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15.星の港

 空模様の怪しい日曜日の朝。弘貴はバス停の前にやってきた。

 昨夜桐香に、「もし来る気が起きたなら、明日朝九時に凪中央駅のバス停に来てくれ」とだけメッセージを送っておいた。それ以来、彼女からの返信は無し。結局あれからチケットも渡せず終いで、弘貴の方から無理やり待ち合わせを強要した形になってしまった。

 弘貴はバス停に設置されたベンチに座り、これまでの桐香を振り返ってみる。桐香が弘貴に対する普段の態度というものは、基本的にツンケンした素っ気ないものだと思っている。しかしここ数日の桐香の様子というものは、刺々しさが日に日に弱まってきており、弘貴に対する当たりがナヨナヨした感じになってきている。それは寛子からの制裁を受けて心にダメージを負っているのもあると思うが、何か他に、彼女は隠しごとをしているのではないのだろうか? 誰にも相談する事のできない何かを。

 もしできるなら今日、そんな彼女の心のわだかまりを少しでも解消してあげられればいいのだが……

 果たして彼女は来るのだろうか?


(ま、来なかったら来なかったで、あいつはオレにそこまで興味はなかったって事が分かるから、いいけどな……)


 ベンチの上の屋根から透けて見える曇った空を見ながら、弘貴は寂しそうに心の中で呟く。



 待つ事一時間。いよいよ来るのが怪しくなったと感じ、駅の方に視線を送ると、遠くから水色のワンピースを身に纏った少女が、バス停に向かって歩いてくるのが見える。高校生として見ても小柄な、栗色ショートヘアーの女の子……


「お待たせ、遅くなっちゃってごめん」


 ショルダーポーチの紐をぎゅっと握りながら、桐香は弘貴に近づいて声を発した。表情には金曜日の時のような迷いは窺えない。


「藤森……本当に来てくれたのか?」


「逢坂君が誘ったんでしょ?」


 ワンピースのポケットに両手を突っ込んだ桐香は、苦笑を浮かべる。


「一人で行って楽しいような場所でもないと思うし、かといって行かないってのもせっかく買ってくれたチケットもったいないし――」


 それに、と言って一呼吸置いた後、桐香は弘貴に更に接近して顔を近づける。


「私の悩み……聞いてくれるんでしょ?」


 桐香が興味を抱いた表情で頼み込むと、弘貴は「お、おお」と言って体を少しだけ後ろに反らす。身長は弘貴より二十センチ以上低いのにも関わらず、自分の体をのけ反らせる程の威圧を放つ桐香にたじろいでしまう。

 そんな弘貴が面白おかしく感じたのか、桐香はクスっと笑みを浮かべたのだった。



 ★



 桐香を乗せた路線バスは、凪スターポートを目指して走る。凪中央駅を出発して市街地を出ると、やがては海沿いの国道を走りだす。十分ほどバスが走っていると、この間純と海水浴に行った花崎のビーチが見えてくる。砂浜の上ではオシャレな水着を着た人々がビーチバレーを楽しんでおり、浅瀬ではカップルと思わしき男女が水をかけ合ってはしゃいでいる。当然バスの中なのでビーチの喧騒などは聞こえてこないが、桐香の脳内には楽しそうな騒ぎ声が再生された。

 ビーチを通り過ぎると、海底から噴き出た溶岩が固まってできた断崖絶壁が見えてきた。悪事を犯した者が近づくと、見えない何かが歌声で海へ引きずり込もうとする場所。


「ホントに歌声なんて聞こえてくるのかねー、あの絶壁」


 弘貴が通り過ぎる断崖を見つめながら呑気に呟いている。


「逢坂君は気を付けてよね。心がよこしまな人間はあそこに近寄らなくても、ひとりでに導かれちゃうんだって」


「オレ……特に悪い事なんてしてねえって」


 弘貴の否定に、桐香は右手の人差し指で右目の下の傷を指し示す。すこしいたずらな気持ちを含んだ表情で。


「あっ……」


「……冗談だよ」


 桐香がまた苦笑を浮かべると、弘貴もつられて苦笑い。そして改めて窓の外の断崖を見る。悪人にだけ歌声が聞こえてくるなんていうのはただの都市伝説に過ぎないとは思うのだが、日頃の行いには気を付けようと改めて思う。人間は愚かで弱い生き物だから、こんな決心なんてあっという間に崩れてしまうと思うのだが、周囲からクズと思われるような生き方をするほど自分は落ちぶれていないと桐香は心の中で結論付けた。


「あれって……藤森の会社だったんだろ?」


 通路側に座る弘貴が、海とは反対側の窓の外を指をさして言った。弘貴の指の先に見えるのは、コンクリートで拵えられた三階建ての建物。そこはかつて、藤森クロックの支社だった場所だ。

 この支社は二年前に経営不振で倒産。両親を含めた社員全員が、本社のある東京への転勤を余儀なくされた。

 今は撤去の見通しすらままならないまま建物だけが残り、廃墟として残っている。コンクリートの外壁は所々に亀裂が入り、雨によるシミですすけていた。バスの中から見ても目立つ亀裂とシミは、その建物に何十年もの年季が入っている事を感じさせてくれる。

 建物の四隅が丸みを帯びており、どことなく昭和初期の趣が感じられるその建造物は、桐香には少しだけ魅力的に感じられた。


「……まあね」


 弘貴から会社の事をいろいろ尋ねられたくなかったので、桐香は素っ気なく返事をしただけだった。



 ★



 バスが花崎の海岸を通り過ぎると、遠くに観覧車が見えてきた。海沿いの道を進めば進むほど、その観覧車が大きくなってくる。そんな観覧車が二人が見上げるほどの大きさになったと思ったら、バスが停車をする。凪スターポートのバス停に停まったようだ。

