26.過去からの写真
ファイルを抱えたまま廃社屋の敷地を抜け出した桐香は、夜の凪市の街を駆け抜ける。彼女の脳内は、学校内に流れ出した噂の事などとっくにすっぽ抜けていたのだった。
(まさか……あの時出会った幽霊が……あの人だっただなんて……)
にわかには信じがたい事実を知った桐香は、走りながら唇を噛み締める。そのまま夜の潮風に吹かれながら、幽霊の住む時計塔へと向かった。
急な坂道を登り切り、丘の上の広場へとたどり着いた桐香は、目の前にそびえる時計塔を見上げながら足を止める。一時間もの間ほとんど足を止めずに走ってきたため、顔からは汗が吹き出し、それが地面に滴り落ちる。口から吐き出される息も乱れに乱れていたので、両ひざに手を添えながら呼吸を整えた。
呼吸を落ち着かせた桐香は、時計塔の入り口の封鎖された鎖を潜り抜け、内部に入る。目の前のおんぼろな階段を懐中電灯で照らしながら上がり、ベニヤ板で造られた二階の床に着地する。
その空間には誰もいなかったものの、誰かがいる気配は感じ取る事ができた。上下左右を見渡した後、静寂に包まれた中で桐香は口を開いた。
「あなたの正体、掴みましたよ。姿を現してください」
桐香が言葉を発しても、返事は返ってこない。彼は恐らく霊力? というものを弱めて眠ってでもいるのだろう。幽霊は確か夜に来てくれと言っていたから、この時間に訪れても文句は言えないだろう。そもそも桐香には、自身にかかっている神隠しの呪いを一刻も早く解きたかった。だから時間なんて選んではいられない。
「寝ているんですか? 起きてください! あなたの正体、分かりました!」
先ほどよりも大きな声を出す。しかし相変わらずその声は暗闇に響き渡るのみだった。
しばらく経過しても何も反応のない事に痺れを切らした桐香は、大きく息を吸い込み、直後、お腹に力を入れながら自分が出せるありったけの声を吐き出す。
「いるのは分かっているんですよ! 藤森健三!」
桐香の声が壁に乱反射すると、狭い二階の空間に独特なエコーがかかる。それと同時に、桐香の足元のベニヤ板が淡い光を放つ。しばらくするとその光が男性の姿を映し出した。桐香が以前紫色の雷に打たれた時に声をかけられた、白髪の男性の幽霊だった。
幽霊は唸るような声を出しながら寝返りをうつ。桐香はそのまま幽霊に揺さぶりをかけて起こそうとするが、やはり触れる事はできなかった。
「ね、起きて下さいよ」
桐香が更に声をかけると、幽霊はゆっくりと瞼を開く。そしてその瞳がゆっくりと目の前の少女に向けられた。
「やっと起きましたね。藤森健三さん……いや、私のひいおじいちゃん」
桐香の言葉を耳にした幽霊は、上半身をガバッと起き上がらせ両目を大きく見開く。
「お前、俺の名前をどうやって……」
「どうやってって……あなたが試練として与えた事じゃないですか。あなたの名前、確かに持ってきましたよ。写真付きでね」
桐香が少し得意げな態度をとると、手に抱えていたチューブファイルの最後のページを開く。そして貼り付けられていた幽霊と同じ顔の写真を人差し指で指した。その下には「初代代表取締役 藤森健三」と書かれている。
「私が雷に打たれてあなたを見た時、何だか懐かしいものを感じ取ったんです。それは気のせいなんかじゃなくて、血がつながっているだけで感じ取れる親近感だったんです」
写真の幽霊――藤森健三は豆鉄砲を食らったかのように両目のまぶたをパチパチとさせている。
「そして曾祖父であるあなたは、私の行く末を見届けるため、この街で見守ってくれていた。だからあの時すぐに助けてくれた……あの? 聞いてますか?」
「……ん? ああ」
「あなたの名前と素性、当てる事ができたら、この神隠しの呪いとやらを解く方法を教えてくれるんですよね?」
桐香が詰め寄ってきたので、健三は体が少しのけぞってしまう。
「分かった分かった……」
健三は少し気だるげに頭を抱えながら首を縦に振った。
「この藤森健三、男に二言は無い。教えてやるよ、この呪いの克服方法を……」
健三が口を開くと、桐香の表情が笑顔を帯びてくる。そして興味津々に目を輝かせながら自分の曾祖父を見つめている。
「お願いします……大切な人を、世界に取り戻したいんです!」
「分かった。じゃあその前に順を追うって事で、俺がどうやって呪いを克服したのか教えてやろう」
桐香が深く頷くと、健三は昔語りを始めた……