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33.悪夢からの目覚め

「いやー、桐香ちゃんはマジでヒヤヒヤさせてくれるね。ボーカルみのりに代わるんじゃないかって思ったもん!」


 演奏が終了し、四人が出てきた方とは反対側の舞台袖に入るや否や、結花が桐香に向かって言い放ってくる。


「ごめんなさい。ほんとに体がガチガチに固まっちゃって、声を発する事もままならなくなりました」


 桐香が恥ずかしそうに軽く頭を下げる。


「でも桐香ちゃんの歌声、澄み切っててとても良かったよ」


 みのりがフォローを入れると、桐香は小さく頷く。


「どうよ桐香、いっその事ウチらのバンドに入らないか? そんでお前とみのりのダブルボーカルでプロを目指すんだ」


 雛子がおちょくるように桐香に言い寄った。


「無理ですよ。先輩みたいに楽器を演奏できるわけじゃないし、プロだなんてとても……」


 桐香がそう口にした途端、理沙の事が頭に思い浮かぶ。自分の親友も、先輩たちと同じく高みに向かっていたなと感傷に浸りたくなる。

 その時ステージの方で寛子の声がした。おそらく女子テニス部が演劇を始めたのだろう。


「じゃあ、後は発表会が終了するまで自由時間だね。私達も校内見て回ろ?」


「おっけー。私、女子バスケ部がやってる男装カフェに行ってみたいんだ~」


「桐香も来るか?」


 先輩たちに誘われた桐香は、少し言い淀んだ後、首を横に振った。


「いや……今回は私はパスします。ちょっと疲れたんで……」


「そっか……じゃあとりあえず機材とか運ぶから、夕方四時半くらいにまたここに来てもらえるかな?」


 みのりの言葉に桐香は「分かりました」と返事をして舞台袖を出る。

 しばらくの間のんびりと校内を見て回ろうと思い、渡り廊下をトボトボと歩く。しかし校内は今、クラス展示や喫茶でひしめき合っているはず。わざわざ人でごった返している場所に一人で赴くのはどうなのかと逡巡し、そのまま渡り廊下のコンクリートでできた手すりに寄りかかる。

 青く晴れた空を眺めながら、桐香は健三の事を思いめぐらせる。

 歌い終わった瞬間、今まで確かに存在していた曾祖父の気配は消滅したのが桐香自身で感じられた。彼は確か、自身はこれで安心して成仏できると言っていたが、本当にあの世へ行ってしまったのだろうか? 自分のひ孫が成長したのを見届けたから、この世界への未練が消えて彼の魂は天国に向かって行ってしまったのだろうか?

 考えを巡らせながら、校舎の隙間から覗く青空を眺めていると、演奏の疲れが出てきたのか、ウトウトと睡魔が襲ってきた。やがて手すりに突っ伏したまま、桐香は眠りに落ちてしまった。



 暗転した視界が開けたと思ったら、砂が延々と上から降り注いでくるほの暗い空間に桐香は居座っていた。その時桐香を覆っていた砂時計のガラスにピシッと音を立てて亀裂が入る。その亀裂は上から下へガラスの表面を這うかのように伝わり始める。

 やがて亀裂は縦横無尽にガラス全体に伝わり、割れる音が桐香の耳に何度も入ってきて――


「ウソ……もう砕けそう……」


 桐香がそう呟いた瞬間、空間を囲う砂時計のガラスは、四方八方に盛大に飛散していった。そして大量のガラスの破片と砂が辺りに散乱する。

 桐香がそれを口を半開きにしながら見ていると、突然上空から黒い塊のようなものが三つ落ちてきた。墜落したものをよく見てみると、それは純、理沙、弘貴が世界から消えた時に夢の中で見た、針が一本しかない柱時計だった。落ちてきた三つの柱時計は、すでに時を刻む事をやめている。


(どういうこと?)


