第一幕 絶対不可逆運命デステニーLINE 2
二話目です。よろしくお願いします。
運命とは何か? それは抗えないものだ。それは、予め決まっているものだ。抗えないもの、予め決まっているもの。つまりは、抗う意味のないもの。
即ち、現在の俺が置かれている状況のようなことを言うのだろう。
現在、夏休み最後の日。蓮城 飛鳥の部屋。まあ要は自室。そこで、全く手をつけていない宿題の追い込み中である。まあ、それは些事だ。今この瞬間、我が身が置かれる状況に比べれば、豆粒程度の些事である。
「ほら、飛鳥。ここの答えは、こう」
「……わかって、る」
つまりは、麗しき初恋の麗人。明眸皓歯たる淀見 つぼみに、勉学の手解きを受けているのだ。
艶めく長髪と妖しき双眸の深黒、それは、眺るものを深淵に呑む魔性の魔力を帯びて、俺の目を捉えて離さない。宿題を教えてもらいながらも、この視線はずっとつぼみに向けられていた。
未練だ。全くもって、情けないことこの上ない。しかし、一朝一夕で忘れられるものではないじゃないか。そんなことができたら、以前の自分の恋はなんだったのかという話だ。
だが、つぼみもつぼみではないか。背後に回れば良い匂いがするし、正面に座って答えを教えようとしたかと思えば、こちらの手を握り込んで一字一字なぞる様にしたりもする。
思いを断ち切ることを望む少年に対してこれは酷いじゃないか。
無の境地たる吉川にあって、ここまで少年の心に波風を立てようとする同級生の幼馴染は他にあるまい。吉川をなんだと思っているのだろう。波風立たない、何も起こらない、発展も荒廃もない。変化することそのものを拒む街の土壌に在って、なぜこのような魔性が育まれたのか。甚だ疑問だ。
「つぼみよ、お前は、一体どんな花を咲かすのか?」
「ひとまずは、貴方の勤勉を開花させる水でありたいわ」
肩をすくめ、呆れたようにやれやれのポーズを取る様すら目を引いて離さないのだから、俺に抵抗などできようか?
しかし、それを表に出すのは癪だから、努めて平静を取り繕う。
「俺が花とかいう柄かよ」
「あら、私が花みたいに綺麗だって? 嬉しいこと言うじゃない」
……棘が鋭すぎて、触れることすら、躊躇われる花だが。
願わくば、俺こそが水となり、つぼみを育んで開花させてやりたかったのだが、今となっては叶わぬ夢だ。いや、最も近しい者がその夢の当事者であるなら、強ち近いifなのか。そして、近いゆえに、刃となって突き刺さる。
「美々しき花に徹してくれていれば、俺とてもこんな思いはせなんだろう」
「貴方、口調どんどんおかしくなってきてるわよね」
「長年の成果の賜物だな。愚物なりの努力は、鍍金ではなかった」
「外面を取り繕う努力に釣られて内面まで変わってしまった、と。それって本末転倒じゃない?」
「……うるさいな」
「そもそも、そんな変な努力して何を得ようって言うの」
お前だよ。だなんて言えるはずもない。この身は、その言葉と引き換えに、失うものが大き過ぎる、多過ぎる。
「……運命、だよ」
口走った言葉は、あまりに陳腐で、思い返してどころか、口に出した瞬間に恥ずかしさで顔が灼けそうになるものだった。けれど、確かに。納得できるような言葉でもあった。無意識下に自分の本意が隠されているとするのなら。そうであっても、おかしく無いと思える。
「運命、か。素敵だよね。運命」
揶揄われること必至と縮こまっていたが、何やら様子がおかしい。眼前のつぼみは、何かに陶酔しているようにも見える。
「ねえ、飛鳥は、運命の相手、って信じる?」
勉強という本来の目的からなかなか乖離した話題だったが、楽しそうに話すつぼみに、水を差すことはできなかった。
……水を差すことが、できない。水になれなかった俺には、中々刺さる言葉の綾だ。
「赤い糸で結ばれた、か?」
「そうそう、運命の赤い糸。何があっても、二人は結ばれるの。とってもロマンチックで、素敵じゃない?」
「そうか? それは、とても残酷なことだと思う。意思の介在する余地がないじゃないか」
例えば、目の前で兄とくっついた思い女、だとか。
「そういうものじゃない? 曲がり角でトースト齧りながらぶつかるのに、打算が有ったら台無しじゃない」
