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16.観覧車が一周する前に ★

 ジェットコースターを五回も往復した二人は、近くのレストランで食事を済ます。その後も屋内のアトラクションで有意義なひとときを過ごしていたら、時間はあっという間に過ぎ去ってしまった。現時刻は夕方五時。

 明日が学校という事で、遅くまでは長居はできないと判断した二人は、最後に観覧車に乗る事にした。

 スターポートのシンボルともいえるこの大観覧車は、至る所にイルミネーションが施されており、夜になればそれが発光し、幻想的な幾何学模様が点滅する。そんな煌びやかなものを外から眺めるのも良いのだが、何より素晴らしいのが観覧車から見渡せる太平洋だろう。観覧車の一番高い場所からの眺望は、晴れた日に見渡せば、誰もがここに来て良かったと思う事だろう。昼は青い海原、夜は付近の港の灯台や船から発せられる淡い光。海は時間帯によって様々な表情を垣間見る事ができるのだ。

 もっとも、今日のような曇った日には水平線を拝む事はできないが……



 チケットを係員に見せた二人は、円形のゴンドラに乗りこみ、お互いに向かい合って座る。入り口の扉が閉まった瞬間、ゴンドラがぐらんと揺れを起こし、二人はバランスを崩しそうになる。

 そのままゴンドラはゆっくりと上昇し、やがて曇り空をバックに大海原が窓の外に表れる。このまま何のトラブルもなければ、十五分ほどで一周をするだろう。


「で? 藤森の悩みってやっぱり有須の事か?」


 正面に座った弘貴がいきなり話しかけてきた。ジェットコースターではしゃぎすぎたため、観覧車で心を落ち着かせようとしたところに藪から棒に話しかけられたので、桐香は一瞬肩を震わせて反応してしまう。


「う、うん……」


 遠慮がちに首を縦に振った後、桐香は弘貴に向かって両腕を組んだ。


「でもね、なんだかもうどうでも良くなってきちゃったんだ」


「……いや、どうでも良くはねえだろ?」


 弘貴の反応に桐香は今度は首を横に振る。


「本当にどうでもいいの。今日はこうやって遊びに来れて、ジェットコースターも克服できたから。何だか思い悩むのがバカらしくなって……」


「そ……そうなのか?」


 桐香は弘貴に向かって首を縦に振る。

 弘貴は「藤森がいいならいいけど」と言って、頬杖をついて窓の外を見る。桐香もそれにつられて窓の外、北の方角を見る。

 今日はうっすらと(もや)がかかっていて見えないが、晴れた日には桐香が見ている視線の向こうに、丘の上にそびえる時計塔が見えるらしい。

 桐香自身、今日は弘貴に誘われて良かったと思っている。そうでもなければ、弟と親友のいない物憂げな日曜日を過ごさなければならなかった。そして次にいつ有須寛子達に呼び出されるかという恐怖を感じながら過ごさなければならなかった。けれど弘貴は、桐香のガス抜きに協力をしてくれた。おかげで鬱憤を弘貴にぶつける必要がなくなったのだ。

 この間まであれだけ陰鬱な気分だったのに、こうやって誰かと会う事により、心に立ち込めていた暗雲が取り払われてしまった。そして桐香をこの気持ちに導いてくれたのは紛れもなく弘貴だ。 

 

(あとで、ちゃんとお礼を言おう……)


 なぜか照れくさくなった桐香は、窓の外、靄のかかった水平線を眺めていた。


「??」


 海に視線を送っていた桐香が、なにやら奇妙な音が聞こえてきた事に気づく。カチカチと子気味良くリズムを刻む音。

 さっきまで聞こえていなかったのにどうしてと思いながら、音の根源を探してみる。キョロキョロとゴンドラの中を見渡しているうちに、この音は時計の針の動く音だという事が分かった。しかし、ゴンドラの中に時計らしきものは見当たらない。

