第八十四話『救いの手』
【ながみ視点】
「……」
───ふとんに寝ているルフの顔が、月明かりに照らされる。
薄ぼんやりとした光は綺麗なルフの顔を彩って、その幼い姿を鮮明に映し出した。
その表情は、とても安らかで……
でも……どこか……
どこか、寂しそうな顔で……
「ルフ……」
私はルフの流す見えない悲しみを拭うように、そっとルフの頬を撫でる。
その柔らかな肌は熱を帯びており、近づけばゆっくりと呼吸をする音が聞こえてきた。
その顔を見ながら、感情がごちゃ混ぜになり、その結果空っぽになってしまった頭でだらだらと思考を続けていく。
「……」
この部屋をルーチェさんが去っていったあと、ここに一人の職員がやって来た。
……なんでも、明日の十二時。
───ルミネさんの弔いを行う。との事らしい。
「……」
職員が言うには、ルミネさんは突然現れた白髪相手に、一人で向かって行ったとか。
我々が生きているのは、ルミネさんのお陰だ。とか。
目の前にあるこの命は、ルミネさんが、必死に護ってくれたものだ。ということらしい。
───そして、ルミネさんと仲の良かった私には、ぜひ、参加して欲しいと言われた。
……大の大人が、泣きながら、私にそう言っていた。
「私が……私が、連れていけば」
───ギルドを出ていく時、身体が動かせず寝ているルフが私に向かって言おうとしていた、
『いっしょにいきたい』
という言葉。
その言葉が、私の頭を、私の心を締め付けるようにのしかかる。
私がルフの言葉を聞いて、救護所へ連れていけばこうならなかった?
大切な彼女の顔に、こんな表情を浮かばせることは無かった?
「あぁ……」
白髪の話し口を聞く限り、おそらく白髪のターゲットはルフだった。
それは、ルフ以外の被害者が、立ち向かって行ったルミネさんのみであること……
そして、それ以外の者達が眠らされていた事から予想がつく。
───ならば、ルフを連れていけばルミネさんは……
「私は……あぁ……」
───顔を抑える。
ルフを包んでいるふとんを、ぎゅっと掴んだ。
───顔を埋める。
嗚咽が漏れないように、声を殺した。
「……ッ……!うあぁッ…!、!!?」
───怒り、悲しみ、絶望。
深く、暗い深淵が、私を包んでいく。
感情がぐるぐると心を巡って、私を染め上げていく。
「あいつは、ぜったいに許さない……!」
白髪の気持ちの悪い笑みが、頭に浮かんで、黒い物が湧き上がる……際限なく、吹き出てくる。
───そんな時。
《 一次スキル〘怒〙〘悲〙〘絶望〙を獲得 》
という、機械的な声が頭に響いた。
「ッ煩い、黙れ!私の頭に入ってくるなッ!」
『機能を一時停止 実行します』
「あぁ、もうッ!」
頭に響いたその声に苛立ち、私は怒りに任せ座っていた椅子を投げ飛ばした。
飛んで行った椅子は、部屋の壁に当たってガタンと大きな音を立て地面に落ちる。
───ガタンガタンッ、と音を鳴らし。
それを見て、ただただ立ち尽くして。
「はは……駄目だな。私は」
……頭を抱えて、ゆっくりと地面に座り込んだ。
そして、何も考えずに、ルフの寝ている姿を眺める。
部屋に響く、小さな……
しかし、大きく耳に残るその寝息を聞き、思考もせずにただただそこに居座る。
そんなことを、ずっと、ずっと……
「……」
ずっと続けて……
そして、月明かりすら無くなり、時間の感覚さえ曖昧になった頃。
「……ながみ、ここ開けてくれる?」
───そんな声が、部屋の外から聞こえてきた。
……この声は、マキナか。
きっと、私のことを心配して来てくれたのだろう。
しかし……
「マキナ、今は一人にして欲しい」
私は顔を上げることもせずに、そう答える。
申し訳ないが、今は感情が抑えられそうもない。
───あの扉を開けてしまえば、きっと、なんの罪もない他人に当たってしまうような、醜い私を見せてしまう。
そんなことを考えて、私は私を思い来てくれたであろう親友を拒絶した。
私のことを思ってくれるならば、そっとしていてくれるだろうと思って。ただそれだけを告げた。
「そっか……ながみは、そこで止まるんだね?」
───だが、思いに対して返って来た言葉は、落ち着いた口調の意味のわからないものだった。
意味がわからなくて……それでいてどこか心を逆撫でするような、挑発のような言葉。
私はそれを聞いて、思わず立ち上がって声を荒らげた。
「マキナッ!君に、君に何がわかるって言うんだ!」
───いや、違う。
「私が、私が、どれだけ大切に思っていたか!」
───こいつは、私の親友なんだ。
「ルフのこと、ルミネさんのことを……!」
こいつはきっと、私のことを分かっていて、声をかけている。
「この世界に来て、初めて出会って、私を受け入れてくれた……!」
そんなことは、解っている。
「寂しかった私を、支えてくれた……」
頭では、解っている。
「大切な……大切な……」
───けど……溢れるんだ。
「大切な、友人だったんだ……」
───抑えられないんだ。
「だから、だから……
───頼むよ……いまは、ひとりにしてくれよ……?」
扉に手をついて、ずるずると下に落ちる。
悲しみが、寂しさが、失意が、頬を伝って下に落ちる。
項垂れて、訳も分からずに、項垂れて……
「どうすれば、良かったんだよ……」
───どうすれば、こうならなかったんだ?
