メタセコイアってどんな木ですか?
雲一つ無い晴天、コンクリートの屋上、靴を脱ぐ少年。
「鬱だ、死のう」
3月の風はぼんやりとした不安を運んでいた。
少年の名は、戸洗 和佐雄、県立巧子華高校所属、春から3年生。平均より少し下の学力、運動はそれなり。チェスボクシング部に所属するが週6回しか顔を出さない。朝一番に学校に来て教室の花に水をやり、誰かの机に花瓶を置くことが日課。
正直、顔がコアラに似ていることしかあまり特徴のない少年だった。
そんな何の変哲もない少年が、将来に不安を覚え、気の迷いから自殺を考えるありふれた光景だった。
「散々コアラだなんだと言われてきたんだ。せめてコアラらしいことをして、いっちょ印象に残る死に方でもしようか」
などと言っているが、日曜日の朝7時。学校には誰もいるはずがない。
そのことを思い出し、少年はユーカリの葉を咥えニヒルに笑う。
「さてと、やることやってさっさと死のう」
靴の上に手紙を設置、グラウンドで拾ったロージンを手にまぶし、配管に手をかけた。
身体は既に柵の外、その身を遮るものはない。空中に躍り出る肉体はやや猫背気味で不格好だった。
「第1フェーズ……、完了」
宣言通りのコアラらしい姿がそこにあった。
配管に両手足を使ってしがみつく17歳のコアラが生まれた瞬間だった。配管は太く、更に所々補強されており、かなり安定感がある。和佐雄の体力であれば2、3時間は張り付いていられそうだった。
「セクシーコアラショーの始まりだ……!」
和佐雄が蠱惑的に微笑む。気分は魔性のコアラ、淫獣と書いてコアラだ。
最初は調子を確かめるように、緩く右へターン。続いて左に戻る。
壁があるため1回転することはできない。しかし、それを感じさせないようなコアラテクニック!と和佐雄は浸っているが、実態としては配管にしがみ付いて左右にプラプラ振れているだけだ。結構激しいので、配管が早くもギシギシと悲鳴を上げ始めた。死を望み、ここに来た和佐雄にとっては願ったり叶ったりである。
『高校生怪死!?配管でポールダンス、さながら都市獣塵か』。新聞の見出しが見える。明日の全国1面は俺だぁ!などと考え気分は最高潮。もう誰も彼を止めることはできない。
盛り上がった彼は両手を離し、上半身を大きくのけ反らせる。
おお、エクスタシー……!あまりの興奮に彼のバオバブが急成長しかけていたとき、それは彼の視野に入った。
向こうの校舎に誰かいない?
黒光りする長い髪、触角のようにハネる毛、まるでゴキブリのような外見の女生徒?が向こうの校舎の窓枠にしがみついているのを発見した。巧子華高校は2つの校舎がⅬ字型に配置されている。女生徒は思ったより近い。
生理的な嫌悪感を覚えかけた和佐雄だが、木にしがみつくコアラの気持ちになって耐えた。
だってその巨大ゴキブリが辛そう見えたから。
和佐雄には分かる、彼女の気持ちが。きっと彼女も人生に疲れたのだろう。校舎の方向を向いてうずくまっている、つまり世界に背を向けるほど追いつめられているのだろう。
「どうしたんだい、そこの彼女?」
気が付けば和佐雄は声をかけていた。
「え?誰?……って幻聴かな、誰かの声が聞こえるわけがないのに」
「ここさ、ここ。君の後ろ、配管に掴まっているよ」
「は?……ってええっ!?大丈夫ですか!?配管ギシギシ言ってますけど!?」
「問題ないよ。もともと死にに来てるからね」
「ええっ!?よくないですよ自殺なんて。生きてればいいことありますよ」
「君も同類だと思ったんだけど、その物言いだと違うのかな?」
「そんなわけないじゃないですか!違いますよ!とりあえずそのギシギシ配管を揺らすのをやめてください!」
「なぜかな?僕に君の言葉を聞く義務があるというのかい?」
「そんなものないですけど、こっちに倒れてきそうで嫌なんです!」
「そうかい、じゃあ君が死ぬまでは待つことにしよう」
「だから私は自殺しに来たんじゃありませんよ!80年待っててください!」
そう叫びつつ彼女は和佐雄の方向を向いた。手には子猫を抱いている。
「子猫を道連れにするのはあまりよろしくないんじゃないのか?」
「違います!この子を助けようとここまで来たはいいんですけど、上がれないし、窓も誰か閉めちゃってて入れないし、昨日から立ち往生してるんです」
「君は本当に現代人か?PHSは?誰かに連絡をしたらいいんじゃないか?」
「PHSってなんですか?……いや、そんなことより、スマホも落としちゃって誰にも連絡取れないんです。誰かに連絡とってもらえないですか?」
