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7.知りたくなかった真実

 東の空から照り続ける太陽の光は、朝の段階でかなりの熱を帯びており、市街地を走る桐香の体から汗を吹き出させる。それは海から街中に流れる潮風を全身で浴びても、そう簡単に乾いてはくれない。

 桐香の焦りと不安の感情は、徐々に激しくなっていく呼吸に表れていた。

 朝起きて違和感を感じ、理沙と弘貴との会話でまさかと思った事が、まさに現実になろうとしている。真相を確かめる方法はただ一つ――純の教室に直接赴いてそこに弟がいるかどうかだ。



 校門を潜り抜け、昇降口で上履きに履き替えて、桐香の教室の反対側、純の教室のある棟の階段を駆け上がる。


「お願い純……教室に居て……」


 心の中で祈りの言葉を捧げながら階段を上り、純の教室である一年C組にたどり着く。息の乱れはこの間全速力で登校した時よりも激しくなっており、アイロンで整えたショートヘアーも乱れに乱れ、手入れ前と大して変わらない状態になってしまった。

 手櫛で乱れた髪を手早く整え、比較的マシな状態に戻すと、C組の教室をこっそりとのぞき込む。生徒達が男女別々でいくつかのグループを作り、ホームルームが始まる前の暫しの談笑をしているという、ごく普通の教室内の風景。見た感じは何も起こっていないように見えるのだが――



 意を決した桐香は、黒板の前で教卓を囲んで談笑をする女子生徒二人に近づいていく。


「ねえねえ、ちょっと聞きたい事があるんだけど?」


 声に気づいた女子二人は、同時に桐香の方を向いて両目を見開く。


「はい……何でしょう?」


 女子の一人が、見慣れない桐香の顔で先輩だと判断し、丁寧語で返答をする。


「あの? このクラスに藤森純って子はいる?」


 質問に二人は少しだけ頭を傾げた後、お互いに顔を見合わせたものの、すぐに桐香の方を向き直る。


「そんな子、うちのクラスにはいませんけど?」


「そ……そんな」


 女子生徒の口から放たれた信じがたい事実に、桐香は驚愕の表情を隠せない。

 純のいる教室を間違えている? いや、そんな事はない。この間桐香が傘を忘れたとき、純に貸してもらおうと取りに行ったのがこの教室なのだから。


「ほ、本当にその子いないの? 私の弟なんだけど」


「いませんよ。よかったら名簿見ます?」


 女子生徒の一人はそう言いつつ教卓の上に置かれているクラス名簿を手に取り、桐香に手渡す。慌てて「ふ」の場所を探してみると……

 羽川はねかわ……浜内はまうち……日野ひの……福谷ふくたに……古川ふるかわ……堀内ほりうち……

 確かに「藤森」が名簿から消えている……


「嘘……」


「だから言ったでしょ? そんな子いませんって」


「ね、もう向こう行こ?」


 女子生徒の一人が声をかけると、二人はそのまま教室の中央に移動してしまい、他の女子と合流して談笑を始めた。

 受け入れたくなかった事実を目の当たりにした桐香は、そのまま教室を離れ、一年生の廊下を登校する生徒達の間を縫って駆け抜ける。


「嘘だ……うそだ! うそだ! うそだ!」


 頭の中でどんなに否定をしても、仮定していた事が確信に変わっていく事で、この出来事を認めざるを得なくなってくる。そんな状況下で走っていると、視界がグラグラと揺れ動き、喉の奥が締め付けられる感覚に陥り、次第に吐き気を催してくる。上る階段に差し掛かると、太ももに加わる負担が大きくなり、思わず足をひねって転びそうになる。それでも桐香は走る足を止める事なく、階段を駆け上がっていった。



 やがて屋上への扉の前までやってくる。

 登り切った桐香は扉の前の階段に腰をかけ、乱れる呼吸を整える。


「嘘だ……そんな事、あり得るわけがない」


 今起こっている事実を言の葉で否定しながら、スカートのポケットからスマホを取り出す。そしてメッセージアプリを起動して、桐香の母、藤森美月の項目をタップし、通話ボタンを押す。

