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35.神秘の時計塔の下で

 時計塔のある広場のベンチでしばらく時間を潰した四人は、東の空が黒ずんでくる事に時間の経過を感じ、ようやく帰宅に思い立つ。

 広場を出て丘を下る坂道に差し掛かると、五メートルほど手前で弘貴と純が談笑をしながら歩いている。そして隣では、感慨にふけったような表情の理沙が桐香の歩調に合わせて歩いていた。


「改めてゴメン……」


 突然理沙が桐香の方を向いて謝罪の言葉を述べる。それを聞いた桐香は親友の心中を察し、少しだけ間をおいて歩きながら口を開く。


「有須寛子からの嫌がらせに気づいてあげられなかった事?」


 桐香からの質問に、理沙はバツが悪そうに首を縦に振る。それに対し、桐香もすぐにフォローができずに、二人の間に暫しの沈黙が走る。

 前を歩く男子二人の話し声を聞きながら坂道を下り、ロックチャイムを通り越したところでようやく理沙が口を開く。


「まさか……あたしよりも先に逢坂が気づくなんて……」


「逢坂君は気持ち悪いくらいに勘が鋭いから、あーいうのとは比べなくてもいいんじゃない? それに、私が制裁食らった時には理沙はもうあっちの世界に行っちゃってたし……」


「でも最初はトイレでの陰口から始まったんでしょ? あのとき一緒に桐香とトイレに行っていれば……」


「もしついてきてくれてたら寛子たちに、『桐香は七光りなんかじゃねぇ!』って言ってくれてたの?」


 桐香が尋ねると理沙は押し黙ってしまう。それを見た桐香は理沙らしくないと思い、肩を竦める。


「別に理沙に対しては怒ってなんかいないよ? もともと私が試合を邪魔して起こした事なんだから」


「でもあいつらが桐香にやった事は――」


「許せなかったからこそ私に泣き寝入りをしてほしくなかったんだよね? だからあっちの世界から動画を撮って、後日顧問に見せて告発した。で、その後寛子たちにちゃんと釘を刺してくれたじゃん。いやー、すごい剣幕だったよね、あれ」


「……」


 桐香が事の顛末を反芻するかのように話すと、理沙は黙ったまま俯いている。


『お前ら……クソみてぇな正義感振りかざして制裁だと? ふざけんな! 陰でコソコソ鬱憤を晴らそうとしてる奴が、スポーツマンシップ語るんじゃねぇ! 今度桐香にこんな事やったら、チクるだけじゃ済まさねぇから! ぶん殴って生涯恨み続けてやるからな!』


 文化祭の当日、体育研究室で寛子たちを呼びつけ、彼女たちの行為が発覚した際に放った理沙の言葉を思い出す。

 寛子からの嫌がらせを目撃したみのりも脅しをかけていたが、理沙に関しては脅しすら生ぬるく、顧問に動画を見せて即告発。そして怒りの形相で寛子たちに恐喝する様は、部員はもちろんの事、近くにいた桐香ですら思わず戦慄するほどだったのだ。


「でもそれは、私を大切に思っての事だってのはすごくわかるよ」


 あの時、理沙は目に涙を浮かべて寛子たちを責め立てたのも、桐香ははっきりと覚えている。


「だから気にしないで。改めてありがとう」


 俯く理沙に向かって桐香が笑顔で話すと、彼女は少し元気を取り戻したらしく、顔を上げて「うん」と頷いた。


「桐香」


 理沙が親友の名を呼んだため、「ん?」と反応をする。


「あたしが作ったメモリアって曲、春宮を追いかけるために書いたみたいにこの間は言ったけど、本当は桐香を意識して書いたんだ」


「……そうなんだ」


「あたしがこの世界から消える直前、何だか本当に桐香が遠くに行っちゃいそうな感じがした。だからあのバンドスコアに、あんな事を書いた。メモリアの物語の主人公のモチーフも桐香だ。そしたら、本当にあの曲の通りになっちゃうなんてな……」


