使用人や侍女のジャスミンに無理や無茶も言わないし虐めたりもしない。
まぁ、心を許しているジャスミンとベアトリーチェにだけは時々我儘を言う事はあるのだが。
我儘を言われる当のジャスミンとベアトリーチェにしてみれば可愛らしい我儘で笑って許せる程度なのだけれど。
ザッカリーやトッドの軽口も特に咎めたりせず許している、勿論時と場合によるけれども今のような状況なら何も言わないのだ。
そんな皆から慕われているアシュリーをザッカリーは娘のように、トッドは妹のように思っている。
温かい優しい雰囲気の中食事が終わる。
皆がそれぞれ後片付けをしている中アシュリーは「ふう。」と一つ息を吐き食後のお茶を楽しんでいる。
広く開けた野営地には自分たちの馬車だけ。
アシュリーは焚火で暖を取りながらぐるりと首を回して野営地の周りを見る。
開けた野営地の外側は真っ暗で何かが潜んでいてもおかしくないと思うととても恐ろしいと感じた。
実際にそれは潜んでいるのだが野営地に居る誰も気づいていないだけで。
『探知』の範囲外の離れた所からジッと監視しているアンガス。
塩辛い干し肉を齧り水を飲む。
身体には良くないがどうせこの仕事は明日には終わる。
一晩だけなら我慢出来ると言うものだ。
「チッ。」
温かい食事を摂っている一行を見て思わず舌打ちする。
離れている為聞こえてはいなかったが。
食事が終わって片付けも済み、皆が焚火を囲んで温かいお茶を飲んで寛いでいる。
今日程ではないが明日も強行軍には違いない。
疲れた身体を休める為にも今夜は早めに寝た方がいいだろう。
「不寝番は我々が交代で致しますゆえお嬢様はお休み下さい。」
ザッカリーはアシュリーと侍女のジャスミンに休むよう進言し、それを聞いたアシュリーは素直に言う事を聞く。
別に反対する理由もないし、第一こうゆう寝ずの番などは慣れている護衛たちに任せるのが一番である。
そう思ったアシュリーは「それじゃ宜しく頼むわね。」そう言って寝所へと向かった。
当然であるがアシュリーが寝付くまでジャスミンが見守っていたのは言うまでもない。
それが侍女である彼女の1日の最後の仕事なのだから。
アシュリーが寝付いたのを確認してから護衛たちへ就寝前の挨拶をしてジャスミンも眠りについた。
「夜警の組み合わせは、トッドとマシュー、フランとベアトリーチェだ。俺は真ん中の時間帯を見るからお前たちは相談してどっちが先か後ろか相談しておけ。」
夜の見張りはしんどいものだ。
特に真ん中の深夜は睡眠が寸断される為誰もがやりたくない時間帯である。
そうゆうイヤな時間帯は年長であり経験豊富なザッカリーが受け持つ。
あとは先にするか後ろにするかだが、先に済ませてしまった方が心置きなくゆっくり寝られると言う理由からフランとベアトリーチェが一番に見張りをする事になった。
トッドたちが夜警の順番を話し合っている間もザッカリーは油断なく辺りを見回し警戒している。
その様子を息を殺しジッと眺めていたアンガスであるが良く知った気配を背後に感じ振り返りもせずに小声で喋りかけた。
「どうだ、上手くいったか?」
「ああ、バッチリだ。」
そう言ってオージーは腰に巻いたウエストポーチに似た袋を軽くポンポンと叩いた。
その袋は魔法袋になっていて中にアンガスに指示されたブツを捕獲して入れてある。
そのブツとは『バレットアントの腹部』である。
つまりバレットアントを狩りバラして腹部だけを持ち帰って来た事になる。
バラした腹部は密閉出来る金属容器に入れて更に魔法袋に入れると言う念の入れようだ。
なぜこんな手間暇を掛けるかと言うと簡単な話だ。
臭いが漏れると自分たちがバレットアントに襲われるからだ。
どうしてそこまで危険を冒してまでバレットアントの腹部を持って来たのかと言うと、それが組織からの指令だからである。
その狩って来たバレットアントの腹部を利用してアシュリー一行を蟲に襲わせるのだ。
これは蟲が湧いている今の状況だからこそ可能なやり方と言えるだろう。
まだ規制解除されてもいないのに勝手に森を抜けようとした貴族の馬車が不幸にも蟲に襲われた。
完全に自己責任であり自業自得であると。
どこの誰が何を思ってこんな謀を巡らせているのかアンガスたちは知らないし、知る由もない。
と言うか、知ろうとした時点で彼らの命はない。
だから知ろうともしないし、命令された仕事をこなすだけだ。
「いよいよ明日の朝だな。いつ頃やる?」
タスマニアが口を開いた所でアンガスが口を閉じたまま手で待ての合図をする。
