5話 師匠との出会い
あれから何週間経っただろう、もしかしたら何日しか経っていないのかもしれないし、何カ月も経っているのかもしれない。
僕は今、魔の森にいた。魔の森は木々が鬱蒼と生い茂り、何処から敵が出てくるか分からない。しかも、魔法を使えない俺でも分かるくらい高密度の魔力が所々で渦巻いている。今、生きているのは単純に奇跡だ。
方向感覚もない。気絶して、起きたときには、そんな物、影も形も無くなっていた。
魔物が近づいてきたら逃げ、遠目に見えても距離をとる。ここにいる魔物は殺気を垂れ流しにしているお陰でなんとか生きているが、そろそろ限界だ。
短時間しか眠れず、食事も木の実を少量、そのくせ魔物から逃げるため殆どの時間を走ることに費やしている。そうしないと死ぬのだから。
日本で平和な暮らしをしていた僕はここまで身近に死を感じたことはなかった。改めて平和の偉大さを思い知らされる。
そんな生活を続けているといつも気を張っていないといけないので、かなり精神を消耗する。
左前方に熊型の魔物を見つけた。どこまでも黒く、所々がナニカの血で薄汚れた凶悪な魔物だ。だが、これまでと同じようにやり過ごせば……
そう思って静かに、気づかれないように、ゆっくりと足を踏み出す。
ポキッ
足元で音がした、木の枝を踏んでしまったようだ。全身の鳥肌がたつのを感じる。
恐る恐る熊型の魔物の方を見てみると……
グワァァァァァァァァァァァァ
僕の方を睨み付けて咆哮していた。幸いまだ見つかってはいないが、時間の問題だろう。凄まじい殺気が僕を襲い、足がすくんで一歩も動けない。
ヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイ!!!
くそ!こんなことになるとわかっていれば、ちゃんと訓練に出ていたんだ!
しかし今はそんなことを考えている場合じゃない、と思い直し、目の前の魔物に集中する。何か、何かないのか?この状況を打開する何かが!
ん?目の前の?
気づいたら魔物は、僕の目の前に移動していた。その魔物は先程よりも血走った目で僕のことを睨み付けていた。口からはよだれが垂れていて、僕はそれで全てを察す。
終わったな、ここでお仕舞いだ。きっと僕はここで殺されて、ここで食べられ、墓を作ってもらうことさえできないんだ。
僕はすべてを諦めた。
熊の魔物が、鋭い爪が生えた手を振り上げ、思いっきり降り下ろす。
しかし、その一撃で僕の命が散ることは…なかった。
「大丈夫ですか?」
ローブを着た、いかにも魔術師っぽい女性が僕の横に立ち、僕と魔物の間に結界を張っていたのだ。
「だ、大丈夫です。」
「ふぅ、良かったです。」
その女性は、心底ホッとしたような声でそう言った。
この女性は相当なお人好しなんだろうな。本当に僕は運が良いのか悪いのか分からない。
「では取り敢えず、これを処理しましょうか。火矢」
女性がそう呟くと魔物の回りに無数の火でできた矢が出現し、放たれて、
ギャァァァァァァァァァァァァァァァァ
その全てが魔物に突き刺さる。魔物は少しの間ピクピクと動いていたが、次第に動かなくなっていった。
あれほどまでに恐ろしかった魔物がこんなに簡単に!?この女性は一体何者なんだろうか。
「あ、あの!」
「何でしょうか?」
女性が満面の笑みでそう返してくる。っていうか今気付いたんだけど、この女性、超が付くほどの美少女じゃん!
「ありがとうございます!助けていただいて。何かお礼をしたいんですけど、僕にできることって…ありますか?」
「ありますよ?しかも貴方様にしか出来ないことが。」
へ?僕にしかできない事?そんなもの本当にあるのか?健とか元クラスメイトのやつにしか出来ないことってんならわかるけど…
「それは、どんなことでしょうか?」
「私の弟子になってください。」
ん?ちょっと聞き間違えたみたいだ。
「聞き間違えたみたいなのでもう一回言って頂いてよろしいでしょうか?」
すると、その女性は顔を真っ赤にして、
「私の、弟子になってください!」
と、叫んだ。
やはり聞き間違いでは無かったみたいだ。でも何で僕を弟子にしたいんだろう。
「何で僕なんですか?僕なんて所詮無能ですよ。」
僕がそう言った瞬間、女性を中心に魔力が吹き荒れる。先程見た魔物の何倍も何倍も凝縮されていて、かつ量も桁違いだ。
あぁ、今度こそ僕は殺されるんだな。きっと女性は僕のことを無能だと知らなくて助けたんだ。だからそれを知った今、僕を殺すに違いない、そう思った。
「それを言ったのは、誰ですか?」
女性は先程と同じ満面の笑みで話しかけてくる。しかし今回は先程と違う点がある。
目が笑っていないのだ。
「何でそんなことを聞くんd……」
「それを言ったのは、誰ですか?」
これはあれか?アニメとかでよくある、フッ、お前を試したのさ!的なやつかなぁ、だとしたら慎重に答えなくては。
「慎重に答えなくて良いので、真実をありのままに話してください。」
え?まさかこの人も読心術が使えるのか?
「そのとうり。も、というところに少し興味がありますが、まずは先程の質問に答えてください。」
「分かりました。しかしそれを語るには僕の過去を大方話さなくてはなりませんね。」
こうして僕は、僕の全てを話した。
「なるほど。……今度気が向いたら皇国を滅ぼすのも良いですね。」
今、最後に物騒なことを呟いていた気が………
でも、理解してもらえて良かった。僕は結構波乱万丈な人生を送ってきたという自覚はあったので理解してもらえたのはかなりの幸運だろう。これで見逃してもらえると良いな。
「それじゃあ、僕はこれで。」
一筋の望みに全てを懸けて僕は走り出した。逃げた先で魔物に遭うかもしれないが、あの女性よりはましだろう。何せあの女性はこの森の魔物を一捻りできるくらい強い人なのだから。
このときの僕はまともな思考能力を持たなかったため、僕ほど弱い人間の前では魔物も女性も総じて変わらず、むしろ女性は知性があるため交渉の余地がある分ましである、という事を忘れていた。
「ちょっと待ってください。」
僕の手が掴まれる。
ちょっと前にも
似たような事があったな、と思い出すが今はそんな場合じゃない。見逃して貰わないと!
「な、何でしょうか?」
「私の弟子になるっていう話、まだ答えを聞いていませんよ?」
訳がわからない。この女性は僕が無能だからあんなに怒ったんだよな?じゃあその僕を弟子にとるっていうのはあり得ないんじゃないか?
「でも僕は無能ですよ?貴方の弟子になれるような才能を持っていません。」
僕がそう言うと女性は少し怒ったように、
「貴方様が外で何て言われていたかは知らないですけど、貴方様には、確実にその者達より強くなれる才能があります。私の弟子としては充分すぎるくらいです。」
僕に才能がある?そんな言葉を聞いたのは久しぶりの事だ。小さい頃から健と一緒にいたから誉められるのはいつも健。普通なら褒められるであろうことをしても、健の前では霞んで見えるからだ。
「僕が、本当に健より強くなれる才能を持っているのですか?」
「その者が加護職業保持者である限りは、確実に。」
僕が健に勝てる?そんな言葉を聞いたのは……初めてだ!
「僕を弟子にしてください!」
「はい、当然お請けします。申し遅れましたが、私はエレノア。これからよろしくお願いします!」
その時に師匠が見せた笑顔は、どんな花よりも、美しかった。