言わんとしていることは、理解できる。手が出せないからこその神秘性というのは確かにある。それに喘いでいるこの身を思えば、身に染みているとすら言えよう。
「有無を言わさぬ運命、か」
「そうだよ。物言わぬ赤子の時点で、私達は一緒だったんだから」
「……そうだったな」
このつぼみとの始まりの邂逅。それは、産道を通り、この世に生を受けたその日に成された。
同じ病院。同じ日。そのほぼ同じ時刻に、俺たちは産まれた。無論その記憶などは持ち合わせていないが、証拠の枚挙に暇は無い。二人が並ぶ写真が無数にあるのだ。なぜか意気投合した俺たちの母親同士は、拠点を病院から自宅に戻して後も、交流を続けた。始点が始点だけに、双方子供を連れて、しょっちゅう共に出掛けていたらしい。
まあ、端的に言えば、こちらの意思の介在する余地は、無い訳だった。
我ら、幼馴染も幼馴染。生後一日から、共に有って今日に至る。
「……だが、赤い糸ではない運命だな、それは」
「わからないよ? そんなの」
「……兄さんを悲しませたら許さないぞ」
「冗談じゃない。そうね、私には、要がいるものね」
この一週間、略奪など考えたことは無かった。……一度や二度くらいしか。
兄、蓮城 要。二兎を追い、三兎を得るが如き非凡の怪物。道ゆく人全ての視線を集める端正な顔立ちでありながら、学業の成績は学年どころか全国トップ。スポーツも万能。学園の生徒会長を務め、教師生徒双方からの信頼篤く、所属するテニス部においてはつい先週全国大会で優勝したばかり。ならばそれに見合った驕りがあるかと言えば全くもってそんなことはなく、人格は朗らかで嫌味がない善意の人であり、その善意も独善じみたものは全くない。
一言で表せば、まあチートである。
平々凡々を地で行く両親からそれが産まれるのは、何代遡ったのかわからない奇跡の先祖返りなのか、それとも突然変異の果てなのか。何にせよ、弟と二分するべき才能を全て持っていった、完璧を体現する化け物だ。
そんな兄が、俺は誇りだった。兄は鷹だが、弟は親と同じ鳶だ。しかしそれでも、それを鼻にかけず、いつも真摯に向き合ってくれる。そんな兄が好きだった。だから、恋敵たる兄と思い女たる幼馴染が諍いをおこした場合でも、俺は一方的に思い女の肩を持つ気はない。
「兄さんは、本当にお前が好きなんだ。だから……」
「わかってるよ、そんなことは。全く、長い付き合いなのに、信用ないかな、私?」
「……いや、悪かった」
他ならぬ自分自身が、彼女を好いていることが何よりの信用の証左だった。いや、実際は、そう思いたいだけかもしれないが。
……俺は、なにをしているのだろう。なぜ、こんなところに居るのだろう。なぜ、彼女と共にいるのだろう。なぜ、俺は……道化になることすら、できないのだろう。
「……詫びとして、勉強してやろう」
「それは何より。私はちゃんと貴方を開花させられたみたい」
「明日には萎れてるだろうけどな」
言って、流石に少し真面目に宿題に取り掛かる。馬鹿にはなりたいが、補修とかは御免だった。
「飛鳥は、やればできるのにやろうとしないのよね」
誰のせいだと、思っているのか。このいじらしい純情の成す業だというのに。端的に言えば、お前のせいなのに。
「……俺は、生きる為の拠り所を、勉学に求めない。それは新たな道を開くことを意味している。開拓者、先駆者、この道を歩く者を称する言葉は、数多いが……」
「詭弁ね。妄言ね。そのような異端の道を歩むにこそ、勉学が必要になるのよ。楽園は遠いわね」
それとて、先刻承知していることだ。
「……だから、俺には勉強の必要がない。つぼみは、兄さんといればいい」
「異端の道を歩むと言いながら、その道すら定めない愚かな幼馴染。完全に放置なんて、できないわ」
そんなものは、同情ではないか。思い女が自分の部屋にいて、勉強を教えてくれるというのに、発展の余地は無し。兄の恋人に手を出せる程豪胆ではないし、そもそもそれを許すつぼみではないだろう。なら何故つぼみがここにいるかと言えば、それは善意の成せるところ。
つまりは、全てが、俺の惨めさを煽っている。