 バスから降りた二人は、青空の見えない曇った空に向かって大きく伸びをする。

 その後、弘貴が二枚のチケットを入り口の係員に見せて、二人は入場を許可された。


「へえー、スターポートってこんなに大きかったんだ……」


 桐香は感心したような声を出して、園内を見渡してみる。

 遥か彼方に水平線を望めるその遊園地は、約一万平方メートルもの営業面積を誇る静岡県内有数のテーマパーク。絶叫系アトラクションの定番であるジェットコースターがあるのはもちろんの事、ホラーやVRアドベンチャーといった屋内アトラクションも充実している。

 怪しい空模様でも、各アトラクションは忙しなく動いており、桐香達の近くに建つフリーフォールの塔からは、早速女性の悲鳴が聞こえてきた。


「藤森って凪市民なのにスターポートに来た事ねえの?」


「ないよ。私、基本的にコースターとか無理な人だし」


 桐香があっさりと返答をすると、近くの鉄骨の上に張り巡らされたレールに、コースターが猛スピードで通過する。そこから聞こえてきた悲鳴に、桐香は眉をひそめる。

 桐香がこれまでの人生で行ったことのある遊園地といったら、小学校の修学旅行で行ったディズニーランドと、中学校の修学旅行で行ったUSJくらい。高所と高速が苦手な桐香は、絶叫系に乗る事を頑なに拒み続け、結局アトラクションには何一つ乗る事ができずに旅行が終わるという寂しい過去を持つ。

 こうやって目の前に自分の苦手とする物が現れると、何ともブルーな気分になり、お腹の底からため息がこぼれる。


「じゃあさ、早速コースターに乗ってみないか?」


 弘貴がレールの上を走るコースターを指さして提案をすると、桐香は眉をひそめていた顔をさらにしかめる。


「無理って言った人に乗らせるとか正気ですか?」


「いいじゃん、何事も経験だって! それに、オレ達と出会えるの、ひょっとしたらこれで最後かもしれないんだぞ?」


「またそういう言い方……」


 弘貴の発言に、桐香は表情を曇らせる。


「あと思ったんだけど……事あるごとにため息を吐く癖、直した方がいいぞ?」


 指摘を受けた桐香は、大きく目を見開いて右手で口を押さえる。微かながら顔に冷や汗が浮き出て、頬が紅潮している。


「ウソ? そんなに出てる?」


 桐香の焦りを顕わにした表情を見て、弘貴は静かに首を縦に振る。


「中学の時からそうだったけど、ここ一か月でそれが顕著になってきたよな。この間有栖とテニスの試合している時も、コートの外からお前のため息が何度も聞こえてきたぞ?」


 桐香は思わず額に手を当てて俯いてしまう。

 中学のころから顔見知りであるとはいえ、ここまで自分の事を見てくれるなんて思ってもいなかった。寛子から制裁を受けた事を一早く勘付き、理沙でさえ気が付かなかったであろう桐香の癖を指摘してくるなんて……

 他人から見れば、こんなの些細な事に過ぎないと思うか、人によれば弘貴の事を気持ち悪いとも思ったりするだろう。

 しかし今の桐香から見たら、目の前にいる幼馴染が妙に魅力的に感じた。そして桐香が弘貴に対して感じる安心感のようなものが、一昨日より力強くなったようにも思える。

 この時桐香は、弘貴に借りができたようにも感じた。何かしてもらったわけではないのだが、彼の気持ちに応えたいという思いが少しずつ募ってくる……


「分かった! 乗ればいいんでしょ?」


 桐香は顔を上げて弘貴に対して言う。嫌々ではない、何かを吹っ切れた表情の桐香に、弘貴は驚いて目を見開く。


「えっ? 乗る気になったのか? 今イヤだって……」


「んー……怖いし面倒くさいけどさ、私の鬱憤晴らしてくれるんだったら、一緒に乗ってあげてもいいかなーって」


 上目遣いをしながら見つめる桐香に対し、弘貴は呆れたように笑う。


「はははっ。お前らしいな……」


 弘貴の右手が桐香の頭の上にポンっと置かれる。それにより桐香は、自身の心臓の鼓動が少しだけ速くなったのだが、弘貴に悟られることなく平静を装った。

 二人は長蛇の列が並んでいるジェットコースターの乗り場に向かう事にする。



 高校生として小柄な桐香でも、ジェットコースターの身長制限を難なくクリア。搭乗を決意したものの、自分たちの番が近づくにつれて不安は増幅してくる。弘貴が何度も落ち着かせてくれたのだが、それはほんの気休めに過ぎず、両足は震えて肩が硬直してくる。

 ようやく二人の番が回ってきて、弘貴と桐香は隣合わせで座席に座り、コースターは発進。急降下直前の上り坂で聞こえてくるコースターのモーター音と、四十メートルもの高さが桐香の不安をより一層煽る。

 コースターが急降下を始めると、桐香自身の悲鳴は他の乗客に紛れて自分には聞こえてこなかった。桐香は恐怖のあまり瞼を閉じる事もままならず、隣で笑いながらスリルを堪能している弘貴に何度もしがみつこうとした。

 しかし人間とは、慣れを身につける生き物。三回目のジェットコースターを終えた桐香は、すぐさま弘貴の手を掴んで強引に乗り場へと向かうのであった。楽しくなったのか、それともヤケクソなのか、どちらにせよ弘貴から見れば、そんな桐香が可笑しくて仕方がなかった。

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