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この作品には 〔ボーイズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

美しい人

作者: 楽川楽

「きっと君は、この流れてくる『気』の様にとても美しいんだろうね」


 そう言われて息を呑んだ。

 右目の瞼は青紫に腫れ上がり視界が悪く、左の頬も擦り傷と打撲により紅く腫れている。

 糸目なんて呼ばれる細い目に、日本人の中でも平均より低い鼻。せっかくまともな色をしている肌もそばかすが散らばっている。

 ただでさえ地味な顔なのに、あちこち無惨な色をして腫れ上がっているのだから美しい訳がない。むしろ酷いものだ。


「きっと、見たらがっかりしますよ」


 呟く様に俺がそう言うと、目の前の人のシャープな頬は緩み、柔らかく笑みを作った。

 彼の両眼は包帯でぐるりと巻かれ隠されているが、それでもその他の全てで容姿の造りが人より随分良いと分かる彼こそ、『美しい人』と呼ぶに相応しい。


「いいや、僕には分かるんだよ。君の美しさがね」


 そう言って彼は俺の両手を握っていた手に力を込めた。大きな、大人の手だった。




 互いの素性も名前すら知らない俺たちの関係は、彼がセンチネルで俺がガイド。

 センチネルと呼ばれる人たちは、普通の人よりも五感がズバ抜けて優れている。

 彼らはその能力を活かしてあらゆる分野で活躍しているが、時にその力が強すぎて生きることに支障をきたすことがある。そんな時に必要とされるのが『ガイド』だ。

 俺の様にガイドと呼ばれる人たちは、センチネルの肌に触れることでその強すぎる力を緩和することが出来る。

 治療の方法は簡単なものでは手を握るだけでも行うことができるし、恋仲になればセックスに治療を兼ねる人たちも多い。

 センチネルの話によれば、それは全身の腐った細胞が清められていく様な感覚だそうで、それはそれは気持ちが良いものなのだそうだ。


 俺がガイドに目覚めたのはちょうど一年ほど前で、初めて治療をすることになったのがこの目の前の美しい彼だった。

 センチネルとガイドにも相性というものがあって、出会った頃の彼はなかなか良い相性のガイドが見つからずに随分と苦しんでいた。

 目からの痛みで起き上がることもできず、ただでさえ白い肌が青ざめ、病院のベッドの上で死人のような顔をして荒い息を吐いていた。


「よろしく、お願いします……」


 息をすることすら苦しいはずなのに、律儀にもそう言った彼の手を握ったあの日の、彼の手の温もりを今でも覚えている。


 地獄の様な人生を歩んでいた。

 勉強は下の下、スポーツなんてもっとダメで、見た目も野暮ったいのに話下手で人付き合いも上手くできない。そんな俺は、高校の中で特に良くない連中に目をつけられた。

 金は取られるし、ふるわれる暴力も半端じゃない。いじめのリーダー格が政治家の息子だかなんだかで、先生も見て見ぬ振りをするから誰も助けてくれない。

 家族もそんな俺を視界に入れない様にしているし、俺以外が集まる家族団欒のリビングからは、

「いじめられても学校に行くとかアイツは頭がおかしい」と笑う妹の声が響いていた。


 生きる意味を見失っていた。自分が何の為に生きているのか分からなかった。だけど自ら死ぬなんて怖いし、引きこもりになって家族の厄介者になる勇気もない。

 ただ死んだように生きていた俺に生きる意味を与えてくれたのが、あの美しい彼の存在だった。


 大きくて力強いあの手で俺の手を握り、いつだって心からの感謝を伝えてくれた。

『ありがとう』『君のおかけだ』『本当に楽になった』『君がこの世に生まれてくれたことを神に感謝している』

 彼の存在は俺の生きる意味になった。だからこそ、怖い。


「君は美しいね」


 俺の手に触れ、見えない瞳で俺を見る彼がそう言うたびに、いつか本当の俺の姿を見た彼にがっかりされるのではないかと思うと恐ろしい。

 彼が言うには、俺から流れるセンチネルを癒す『気』はとても清らかなんだそうだ。こんなにも清らかな気を持つ俺はさぞ見た目も美しいのだろうと彼は思っている。

 彼を治したい気持ちは本当なのに、いつか治ってその包帯を外す時が来るのが怖くて仕方ない。


「いつも、本当にありがとう」


 治療終わりにぎゅっと握られた手を、俺は名残惜しく握り返した。





「いやだ、本当にこのみっともない人があの方のガイドなの?」


 嘲笑を隠しもしない美女が、俺に蔑んだ目を向けていた。俺は何か言い返すこともできずに目を逸らし、そっと彼女の隣を通り過ぎる。だがその瞬間に強く腕を掴まれた。


「あなたなんかより私の方が適任よ。あの方と私、最高の相性なんだから」


 笑みを消して低い声で耳に落とされ、それでも俺は何も言い返せず逃げる様にしてその場から離れた。


 その日の治療を終えた時、彼が言った。


「あと数回ほどで、包帯を外せそうなんだよ」

「……え?」


 彼の形の良い唇が綺麗に弧を描く。


「何十年と苦しんできたのに、たった一年でここまで回復するなんて本当に凄い。全部君のおかげだよ、ありがとう」


 心の底からの感謝を含んだ笑みを向けられても、俺は一緒に喜ぶことができなかった。

 この美しい人に、こんないつもボロボロな自分の姿を見られたくない。実際先ほど、美女が俺を見てみっともないと言っていたではないか。


「あの……」

「うん?」


 彼の声にはいつだって、自分の家族にすら向けられたことのない優しさが滲んでいる。


「あの、さっき外で、俺以外のガイドさんと会ったんですが……」


 そこまで言ってもごもごとしていると、彼が困ったように笑った。


「ああ、気にしなくていいよ。あれは勝手に身内が用意したガイドだから」

「でも、相性が」

「相性よりも大事なものもあるだろう?」

「……」

 