つい何秒か前の発言と相反するような言葉を放つのも止むなしだろう。
「……デートでもなんでも、してくれば良い。俺は、一人でできる」
「また、そんなことを言う。お前、宿題なんて一人でやったためしがないだろう」
図ったようにタイミング良く三人分の飲み物を手に現れたは、我が兄。万事において秀でた才覚を持つ、蓮城 要だった。兄は手際よく飲み物を配り、テーブルに着いた。
兄の言葉の節々には、親愛の情が滲んでいる。しかし、思い女を同じくする弟と恋人を同じ場に置くことに躊躇いはないのか。
それは信頼や親愛、結ばれた喜び。様々な感情が絡み合って成されたことだろうが、あんまり酷ではないか。惨め過ぎるじゃないか。
恋敵としては、自分の立ち位置を脅かすに値しないと見做しているのだから。
「……うるさい。兄さん達こそなんなんだ。普通じゃない。まったく、俺の周りの人間というのは、なんでこうも世話焼きなのか」
そして、それを嬉しく思う自分とは、何がしたいのだ。叶わぬ恋を捨てられず。しかし兄達を応援する気持ちに偽りはない(はずだ)。
「仕方ないじゃない。私達、もう、簡単に切り離せる関係じゃないもの」
「お、おい、つぼみ。それは……」
その言葉は、あんまりじゃないか……。
「……ごめん。頭、痛いや。寝るよ俺。二人は、どこか行ってきたら良い。後は、若いお二人に任せて、ってやつだな」
「お、おいまて、そんなあからさまな仮病が」
「……悪い。本当に、痛いんだ。だから、頼むよ」
頭ではなく、心が、痛かった。あんまり哀れな自分が、情けなくて。確かに愛する二人なのだ。俺としても、応援するべき二人なのだ。だから、割って入るようなことはできない。
そして、それ以上に、好きな人と兄が、自分に気を使っているのが悔しかった。二人は、今までの三人の関係を保とうとしてくれている。それはとてもありがたいことだというのはわかっている。ただ、それは見ていて、辛過ぎる。
「飛鳥……俺は、俺は、余計なことを、したか?」
「……そんなこと、ないさ。兄さんは、いつだって正しい人だ。馬鹿な俺とは、違うんだよ。ただ、ただな、痛いんだ。どうにも痛むんだ。だから、今は、一人にしてくれ……。つぼみも。悪いけど、またな」
「う、うん。お大事に、ね?」
言うと、つぼみは片付けをしてから、兄と共に部屋を出て行った。
「……ちくしょう。俺は、俺は……」
馬鹿になれ。もっと、もっと、馬鹿になれ。何もかも、忘れられるような。そんな、馬鹿に……。
『君は、真性の馬鹿じゃあない。馬鹿を演じるただの人さ。……このまま忘れられるなんて、あり得ないよ。まあ、自ら望んで馬鹿に身をやつすなんて、馬鹿より馬鹿と言えるかもしれないけどね』
「……は、魔法のアプリも、人に気を使うのだな」
『そうさ、私は何せ、君を運命に導く為に存在するのだからね』
全くもって、なんだと言うのだ。これは。
『痛いと言うなら、私で紛らわすと良い。実体のない私だ。変な気の起こされようもないしね』
「そんなに、見境無くなれないな」
『ま、話し相手くらいには、なってやるさ』
魔法のアプリなどという胡散臭いものにメンタルをケアされようとは。なんとも不思議な気分だった。
「なら訊くが。お前は一体何なんだ」
『私を求めた君がそれを言うのかい? 承知の通り。なんの変哲もない、魔法のアプリさ』
「……そうじゃない。魔法のアプリ、D-LINE。確かにその噂は広がっている。しかし、実際入れてみても、その機能が発揮された試しはなく。ましてや自我を持って話し出すなどと、聞いたこともない」
『ふむ。そうだな。理由としては、君が魔法を求める気持ちがいっとう強いから、君の元に私が降りてきたわけだけど……納得できるかい?』
「……全くできないな」
『だろう? 現実を受け入れたまえ。それが、万事を先に進めるファクターだよ』
魔法のアプリなんてものが言葉を持って諭す現実。
……兄と思い女が恋愛関係になっているという、現実。
「打ちのめされるばかりじゃないか……」
『そうさ。だから私が、新たな現実。運命に導いてあげようと言うのさ』