 そのカチカチという音は次第に大きくなっていく。


「藤森? どうかしたか?」


 正面に座った弘貴が声をかける。


「ねえ逢坂君、なんだかカチカチって音聞こえない?」


 桐香の質問に数秒の沈黙が訪れた後、弘貴は口を開く。


「……いや、聞こえねえけど?」


 弘貴の返答に、この音は自分にしか聞こえない、と思っていると、今度はキリキリと何かが擦れ合う音が聞こえてきた。

 桐香はこの音に聞き覚えがあった。ここ三週間、毎晩見る夢の中で聞いた柱時計の歯車の音……

 夢の中の音が、起きている時に脳内に入り込んできた事を理解した桐香は、体が急に震えだす。思い出したくもない柱時計の夢が、桐香の精神を蝕もうとしている。


「おい、藤森!?」


 弘貴が桐香の異変に気付き、慌てた様子で話しかける。

 桐香はこの時、間もなくこの世界から誰かが消滅し、そして忘れ去られるのだという事実を嫌でも思い知らされる。真夏なのに体感温度がガクッと下がり、底冷えするような寒さが桐香を襲う。体をどんなに縮こまらせても、肩の震えは止まらない。やがてその震えは体全体に及び、呼吸も次第に乱れていく。


「藤森……どうしたんだよお前。大丈夫か?」


 弘貴の右手が桐香の背中に優しく触れられる。すりすりと擦ってくれたので、背中に微かな温もりを感じた。


「ごめん……逢坂君……」


 有須寛子に対する鬱憤は晴らせたとしても、今桐香に起きている不思議な現象は弘貴に信じてもらう事はできない。それと同時に、弘貴にはこうして余計な心配をかけてしまっている。そんな自分への情けなさ故に、桐香の口から謝罪の言葉が出てきた。


「なんで謝るんだよ……」


 背中を擦る弘貴は、呆れたように桐香に反応をした。


「何かあったのか?」


 背中を擦って落ち着いたのを確認した弘貴は、桐香に優しい言葉を投げかける。桐香は前かがみだった上体を起こし、深い深呼吸をする。


「ほんとにゴメン……やっぱり私の悩み、話させて」


 震えを含んだ声を発しながら弘貴に懇願すると、彼は「ああ」と言って首を縦に振る。桐香が自身に起きている怪奇現象を話そうと思ったのは、弘貴からあふれ出る安心感を感じたから、そしてその弘貴がいなくなってしまいそうな気がしたからだ。


「信じてもらえるかは分からないけど……」


 桐香はそう前置きをして、今自分自身に起きている事の全てを話した。

 自分には純という弟と理沙という親友がいた事……

 三週間前、紫色の雷に打たれた事……

 一週間経過するごとに、純、理沙の順にこの世界から消滅していった事……

 そして彼らの存在が記憶ごと抹消されたという事……

 渦巻く気持ちを口に出す中、弘貴は一時も視線を逸らす事なく耳を傾けていた。


「そうか……そんな事が……」


 桐香が話し終わると、弘貴は深く頷き腕を組んだ。


「えっ? 疑ったりしないの? 夢なんじゃないのって笑ったりしないの?」


「お前なー」


 桐香の発言に、今度は弘貴が深いため息を吐く。そして正面に座る桐香の額に人差し指を使ってデコピンをする。桐香は「いて」と言って右手で額を押さえた。


「そんなパニックになった藤森の話す事を疑う奴がどこにいるんだよ」


「お、逢坂君……」


「まあ、こんな話を学校でやったって白い目で見られるだけだから、こうやって話す場所を設けられてよかった……」


 弘貴の言葉に、桐香の目からは涙がこぼれ落ちてくる。少しずつ溶け出していた凍った心が、今の弘貴の言葉で完全に溶解し、涙となってとめどなくあふれ出る。


「お前の弟と親友……戻ってくるといいな」


「無理だよ……だってみんな忘れちゃってるもん」


「そんなの分かんねえだろ? なくしたと思ってた一万円札が棚の奥の方を整理してたら出てくる事があるように、二人だってひょっこり出てくるかもしれないだろ? もうちょっと前向きに考えてみろって」


 桐香の左肩に、再び弘貴の右手があてがわれる。その右手の温かさに眼から溢れる涙が勢いを増し、頬を伝って滴り落ち、ワンピースの裾に水滴が付く。


「……ありがとう、逢坂君」


 少しだけ鼻声になりながら、桐香は弘貴に対してお礼を言う。鼻水をすすりながら、右腕で涙を拭う。深呼吸をして落ち着いた桐香の目元は、熟したトマトのように真っ赤だった。