 理沙がそう言うと、突然坂道を下る足を止める。桐香も不思議に思って立ち止まった。そして理沙が改まって桐香の方を向く。


「あの曲には、桐香はずっとあたしのそばにいてほしいっていう意味が込められているんだ……」


 理沙の言葉に呼応するかのように、周囲に秋の訪れを感じさせる涼しい風が吹く。どんどん先に進んでいってしまう二人には目もくれず、理沙は桐香の顔をじっと見つめる。


「もちろんだよ……」


 不安そうな理沙に対し、桐香は静かに口を開く。


「もちろん、私は理沙と一生関わりを持っていたい。お互いどこにいたって繋がりは持っていたい――でも、ずっと一緒にいる事は、無理だよ」


 桐香が否定的な発言をすると、理沙の表情はすぐに陰りを見せる。


「理沙には、ミュージシャンになりたいっていう夢がある。きっと演奏も上手いし曲作りのセンスもある。でも私にはそんな力はない。だから一生のうちのどこかで、別れを惜しまなくちゃならない時は来る」


「……そんな」


 理沙の表情は物悲しく、今にも泣きそうになっている。


「でも心配しないで」


 親友の哀愁漂う顔を見るに堪えなくなった桐香は、すぐに口角を上げて言葉を付け加える。


「別れの時が来たって、私達は見えない何かで繋がってる。だってこの三か月、互いに違う世界にいたのに理沙は戻ってこれたでしょ? これはきっと私達が織り成す引力だよ。これがあれば離れ離れになってもまたどっかで会える。そうでしょ?」


 桐香の言葉に理沙はしばらく黙ったままだったが、やがて首を縦に振って納得をしたかのような素振りを見せる。


「そうだよな。本当なら桐香を守らなくちゃいけない立場なのに、こんな事で落ち込んでたら、あたしらしくないよな!」


 急に口調が男勝りになった理沙に少したじろいだ桐香だったが、親友の元気になった姿を見て安堵をする。


「よーし! 逢坂達のところまで競争な!」


 理沙は前を歩く弘貴たちを指さした後、鞄を肩にかけてウォーターガンを抱えていきなり走り出し、彼らに追いつこうとする。


「えっ? ちょっと理沙? 待ってよ!」


 桐香も理沙たちに追いつこうと、仕方なく坂道を駆け下りる。その時見た理沙の背中から、何だか物悲しさを感じ取ったが、桐香は気のせいとしか思わなかった。



 ★



 下り坂を降りて国道に出た桐香は、弘貴と理沙に別れを告げ、純と一緒に自宅へと向かう。海からの潮風を全身で受けながら、二人は薄暗くなっていく帰り道を歩く。


「お姉ちゃんって、なんだか逞しくなったね」


 歩道を二人で横並びで歩いていると、純が話しかけてくる。


「そう?」


「同級生から嫌がらせを受けても果敢に立ち向かったり、真実を求めるために旧社屋に足を踏み入れたり……僕が消える前に比べて、だいぶ強くなった気がした」


 桐香の方を向きながら、純は心の底から姉を称賛した。

 三か月間、ほぼ休む事なく桐香を見守り続けた三人は、桐香の身に起こった出来事は把握している。健三の姿は見る事ができなかったため、彼が何と言っているのかは分からなかったのだが……


「だから、逞しいお姉ちゃんがいれば会社の将来は安泰だね!」


 純の言葉に桐香は「えっ!?」と言って狼狽する。それを見た純はクスッと笑って桐香を指さす。


「冗談だよ。結局僕が会社を担う事になるだろうし――ジョークに対する耐性はまだ身についていないね」


「むー」


 純のおちょくりに対して、桐香は小さな唸り声を上げて弟の髪をクシャクシャにする。その光景は誰が見ても仲の良い姉弟そのものだった。



 それから二人で駄弁りながら帰宅をし、桐香は自室のベッドに飛び込み、純は夕食の準備に取り掛かる。

 今晩は奮発して、サーロインステーキにコンソメスープ。ステーキは二人の好みに合わせてウェルダンに焼き、スープは野菜嫌いな桐香でも食べられるようにニンジンとジャガイモを柔らかくなるまで茹でる。純の思い通りに、桐香はステーキもスープもペロリとたいらげたのだった。

