第四十二話『ザックザ・ブートキャンプ②』
「はぁっ……はぁ……!」
手を伸ばす。
霞む視界の先へ、手を伸ばす。
息は荒く熱を帯び、肺は酷く伸縮を繰り返した。
「もう……少し、で……!」
今にも折れてしまいそうなその足を、無理やり前へと押し出した。
筋繊維が悲鳴をあげる。
歩けていることが奇跡だと思えるほどに、ガクガクと足が震えた。
あぁ……止まってしまいたい。
このまま足を止めて、ゆっくりと寝てしまいたい。
───しかし……あと、一歩……あと、一歩で……!
皆が待ってる、あのゴールへ……!
「うぁぁぁあッ!」
足が思う通りに動いてくれない。
ならば、倒れ込め……!そしたら、辿り着ける!
私は最後の力を振り絞って体を前に倒すと、ばたりと地面に倒れ込んだ。
「やった、やったんだ……!私は……遂に、ゴールしたんだッ……!」
「ながみ殿……!おめでとうございます……!」
シンが倒れた私をゆっくりと起こしてくれる。
そして、私の口に冷たい水を注いでくれた。
「あぁ……ありがとう……!美味しいよ……!」
口に含んだその水は、私の全身を巡り、染み込み、やがてその身を象っていく。
その世界で一番美味しいとまで思うような水は、もしかしたら他人からすればただの水なのかもしれない。
しかし、今の私にとってそれは間違いなく世界で一番美味しい水であり、長い戦いに打ち勝った末に得た、甘美なる勝利の美酒であった。
「ふふっ……あの苦しさ、今はもう懐かしい……」
空を見上げて、辛く苦しかったあの戦いの歴史を思い出す。
何度も挫けて、何度も諦め、何度も絶望し……
だが、今はその分だけの"宝"を手に入れたのだ。
───そう……"達成感"という名の宝を……
「やり遂げたんだな……私……」
そんなふうに私が達成感を感じながら空を見上げていると、その上から覗き込むようにしてザック先輩が現れた。
ザック先輩は何か言いたげな神妙な表情を浮かべて、健やかな心持ちの私を見つめる。
そして、口を開いた。
「ながみィ……お前……」
「体力無さすぎ……」
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「というわけでェ……ゴブリンに襲われた場合の最適解は、ヤバくなる前に逃げるということだァ……!」
太陽の光が照りつける、ぽかぽかとした午後2時頃。
地獄のレースを終えた私たちは約30分程度の休憩を挟み、ザック先輩による座学の授業を受けることになった。
「どういうことかと言うとだなァ……!?」
学校にある黒板のような形をした石の建造物に向かって、手を翳しながら話していくザック先輩。
すると、ザック先輩が話した内容を抽象するような絵が、その黒板に浮かび上がっていく。
どうやら魔力を通すと思考を書き出すことが出来る魔道具らしい。
メモ帳とかにできたらすごく便利そうだ。
「おい、ながみィ……話聞いてるかァ!?」
ぼーっとしながらそんな事を考えていると、ギロりとした目をこちらに向けてザック先輩がそう声をかけてきた。
その表情は少し不満そうな顔である。
……どうも私が授業を聞いていなかったと思っているらしい。
私はその誤解を晴らすために疲れきった身体にムチを打って口を開いた。
「……ゴブリンは、ほかの魔物とは違い殆ど単体で動くことが無い。
それはゴブリンの種族としての特徴であり、主な理由としてはゴブリンロードと呼ばれるゴブリン達の長のような存在が〘群衆〙という二次スキルによってしっかりと指揮を執っているからである。
これにより、一から五、六ほどの集落がゴブリンロードを中心に等間隔で点在しており、それぞれの集落に十数人ほどのゴブリンが常に存在している。
そしてそのゴブリンたちは、ゴブリンロードのもうひとつの二次スキル〘統率〙によってゴブリンロードの意のままに動かすことが出来る。
