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14.誘い

 それからも変わる事なく見続ける、三つの柱時計の夢。桐香から見て一番右の柱時計が、夢の中で一日一つずつ動き出す。

 桐香がそんな夢を見ていたとしても、外の世界は何事もなく回り続ける。朝起きた後、親友を失った学校生活を全うし、帰宅して食事を済ませると、ベッドの中に入り気味の悪い夢の中に誘われる毎日。それから数日間は快晴と曇天が繰り返され、桐香を含めた学校に通う生徒達の調子を少しずつ狂わせる……

 試験が迫っているこの期間で、周囲の生徒達が徐々に焦りを顕わにしている中、桐香は数学の授業で習った微分積分の復習すらしないまま、窓の外の海を眺めながら一日を過ごしていく。

 有名な画家が絵画にでもしたらさぞ鮮明に描けるであろうこの大海の景色は、空の天候によって大きく表情を変える。晴れの日は水平線と青空をバックに、穏やかな海面の上空をカモメが飛び交う。雨の日は海の彼方にモヤがかかり、波が白い水しぶきを上げて荒れ狂う。

 今の桐香には、こんな見慣れた海の景色ですら頬杖をつきながら見入ってしまう。

 こういった日常の中だとしても、合同授業でA組と一緒になった際には、弘貴がジロジロと桐香の顔を見つめてくる。


(何……? 私の顔に何か付いてんの?)


 桐香は怪訝に思う。

 バスケの試合中でも桐香と視線が合うようにこっそりと見つめてくるので、目が合った瞬間、サッと視線を体育館のステージの方へと向ける。毎日のように目配せをしてくる弘貴を軽視するという事を、桐香はずっと繰り返していった。



 寛子にビンタをされてから四日が経過をした金曜日の朝。今朝も変わらず、気味の悪い柱時計の夢から覚める。

 ベッドから上半身を起き上がらせ、しばらくボケーッとした後、窓の方に視線を送る。

 窓から見える空は灰色に染まっており、桐香の耳には水が屋根に打ち付ける雨音が聞こえてくる。


「……最悪……」


 窓を眺めたまま、桐香は重い声を発した後に深いため息を吐く。最近の桐香にとって悪天候というのは、体も心も重くなる。いつもなら気味の悪い夢から逃れるためにベッドからすぐに這い上がれるのだが、今日は上半身を起こしたまま悶々と考えてしまう。

 そもそもどうしてこんな事が起きたんだろう……



 この不思議な現象が起き始めたのは、今から十八日前。

 海沿いの国道を雨の中走っていたら、突然紫色の稲光に打たれてしまった。しばらくアスファルトの上でうつ伏せで倒れていると、首元に感じた温もりで意識を取り戻す。顔を上げると、白髪の壮年の男性がそこに立っていた。男性は……確か「もう打たれるなよ」とだけ言い、体を浮遊させて時計塔の方へと飛び立っていった。あの男性からは、まるで以前出会った事のあるかのような雰囲気が桐香には感じ取れた。

 それから奇妙な柱時計の夢を、夜眠る度に見るようになり、その時計の針が零になると、弟の純と親友の理沙がこの世界から消滅してしまった。そして消えた二人の存在を覚えている者は誰もいない……

 この不思議な現象の正体とは?

 純たちをこの世界に呼び戻す術はあるのか?

 そして、あの白髪の男性は一体誰なのか?

 桐香の頭の中でいくつもの疑問が、渦潮の如くぐるぐると回転を繰り返している。

 桐香がさっきまで見ていた夢では、確か一番右の柱時計が三を通り過ぎ、二の所に近づいていた。ここ数日、何だか針の動く速度が上がったような気がする……


「近いうちに三人目が消える……」


 桐香が誰もいない寝室の中で呟いた瞬間、テーブルに置いてあるスマホから通知音が鳴った。画面を見てみると、弘貴からメッセージが届いていた。


『おはよう。学校に来たら体育館前の渡り廊下に来てほしい。渡したいものがある。よろしく!』


 若干臆面のないその文面を見た桐香は、「もう!」とお腹の底から嫌気のさした声を出して、左手で寝ぐせの立った髪をさらにクシャクシャにしてしまう。

 いきなりの幼馴染からのメッセージにどう返信すればいいのか迷いながら、部屋の中をぐるぐる回っていると、勉強机の上の棚にふと視線が行く。その上には、動物を象った小さな編み人形がいくつも置かれている。


