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28.魂の証明

「それで……姉弟や渚さんが世界に戻ってきたきっかけって、何だったんですか?」


 健三の昔語りを静かに聞いていた桐香は、神隠しの呪いの力を探るべく、興味深そうに尋ねる。


「詳しい事は俺にも分からん。紫色の雷の話は風の噂でどこからか聞いた事はあるが、実際に雷を目にしたのは俺が打たれた時と、桐香が打たれた時だけだからな」


「じゃあ結局、克服方法は分からないと……」


「厳密にはな。ただ……」


 桐香が「ただ?」と首を傾げて聞き返す。


「それだとお前との約束を反故する形になっちまう。だから、確証はあるとは言えないが、呪いを解く心当たりならある」


「それって……何ですか?」


 健三の言葉に、桐香は固唾を呑みながら尋ねる。

 桐香の真剣な面持ちを見た健三は、腕を組みなおして天井を見ながら口を開いた。


「奈美と進と渚が世界から消えた時、俺の心はスカスカになっていた。悲しみはあふれ出てこない、かといって誰かに対する怒りも沸き上がってこない。そんな状況で俺はニューギニアに出征する事になった。その中で過酷な生活を強いられているうちに、消えた三人の事が次第に頭から離れなくなっていった。あの三人は俺の記憶の中からは絶対に消えない存在になっていた。あの三人は俺の生きがいでもあったんだ……」


 淡々と語っていた健三は、やがて左手のない腕の先端を見つめる。霊体になっていたとしても、桐香にとってはそれが顔をしかめたくなるくらいに痛々しく見えた。


「この左手が爆撃で持って行かれた時、俺は死ぬ前に何としてでもあの三人に会いたいと思った。そんで茂みに隠れながらキャンプを目指した。何日かかるか分からない、いつ敵兵に見つかるか分からない――けど俺はただあの三人に会いたいがために生き延びる事を選んだ。死にたきゃ手にしていた銃器で頭をぶち抜けばよかったのにな、俺はそれをしなかった。死の間際の根性ってやつか? 俺はあれから三日間飲まず食わずでジャングルの中を歩き続けた。それに加え敵兵に見つからなかった幸運も重なり、そのままキャンプにたどり着き、生存報告をする事ができたんだ……」


「……」


「そんで日本に帰ったらいつの間にか消えていた姉弟と渚は戻ってきていた。あいつらが消えていた時、どこにいたのかを渚に聞いたよ。そしたら三人とも俺たちと同じ空間にいたんだとさ。ただ誰からも存在を認識されず、自分たちが透明人間になったみたいだったって言ってたな」

 

 過去の情景を思い出すかのように健三は言葉を続ける。


「三人が世界に戻ってきた時に俺は確信したよ。この神隠しの呪いを解除したきっかけは、絶望の淵に立たされようとも生き抜こうとした、人間の魂の証明……だと俺は思ってる」


「魂の、証明……」


 健三の発言に桐香は目を丸くしながら返答をする。魂といえば漫画の中で出てくる抽象的な表現としか今の桐香には思えない。


「魂だなんてどっかの胡散臭い宗教みたいだと思うだろ? 俺だってあの雷に打たれる前はそう思ってた。けどな、人間ってのは時に不思議な力を発揮するもんだ。人間が生きようとする意志を見せる時に出てくる見えない力、それが『魂の証明』、すなわち、人間が未来に向かって生き抜く力、『生の証明』——」


「見えないエネルギーが三人を世界に取り戻したんですか?」


 桐香が眉をひそめながら発した質問に、健三は静かに首を縦に振った。それを見た桐香は天井を見上げて深くため息を吐く。ため息はもう吐かないと心がけていたのに吐いてしまった自分に対して、更にため息を吐きたくなる。

 桐香は板張りの壁に寄りかかる。老朽化のせいか、寄りかかった瞬間少しミシッと音が鳴る。


「おいおい、せっかく教えてやったってのにため息かよ」


「ため息も出ますよ……」


 健三の言葉に、桐香は顔をしかめながら右手で自分の前髪に触れる。親指と人差し指で、栗色の毛をクルクルと束ねる。


「魂の証明とか、生の証明とか、馬鹿げてます……抽象的すぎます」


「おいおい……なんか当たりがきついな」


「そうですか?」


 桐香は健三に対して素っ気ないように返す。まあ、健三が桐香の曾祖父と分かった今、身内に遠慮する必要はないだろう。

 健三はせっかく教えてやったのにと言いたそうに、右手で自身の髪をかき回す。


「でも、それしか方法がないんだとしたら、私はそれにかけてみたいと思います」


「えっ?」


 辟易する健三に対して言葉を放つと、彼はあぐらをかいたまま桐香の方を見る。


「お前今馬鹿げてるって……」


「馬鹿げてるけど試さないなんて一言も言ってないですよ? 私もあなたと同じような事をやろうとしているんですから」


 豆鉄砲を食らったような顔をする健三に対して、桐香は言葉を続ける。


「私が通ってる高校の文化祭で、部活発表会ってのがあるんです。で、軽音部の発表の時、私がボーカルとして一曲だけ歌う事になったんです。その時演奏してもらう曲が世界から消えた私の友人が作った曲なんです。それを私が発表会の時に歌えば――これって、生きようとする意志じゃないですか? 魂の証明じゃないですか?」


