表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
24/35

24.非日常の中の日常

 軽音部の先輩たちに理沙の作った楽曲を演奏する事を許可してもらった桐香は、あれから毎日放課後に、みのりたちとセッションをした。ドラム担当の雛子によれば、桐香の歌唱力は悪くなく、息遣いさえ改善すればまともになるとのこと。

 眠っている時は変わらず砂時計の夢を見たが、練習で忙しくなった桐香にとって、そんな夢は気に掛けるに値しないものになってきていた。夢のおかげで目覚めが悪くても、先輩たちとセッションをする事で、気味の悪い夢の事を忘れられたのだった。

 日が経つにつれて街に降り注ぐ太陽の熱は次第に弱まっていき、やがて心地よい秋の風が吹くようになる。学校へ通う生徒達の制服も長袖のワイシャツに変わり、桐香の通学路の途中にある花畑にはコスモスが咲くようになった。この地域では紅葉はまだ遠いものの、確実に秋の訪れを感じる事ができた。

 桐香のクラスでは文化祭の発表はしないものの、部活動に入っている生徒は展示物を掲載するために学校中を行ったり来たりしていた。クラスの生徒達の談笑の内容も日に日に文化祭のものに変化していき、学校全体が徐々にお祭りモードになっていく。去年の文化祭はロクに参加をせずにトイレに引きこもっていた桐香だが、今なら文化祭が近づくにつれてウズウズする生徒の気持ちも分かる気がした。

 そんな中、担任は「少しは現実も見るように」と釘を刺しながら進路希望調査の用紙を配る。急に現実に引き戻された生徒達は、桐香も含めて口から深い吐息が吐き出されたのだった。



 軽音部の先輩たちとは連絡先も交換したので、時折放課後以外でも連絡がくるようになった。毎日のように練習に励む桐香に感服したのか、週に一回のペースで部活を切り上げてマックやスタバに連れて行ってくれるようになった。

 この日は桐香が学校に到着した後にみのりから、「今日は部活をお休みして放課後にどっかに行かない? 場所は今回は桐香ちゃんが決めていいから」とメッセージが来たので、「じゃあ、私のお気に入りのお店に連れて行ってあげます!」と返信しておいた。そしてすぐに行きつけのパン屋に電話をかけて、桐香の好物であるカレーパンを四つ作り置きをしてもらうように注文する。

 放課後、先輩たちを連れて桐香が常連客となっているパン屋「ロックチャイム」に足を運ぶ。店主のすみれは桐香が見慣れないお客を連れていたため、少したじろいでしまったものの、同じ学校の部活仲間だと知るや否や笑顔で歓迎してくれた。作り置きしてもらったビーフカレーパンを桐香に手渡したすみれは、イートインスペースの丸テーブルに座るよう促した。この店は観光客が訪れた際にくつろげるようにテーブル席も用意されているので、店内はさながらカフェのよう。本来なら歩きながら食べる予定だったのだが、桐香はすみれのお言葉に甘えてここで食べていく事にした。

 出された緑茶と共にカレーパンを頬張る四人。


「う……うまい……」


 豪快にかじりついて口の中でかみ砕きながら、雛子は率直な感想を述べた。あまり他人を称賛しない雛子がこのように感嘆の声を漏らすのは、桐香にとって意外だった。


「うん! こんなカレーパン初めて!」


「コンビニとかで売ってるパンよりずっとイケるよね!」


 みのりと結花も立て続けにパンの味を絶賛する。食べた事もないカレーパンの味に、三人はあっという間に平らげてしまった。店にカレーパンがまだ残っていたので、みのり達は一人ずつトレイに乗せておかわりをする。食い意地の張った雛子だけは、カレーパンを二つトレイに乗せる。が、結花がいやしんぼとはやし立てたので、雛子は渋い顔をしながら一つを商品棚に戻した。


「で、話したい事って何さ?」


 二つ目のカレーパンを口に含みながら、みのりは桐香に尋ねる。緑茶をすすっていた桐香は湯飲みを茶たくの上に置いて、小さく頷いてみのりに向き直る。


「話したい事?」


「うん、この子が私達に相談したいことがあるんだってさ。店を紹介するのと引き換えに、話を聞いて欲しいって」


 雛子と結花も興味あり気に向かいに座る桐香の方を向いた。


「へえ、お金持ちの呑気な嬢ちゃんでも悩みとかあるんだな」


 雛子が腕を組みながらニヤニヤと桐香に話しかける。桐香がそこそこの潤沢な生活を送っているのは先輩たちにも周知されているため、雛子にこうやっておちょくられても大して驚いたりはしない。


「なになに? 好きな男でもできた?」


 結花が興味深々に目を輝かせながら、テーブル越しに桐香に詰め寄ろうとする。その様は噂好きの年頃の女の子そのものだった。


「——……そ、そんなんじゃないです!」


「おいおい! 何だよ今の間は?」


 少しの間硬直した桐香を見た雛子が、結花と同じように詰め寄ってくる。

 結花の質問も当たらずとも遠からずといったところなので、桐香は二人に詰め寄られると焦りながら首を左右に振って否定するふりをした。好きな男なんて言われたら、弘貴の事を思い出して仕方がない。


