表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/35

4.丘の上の時計塔 ★

 急勾配の坂を登りきると、視界の開けた広場にたどり着く。丘の上の広場の崖っぷちには転落防止用の手すりが設けられ、そこから凪市の街並みと太平洋を望む事ができる。

 桐香は手すりの前に設置されたベンチに腰を掛け、眼前に広がる海原を拝む。夕刻のせいか、水平線の彼方が黄色く煌めいている。景色自体は朝見たものと同じなのだが、高い場所から眺めるとより壮麗に感じられる。本日の天候は快晴、おかげで空と海の境界線を鮮明に拝む事ができた。潮風は桐香の周囲を優しく包み込むように吹き抜け、この広場に訪れる者を歓迎しているかのよう……


「いい眺め……」


 海に向かって一人呟いた桐香の背後、広場の中心には白を基調とした時計塔がそびえ立っている。高さは桐香の見立てではおおよそ二十メートル。時計盤は頂上付近の四面に取り付けられており、この街や海を見下ろしているかのよう。二階にはテラスがあり、そこには八個の鐘が並べられている。その鐘の下からパイプが時計盤の付近まで伸びており、鳴らした鐘の音が高所から鳴り響く仕組みなのだろう。

 しかし桐香は生まれてから一度もこの鐘の音を聞いた事がないし、そもそもこの時計塔がいつ、誰が、何の為に建設したのかすら分からない。その証拠に、時計盤が四つとも二時で止まっている。現時刻を伝えるという本来の時計としての機能を果たしていない。そのため、せいぜいランドマークにしかならないこの時計塔が、観光名所になるという話は桐香の耳には入ってこなかった。



 背後の時計塔をチラリと一瞥した後で、紙袋の中からカレーパンを取り出し一口かじる。


「うん、ウマイ……ウマすぎる!」


 口の中に広がる牛肉の食感とカレー特有の辛さが混ざり合い、思わず驚嘆の声があがる。勿論このカレーパンは十年以上前から食べているのだが、桐香は食べる度に美味しさに驚かされる。そしてこの丘の上で食べると、美味しさが倍増する――気がする。



 何だかスッキリしないと感じた日には、桐香は一人でこの場所に訪れるようにしている。

 優しく波立つ海。そこから流れ込む心地よい潮風。都会っぽさをあまり感じさせない素朴な街並み。そして神秘性を備えた古い時計塔。桐香にとってここはまさにパワースポットと言える場所。

 この広場を訪れてしまえば、大抵の嫌な事を忘れられてしまうのだった。



 カレーパンをたいらげ、桐香はしばらく水平線を眺める。

 やがて黄色がかった空が次第にオレンジ色に変わり、広場全体も夕焼けに染まっていく。

 その時、午後六時を告げるサイレンが市街地の方から聞こえてくる。この田舎の雰囲気に似合うサイレンも桐香が幼い頃から変わっておらず、ちょっとした干渉に浸る事ができる。


「さて、そろそろ行きますか?」


 夕焼けに染まる空を惜しみながら、鞄を肩に掛けて立ち上がろうとしたその時、桐香の首筋に冷たい衝撃が走り、ワイシャツの襟の部分が濡れる。


「ひゃっ!」


 甲高い声と共に桐香は鞄を地面に落としてしまう。

 衝撃が飛んできた方を振り返ると、月尾理沙がタンク付きの大振りなウォーターガンを構えていた。


「り、理沙!?」  

 

 桐香が目を丸くしていると、理沙は愉快そうに口角を上げる。


「ちょっと理沙! いきなり何すんの!」


「やっぱりな……桐香が一人で帰りたがる日には必ずここに来ると思ってたよ」


「背後からいきなり水かけるやつが――びゃっ!」


 桐香が言い終わらないうちに、今度は顔面に水圧を直撃される。顔から水が滴り落ちる桐香を見て、理沙はゲラゲラと笑っている。

 それを見た桐香は歯を食いしばって眉間に皺を寄せる。理沙に猛スピードで詰め寄ると、ウォーターガンをぶん取ろうと両手を伸ばす。しかし理沙は咄嗟にガンを頭上にひょいと掲げて回避する。


「理沙ぁ! よこせぇ!」


 必死の形相でガンを奪い取ろうとするのだが、桐香の身長では理沙の両手には届かない。桐香がジャンプしても、両手は空しく宙を切るだけ。


「よっしゃ! ほんじゃ追いついてみな!」


 理沙がガンを抱きかかえると、そのまま広場中央の時計塔の方に走り出した。


「ま、待てーっ!」


 逃げる理沙を捕まえようと、死に物狂いでタイルの上を走る。時計塔の周囲を反時計回りで走る二人。元々運動神経の良い桐香ではないが、理沙も理沙でスポーツ経験がないので、足の速さはどっこいどっこい。結局理沙がばてるのに三分とかからなかった。

