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2.海の街の朝

 桐香は今日も柱時計のある空間にいた。

 目の前にある三つの時計を眺めた後、一番左の時計から流れてくる歯車の音を聞く。左の時計の針はすでに三を指しており、少しずつ進んでいっているのが分かった。

 興味本意で、桐香は一番左の時計に触ろうとする。右手が時計の側面に触れた瞬間、柔らかな感触が桐香を襲う。


「なにこれ……超気持ちいい……」


「……ちゃん……お姉ちゃん!」


 目の前の時計がいきなり喋りだしたと思ったら、空間が次第に歪み始めて……


「お姉ちゃん! 起きてったら!」


「……うん?」


 桐香が重たいまぶたを開くと、視界は白い天井へと切り替わる。そのまま両目を開いて上半身を起こし、ようやくここが自宅のマイルームのベッドの上だという事が分かる。


「ちょっとお姉ちゃん、いつまで手、掴んでんの?」


 桐香が右側を振り向くと、既に学校へ行く準備ができた純が立っていた。そしてどういうわけか、桐香の右手と純の左手が繋がれていたのだった。


「ごっ、ごめん純! ちょっと変な夢見ちゃって!」


 焦って純の左手から右手を振りほどく。


「僕、お姉ちゃんと手を繋いで生活できるほど、できた関係じゃないよね?」


「わ、分かってる! 夢見てたら無意識に掴んじゃっただけだし。別にやましい気持ちなんてない!」


「……冗談だよ。もうちょいジョークに耐性持とうよ」


 桐香は目の前で、皮肉じみた笑みを浮かべてる弟を見据えながらベッドに腰かける。


(真面目な純が言うと冗談に聞こえないんだけど……)


 桐香が心の中で呟きながら、テーブルの上のスマホの画面を見ると、時刻は午前八時半を過ぎていた。


「うわっ、ヤバッ!」


「だから何度も起こしたのに……お姉ちゃん、ここ数日死んだように眠ってるからなかなか起きないんだよ?」


 何かあった? という純の質問に対抗できる回答はただ一つ。ここ数日――正確に言えば、四日前の六月二十五日に紫色の雷に打たれて以来、桐香はあの柱時計の夢しか見なくなってしまった。

 あの夢に対して好奇心が沸いてきて、夢から覚めるのを無意識に拒んでいるせいなのか、あの件以来寝起きもよろしくない。


「うーん、ちょっと疲れてるだけかも……最近どんどん暑くなってるから、ひょっとしたら夏バテかもね?」


 桐香が言い訳をすると、純はふーんと空返事をして――


「そっか。じゃあ、とりあえず僕はもう行くから。朝ご飯の目玉焼き、ダイニングに置いてあるからちゃんと食べてから行きなよ」


「はーい」


 先に学校に行く純を見送った桐香は、急いで洗面所へと向かう。

 水で洗顔をした後、化粧水を顔全体に染み込ませる。その後は頬と鼻の上に薄めのファンデーションを施し、栗色のショートヘアーをヘアーアイロンで整えてメイクは完了。



 ダイニングのテーブルの上には純の言っていた通り、ベーコンやプチトマト、千切りにされたキャベツに囲まれた目玉焼きの盛られた皿が置かれていた。

 棚から箸を取り出すと、目玉焼きの上にコショウをふりかけて、椅子にも座らずに目玉焼きを二十秒で平らげた。そしてプチトマトを一つだけ頂くと、そのままふたたび洗面所に向かい大急ぎで歯を磨く。

 その後自室に戻り、学校に着ていく制服に着替える。上は白のワイシャツに赤のリボン。下は紺色のスカート。

 そして絨毯の上に投げ出されていた通学用の鞄の中に、必要なものを詰め込んだら、鞄の取ってを掴んで玄関に向かい、ローファーを履く。自宅を出て玄関の鍵を閉めると、学校に向かって全速力で走り出した。



 息を切らして走りながら、桐香が視線を上空へと向ける。四日前の大雨が嘘のように、空は真っ青に染め上げられている。あまりの青の大きさに、自分の体が吸い込まれてしまいそう……

 海沿いの国道の交差点の信号で止まっている間、桐香は左に見える海を眺めてみる。もうとっくに活動を始めている太陽の下には、空よりもずっと青く染まった太平洋を拝む事ができる。

 青い空を飛ぶのは、甲高い鳴き声を発して餌を探して飛び交う白いカモメ。

 青い海に浮かぶのは、浜辺からのレジャーで使用しているらしき白いボート。


「キレイ……」


 そんな青と白のコントラストに暫し釘付けになっていた桐香だったが、信号が青になった事を知らせるサイレンが鳴って我に返る。そして再び学校に向かって走る足を速めた。

 やがて市街地に差し掛かり、車の交通量も増えてくる。桐香は構わずに青信号を突き進み、学校を目指す。




 ★



 車の交通量の多い市街地の国道を走り、踏み切りを抜ければ桐香の通う学校の校門が見えてくる。校門の入り口は車輪の付いた赤茶けた格子で遮られており、それは遅刻者は校内に入れない事を意味している。この格子は、始業の五分前になると当番を当てられた風紀委員によって閉ざされてしまう。

 厳密には完全に封鎖されているわけではなく、遅刻して格子を開けても校内に入る時にしっかりと閉めれば問題はないとの事だ。しかしこの格子が重いのなんので、特に夏場は一度開け閉めをしただけで汗だくになってしまうほど。最近では、この開け閉めを嫌がるが為に遅刻をしないように努める生徒が増えているため、この校門の格子は本校の遅刻防止に一役買っているのだとか。



 初夏の太陽が照り付ける中、約一キロの距離を走ってきた桐香は既に汗だくで、白のワイシャツが背中や肩にぴっちりと張り付いている。

 身長百五十センチほどの小柄な体で格子をスライドさせ、桐香が入れるほどの間隔を開ける。格子と門の狭い隙間を縫うようにして自身の体を通過させ、再び格子をスライドさせて門を閉める。

 そして閑散とした昇降口で上履きに履き替えると、自分の教室に向かってダッシュ。階段をかけ上がり、廊下を突き進んでいると始業のチャイムが鳴る。


「ああ、ヤバい……」


 息も切れぎれになり、後十メートルでも走ったら倒れてしまうのではないかと悟った時、桐香はようやく自分の教室、二年B組にたどり着いたのだった。

 教室内では担任の若い女性教諭がすでに教壇に立っており、ほとんどの生徒達も席に着こうとしている所だった。教室にたどり着き扉にしがみつく桐香に、いち早く気づいた担任が視線を送る。するとクラスの生徒達もつられて桐香に視線を移す。


「はいはい藤森、その汗のかき具合から見て頑張って来たみたいだからギリギリセーフにしてやる。急いで席着けー」


 出席簿を右手でバンバン叩く担任を見た桐香は、安堵の息を漏らして自分の席に着いた。

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