「なら、教えてみろよ。俺の運命とはどこにあるのか。曲がり角でトースト咥えて走ってみればいいのか? 学校の屋上で黄昏ていればいいのかよ」
『棘があるな、全く。八つ当たりだぞ、気をつけろ。私はな、自由思考体で……あ、はい、アプリは消さないで……頼むってばぁ』
「お前弱過ぎないか」
こんなのに、俺の精神は左右されるらしいのだからなんとも笑えぬ笑い話だ。幼少、物心ついてからこの方続く、恋の決着。それをこんなぽっと出の得体の知れないものに握られようとは……。
「まったく、先行きが不安でならない」
『正しく畏敬の念を抱いていればまず成されない行為を、するからだ。私は凄いんだぞ。人智を超えてるんだぞ。そんなのをワンタップで消してしまおうなんて考えるその思考が理解できないね』
そして答えるこの魔法のアプリさんは、隙だらけのくせになんと高慢なのだろう。求る理想の馬鹿というのはこういうのじゃないかとすら思えてくる。
「もういいよ。で、答えろよ。俺の運命」
『勿論さ。やっと私の真価を発揮できるわけだね。腕がなる。さ、始めようじゃあないか。無何有郷へ、更なる一歩だ。が、まずは、"俺の運命"でなく、"お前は一体何なんだ"の方に改めて答えさせて貰おうかな』
「釈然としないが、まあいいだろう」
『オーケー、オーケー。まずだな、画像認証で君が件の思い女をスキャンしたことで、私がアプリに宿ったわけだ。言ってしまえば、始めの画像認証だチャットだは、君の思いを計る為の一プロセスに過ぎないんだ。そして、お眼鏡にかなったから、この"私"がいる。他の、面白半分だったり、然程真剣でもない人に、魔法のアプリは宿らない。と、ここまでが、さっきの"お前は何なんだ"に対しての答えかな。まあ、単に補強さ』
「運命を見定める為のプロセス的な感じか……?」
『そういうことさね。じゃ、次、本題に行こうかな。君の、運命だ』
俺の、運命。聞いた途端、反射的に身が入る。つぼみを上回る運命などあり得るのか? それとも、運命なんていうものは大したことなくて、つぼみと結ばれなかったから、妥協して選んだ相手でも運命の相手なのか?
喉が干上がる錯覚を覚え、置かれたままの三人分の飲み物を一気に飲み干した。気管に入って咽せるが、落ち着けばまた干上がる感覚に襲われる。人の感覚の当てにならないことをこれほど深く理解したことはなかった。
『それは、ここにある。うむ、私はどこまでいってもアプリだからな、私の戦場はこのスマホの中さ。ちっぽけで雄大な、ね』
吉川のエベレスト、標高16メートルの高山きよみ野富士が如く矮小な一大事。
人の数だけ区分けした世界で、個人が扱うにはあまりに巨大な電子の網。そして、そこに魔法などという得体の知れない、さらに巨大な何かが引っかかってしまった。……運命などという、さらにさらに大きなものを引っ提げて、だ。
『おっと、早速、始まったようだねえ』
「……? 何が……」
魔法のアプリが言った数瞬後、スマホが、通知のバイブレーション。画面上部のプッシュ通知は、チャットが送られてきたことを示していた。
「……これ、が」
運命……だとでも、言うのか?
実感が湧かない。そもそも魔法のアプリなんてのにすら明瞭な回答を出せていないのに、曖昧なものからこれが運命だと示されて、何を信じられようか?
しかし、我が双腕、その二つの親指たちは、俺の命令を待たずに、通知をタップしていた。
まるで、自分の意思に構わず、こうなることが、決まっているかのようだった。意思の介在する余地はなく、気づけばある一点に向かっている。自身の体だけでなく、世界そのものが、一つの極点へと邁進していくような……。
『運命を前に、人の意思はあまりに小さい。抗える流れに非ず。人の身に納める術は在らず。故に、流されるまま享受するがこそ、唯一の答えさ』
その得意げな声を聞ききる前に、画面に表示されていた。縦スクロールのチャット欄。その始まりの文言。見ず知らずの人に訊ねるにはあまりに無用心で、あまりに愚かなその一文。しかし、この場において。魔法のアプリというものの中にあっては、これ以上にない、その一文。
《貴方が、私の運命の人ですか?》
是非はまだ解していないが、途方もない何かの始まりが、予期された。