 桐香がようやく追いつくと、ウォーターガンを奪い取り、銃口を理沙に向ける。


「へへへ、覚悟しろー」


 勝ち誇った笑みを浮かべて引き金を引こうとすると、横から手が伸びてきて、ウォーターガンをひょいと取り上げられる。


「あっ」


「もーらい!」


 伸びてきた手の方向を見ると、弘貴がベロを出して桐香を挑発している。そして次の瞬間、桐香の胸の辺りに水流を食らわせられる。


「あったま来た!」


 頭に血が昇った桐香は反射的に、弘貴の持つウォーターガンに掴みかかる。


「おいおい、あんまりムキになるなよな」


「うるさい! 離せ!」


 必死でガンの奪い合いをする桐香と弘貴に、それを見て笑っている理沙。

 その時、少年の声が聞こえてきた。


「先輩方、あまりお姉ちゃんをいじめないで下さい」


 声のした方向を見やると、純がスマホを片手に理沙と弘貴を交互に見つめている。


「嫌がらせが悪質な場合は、僕が容赦しませんからね」


 満面の笑みで肩を竦める純を見て、理沙と弘貴は気まずそうに顔を見合わせる。


「ハハ、悪かったよ純。お前のたった一人の姉ちゃんだもんな?」


「家族を大切にする純君の気持ちも、汲み取ってあげなくちゃね……」


「分かればいいんです」


 素直に言う事を聞いてくれた二人に対して、深く頷く純。

 しかし桐香はそのタイミングを見逃さず、素早く弘貴の手中のウォーターガンを奪い取る。そしてそのまま銃口を純の顔面に向けて引き金を引く。


「ぎゃっ!」


 水流をまともに食らった純は悲鳴を上げて、右手に持っていたスマホを地面に落としてしまう。純が怯んでいるその隙に桐香はそのスマホを拾い上げ、画面を確認する。


「純、これは何!?」


 スマホの画面の中では、ベンチに座っていた桐香が、弘貴や理沙に水を浴びせられる一部始終が動画として残されていた。


「あっ……バレちゃった……」


 スマホ画面を見せられた純は冷や汗をかいて、口元を微かに歪ませている。そんな純に対して、桐香はフンと鼻を鳴らして詰め寄る。


「じゃ、いくつか質問させて。あのウォーターガンを買ったのは誰?」


「それは……僕です」


「理沙や逢坂君に、私に水を浴びせかけるように指示したのは?」


「それも……僕です」


 気まずそうに俯く純に、桐香は理沙と弘貴を親指で指して口を開く。


「じゃあ最後の質問。あの二人を説教して姉を安心させたつもりになって、陰で私の惨めな姿を見て楽しもうとしてたのは……どこの誰かしら?」


「……僕です。ごめんなさい……」


 桐香の質問に、純は声を震わせつつも嘘偽りなく答える。それに対して、桐香は深く頷いて優しい言葉を投げかける。


「分かったよ純。顔を上げて」


 温かみのある桐香の言葉に、純は安堵した表情で頭を上げる。次の瞬間、純の額に勢いのある水流が直撃する。


「うぎゃ!」


 悲鳴を上げた純はすぐにその場から逃走するが、桐香が追撃として追いかけながら背中に水鉄砲を連続で食らわせる。


「オラオラー! 私をコケにした罰だーっ!」


 ウォーターガンを構えながら走る桐香は、理沙や弘貴にも目標を定めて水流を乱射する。

 水流から逃げ回っては銃を奪い合うのを繰り返す乱戦が始まり、時計塔の広場からあふれる悲鳴は、やがて笑い声に変わっていった。



 ★



 広場にあった水飲み場で五回の給水を行いつつ、水の撃ち合いは三十分程続いた。

 ヘトヘトになった四人の着る制服はびしょびしょになり、濡れた髪は海の反対側からの夕日に照らされて光沢を放っている。四人は一つのベンチに背中を合わせるように座り、海から流れる潮風を全身で感じていた。いくら六月下旬とはいえ、涼しくなってきた夕刻に濡れた制服を着ていれば話は別。肌寒さに応えたのか、純が体をぶるっと震わせた後、小さくくしゃみをした。