そのため、戦いが長引けば長引くほど〘統率〙によってゴブリンを呼ばれ、やがて圧倒的な数的不利に陥る。
という訳で、戦わずに集落のある範囲内からすぐ逃げるという選択が最も合理的だ。ということ……ですよね?」
私としてはもっと簡単に『スキルで無限に敵が湧いてくるから逃げた方が楽ですよ?』と言っても良かったのだが、それではちゃんと聞いてなかったと思われるかもしれない。
……だからちゃんと、先程ザック先輩に教えてもらった座学の内容を冒険者の理論としての言い方でザック先輩に述べた。
「……正解だァ」
少し驚いたような顔で私を見るザック先輩。
まぁ、正直疲れと汗であまり集中しているような見た目ではなかったからなぁ……ザック先輩には申し訳ないことをしてしまった。
……でも、汗に関しては座学を中庭でやるという点にも悪いところがあると思うので、今回は引き分けということにしてもらいたい。
「ながみ頭いいねぇ~」
隣に座っていたヌルがそう言って私に抱きついてくる。
直ぐにはねのけようと思ったが、ヌルの体が冷たくて気持ちいいのでやめておいた。
「私は昔から勉強だけはできたからなぁ……」
あぁ……ひんやりする……気持ちいいなぁ……
私は徐々に体を侵食していくヌルを眺めながら、上の空でそんなことを考えていた。
「ながみ……我もあの位できるんだからなッ!勘違いするなよッ!」
ヌルに包まれている私に向かって、大きな声で怒るアーレ君。
指さして私を見つめているその目には、私を敵視するような熱い火が灯っているのがわかる。
どうやら先程の弁明で彼のプライドに火をつけてしまったようだ。
「アーレ君、私は別に競っている訳では……」
「あーれ。なぎゃみはすごい……だから、つよがらなくていい」
私はアーレ君と和解しようと口を開くが、それを遮るようにルフが煽るような内容の言葉をアーレ君に投げかけた。
「つ、つよがってなどッ!?」
「そうですよ!
ながみ殿は紛うことなき天才、そして最高のびゅーてぃふるれでぃ……!アーレには到底勝てませんよ!
はっはっはっ!」
そして、ルフの言葉に動揺したアーレ君に、思いっきり追撃をかますシン。
アーレ君はその二人の言葉を受けて唖然とした顔でしばらく静止したあと、プルプルと震えてキッと私を睨んだ。
「えっと、アーレ君……?私は別に」
「ながみッ!お前、我と勝負だッ……!」
あぁ……面倒臭いことになった。
これだから天然と馬鹿は……!
私はヌルに包まれながら頭を抱えた。
「わぁ~おもしろそう!ボクもやりたい!」
「ダメだヌル!これは我と此奴の戦いッ!
部外者のお前に荒らされては困る!」
「ならば拙者はながみ殿を守るガーディアン!その戦い、参戦致す!」
「わたしもなぎゃみまもる」
「だから!我と此奴の戦いと言っているだろうがッ!」
私の周りでギャーギャーワーワーと騒ぎ駆け回るシン達を、私はぼーっと眺めていた。
「元気だなぁ……」
そう呟いて、私はゆっくりと地面に寝転がる。
風が気持ちいいなぁ……もうこのまま寝てしまおうか……?
私はそんなことを考えて、我慢できずに目を閉じようとする。
……しかし、私は次に聞こえてきたそれによって一瞬で目が覚醒した。
それは……
「お前らァ……オレの話聞く気あんのかァ!?また走るかァ?!」
───という、ザック先輩の怒号。
普段の私ならば、一度寝に入ってしまえば絶対に起きない自信があるのだが……怒号を聞いた瞬間地獄の光景が脳裏にフラッシュバックして一瞬で目が覚めた。
「「「「「……」」」」」
そして、それはほかのみんなも同じだったらしい。
あの何者にも縛られないような自由な奴らが、揃いも揃って震えながら正座していた。
「───よし……話を続けるぞォ……」
ザックザ・ブートキャンプは続く……
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