 その後はリビングで音楽番組を見ながら二人で過ごす。春宮雪乃が出演していたので、桐香は純に春宮の事をいろいろと教えてあげた。

 こうして紺色の屋根の下、再び桐香の一日が終わろうとしている――



 ★



 時計塔への坂道を上り下りしたおかげで足腰に微かな疲労を感じたため、早く寝ようと夜十時半に床に就く事にした。

 明日は土曜日なので、久しぶりに早く起きて試験勉強でもしようと思いながら桐香は布団にくるまる。

 ようやくウトウトとまどろみ始めたその時、テーブルの上に置かれたスマホがブルっと振動を起こし、画面が急に明るくなり暗い部屋を仄かに照らす。ベッドからおもむろに降りてスマホを手に取ると、メッセージの通知が来ている。メッセージの送り主は、逢坂弘貴からだった。


「こんな時間に何――」


 眠気眼で弘貴のメッセージ欄をタップすると……


『この前の観覧車の続き、藤森の言葉で直接聞かせてくれ。丘の上の時計塔で待ってる』


 メッセージを見た桐香は、明かりに照らされながらしばらく画面を直視したまま硬直していた。

 桐香でなかったらこんなメッセージなんて鵜呑みにせず、そのまま適当に返信をするか既読無視をするのが普通だろう。何が悲しくてこんな夜中にしょうもない返答のために外出しなければならないんだと誰もが思うはずである。

 しかし今の桐香はこのメッセージの内容を把握すると、スマホを持つ手が震え始め、取り付けてある弘貴から貰った編み人形がブラブラと揺れる。それと同時に、どういうわけか心臓の鼓動が速くなり、桐香の耳にも聞こえてくる。


(なんで? どうして? さっきは一緒にいても、何ともなかったのに……)


 桐香は左手で胸の中央を押さえつける。微かだが呼吸も荒くなってきたのが分かった。

 こんな感じ……あの時の観覧車と同じだ!

 再びメッセージに目を通す。

 彼は、弘貴は、桐香が観覧車の中でできなかった事の続きをやろうとしているんだ――

 そう感じ取った桐香はベッドから立ち上がり、部屋着を脱ぐと部屋の隅に積み上げられている洋服を適当に掴み取る。上が白のブラウスとピンクのカーディガン、下はブラウンのカシミヤスカートだった。櫛を使って髪を整え、簡単なメイクも済ませた後、カーディガンのポケットにスマホを入れると、急いで一階に駆け下りる。


「あれ、どうしたの? そんな格好して」


 水でも飲みに来たのか、寝間着姿の純とリビングで鉢合わせをした。しかし今の桐香にとって、弟の相手をしてる暇なんてなかった。


「ちょっと用事ができた!」


 桐香が純に向かって言葉を放つと、弟は納得したような表情で「頑張って!」と言って親指を立てる。

 純はこの事は勘付いているのかは分からなかったが、どちらにしろ、弟は姉を景気付けたい事は確かだった。桐香は玄関で純に見送られながら外履きを履く。普段はあまり使わない青の革靴を履くと、玄関を出て目的地を目指した。



 夜十一時を過ぎた海沿いの国道には、夕刻歩いた時よりも冷たい潮風が吹き荒んでいる。海は暗闇に包まれているものの、所々に船や灯台からの光が星のように点滅しており、それが近くの海面に反射している。

 それと同時に夜空は雲一つなく晴れ渡っており、満点の星空を拝む事ができた。桐香の走る前方の上空には、ペガサス座をはじめとした秋の四辺形が展開しており、夜空をキラキラと彩っている。

 考えてみればこんな時間に外を出歩くなんて、以前純と家出をした時と、この間廃社屋に出かけた時くらいしかなかったと思い、この凪市の普段見ない光景に心を奪われかけていた。

 しかし、それでも桐香の足は丘の上へと無意識のうちに走らせており、立ち止まろうという気持ちは毛頭ない。

 国道を走り、やがて登り坂に差し掛かる。履きなれない靴は坂を登る桐香の足を締め付けるが、それでも頂上を目指してひたすら歩き続けた。時計塔が近づくにつれて、桐香の胸の鼓動は次第に激しくなっていく。

 家を出てどれくらい経過しただろうか? 時間感覚が麻痺し始めたころ、ようやく丘の上の広場にたどり着く事に成功した。

 広場の四か所に設置された街灯からは白い光が発せられ、丘の上を明るく照らしている。光の届く時計塔のふもと、鎖で封鎖された入り口付近に、オレンジ色のパーカーを着た茶髪の人間が腕を組んで壁に寄りかかっているのが桐香の目に入った。