「にしても……」


 鼻水をすする純を見て理沙が口を開く。


「純君ってさ、しっかりしてるように見えて結構策士でいたずらっこだよね」


 理沙の言葉に純が振り向く。


「正直お姉ちゃんのズボラさにちょっと辟易してたんです。だから、ちょっと懲らしめてあげようと……」


「なにそれ……」


 海の彼方を眺めていた桐香が隣に座る純を見つめる。


「こんなびしょ濡れにしておいて風邪でもひいたらどう責任とってくれるの?」


「だからごめんって……っていうかお姉ちゃんならこれくらいじゃ風邪なんてひかないでしょ?」


「ははっ、確かに」


 純の後ろに座っていた弘貴が振り向いて、桐香に対して笑っている。


「藤森が床に伏せてる光景なんて想像できねえよ」


「逢坂君は黙ってて!」


「それだけ達者な体だったら、将来も安泰だな。未来の副社長さん」


 頬杖をついてニヤニヤする弘貴は桐香を見た後、純に対して視線を移す。


「純ちゃん、将来は君が藤森クロックの社長になるだろうから、こののんびり屋な副社長を引っ張ってあげてくれよな」


「了解しました」


 純は弘貴に対して笑顔で頷く。


「まったく、これじゃどっちが先に生まれたか分からんね」


 弘貴の隣で笑う理沙に対して、桐香は府に落ちない表情でため息を吐く。そしておもむろに立ち上がり、三人に向き直る。


「てか、こんなところでいつまでも油売ってたら本当に風邪ひいちゃうよ。そろそろ帰ろ?」


 桐香の言葉に純と理沙は頷いてベンチを立ち上がる。その時弘貴がポケットからスマホを取り出して三人を制した。


「逢坂、どうしたの?」


 理沙が弘貴に向かってたずねる。


「いや……オレは部活で忙しいし、月尾はバイトとか掛け持ちしてるし、藤森と純ちゃんにもいつ会えるか分からねえから、ここで四人で記念撮影でもどうかなって思って」


 弘貴が少し照れくさそうに話すと、理沙と純が顔を見合わせて快く賛成する。


「いいねー」


「先輩方と一緒に映るのは少し恐縮ですが……」


 理沙と純はそう言って弘貴の両端に座ってスタンバイ。


「えー、そんなのいいじゃん。旅行に来たわけじゃないんだし、これからいつだって会えるんだし」


「藤森、ひょっとしたらオレ達、今日の出会いが最後になるかもしれないんだぞ?」


「なにそれ? 予言か何かですか?」


「それくらいの気持ちで一日一日を過ごしているかって事だよ――さ、藤森も一緒に……」


「えっ? ちょ……ちょっと!」


 桐香の右手を強引に引っ張ってカメラの中に引き入れると、理沙と純の間に座らせる。そして弘貴は理沙と桐香の間に座って準備完了。白い時計塔をバックに、自撮りモードにしたスマホの画面に四人を入れると、右の親指で撮影ボタンを押す準備。


「じゃ……撮るぞ~」


 弘貴が合図をかけると、両端の理沙と純は笑顔でピースをする。それに準ずるように、弘貴も顎に手を当てて渋さをアピール。

 それに対して桐香は、作り笑いを浮かべる事もなく、カメラのシャッターに無表情を向ける。


「はい、チーズ!」


 撮影された静画の中では、時計塔と四人の少年少女が、夕日に照らされてキラキラと光り輝いていた。



 桐香はこの時、今自分の過ごしている青春の日々が、あんな形で変化していくなんて、思ってもいなかった……

★★★ 人物紹介 その1


藤森(ふじもり) 桐香(きりか)

挿絵(By みてみん)

●身長……150センチ ●体重……46キロ

●誕生日……9月15日 ●血液型……B型

●好きなもの……牛乳、凪市特産のみかんゼリー、ロックチャイムのビーフカレーパン

●髪型……栗色のショート


●解説……静岡県東部にある地方都市、凪市に住む高校二年生。東京に本社を置く時計メーカー、藤森クロックの社長令嬢。訳あって東京に住む両親とは別居している。

 流行に流されにくい性格で、日々マイペースで生きている女の子。今は両親からの仕送りで賄っているが、それが月末に底をつくくらいに金遣いが荒い。毎月二十日くらいになると、部屋の隅にドカッと置かれた服の山に、ネットで買ったカシミヤの衣類が少しずつ積み上げられていく……

 成績は下の中。負の数の計算で混乱するほど勉強が苦手。

 得意なゲームのジャンルは格ゲー。

 とある日、土砂降りの中を傘もささずに走っていたら、紫色の雷に打たれてしまう。死を覚悟した桐香だったが、直後に壮年の男性の幽霊に声をかけられて息を吹き返す。それから奇妙な夢を見続けながらも何気ない日々を過ごす桐香だったが……

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