どうすれば、失わずに済んだんだ?
私は、どうすれば……?
そればかりが、頭の中を駆け回って、ぐちゃぐちゃと脳を掻き回す。
頭痛を孕む程の悲しみ。
心臓を潰す程の寂しさ。
吐き気を催す程の失意。
───そして……抑えきれない、怒り。
それらが、ぐちゃぐちゃとまとわりついて、私を離さない。
止まっても、意味が無いことなんて、解っているのだ。
でも、駄目なんだ。
視界が、深く、深く、深く……
染まっている。
染められている。
「見えないんだ、何も……どうすればいいか、分からないんだ」
何かを考えようとすれば、まとわりついているそれが邪魔をする。
すぐに、私の視界を奪って、黒く染める。
「あぁ……頼む、頼む……」
誰か、誰か……
私を……
「───助けてって、言いたいのかな。ながみ?」
「……」
マキナの言葉に、ぐちゃぐちゃとした何かが湧き上がる。
もしかしたら、私を、救ってくれるんじゃないか、というような。
弱々しく……そして、酷く気持ちの悪い想い。
「……そっか、ながみは、助けて欲しいんだね?」
優しく、しかし、どこか遠いような声色。
マキナが偶に見せる、全てを受け入れるような……
「自分では何も出来ないから、助けてって。
私は、何も考えたくないから、代わりに考えてって。
───ながみ、そういうことでしょう?」
……それでいて全てを突き放す様な、不思議な声色。
「……」
私はそれを聞いて、ただただ黙り込むことしか出来なかった。
───弱さを、見抜かれた。
私が、止まろうと……もう、足掻く事さえやめようとしていることを、見抜かれた。
進めば、より深い絶望を味わうかもしれない。
求めれば、助けてくれるかもしれない。
ここに居れば、何とかなるかもしれない。
そんなことを考えて、自分に対して"怠惰"になろうとしていることを、見抜かれた。
───私はその事を理解して、震えを止めるように自らの体を抱き寄せた。
「……まぁ、でも。
今回は仕方ないっちゃ仕方ないかもね。
───わたしもさ、ながみが死んじゃったら、きっと止まりたくなるし」
そんな私を他所に、マキナの声色はより平然と落ち着いたものに一転する。
どこか他人事のように淡白で……冷静で。
───しかし、何かを思い出すように、言葉を紡いでいく。
「親しい人を失うっていうのは、とても悲しくて、辛くて……
───ひょっとしたら、自分が死ぬよりも辛いことなのかもしれない。自分が死ぬよりも苦しいのかもしれない。
それは一生覚めない悪夢を見ているかのような、そんな、無限にも等しい地獄の始まりなのかも知れない」
静かに、そう私に問い掛けるマキナの声は、私以外の誰かにも聞かせているような。
……そんな不思議な語り口だったのを覚えている。
なんともないのに、何処か辛そうな、そんな様子だったのを覚えている。
「……でもね。
それでも、絶望を恐れて救いの手を待っているだけじゃ、奇跡を待っているだけじゃ、いつまでも終わらないでしょう?」
けれども、その声色はしだいに変わり。
静かに、私を諭すように、そう言葉を紡いでいく。
その声はもはや、先程の突き放す様なものでは無く……
「───君がさ……
体質とか、周りの環境とか。
色んなものにつまづきながら、ボロボロになって。
辛くて、苦しそうで、痛そうで、悲しそうで……
でも……それでも前に進もうとしている姿を、わたしは何度も見てきたよ」
───過去を思い出す。
何をやっても上手くいかなかった、学生時代。
生まれた時からの体質のせいか、どうやっても寝てしまって
、毎日眠って眠って眠って、そのせいで人が離れていって……
───あの頃は、毎日苦しかった。
辛くて、苦しくて……でも、そんなものに負けてたまるかって、そう思って、たくさん、たくさん努力してた。
「ながみが頑張ってるから、わたしも頑張って……
そんなふうに、ずっとずっと、君を"見守って"来たんだ」
……思えば、いつも私を見てくれていた。
寝ている私に近づいてきて、毎時間起こしてくれたし……
会社を辞めて布団を研究する……なんて、おかしなことを言い出した時も、マキナは私から離れていかなかった。
友人、社会、親にすら見放されて、それでも足掻いて……
必死に、必死に進もうとしていた私を……
周りから、見放され続けた私を……
マキナは、いつも見守って、一緒に居てくれた。
「それは、ひとえに君が頑張っていたから、わたしもできる限り隣にいようと思ったんだ」
隣に、寄り添ってくれていた。
私は、そのおかげで……
───こいつが隣にいる間は、見守ってくれている間は頑張ろうと決めていたから……
「わたしは、君が頑張っているならば、隣にいようと決めていたから……
───だから、わたしはここに来たんだよ。ながみ」
「……っ!」
その言葉を聞いて、思わず顔を上げる。
扉の向こうに居るであろうマキナの顔を見て、声に耳を傾ける。
「君が向こうで死んだ後。
わたしはとっても悲しかったんだ。とっても苦しかった。
───何も手につかなくて、何も出来なくなって、止まりそうになった」
……そうだ。
私が感じている、深い絶望の感情を。
私が日本で死んだ時に、マキナは味わっているんだ。
「でも……何処かで君が頑張っていると思ったから、わたしは止まらずに頑張れた。
こうして、ここに来て、君の隣に居ることが出来た」
マキナは、それを味わった上で、乗り越えて、ここに居るんだ。
辛く苦しいこの感情を、一人で耐えて……
世界を渡るなんていう、出来もしないような難題に、一人で挑んで……
私が、頑張っているというだけで……
私の、こんな私の隣に、居るだけのために。
「だからさ、ながみ。また、一緒に頑張ろう?
