30.独りぼっち
みのりに睨まれて気まずそうな雰囲気をさらけ出す取り巻き三人に対し、寛子は平静を装ってみのりに近寄る。
「ちょっと先輩、聞いてくださいよ! わたしが藤森さんに身だしなみの注意をするように呼びつけたら、彼女ったら突然この子のすねを思いっきり蹴ったんです。ひどくないですか?」
寛子は桐香にすねを蹴られた女子生徒を指さして、出まかせの嘘をついた。
「ね、そうだよねみんな?」
寛子が三人に順番に目配せをすると、他の女子生徒は顔を見せあいながら頷く。
「ふーん、そうなんだ……」
みのりが曖昧な返事をすると、制服のスカートのポケットからスマホを取り出した。そして画面を操作して、画面を寛子たちに見せる。
そこには四人で桐香を取り囲み、寛子がビンタをかます場面が動画として納められていた。しばらくすると暴言を吐かれた桐香が、寛子の二発目のビンタを受け止めて蹴りをかまし、反撃を食らわせる場面が映し出される。
それを見た四人は顔全体に冷や汗をにじませ、気まずそうに顔を見合わせる。
「藤森さんを取り囲むのに夢中で、私が隠し撮りしてるのが気づかなかったんだね。これを見ても、藤森さんが悪いって言い張れるの?」
みのりの発言を聞いた女子テニス部の四人は、やがて顔を見合わす事もしなくなり、パチパチと瞬きを繰り返しながら入り口を見つめていた。
反論する手段を失った寛子を見たみのりはスマホをポケットにしまい、肩をすくめながら部室の中に入る。
「みじめだよ、あんた達」
女子テニス部員の中心で、みのりは四人に対して汚物を見るかのような表情をしながら口を開く。
「あんた達って気に食わない人間に対してそうやって制裁を加えているようだけど、その対象になっているのは、学校で身寄りのない人、孤立しているような人——先輩である私達には一切手を出さず、藤森さんみたいな独りぼっちでいる人をずっと傷つけてきたんだね」
みのりが言葉を吐き捨てると、今度は桐香を憐れみを含んだ表情で一瞥する。
「藤森さんに初めて会った時、目を見て分かった。この子は何か強い孤独感を感じてる、どこか居場所を求めてるって……」
みのりがそう言葉を発すると、再び表情を険しくして四人を睨みつける。
「あんたたち……今度藤森さんにこんな事したら、この画像、学校中の先生に見せるから」
みのりの脅しを聞いた四人は、何も言葉を発さずに首を縦に振った。女子達が身震いをして呼吸が大きく乱れたのが、部室の奥にいた桐香にも伝わってきた。
「藤森さん、行こ?」
桐香に歩み寄り、右手を差し伸べたみのり。桐香は「はい」と返事をして、二人で部室を後にする。
部室に残された四人は、しばらくお互いの意思疎通ができなかったのだった。
★
「先輩、助けてくれてありがとうございました」
軽音部の部室に向かう途中、桐香は隣を歩くみのりに声をかける。するとみのりは歩きながら首を左右に小さく振った。
「本当はね、謝らなくちゃいけないのは私の方なの。ごめん。あなたが嫌がらせを受けてたのに、すぐに助けてあげる事ができなかった」
「でも、それは先輩がスマホで証拠の動画を撮ってくれてたから……」
桐香に反論されたみのりは再び首を左右に振る。
「本来なら後輩である桐香ちゃんを助けてあげるのが最優先だったのに……私、試しちゃったんだ」
「試した?」
みのりの罪悪感を含んだ物言いに、桐香は首を傾げて問いかける。
「私が桐香ちゃんを初めて見た時、この子は他の人と何かが違うなって感じ取ったの。瞳の奥に……なんていうかな……誇りというか気高い信念を秘めているって。だから、それが私の思い過ごしではないのかって事を確かめるため、あの場を借りて桐香ちゃんがどんな反応を見せるかっていうのを確認したかったの。桐香ちゃんが人前で自分の気持ちを素直に伝えられる事ができるかっていうのを確かめたかったの」
