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18.幽霊の目は空から

 街の上空からのその視線は、真夏の凪市を広く見渡していた。



 空から街を見下ろす壮年の男性の幽霊が、この凪市で行っているライフスタイルは至ってシンプル。ねぐらとしている丘の上の時計塔の中で目を覚まし、日中自由に空を飛びまわった末に、夜は時計塔の中で眠る。

 目を覚ました彼は、朝の潮風を全身で受けながら街の上空を飛び交う。残留思念である彼の体は、自身から発する霊力を最小限に抑えているので、ごく一部の霊感の強い者にしか見る事ができない。

 空から眺める眺望は、何とも言葉では言い表せないほどだった。生前、丘の上から見ていた光景とは比べ物にならないくらいに。朝日に照らされてオレンジ色に光る街、そして反射した光が波によってキラキラ揺らめく大海原。

 元々この街で生まれ育った彼は、毎日のように上空から水平線を眺めている。この街で生まれた時から、そして死んで四十年が経過してもこの凪市を見守り続けてきた。それはこの街が好きだからというのもあるが、それよりも彼には何としても見届けなくてはならない行く末がある。

 この街に住む、とある姉弟だ。

 彼らが生まれてきてからというもの、男性は欠かさず空からその姉弟をこっそりと見守ってきた。

 姉弟が産声を上げた時から、両親と共に食卓を囲んで団らんに過ごしていた事も、姉弟で仲良く花崎の海岸へ海水浴に出かけた事も、姉が両親と口論になって弟が半ベソをかいていた事も、男性の幽霊は知っている。

 幽霊は紺色をした屋根の付いた二階建て住宅の遥か上空、八月の初めの眩しい太陽光で光輝く海を拝んでいた。海面からの逆光で、彼は思わず右手だけを使って目を塞ぐ。

 ふと、真下にある住宅に視線を移すと、栗色の短髪の少女が玄関から出てきたのが分かった。制服らしきものを身に纏い、右手にはオシャレな編みぐるみの付いた鞄を携えている。学校はもう夏季休暇に入ったのではと疑問を抱きながら、幽霊は気づかれないように少女の後方に舞い降りてみる。

 そう、この少女こそが霊体になろうとも見守りたい存在の一つだ。まさか彼女が、自分と同じく紫色をした雷に打たれる事は想定外だったのだが――それ故に、今の彼女には弟も友人もいないのだろう。

 男性の幽霊はこのままこっそりと少女の後をつけようと思ったのだが、彼は思いとどまった。少女が雷に打たれた時、偶然近くに居合わせたがために、反射的に言葉をかけてしまい、その際に自分の顔を覚えられてしまった。そんな時に再び自身の存在に気づかれたら面倒だ。自分は勘付かれる事なく少女を見守っていきたいのだから。彼女が自分の顔を忘れるまで、このままそうっとしておこう――

 そう思った男性は学校へ行く彼女を追うのはやめて、しばらくの間街の上空を飛び回った後、住みかとしている丘の上の時計塔に舞い戻る。時計塔の内部は侵入禁止になっており、入り口は鎖が張られている。小さな隙間があるので入れないわけではないが、こんな古びた建造物にわざわざ入る物好きもそうそういないだろう。



 幽霊は時計塔の二階、板張りの床の上で仰向けになる。八個の鐘が取り付けられたテラスの外に視線を移してみると、空はいつの間にかグレー色に染まっていた。遠くの方でゴロゴロと雷が鳴ったのが聞こえる。


(そういえば、俺が紫の雷に打たれた時、妙な夢を見た事があるな。てことはあの子も……)


 雷の音で昔見ていた夢の事を思い出した幽霊は、視線をテラスから天井に移す。そのままボーッとしていると、瞼が次第に重くなっていき、視界が少しずつ黒に暗転していく。曇り空の昼下がりの時間、幽霊は時計塔の外から流れる湿った空気を吸い込みながら眠りについた。



 ★



 どれくらいの時間が経過したのだろうか――幽霊は外から聞こえる水の流れる音で目を覚ました。硬いベニヤ板の床で体を起き上がらせてテラスの外を見ると、激しい雨が降っていた。夕刻になったのか、曇り空が先ほどよりも薄暗い。


「クソ……まただよ」


 幽霊は眉間に皺を寄せながらあぐらをかいて胃の辺りを右手で押さえる。彼は天候の良し悪しが頻繁に変化すると、決まって腹痛になるのだった。この体質は生前、若かりし頃から続いている事であり、自身が霊体になっても治まる事はない。自身のお腹の弱さに辟易しながらため息を吐いていると、背後の方で声が聞こえた。


「やっと……起きましたね」


 幽霊が声のした方を振り返ってみると、ボロボロの木材で拵えられた階段に一人の少女が笑みを浮かべながら座っていた。栗色の短髪、赤いリボンの付いた制服。彼女はまさしく、幽霊がこれから見守っていくと決めた少女に他ならなかった。


(しまった……寝起きで霊力を制限できずに……姿を隠せなかった……)


 幽霊は霊体であるにも関わらず、自身の身体から冷や汗が出たように感じた。一方で少女の方は、大きな悲鳴を上げるわけでもなく、最早見慣れているとでも言いたそうに、幽霊をまじまじと見つめていた。

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