「ちょっと二人とも」


 桐香に寄ってたかる二人を見かねたみのりは、含み笑いをしながら二人を抑制する。


「桐香ちゃんがわざわざここまで呼び出したって事は、分相応の相談事があるって事でしょ?」


 みのりが優しく語り掛けると、桐香は静かに頷いた。そして鞄の中からこの間配られた進路希望調査の用紙を取り出し、テーブルの上に先輩たちに見えるようにして置いた。


「ちょっと、これから先どうしようか迷ってて……」


「これから先って、進路の事?」


 結花の質問に桐香が再び頷く。


「進路って……アンタなら親の会社を継いで後に経営者になれるじゃん?」


「……」


 雛子の発言に桐香は言葉を失ってしまう。

 男性の幽霊にはその場の勢いで、父の会社である藤森クロックを継ぐと大口を叩いてしまったが、今の桐香にはそんな自信は持ち合わせていない。


「現状、会社を継ぐヴィジョンしか見えてなくて、そこに流される自分に迷いを感じてるんだ……」


「……はい」


 みのりの問いかけに、桐香は先輩の目を見て返答をする。

 三人の先輩は押し黙り、テーブルの上で頬杖をついて考える。しばしの沈黙が続いた後、雛子が唐突に口を開いた。


「動画配信者とかどう?」


「……えっ?」


 雛子の出し抜けな発言に、桐香は思わず両目を大きく見開いてしまった。他の二人はそれが滑稽に感じたのか、吹き出してしまう。


「ほら、カメラで動画を撮影してそれをユーチューブとかにアップするの。風の噂で聞いたんだけどさ、桐香って小さいころから常識外れの事好きだったじゃん? 大金はたいたり、立ち入り禁止の森に勝手に足を踏み入れたり……」


「そ……その話をどこで……」


「ウチら三年の間でもアンタの事、結構有名なんだぞ。ただでさえそこそこ名の知れた時計メーカーの娘ってだけでも語り草なのに、過去にそんなぶっ飛んだ事してたなんて知ったら、ねぇ?」


 みのりと結花が深く頷く。雛子は再び桐香に向き直る。


「だからさ、自身の経験を元に動画を作ってみたらどうだ? そうだな、動画のタイトルは『宝くじで大当たりが出るまで帰れません』とか!」


「無理ですよ! 私に動画投稿で生活できるほどの継続力なんてないし……あんまり過激な動画だったら炎上しそうだし……」


 先輩の助言を聞いた桐香は激しく首を左右に振って否定する。桐香が乗り気じゃないのを察した雛子は、「そっか」と言いながら腕を組んだ。

 それから先輩たちは桐香のために更に黙考を続けたが、やがてみのりが不意に口を開いた。


「分かるよその気持ち。私達だって、三人でプロを目指すと決意するまでいろんな迷いと衝突があったもの。すぐに決定できないのは当たり前だと思う……」


 みのりの発言に、隣に座っていた結花も頷いて口を開く。


「まあ今は進路は未定って事でさ、その用紙には形式上は進学とか書いておけばいいんじゃないの? 桐香ちゃんはまだ二年なんだし、今のところは」


「……そうですかね?」


 桐香が返答すると、みのりも口を開いた。


「そうだよ。私達だって一年前はプロになるなんて思っていなかったもん。桐香ちゃんもこの一年を使ってじっくり考えればいいと思う」


 みのりの言葉に、桐香の不安を含んだ表情は安堵のものに変化する。みのりは更に言葉を続けた。


「アドバイスが上手くできなくてごめんね。でもこれは、最終的には桐香ちゃんが決めなくちゃいけない事だから……」


「はい……ありがとうございます」


 みのりが温かい表情を見せると、桐香も口角を上げて反応をする。雛子と結花も納得したように深く頷いた。



 二つ目のカレーパンも胃袋に詰め込み、それからしばしの談笑をした後、四人はおいとまする事となった。

 桐香がカレーパンの代金を払おうと鞄から財布を取り出そうとすると、隣に座っていたみのりに制止される。


「えっ?」


「いいからいいから。このカレーパンって一個いくら?」


「えっと、二百円ですけど」


 みのりは了解と言って自分の財布から、自分が食べた分の四百円と桐香の分の四百円を取り出す。そして雛子と結花から四百円ずつ回収し、十六枚の百円玉をレジに持っていこうとする。


「えっ、私の分は私が払いますって!」


 店の奥にいるすみれを呼んだみのりは、桐香に向かって振り向く。


「遠慮はいらないの。社会に出たら先輩が後輩に奢るのなんて、何らおかしくないんだから」


 みのりの言葉に、桐香は大人の世界の常識を少しだけ実感したのだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