「あいにく、連絡は基本的にファックスか固定回線でね。電話を持ち歩いてると縛られてる感覚がないか?あれ、嫌いなんだ」
「あなたこそ本当に現代人なんですか!?おじさんみたいなこと言ってる自覚あります!?」
「ふっ、『おじさん』か。新しいあだ名が増えたよ」
「わわっ、私が悪かったですからギシギシやるのをやめてください!」
「分かればいいんだ。ところで僕は戸洗和佐雄、3年生だ」
「あっ、やっぱり先輩だったんですね。私は五木花梨、1年生です。あっ、春からは2年生です」
「ふーん、そうなのか。じゃあ花梨ちゃんって呼ぶね」
「なんかぐいぐい来ますね……。別にいいですけど」
意味もなくふっと微笑した和佐雄。若干血走った目で花梨の全身をねめつけるように眺めていた。
割と広い窓の縁に、座り込んだ彼女のスカートから覗くふくらはぎは健康的な色・形をしている。ぱっちり二重の目、小ぶりな顔のパーツ。見返り美人の逆バージョンみたいだなと和佐雄は思った。
「花梨、僕と付き合わないか?」
「えっ、キモ……。いきなり何を言い出すんですか?」
「正直一目惚れだ。やっぱり出会いのインパクトかな」
「そりゃ、お互い校舎にへばりついてたらインパクトはありますけど」
「正直、最初はなんだこのゴキブリはって思ったよ」
「えっ、そんな感想持ってたんですか?普通にひどいですね」
「でも、僕はそこを乗り越えて君に話しかけたんだ!ここは評価して欲しい」
「はあ」
「自分で言うのもなんだけど、僕は風雅な人間だ。教室の花に毎日水をあげてる。ついでにSNSにも上げてる」
「そうなんですか」
「そして他人の痛みに寄り添える人間だ」
「さっき思いっきり私のことゴキブリって言ってましたよね」
「僕自身がコアラと揶揄されることが多いからね。そういうことを言われる気持ちは誰よりもわかるつもりだ」
「サイコパスなんですか?」
「相手にも同じ痛みを与えて共感を得るタイプなんだ」
「やっぱりサイコパスじゃないですか」
「僕の机に落書きして花瓶を置いたやつに毎日欠かさず同じことをしてるよ」
「執念深い、と」
「そういうことが苦にならない性格なんだ」
「このプレゼンでよく自分と付き合う気になると思いましたね」
「ついでに言うと君を助ける方法も思いついているが、それは僕と付き合った場合の特典だ」
「は?」
「じゃあ、続きなんだが……」
「いやいやいや、一番重要な情報だったでしょう今の!」
「なんだい花梨。僕の人となりより自分が助かることが重要だっていうのかい?冷たいな」
「さらっと呼び捨て……!?いやいや戸洗先輩のこともとっても興味ありますよ」
「戸洗と呼ばれるのは好きじゃないんだ。和佐雄もしくはダーリンでいいよ」
「ぐっ……、和佐雄先輩」
「まあ、その辺が妥協点か」
子猫がか細くニャーと鳴く。どうやら衰弱しているようだ。
「命には代えられません。わかりました、先輩。付き合ってあげるので、助けてください」
「その言葉が聞きたかった!!分かった今助けようマイハニー!僕の生きる理由!」
「愛が重い!?」
「じゃあ行くよ。コアラァ!!」
掛け声をかけるや否や、激しく体を揺らし始める和佐雄。
「そう、このまま配管を外してそちら側に倒し、窓を割る!完璧な作戦だ!」
ネジが飛び、ぐらりと配管が傾く。しかし和佐雄は獲物を前にした猛獣の顔付きだ。
「絶対足りないですよ長さ!先輩!!」
「確かに」
思案顔の和佐雄だが、現実は無情。傾きはどんどん大きくなる。
「ならこうするのさ!明日って今さ!」
「飛んだ!?」
未来を信じて和佐雄飛ぶ!死を考えるほどの絶望に囚われていた和佐雄はもういない。今の彼はそう、猛禽核獣……ッ!!
したり顔の和佐雄だが、しかし現実は無情。普通に高さが足りなくて下の階の窓に激突した。派手な音を立て窓が割れ、警報が鳴り響く。
「えぇ……?どうしたらいいの?」
雨の降る病院の玄関先。迎えもなく一人佇む少年。
「結局、見舞いに来なかったな……。」
ため息をつき家の方向に足を向ける。
「メタセコイアってどんな木ですか?」
「えっ」
「なに驚いてるんですか?和佐雄先輩」
「いやまさか来てくれるとは思っていなくてね」
「オーストラリアのこと色々教えてくれるって話だったじゃないですか」
「そんな話はしてないだろう……」
「まあ、いいや。私、実はチェスボクシングにはまっちゃって……。戦法とか色々教えてください、先輩!」
「しょうがないな、じゃあまずはオープニングなんだが……」
7月の風は少し湿った青春を運んできたようだった。