 俺が何も言えずに黙っていると、彼が座ったままでそっと距離を縮めた。


「君に、触れても良いかな」


 包帯に遮られて見えないはずの瞳にジッと見られると、自分の全てを見透かされている気がする。返事をできず黙ったままの俺に、長くて綺麗な指先が伸ばされ───そっと、触れた。


「っ、」


 ピクリと揺れた俺に気付きふっと吐息を漏らすように笑った彼は、しかしそのまま指先で俺の顔を辿る。

 それは短いまつ毛に縁取られた糸目を過ぎて、低い鼻を滑らかにすべり、ソバカスの散る頬を撫でた。

 あちこち傷だらけの顔なのに、不思議と彼は怪我のない場所ばかりに触れた。もしかしたら、五感の優れたセンチネルの彼には俺の怪我の場所が分かるのかもしれない。そう考えて、でも、いやまさかと思い直す。

 また傷を避けて指が滑って、最後に俺のカサカサの唇に指先が落ちた。まるで愛おしい何かに触れるように、何度も何度も唇の上をなぞる。

 こんなにも優しくて美しい人に愛される人生とは、一体どんなものなのだろう。その愛を手に入れられるのは、先ほど会ったあの美女のような人なのだろうか。


「早く、君の姿をこの目で見たいよ」


 言われた瞬間、俺は跳ね上がるようにして立ち上がりそのまま駆け出した。

 彼が大きな声を出して呼び止めたけど立ち止まらなかった。そのまま走って走ってがむしゃらに走りつくして、家とは全然方向の違う場所の土手に座り込んだ。


 彼の存在は、俺の生きる意味だった。

 誰からも必要とされない哀れな俺が、唯一生きていて良いのだと思える時間を与えてもらっていた。でも、それももうお終い。

 こんなボロボロで美しさのかけらも持たない自分を見た彼の、絶望に歪む表情を見てしまったら今度こそ……今度こそ俺は、きっと死んでしまうと思ったから。





 あの人から逃げ出して一ヶ月が経った。俺はあの日、あのままあの人のガイドを降りた。そうして相変わらず俺の地獄の人生は続いている。

 ほんの少しだけ変わったことといえば、イジメの暴力の頻度が減ったことだろうか。単純にイジメグループの奴らが俺に飽きたとも言える。

 以前より痣は減ったが、俺の冴えない風貌も家族からの愛情がないに等しいのも、生きる意味を見出せないことも相変わらずである。

 一人になりたくなくて、意味もなくただ雑踏の中に紛れ込み歩き回る。そうして人の流れが激しいスクランブル交差点に差し掛かったその時、俺は時間が止まるような感覚を覚えた。


「……え?」


 人混みの中に、すらりと背の高い男性がひとり立ち止まっている。遠目からでも分かるほど容姿の優れたその人は、この雑踏の中で真っ直ぐに俺だけを見ていた。

 金縛りにあったかのように動けなくなった俺の元へ、迷いの無い足取りでやってくるその人は、確かにあの日俺が逃げ出した美しい彼に間違いなかった。


「見つけた」


 目の前に立った彼の目元にはもう包帯はなく、色素の薄い緑と黄色が混ざったような、思っていたよりも野生的な瞳が宝石みたいに輝いている。


「ど、どうして」

「年齢や名前どころか、顔すら知らない僕には君を見つけられるはずがないと思ってた? 甘いな、僕はセンチネルだよ」


 にっこりと笑う彼の指先が、逃げ出したあの日のように優しく俺の顔に触れた。

 幾ら暴力が前よりも減ったと言ってもゼロではない。肌は相変わらず変色しているし、腫れが引ききっていない傷もある。でも彼は、そんな俺を見てこともなげに言うのだ。


「ほら、やっぱり君は美しい。それにとっても可愛いね」


 ぽろり、涙が溢れた。


「俺の、どこが……」

「遠くからでもすぐに分かったよ」


 彼の大きな手が俺の左の頬に優しく当てられた。やはり触れられたのは、怪我をしていない方だった。


「君の清らかさはどこにいてもすぐに感じられる」


 絶対に絶望されると思っていたのに、彼の優しい笑みがあの日と変わらず目の前にある。

 長い指がポロポロと溢れる俺の涙を掬った。


「また、僕の側に戻ってくれる?」

「……でも、他に相性のいい人が」

「前にも言っただろう? 相性よりも大切なものがあるって」


 そう言って彼は、俺の右側の頬にそっと唇を落とした。まるで、殴られて傷つき腫れた肌を、優しく癒そうとするかのように。



END



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