 空間に立ち尽くす桐香は、今の状況を把握できず瞬きを繰り返すばかり……


「……か……りか」


 その時、桐香の背後から何者かの声が聞こえてきた。振り向くと暗闇の先に白い光を放つ空間があった。


「……りか……桐香!」


 無意識に光を放つ空間に向かって足を動かす桐香は、その声が自身の名を呼ぶものだという事に気づく。どこか聞き覚えのある、懐かしい声。

 白い光の塊に近づき、桐香は右手を伸ばしてみる。するとその白い光は輝きを増し、桐香の視界を奪い、そして自身を包み込んでいく……


「桐香! 桐香!」


 彼女の耳には相変わらず、自身の名を呼ぶ声が聞こえてくる――


「はっ!」


 呼び声で桐香は手すりに伏せていた顔を上げ、瞬きを繰り返しながら呆然と目の前の校舎を見つめる。


(何これ……あの夢から、覚めたの?)


「桐香!」


 心の中で小さく呟いた桐香の耳に再度、声が聞こえてくる。声のした方を振り向くと、三人の生徒が立っていた。

 茶色に染めたレイヤーカットの、チャラチャラした印象のある少年。

 黒い髪をロングヘアーに伸ばし、黙っていれば清楚な印象をもつ少女。

 そして、幼い顔立ちで制服は着崩していない、真面目な印象を受けるマッシュボブの少年。

 その三人は初対面などではなく、目の前に立ち尽くす桐香を迎えに来てくれていた。


「藤森!」


「桐香……」


「お姉ちゃん!」


 目の前の三人を見つめながらしばらく現状況が把握できなかった桐香だったが、やがて彼女の表情に次第に笑顔が宿ってくる。


「逢坂君! 理沙! 純!」


 目の前に確かに起こっている現実を確かめるため、桐香は三人の名前を呼んだ。そして三人に急接近をし、手を握り合った。

 夢や幻などではなく、触った瞬間、手からの温もりと脈拍がじんわりと伝わってきた。


「みんな……戻ってこれたんだね!」


「桐香……しばらくぶりだね」


 涙目になりながら桐香が口を開くと、理沙も潤ませた瞳で目の前の親友をしっかりと見据える。純と弘貴も静かに首を縦に振る。


「最初は桐香の言ってる事、理解できなかった……桐香が自身の弟の事を話してるから、何言ってんだって思ったけど、まさかあたし自身が純君の事、忘れちゃってるなんて思わなかったんだ」


 (つき)()理沙(りさ)は肩を竦めながら自身の体験を話すと、藤森(ふじもり)(じゅん)に視線を移す。すると純は今度は深く頷いて口を開く。


「そうなんだよ。朝起きたら僕の体が半透明になっててさ、それでお姉ちゃんの目の前でいくら声をかけても気が付かなかったんだよ。おまけにお姉ちゃん以外の人、僕に対する記憶なくしちゃうし……そしたら一週間後に月尾先輩があっちの世界に行っちゃって、それから更に一週間後に――」


「オレがあっちの世界に行った、と……」


 純が少しうんざりした顔で語っていると、逢坂(おうさか)(ひろ)()が言葉を放つ。 


「不思議な感じがする世界だったな。体がフワフワとしてて幽霊にでもなった感じ。だけどお腹は空かない。怪我もしない。眠れもしない。オレ達の私物だけ全部こっちの世界に来ちまった。おまけに桐香のいる世界の住人がオレ達の事を一切覚えてねえ。ほんっと奇妙というか、神秘的というか……」