「お……逢坂君!」


 夜空を仰いでいた少年に向かって、桐香は息切れをしながら声をかける。声をかけられた少年、逢坂弘貴は声のした方に顔を向けると、「あっ」と小さな声を漏らす。


「ふ……藤森。本当に来てくれたのか?」


「……」


 弘貴からの質問に咄嗟に答える事ができずに、桐香は大きく息を吸い込みながら呼吸を整える。


「こんな時間にゴメン。オレが送ったメッセージ、信じて来てくれたんだな?」


「あの時……ちゃんと信じてくれたじゃん」


「えっ?」


 弘貴は桐香の言葉が抽象的で理解できずに、首を傾げて聞き返した。ようやく呼吸が落ち着いてきた桐香は、深く息を吸い込んで声を放つ。


「観覧車の中で私が言った事、微塵も疑わずに信じてくれたじゃん! そんな人を疑うバカがどこにいるのよ! バカ!」


 桐香の心の内は、理解してもらえないもどかしさと、自分を信じてくれた彼の優しさに対する喜びで渦巻いていた。


「あー、分かった分かった。大変だったな」


 桐香の発言に弘貴は少したじろいでしまったが、やがて少し苦笑いして、ここまで走ってやって来た桐香に労いの言葉を入れる。


「全くもう! こんな時間にホンっと無神経なんだから!」


 桐香はそう言って一歩ずつ弘貴に歩み寄っていく。たじろぎ気味だった弘貴は、そんな桐香を見て両足で踏みとどまる。


「明日の朝勉強したかったのに無理やり起こされて、急いで化粧して、着ていく服も選んで――」


「あっ、オレがあげた編み人形、ちゃんと持っててくれてるんだな」


「話をはぐらかさないで!」


 カーディガンのポケットから垂れ下がっている桐香を模した編み人形を指さしている間にも、彼女はどんどん弘貴に詰め寄っていく。


「髪が風でぐしゃぐしゃになるくらいに走って来たのに、反応はやっぱり無神経で、どこかいい加減で――」


「いやいや、いい加減なのは藤森も同じだろ?」


 二人との間隔はどんどん狭まっていき、やがて一メートル、お互いに手を取り合えば届く距離にまで縮まってきていた。


「軽薄で不器用で、だけど一生懸命でどこか温かくて――」


 桐香がそこまで口にした瞬間、弘貴は目の前の少女に抱き着き、両腕に力を込める。


「藤森……この間の言葉の続き、教えてくれ」


 抱き着いた弘貴から、体温がじんわりと伝わってくる。

 同じ、全くおんなじだ。観覧車の中の温もりと。いや、その温もりは最早熱を帯びて、自分の体を焦がすのではないかと感じるほどだった。この温もりは、この熱は、言い換えれば目の前の少年の優しさの象徴。

 抱き着かれた桐香は、同じように両手を弘貴の背中に回し、静かに唇を動かし言の葉を発した。


「もし私が逢坂君を、好き、付き合ってって言ったら、なんて答える?」


 桐香の言葉に、二人の間に沈黙の時が流れる。しかしその間も、桐香の体内の心臓の高鳴りが聞こえてくる。そして海からの潮風が二人を祝福するかのように優しく包み込む。


「よろこんで」


 潮風の吹く音に紛れて、桐香の耳には確かに聞こえてきた。


「こちらこそ……よろこんで」


 桐香も風の音に負けないように、喉の奥から声を出す。その返答として、弘貴が両腕の力を強めてきたので、桐香もそれに応じるように、力強く抱き着いたのだった。

 その時桐香の耳に微かに声が聞こえた。近くにそびえる白い時計塔のてっぺんからの、男性の低い声。


『おめでとう』


 その声は桐香にとって、どこか嬉しそうに感じた。



 それから十五分後、丘の上の広場に、そして海沿いの「凪」という街に、時計塔の鐘が二つ、鳴り響いた。それは二つの愛の形が結びついた証の鐘。

 しかし凪市の住人達はその音に気付く事すらなく、鐘の音は静かに夜の闇に溶けていったのだった。



 おわり

 これにて「メモリア」は完結です!

 読んで下さった方々、ありがとうございました!

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