場に緊張が走る。
3人が野営地の方へ目を向けるとザッカリーがこちらの方をジッと見てゆっくりと立ち上がるのが見えた。
立ち上がったザッカリーを見てトッドが「ん?どうしたんですか?」と問いかける。
「いや、何か気配がしたような気がしたもんでな。」
「獣か何かじゃないですかね。」
「ふむ、ならいいんだが。」そう言いながら慎重に木立の方へ歩いていって辺りを様子を窺う。
そしてゆっくりと見回し何も異常が無い事を確認するとまた戻ってゆく。
それを見ていた3人は小さく「ふう。」と安堵の息を吐く。
『探知』の範囲外の所に居るにもかかわらず、あのリーダー格と思われる護衛は確証は無くとも何かを感じ取っていた。
野生の勘と言うべきか。
ザッカリーの事を油断のならない相手だと認識したアンガスは「やれやれ」だとでも言うように小さく首を振った。
アシュリーの護衛たちは順番に仮眠に入ったのを確認したアンガスたちも同様に順番に仮眠する事にした。
明けて朝。
まだ早朝だと言うのにザッカリーを始めとする護衛たちはちゃんと起きており出立の準備をしつつ警戒をしている。
馬丁のフランやマシューは馬と馬車の確認。
侍女のジャスミンは朝食の準備と皆それぞれ自身の役目を全うしている。
一行の主であるアシュリーはまだうとうとと微睡んでおり、ある意味主としての務めを果たしていた。
「お嬢様、朝でございますよ。」
ジャスミンに揺り動かされて起こされたアシュリーは「もうちょっと~。」とまるで子供のようにむずがった。
しかし相手は慣れたもの。
「はいはい。」と軽くあしらいながらアシュリーを寝所から引き剥がすのであった。
寝ぼけまなこのままボーっとした頭でされるがままジャスミンに着替えさせられている。
「ほらほら、御髪が乱れておりますよ。折角の可愛らしいお顔が台無しでございますよ。」
遠慮会釈もなくジャスミンにやや乱暴とも思える扱いでグシグシと髪を直され、軽く紅を差し身嗜みを整えられる。
アシュリーを着替えさせ満足気に頷いたジャスミンはアシュリーを朝食へと促し自身は後ろに控える。
アシュリーが寝所から出て焚火の側まで行くと皆から「お早う御座います。」と声を掛けられる。
「お嬢、遅よう御座います。」
ニヤリと笑い器用に片目でウインクするトッドを軽くひと睨みし、相変わらず爽やかにイヤミを言うなぁと思うアシュリーだった。
「トッドの意地悪。」
場が笑いに包まれ和やかな雰囲気の中での朝食は夕飯の残りのポトフとパンと言う軽い物で済ませ、出立の準備の為後片付けに取り掛かる。
片付けをし荷物を馬車に積み込み出発の準備が完了する。
昨夜感じた違和感の事もあって今日も少々急ぐ事になるとアシュリーに伝えるザッカリー。
「よし。フラン、マシュー馬車の準備はいいか? トッド、ベアトリーチェ気を抜くな。敵はいつ襲って来るか分からんぞ!」
「なぁ、敵って何だ? 襲って来るって誰が?」
「さぁ、私には分からないけど。」
トッドの問いに首を横に振って答えるベアトリーチェ。
二人とも訳が分からないと言った様子だ。
「ぐずぐずするな! 出立するぞ!」
ザッカリーの掛け声で一行は馬車を進ませる。
ここからなら急げばお昼すぎにはメイワースに着くだろう。
昨夜感じた違和感にじわじわと心が侵食されるのを感じるザッカリーは不安を拭い切れないまま警戒を続ける。
「動いた。 追うぞ。」
動き出す3人の追跡者たち。
ここからはいつ仕掛けるか、どこで仕掛けるかだが、森を抜けるまではほとんど一本道。
余りに出口に近い所だと逃げ切られる可能性もある為少し早めに仕掛けた方が良いだろうとアンガスは考えた。
鐘1つ分程走ったであろうか、少しばかり疲れが出てもうすぐ休憩を取る頃だろうと当たりをつける。
「そろそろ頃合いか。」
アンガスの号令で動き出すオージーとタスマニア。
オージーは後ろの馬車へと近づいて行き、アンガスとタスマニアは先回りして道の左右から先頭の馬車の前へと躍り出た。
「ここは通さねーぜ。」
どこかで聞いたような如何にも雑魚感まるだしで通せんぼするタスマニア。
「勝手に喋ってんじゃねえ。リーダーは俺だ!」
二人を唖然とした顔で見るザッカリーとフラン。
「さてと、ちょいと遊んで貰おうか。」
そう言って剣を抜くアンガスとタスマニア。
アンガスは自然な動きで、それと悟られないように後ろに隠れているオージーに合図を送る。
ザッカリーとトッドもすぐに動き出し前の二人と相対し剣を抜いたのだった。