「可愛いものが生んだ腐れ縁……か……」


 ボソッと呟いた桐香は、編み人形を見入るようにしばらく眺めていたが、やがてスマホの画面を見る。そして弘貴に対して返信のスタンプを送信すると、しぶしぶ学校に行く準備を始めた。



 ★



 街中に降り注ぐ雨の勢いはしばらく治まりそうに感じられなかった。桐香は海沿いの国道を傘を差しながら歩き学校へ向かう。傘に打ち付ける雨の音と、濡れた路面を走る車の音に、思わず耳を塞ぎたくなる。

 微かではあるが風も吹いており、その風に乗った雨が桐香の体に直撃をする。制服のワイシャツとスカートが少しだけ濡れる。やがて風の勢いが徐々に強まっていき、雨水が顔にも付着するようになった。このままのんびり歩いていたら、ここ数日念入りに施している化粧が落ちると確信し、学校へ行く足を速めた。


 

 学校に到着して靴を履き替えた桐香は教室には向かわずに、そのまま体育館に続く渡り廊下に向かう。


(教室で直接渡さないなんて、余程他人に見られたくない物なの?)


 首を傾げながら歩いていると、目の前から二人の女子生徒が歩いてくるのに気づく。桐香はその女子生徒に見覚えはなく、学年が同じなのかすら分からない。しかし彼女達は桐香と目が合った瞬間、お互いに顔を見合わせて何かをヒソヒソ話し始めた。


「?」


 訝しみながら女子生徒の横を通り過ぎると、後ろからクスクスと笑い声が聞こえてきた。


「ククッ、だってあいつさぁ、有須先輩に喧嘩売ってビンタされたんでしょ? 親の七光りだから――」


「シッ……声が大きいわよ……」


 女子達のヒソヒソ話に反応した桐香は歩む足を一旦止め、声が聞こえた方に振り向く。怒りを含んだその視線に恐れ慄いた女子達は、気まずそうに目配せをし合いながら教室の方に歩いて行った。


(あの言動から察するに、あいつらは恐らく一年……)


 あんなロクでもない情報が他の学年にまで知れ渡っている。恐らく寛子かその取り巻きの誰かが部活内で垂れ流して、それが噂話となって拡散されていったのだろう。結果、桐香は後輩からも悪い意味で話題の種にされてしまっている。

 桐香は肺の中に溜まった空気をすべて吐き出さんとするほどの、大きなため息を床に向かって吐く。今の桐香には、学校中をため息から出る二酸化炭素で埋めつくせる自信も無くはなかった。



「おはよ。わざわざ悪いな」


 メッセージ通りに、体育館に向かう渡り廊下に弘貴はいた。今が試験期間中という事もあり、部活終わりにこの廊下を使う生徒もおらず、森閑としている。桐香がやってきた事に気が付くと、弘貴は腰かけていた手すりからひょいと飛び降りる。


「で、何? 渡したい物って……」


 弘貴と視線を合わせた桐香は、怪訝そうな表情で尋ねる。

 弘貴は早速と言わんばかりに制服のズボンのポケットに手を入れ、中から紙切れのようなものを二枚取り出して、その内の一枚を桐香に手渡そうとする。


「えっ? 何それ?」


 紙切れには、「凪スターポート ワンデイパス」と書かれていた。

 凪スターポートとは、凪市の南外れにある海と隣接した遊園地で、この街最大級のレジャー施設だ。地元の人間のみならず、全国的にこのスターポートの名は知られており、静岡県外からの観光客も多く訪れる。


