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消えた記憶に向き負うために

想像以上に苦かった青汁を飲み干し、氷河は逢魔堂へと足を踏み入れる。

逢魔堂、なんていう物々しい名前をしているが実際のところそこはカフェである。


だが、その雰囲気は明らかに一線を画している。

モダンな雰囲気溢れる外装に反して、店内には客が一人も居なかった。

理由は一つ。マスターの圧が店の外からもわかるからである。


「すっげえ…でけぇ…」


氷河の背丈は優に越している。顔はよく見えないが、温和…という感じはしなかった。

だが、最期の頼みの綱はこの地図しかない。

藁をも縋る思いで、店のドアを開けた。


「いらっっしゃい、お好きな席へどうぞ」


いたって普通の挨拶が飛んでくる。

カウンター席に座り、コーヒーを頼んでおく。

外から感じる圧とは違い、よく整理された店内。豆の良い匂いもしてくる。


「お待たせ致しました。それで、私に何か御用でしょうか?」


店主が、こちらから何を言うまでもなく聞いてくる。

この場所を示した地図は今は亡き父から受け継いだものだった。

頼れる相手が居なくなったとき、ここを訪ねろ、と。


「父からここの話を聞いてきた。ここに来れば何かしらの助けが得られると。」


隠しても仕方がない。俺は俺の事実を話す事をあらかじめ決めていた。


「俺の故郷は、既に滅びた。他でもない、この国との戦争によって。」


そう。俺の故郷はもう名前すら消えた。俺の中にも故国の名前がもう思い出せない。

父も、母も。兄弟も。居たはずなんだ。居たはずなのに。名前がもう、思い出せない。

思考に靄がかかったような、大きな穴が空いてしまったような。言いようもない感覚。

忘れてはならないものを忘れ続けている感覚を十全に伝える言葉を俺は持っていなかった。


だが。


「ああ、そういうことだったんですね。‘*+?さんは、最期まで戦われたんですね。」


何かに納得したようにうなずいて、こちらを見る。

だがそれよりも。今、何と言ったんだろう。大事な、大切な響きだった。

抑えようもない涙が溢れるくらいには。


「貴方の故国は、敗北したのでしょう。でも、貴方の父上は完全に負けてはいません。」


言葉の意味が、よく分からなかった。

敗北したのに、国も、本人も、家族の名前すらもう分からないというのに。


「君は、夜上氷河さん、ですよね?」


唐突に名前を聞かれる、それもきちんと合っている名前を。

一度も名乗ってはいないし、名前がわかるものなど身に着けていない。

俺は、ただ止まらない涙を流しながら頷くしかできない。


「貴方の祖国の名も、ご家族の名も、この世界から消えてなくなってしまいました。」


何を言っているんだ、という言葉は不思議と飲み込むことができた。

嘘のような言葉だったが、どうしても埋まらない記憶の穴は『消えてなくなった』という表現があまりにも適切だった。

俺は、何も言えない。言葉を紡げない。


「ですが、貴方が居る。」


強く、俺の眼を見てマスターは言った。


「貴方が生きていることが、お父様の、貴方の国の真なる敗北を否定している。」


「父は…俺を生かすために消えてしまった…と?」


言葉を聞く限り、そうとしか意訳できない。

どうにか口から滑り出たのは分かり切ったことを聞き直すような安い言葉だった。


「お父様だけではない。御兄弟も、お母様も、国そのものも。皆あなたの為に戦いました。」


「その結果こうなっていると、そう言うのか?」


考えるだけでも嫌だった。俺がもう名前も思い出せない人たちが、皆俺の為に消えていったというのだから。

それでも、俺が体験してきた現状はその事実を肯定し続けていた。

考えたくない事実から逃げるのは、どうやら無理そうだった。

ここまで読んで頂いてありがとうございます。

まだまだ現状把握のできない夜上君ですが、少しずつ物語は進行していきます。

ゆっくり、確実に進んでいく夜上君の物語を生暖かい目でご覧いただけたら幸いです!

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