ずっと、隣で見守ってあげるから……」
───扉がゆっくりと開かれる。
私の、固く、重い扉がゆっくりと開いていく。
光が差すように、暗闇を消し去るように、開いていく。
そして、その先には、ゆったりと微笑む……
「マキナ……本当に……君は……」
───本当に、心からの、親友だよ。
「さて、ながみ……一緒に頑張る?それとも、止まる?」
「止まらない……止まってられない。
私は……頑張るよ……。私は、もう……絶対に諦めない……!」
私はゆっくりと問いかけてくるマキナを、ぎゅっと抱きしめて、その問に対する答えを返した。
その声は、きっと弱々しく掠れていたが……その弱々しさと対照的に、私の心に強く根付くのを感じた。
……マキナはそんな私を見守って、優しく背中を叩いてくれた。
「それは、良かった。君の元気がないとわたしも楽しくないから。
───と……こんな事を話してる間に来たみたいだ」
「来た……?何が……」
私はマキナの呟きに、疑問を浮かべながら問いかける。
それに対して、にこりと笑って、マキナは一階に続く階段の方に視線を移した。
「いやね……わたしはながみが止まってても、いつもみたいに"見守る"ことしか出来ないんだけどさ」
そして……
「どうやら、わたし以外はそうじゃないみたいでね?」
───階段の下から、みんなが、やって来た。
「な、ながみ〜っ!いつまでも泣いてちゃだめだよー?
早く良くなるように、ボクがぎゅ〜ってしてあげよう〜!」
ヌルがそう言って、私に抱きついてくる。いつも通り、ぬるぬるした柔らかな身体だ。
「ながみ殿……!
拙者に何ができるかは分かりませぬが、きっと皆で考えれば糸口が見えてくるはずですよ!ですので共に行きましょうッ!」
シンが会った時のように、私の足元に片膝をついて座り込んだ。そして、私の手を取りしっかりと握ってくれる。
「ふん……青狼の子供には煽られた因縁があるのでな。
我としても、こんなところで眠ってもらっては困るので、その……
───治すのを、手伝ってやってもいい」
そして、アーレ君がいつも通りのツンデレで、横を向いて頬を染めながら、そう呟いた。
他にも、アーネさん、ザック先輩、アキザさん……
───異世界に来て出会ってきた、私の。
───私の、大切な友人たちが、こんなにも狭い部屋に、たくさん、たくさん集まってきて……
「みんな……」
思わず、私は目から涙を零した。
……しかしそれは、黒に塗れたものではなく。
窓からこちらを見つめる明るい太陽に照らされて光を纏う、暖かい、とても暖かい光の粒であり。
「みんな……みんな、有難う……!」
───心に染み付いた黒を溶かすような、そんな涙だった。
「ふふっ……良い友人を持ったねぇ、ながみ?」
「あぁ、その通りだな……本当に……」
全く……本当にみんなには感謝してばかりだ。
こんなふうに、いつも助けられる。
いつも、私を、助けてくれる。
こんなに嬉しいことは無いよ……
そんなことを考えながら、袖で涙を拭き取る。
───こんな人達に囲まれながら、いつまでも、いつまでも泣いてばかりではいられないと思ったからだ。
「みんな、私はもう大丈夫だ!
ルフのことは、これから頑張って解決策を探して……」
「ッ、良かった!ながみ様、出てきてくれたのですね!」
そんなふうに、笑顔を浮かべ口を開いた私に向かって、階段下から登ってきたある人が声をかけてくる。
それは、とても美しく……
とても、慈愛に満ち溢れた……
「───ながみ様……
ルフちゃんを、そしてルミネさんを治す方法が、もしかしたらあるかもしれません!」
───女神のような彼女が、私に手を差し伸べるのだった。
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