「見ての通り、スターポートのペアチケットだ」


「何で私に?」


 桐香が首を傾げていると、弘貴が嬉しそうに頬を緩める。


「ほら、この間藤森を怪我させちゃったじゃん? だからさ、そのお詫びとしてこれを譲ってやるよ」


「いやいや……遊園地のチケット渡されたって一人でなんて行きたくないんだけど……」


「いや、だからさ……」


 弘貴は照れくさそうに右手で茶色の髪を掻きむしる。そして自身が持っているチケットを桐香に見せびらかしながら……


「オレと一緒に行かないかって話」


「……」 


 弘貴の態度を見た桐香は、足元に向かって再び小さくため息を吐く。そして腰に両手を当てて、若干軽蔑の気持ちを含んだような目つきで弘貴を見つめる。


「あのね逢坂君。そんな事して私をご機嫌取りするつもりなんでしょ?」


「そうだけど?」


 弘貴の屈託のない返事を聞いた桐香は、再びため息を漏らしそうになる。


「あいにくだけど、そうやってへつらったって私にはなんの意味もないよ」


 桐香は弘貴の目を見ながら、あっさりとした口調で話す。そして右目の下の傷を指さす。


「っていうか、右目にボールを当てられた事、別にもう怒ってないよ? だからさ、そういう事、やめよ? ってか、私に言いたい事ってそれだけだよね?」


「……」


「だったらもう用はないでしょ?」


 肩を竦めた後、弘貴に「じゃあね」と言って踵を返してその場を後にしようとする。


「頬、引っ叩かれたんだろ? 有須に」


 背後から聞こえてきた弘貴の発言に、桐香は教室に戻ろうとする足をピタリと止める。つぶらな目を開いて振り向くと、弘貴がゆっくりと歩いてくる。


「何で、知ってるの?」


「分かるさ。あいつは何かムカつく事があると、誰かに理由をつけて制裁をする事でガス抜きをするような奴だ。同じ部活にいると手に取るように分かる。本来だったらオレが受けるべきだと思うけど、もしあいつがオレに制裁なんてしたら、他の女子達からの怒りの矛先が有須に向かうと思う。それだけは避けたいから、他の当事者である藤森をターゲットにした……」


「……」


 弘貴の発言に、桐香は押し黙ってしまう。


(逢坂君に制裁を加えると後が怖いから、どうって事のない私にあんな事したっていうの?)

  

 寛子のひねくれたやり方に、押し込めていた悔しさがこみあげてくる。両手に拳を作り力強く握りしめていると、目頭が熱くなりやがて目元が潤んでくる。


「それに藤森。お前、左頬だけ化粧が濃い。それって引っ叩かれた手の跡を隠すために厚化粧してるんだろ?」


「!? そ、そんなところまで見てたの!?」


「ジロジロ見て悪かったけど、藤森の顔を見て制裁を受けたって確信したよ」


 桐香は心の中で驚愕と同時に、どこか安心した気持ちが沸き上がってくる。目元から溢れそうな涙が、嬉しいという気持ちを帯びたものに変わってくる……

 やがて左肩に弘貴の左手が優しく添えられる。


「もし良かったら今度の日曜日、二人でスターポートに行かないか? 凪中央駅で待ち合わせして、そこからバスに乗って行こう。そこで藤森の……学校じゃ話せないような悩みも、聞いてやる」


 弘貴が優しそうな誘いの声を投げかけると、桐香は肩をピクッとさせてリアクションを取る。今まで桐香の心の内に溜まっていた恐怖と不安を、弘貴だけが勘付く事ができた。それにより、心の中の負の感情がどんどん溶け出して、涙となって頬に溢れ出す。

 しかしそれは桐香にとって誰にも見せたいものではなく、涙が頬を伝った瞬間、弘貴に背中を向ける。


「余計な……お世話だよ!」


 桐香は涙を悟られたくないという感情をむき出しにしながら、弘貴に言葉を吐き捨てる。そして右手で涙を拭いながら、校舎の中へと消えていった。

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