「そうそう、藤森に渡さなくちゃいけない物があったんだ」


 桐香が落ち着きを取り戻した頃合いを見計らって、弘貴は自分のショルダーバッグの中に手を突っ込み、小さな紙袋を取り出した。それを遠慮がちに桐香に向かって差し出す。


「これ、藤森へのプレゼント」


「えっ? 私に?」


「ボール当てちゃったのを負い目に感じてるってのもあるけど、それ以前に、藤森には悪い事をしてるって気持ちでいっぱいなんだ」


「悪い事だなんてそんな……」


 桐香が即座に否定をする素振りを見せたので、弘貴は口角を釣り上げて微かな笑みを見せる。


「まあ、とりあえず開けてみな」


 弘貴の言われるがままに紙袋を開けてみると、中には小さな二つの編み人形が入っていた。一つはショートヘアーの女の子を象ったもの、もう一つは懐中時計を象ったものだった。どちらもチェーンが付いており、キーホルダーにできるようになっている。笑顔を浮かべた女の子の編み人形のモチーフは、どう見ても桐香自身だという事が理解できる。


「これって……」


 桐香が時計の編み人形を右手の掌に乗せて言う。


「オレが家で作った編み人形さ」


「いや……そりゃ見りゃ分かるけど、どうして時計なの?」


 編み人形と弘貴を交互に見ながら、桐香は首を傾げる。

 弘貴は照れくさそうに右手で頬をポリポリと掻くと、静かに口を開いた。


「まあ……なんというか、例えばオレと藤森って、統計学上の確率じゃ本来出会えないらしいぞ」


「えっ? どういう事?」


「要するにオレが藤森と中学の時に出会って、それから同じ高校に通うようになって、オレが藤森のロックチャイムのビーフカレーパンを頬張る姿を拝む事ができるのは、ものすっごく低い確率だったって事だ。これはどっかのネット記事に書かれていた一説なんだけどさ、『地球上で人が一人の人間と出会う確率というのは、バラバラに分解した懐中時計の部品を海に投げ入れて、それが波の力だけで偶然元の時計の姿に戻る確率と同じ』なんだってさ」

 

 弘貴がネットで得た知識を流暢に語ると、桐香は「何それ」と言って苦笑い。


「つまりだな、時計が元通りになるほどの確率の低い出会いを大切にしろって事」


「だから時計の編み人形なの?」


「それもある。それに、その出会いによってできた時間を大切にしてほしいって意味合いもある」


 弘貴が語り終わると、桐香は合わせた両手に乗った二つの編み人形を見つめる。細めの毛糸が複雑に交じり合い、それが一つのぬいぐるみとして形成されている。


「スゴイ……」


 弘貴の作った編み人形は何度も目にしているが、その繊細な作りには改めて感嘆の声を漏らしてしまう。


「ありがとう……大切にするね」


 交差した両手に二つの編み人形を持った桐香は、それを自身の胸元に持っていき、微かな笑みを浮かべながらお礼を述べる。


「まあ……そんなものでよければ……」


 弘貴はちょっとぶっきらぼうに、それでいて恥ずかしそうに返事をする。そんな弘貴を見た桐香は、思わず吹き出しそうになる。

 そんな感情とは裏腹に、桐香の脳裏には時計の針と歯車の音が鳴り響いている。時間が経過するにつれて、その音は次第に大きくなっていくのが分かる。


「藤森……」


 弘貴が突然桐香の姓を呼んできた。時計の音が脳内に轟いていても、弘貴の声はしっかりと聞こえてきた。


「なに――」


 桐香が返事をしようとした瞬間、正面の座席に座っていた弘貴が突然立ち上がる。そして両手を広げ、その長身の体を桐香の体に覆いかぶらせた。勢いよく抱き着かれたため、ゴンドラに揺さぶりがかかり、妙な浮遊感が桐香を襲う。


「お、逢坂君?」


 桐香はしがみつかれたまま声を発すると、耳元に弱々しい声が聞こえてくる。


「今まで辛かったな……」


 弘貴が発した声に、桐香は両目を大きく見開く。その瞬間、桐香の胸が激しく鳴動する。それが弘貴にも伝わったようで、彼の胸の鼓動も同時に高鳴っていたのが分かった。弘貴の体と接触していると、体温も皮膚を通して伝わってくる。

 ほわほわしたような、掴みどころのないような安心感に襲われた桐香は再び涙腺が緩む。嬉しさのあまり、体が震えだした。しかしそれでも、脳裏に鳴り響く時計の音は止む事はない。


「逢坂……君」


 目に涙を浮かべたまま、桐香は両手を弘貴の胴体に回す。どれだけ時間が経過したかは分からないが、二人で抱き合って硬直したままの状態がしばらく続いた。


「ごめんな藤森……有須から嫌がらせを受けていたのに、オレは何もしてあげられなかった……」


 桐香の耳元に、温かくて優しい声が聞こえてきた。その温もりは桐香の体にまで伝わってくる。こんな行動を起こすくらいだから、今の弘貴は桐香への罪悪感で押しつぶされそうになっているに違いない。