 専務取締役である美月は、既に社長である父の幹也と共に出社をしているはずだ。


「もしもし?」


 しばらく発信音が鳴った後、電話口で藤森美月の声がした。その声は電話を通していても透き通っており、自分の母親だという事が桐香にははっきりと分かった。


「もしもし、お母さん?」


「はいはい桐香? どうしたの?」


 桐香は話をこじらせる事なく、単刀直入に尋ねる。


「あのねお母さん……私の弟の名前……何だっけ?」


 両親とは二年近く別居しているとはいえ、十年以上も育てていた親が答えられないわけがない、単純で素朴な質問。桐香は胸の激しい鼓動を体で感じながら、母からの回答を待った。その間、桐香の体感で約二秒……


「えっ?」


「いや、だから、私の弟の名前、藤森……何て言うんだっけ?」

 

「ちょっと桐香、こんな時にふざけた事言わないでちょうだい。今日これから会議が三件も入っているんだから」


 美月は桐香が冷やかしていると感じたのか、言葉であしらう。


「藤森純! 私の弟の名前が藤森純だって事! お母さん分かる!?」


「分かるわけないでしょ? 誰よそれ!?」


「知らないの!? 私の弟の事!? 自分で産んだのに!」


「ちょっと桐香! おかしな事言うと怒るわよ! お母さん、二人目の子供なんて作る気なんてさらさらないからね!」


 電話口から聞こえる声は、確かに藤森美月だ。別居してからも電話口で何度も聞いている声だ。間違えるわけがない。

 それなのに電話の向こうの母親は、桐香には弟がいないという事を言い張っている。


「お母さん……ひょっとして私って、一人っ子?」


 桐香がスピーカーに向かって恐る恐る尋ねてみると、電話口の向こう側で大きなため息が聞こえた。


「そうよ桐香。あなたには、お姉ちゃんもお兄ちゃんも、妹も弟もいない。正真正銘の一人っ子よ。パパがもう一人作りたいって言って猛反対したのが私。共働きで、それも会社のトップに立つ人間が、二人も養っていける余裕なんてない」


 美月は一呼吸を置いて、言葉をさらに続ける。


「藤森クロックは、日本の時計業界の革命児って世間は騒いでいるけれど、その実態は支社一つ存続できない中堅企業。その中で子供一人育てるだけでも大変なのに、二人にもなったらどれだけの養育費がかかる事か……」


「……」


 母からの言葉に、桐香は耳にスマホを当てたまま俯いてしまう。


「ごめんね、何だか愚痴っぽくなっちゃった。何もあなたを追い詰めているわけじゃないの。桐香は桐香で、自分のやりたい事をやりなさい――そうそう、七月になったからあなたへの仕送り、口座に振り込んでおいたからね! 私はこれから忙しいから、しっかりやりなさいよね!」


「うん……ありがとう、お母さん」


 スマホの画面の通話ボタンを押した桐香は、「フーッ」と細い息を吐き、そのまま頭を垂れてうなだれた。

 決まりだ、純はこの世界からいなくなった。いや、いなくなったというよりかは、最初からいなかった事になっている。なのに桐香だけは、純の事は鮮明に覚えている。

 まさか桐香が今までに純の事を尋ねた人間が全員グルで、後々になって「ドッキリでした!」なんて脅かすマネなんてできやしないだろう。そんな事をやりたがるのは、どっかのバラエティ番組くらいだ。



 神様のいたずらか、もしくは死神のお迎えかは分からないが、あの日、紫色の雷に打たれて以来確実に桐香の身に奇妙な出来事が起こっている。

 否定したかった事柄が完全に事実に変わり、桐香は階段に視線を送ったまま立つ事ができない。そして母親から聞かされた事情が妙に心の奥に刺さり、足が立ち上がらせる事を拒んでいるようだった。



 気まぐれに桐香は、操作していたスマホをメニュー画面に戻すと、アルバムのフォルダを開く。三日前の金曜日の夜に、弘貴からスマホに送られてきた水遊びをした時の静画。

 その時は特に何も感じる事なくフォルダに入れただけなのだが、今改めてその静画を見た桐香は、肩を身震いさせ、スマホを掴んでいられなくなり、思わず手放してしまう。手放されたスマホは階段を転がり落ち、十三段下の踊り場に叩きつけられる。

 幸か不幸か、そのスマホは壊れておらず、画面には桐香が呼び出した静画が映し出されている。それは夕焼けに染まる時計塔をバックに、三人の高校生が眩しいほどに焼き付けられているという、ごく普通の静画だった。本来一番右に映し出されているはずの、藤森純の姿がないという事を除けば……

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