「……」
淡々と語るみのりの発言を、桐香は一言も言葉を口にせずに聞いている。
「そしたら桐香ちゃん、あの子たちの前でも自分の矜持をしっかりと示してくれた。だからあなたは、ゲストボーカルに相応しいって思ったんだよ」
みのりの表情に笑顔が浮かび上がり、桐香を優しく見つめだす。
嬉しいという感情と不安な感情が、桐香の心の中で溶けたチョコレートのように混ざり始める。そんな複雑な心持ちの中、桐香は目の前の先輩に向かって口を開く。
「もしあの時、私が抵抗の姿勢を見せなかったら、先輩は私を助けなかったですか?」
相手の返答次第では自分自身が傷つきかねない質問を、桐香はうろたえる事なく口にする。
「見捨てるなんて事、しないよ」
みのりは迷いなく答える。そしてその後、「でも」と付け加えて――
「それだと、ほんのちょっとだけガッカリしちゃうかも……なんてね」
目の前の先輩は少しいたずらっぽくほほ笑む。それを見た桐香は安心したように肺の奥から息を吐き出した。
「だからさ、もっと練習して私達にも他の生徒にも、カッコいいとこ見せてよね!」
みのりが桐香の肩をポンと叩く。桐香はそれに反応して深く頷きながら返事をする。
彼女たちの後ろには、健三が両腕を組みながら二人の掛け合いを見守っていた。
★
部室での先輩たちとの練習は終了し、桐香は自宅に向かって歩き続ける。その右後ろには桐香の曾祖父が、自身の孫を守護するかのように後をつけていた。
市街地の歩道に植え付けられた街路樹の葉が、少しだけオレンジ色に変わりかけている。
「やっぱり私、決めました」
長い時間、二人の間に沈黙が続いたが、市街地を抜けたあたりで桐香が立ち止まり、大海原に向かって口を開く。夕日に照らされて金色に光る海は受け応える事もなく、ただ波が荒立っているばかり。
「ずっと迷っていたけど、決めました」
今度は健三に向き直り、静かに口を開いた。健三は「ん?」と小さく呼応して首を傾げた。
「私、藤森クロックの跡取りになります」
桐香の発言を聞いた健三は、目を丸くして瞬きを激しく繰り返す。
「お前、本気なのか?」
「本気ですよ。前にも言ったはずです。私に二言は無いって」
健三に問い詰められた桐香は、うろたえる事なく返答をして再び水平線を見つめ始める。
「あなたと時計塔で再会した時、あなたは私に言いましたよね。お前の人生の目的は何だって」
「確かに俺はそう言ったな。そしてあの時も今も、お前は藤森クロックの跡取りになると答えた」
健三も水平線を眺めながら、桐香の言葉に反応をする。
「俺はあの時、正直その場しのぎの出まかせかとばかり思っていた。俺が出した試練を無理やり受けるための口実だとな」
「実はその通りなんです。バレちゃってました?」
桐香は苦笑して曾祖父の顔を一瞬見つめる。健三は「やっぱりな」と言いたげに鼻で笑いながら、桐香の顔を一瞥する。
「でも今の私の気持ちは、あの時とは違います。あなたが戦争で生き残らなければ……あなたがこの時計会社を創立しなければ、私は生まれていなかった。だからこの数奇な運命を大切にするために、あなたの意志を引き継いでいきたいんです」
水平線を見つめながら語る桐香の瞳には夕焼けに染まる水面が映し出され、黄色の宝石のようにキラキラと光っている。そんな桐香を見て、健三はフッと安心したように笑みを見せる。
「迷いはないんだな?」
「……はい!」
「俺の会社、頼んだぜ……なんて事は言わないがな。お前の人生だ。お前の好きにすればいいさ、桐香」
健三は霊体となった右手で桐香の頭を優しく擦る。それに対し桐香は健三の方に顔を向け、微かな笑みを見せながら口を開く。
「応援しててね、おじいちゃん」
頭を触れられた桐香は、健三の右手に小さな温もりを感じたのだった。