 純とは対照的に弘貴の口調はどこか楽観的だった。純と理沙は少し苦笑するが、桐香だけは目元から溢れた涙を右手で拭った。


「私の事は見えてたんだ……」


 グスンと鼻水をすすりながら桐香は純に尋ねる。


「見えてたよ。僕たちが居なくなってからのお姉ちゃんの生活、拝見させてもらいましたよ!」


「あたしと逢坂があっちの世界に行った後、三人で集まって桐香の事、ずっと見守る事にしたんだよね」


「ああ、どうせ眠る事もできないんだし。せっかくだからさっきの発表会の時まで後をつけさせてもらったぜ」


 三人の言動に、桐香は表情を曇らせる。


「ストーカー……」


 桐香の小さな呟きに、三人は少し気まずそうに顔を見合わせる。


「なんて冗談だよ。私を最後まで見守ってくれたんだね?」


「ま、まあ、そんなところかな?」


 純が適当に返答をすると桐香が笑みを見せたので、理沙と弘貴はホッと胸を撫でおろす。


「それにしても、三か月もの間何もない世界にいるってすごく退屈じゃなかった?」


 桐香が尋ねると弘貴たちは三人で顔を見合せた後、桐香に向かって首を横に振った。


「ぜんぜん? 苦痛じゃなかったよ」


「てゆうか、この間なにも食べなくていいから、食費とか浮いたしな。オレ達の存在自体がなくなった事で、探し回る奴もいねえし」


 純と弘貴が何食わぬ顔で答えたので、桐香は訝しげな表情をする。


「えっ? だって寝る事もできなかったんでしょ? てか逢坂君、消えてたせいでインターハイ出られなかったじゃん?」


「そんな事よりも、桐香を近くで観察できたんだから、あたしらにとってはメリットしかなかったんだけど……」


 理沙も純と弘貴に向かって「ねっ」と声をかけると、二人は深く頷いた。そんな三人の反応に、桐香は呆れを通り越してむしろ戦慄を覚えたかのような顔で、ゴクリと唾をのみ込む。


「三か月を無駄にした事よりも、私のそばにいた事の方が大きいんだ……」


 桐香の発言に、三人は再度深く頷き、にっこりとほほ笑む。


「ところでお姉ちゃん、相変わらず食生活偏ってたよね」


 純に問い詰められて、桐香は「ウッ」と身をよじらせてしまう。


「あとこの三か月、結構遅刻してたよね。純君がいないとホントにだらしないんだから!」


「牛乳ばっかり飲んでたしな。その調子だとお腹の下り具合は改善されてないよな?」


 理沙と弘貴も笑いながら桐香をおちょくっている。


「し、仕方ないでしょ! 理沙たちを世界に取り戻すために東奔西走してたんだから!」


「それとこれとは別問題!」


「やっぱ、将来の社長は純で決まりかな。姉御に会社任せるのも……ちょっとな~」


 必死こいて呪いを解こうとしていた傍らで、友人と弟に見えない世界からこっそり見守られていたなんて――三人がこの世界に戻ってきた事はもちろん喜ぶべきなのだが、何だか複雑な気分になった桐香であった。


「さてと……早速行くか」


 突然沈着な口調で言葉を発した理沙を見て、桐香は首を傾げる。

 理沙は構うことなく校舎の方へ向かって行く。


「理沙? どこ行くの?」


 桐香の呼びかけに、理沙は静かに振り返る。その表情はこれまでの笑みを浮かべたものと違い、怒りに満ちたかのような険しいものであった。


「……理沙?」


 桐香が少し慄きながら尋ねると、理沙はスカートのポケットからスマホを取り出した。そして右手の親指で操作をして、やがて画面を桐香に見せる。


「心当たり、あるよな……もちろん」


 画面には桐香が寛子から制裁を受ける一部始終が動画として映し出されていた。藤森クロックを貶める噂を垂れ流した事を告白され、罵声を浴びせかけられ、強烈なビンタをお見舞いされ……そして生まれて初めて眼前の敵に抗う桐香の姿が、画面に鮮明に焼き付けられていた。


「……理沙も見てたの? 見えない世界から?」


「あたしだけじゃない。逢坂や純君だってあの様子を一緒に見てた。そう……見てただけなんだ」


「……」


 喉の奥から静かに答えた理沙は、振り返って再び校舎に向かおうとする。

 急ぎ足で歩く理沙を、桐香は慌てて引き止める。


「ちょっと理沙? どこに行くの?」


「体育研究室。女子テニス部の顧問に、この動画を見せる」


 静かに怒る理沙を見た桐香は、思わず一歩後ずさってしまう。


「ごめん、やっぱあたし、世界から消えてた事、めっちゃ後悔してる……」


 スマホを握る理沙の右手が、ワナワナと震えているのが分かった。


「消えていたせいで……あたしは寛子をブン殴る事すらできなかったもの……」

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