 だったら、今この場で伝えなければ……


「逢坂君は……何も悪くないよ」


 桐香が何のためらいもなく言葉を口にすると次の瞬間、桐香の首元にあった弘貴の右手が桐香の頭部に回され、栗色の髪が少しだけかき回される。


「今度有須の事で何かあったら、すぐにオレに言え」


 桐香の耳元に声が聞こえてくる。先ほどよりも落ち着いているのが分かる。

 この瞬間、桐香は確信をした。弘貴は自分を守ろうとしているのだ。そしてひょっとしたら、弘貴には桐香に対して、友達とはまた別の絆が生まれているのだと憶測する。

 胸の鼓動が先ほどよりも更に強くなる。心臓を伝う血液の流れの音は、脳内に何度も繰り返されている時計の音と重なり合って独特なリズムを作り出し、それが桐香の鼓膜を刺激する。安心という感情がこれだけの鼓動を生み出す事が、桐香自身が想像していなかった事だ。

 桐香はこの時、この胸の高鳴りの正体を弘貴に伝えたいと思った。


「逢坂君……」


「ん?」


 弘貴は桐香の異変にいち早く気が付き、そして桐香に起こっている非日常を一片も疑う事なく信じてくれた。渋さを含んだ少し大人びた声、丸みを帯びた少し幼さの残る顔、そして抱き着かれた時の暑苦しさ――時間が経過すればするほど、弘貴の全てが愛おしく思えてくる。

 今だ、今伝えなければ――


「も――」


 最初の一文字を口にした瞬間、今まで脳内に鳴り響いていた時計の音がピタリと止んだ。それと同時に全身にあった温かな感触が消滅する。

 違和感に気づいた桐香は、涙で半開きになっていた目をしっかりと開く。そこに弘貴の姿はなく、目の前にゴンドラの座席があるだけ。


「うそ――」


 小さく呟いた桐香はパニックになってゴンドラの中を見渡す。先ほどまであった暖かなオーラのようなものが感じ取れなくなっており、桐香の膝元には弘貴からもらった編み人形があるだけだった。


「あれ?」


 桐香はふと右目の下にできた傷に触れようとした。しかし、怪我をした形跡などないのが感触で分かる。

 目元に触れたまましばらく硬直をした後、今度はワンピースのポケットからスマホを取り出す。画面を操作して、以前時計塔のある広場で撮影した静画を呼び出してみる。

 その画面に映っていた人物は、無表情にカメラに視線を送っている桐香だけ。純も、理沙も、そして弘貴までもが、静画から姿を消してしまった。

 ゴンドラの中には先ほどとは正反対の、ひんやりとした空気が充満している。


「やだ……そんなの嫌だよ!」


 桐香の叫びが、ゴンドラの中に空しく鳴り響く。しかし返事をする者はだれ一人おらず、やがてキーンと耳鳴りが聞こえるほどの静寂が訪れる。

 その時ゴンドラは丁度一周をして、乗り場に差し掛かるところだった。

★★★ 人物紹介 その4


逢坂(おうさか) 弘貴(ひろき)

挿絵(By みてみん)

●身長……176センチ ●体重……67キロ

●誕生日……11月26日 ●血液型……A型

●好きなもの……常温の真水、スポーツドリンク、実家で使っている糸の質感

●髪型……茶色のレイヤーカット


●解説……桐香や理沙と同じ学校に通う同級生。テニス部に所属しており、その腕前は折り紙付き。地区大会で優勝、インターハイで準決勝に進出、といった好成績を残しており、ルックスの良さも相まって女子からの人気が高い。しかし弘貴はその女子達の事は眼中にはなく、むしろ煙たがっている桐香の方に興味があるようだ。

 性格は桐香をよく言動でからかう軽薄男だが、意外にも勉強は得意で、成績は大体学年で十位前後。

 テニスの実力を生かして東京の体育大に進学し、ゆくゆくはオリンピックに出るのが夢。アスリートを目指すきっかけとなったのが、リオ五輪で銅メダルを獲得した錦織圭だという。

 実家では両親が呉服屋を営んでおり、彼はそこで編み人形を作るアルバイトをしている。

 中学時代、桐香と弘貴が出会ったきっかけが、この編み人形にはある。

 好きなゲームのジャンルはスポーツゲームとマリオカート。スピード感のあるゲームで反射神経を鍛えている。

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