 桐香の言葉を聞いた健三は、豆鉄砲を食らった顔から次第に表情が和らいでいき、やがてフフッと笑みをこぼす。


「なんだ……結局信じてるんじゃないか」


 健三の笑みを見た桐香は、少し安堵した表情で右手で髪を少しかき回す。


「まあ、他に方法はないし、やってみる価値はあるかなと」


 桐香が少し決心に満ちた表情をすると、健三は口角を上げてほほ笑む。


「そうか……血は争えないな」


「えっ?」


「悲しみに打ちひしがれようとも前に進もうとするその心意気、そして生きるためにあがく行動力が当時の俺とそっくりだ。いや、もっと言えば、かつて大和魂を見せたお前の先人たちとも似ている……」


 健三の賛美の発言に、桐香は少したじろいでしまう。 


「そんな……だって日本の命運をかけて戦ったあなたから比べれば、私なんて……」


「何かを成し遂げようとする意志に、大きいも小さいもないさ。単に時代の情勢が違うだけ。あんたにはあんたの、前に進むための心意気ってのがあるんだ。それを大切にしな」


 健三が不器用にほほ笑もうとすると、桐香の口角も徐々にせり上がってくる。


「そうなんですかね……」


「そうさ、ましてやお前は俺の血を引いている。だから、安心して将来を見据えるこった……」


 健三がそう言うと、大きく伸びをしながらあくびをして床に寝っ転がる。話したい事を話して安心したのだろう。


「余程、この時計塔が気に入っているんですね」


 桐香は仰向けになっている健三に近づいて話す。


「まあ、この時計塔は俺のもう一つの実家のようなもんだからな」


「えっ?」


「知らないのか? この時計塔は戦後、俺が藤森クロックを創立をした当時にこの凪市に寄付をして建ててもらったんだぜ」


 健三の発言に桐香は驚嘆の表情を浮かべ、寝そべっている健三をまじまじと見つめる。


「そんな事、聞いた事ないんですけど?」


「そりゃそうだろ。この事を知ってて今生きてるのは、せいぜいお前の両親くらい」


「でも……なんで教えてくれないんですか?」


 両親に秘密を隠し通された事に、桐香は若干の不快感をあらわにする。


「そりゃあ、こんなコンクリートの塊、テメーの娘にうちの会社が作ったなんて教えたって、何の意味もないって分かってるからだろ?」


 健三の言葉に桐香は複雑な表情を浮かべる。しばらく黙り込んだ後、桐香は静かに口を開く。


「どうして、この時計塔を建てたいと思ったんですか?」


 桐香が尋ねると、健三はまっすぐに少女を見据えて口を開いた。


「俺の実体験を後世に残したかった……」


「? どういう事ですか?」


 健三が少し間をおいて語り始める。


「俺が雷に打たれて姉弟と渚が世界から忘れ去られた時、自身の生気が体内から抜け落ちていくような無力感を感じたよ。もしこの呪いが解けないまま年月が経過したとしたら、三人は永遠に誰からも思い出されないままどこかの空間に閉じ込められるんだろうなと思うと、胸が張り裂けそうだった。そして忘れ去るのは周囲だけじゃなく、この俺もだと思った。時が重なれば重なるほど、三人の記憶は反比例するかのように薄れていき、やがては忘れたという事すら忘却の彼方に飛び去ってしまうだろう。記憶と時間は相反しているのにこんなにも関連深い。時間によって記憶を失うという事がこんなにも辛いものだという事を誰かに知ってもらいたくて、この時計塔を建てたんだ。まあ、自己満足と言っちゃそれまでだし、今じゃ時計の動かなくなった、ただのガラクタだけどな……」


 健三の言葉の重みが、桐香の心にのしかかってくる。健三は、自分の曾祖父は、神隠しの呪いによって桐香と同等か、もしくはそれ以上の虚無感を体験したに違いない。そう、悲しみから逃れるために自ら記憶を捨てた「メモリアの少女」のように……

 忘れ去るという行為は死よりも苦しいものだと健三は思い知ったのだ。


「じゃあこの時計塔も……記憶を取り戻すために足掻いたあなたの、魂の証明なんですね」


「……まあ、そんなところだ」


 桐香がほほ笑むと、健三もぶっきらぼうに口元に笑みを浮かべる。


「きっと……あなたの証明は、あなたの思いは、世界から消えた渚さんや姉弟にも、きっと届いたと思いますよ?」


「ん? なんだ、いきなり同情かい?」


「同情なんかじゃありません。確信です。国を守ろうとしたあなたの思いが、次元を超えて三人に届いたんだと思います――そう思わなきゃ、私がこれからやろうとしている事が無意味になってしまう」


 健三がふと桐香の瞳を覗き込むと、小さな目力のようなものを感じ取った。


「お前の友人が作った曲を歌うのか。観客の前で……」


「……はい」


 桐香の言葉にも、強い意志を含んだ力が感じられる。それを聞いた健三は床であぐらをかいたまま、桐香の方を向き直る。


「……せいぜい、健闘を祈るさ」


 少し投げやり気味なエールに、桐香は深く首を縦に振ったのだった。

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