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13.制裁

 学校の校門前に到着した桐香は、一旦立ち止まって呼吸を整え、校舎に取り付けられている時計を一瞥する。始業にはまだ二十分あるので、校門の格子は閉められていない。

 校門では風紀委員とその顧問の先生が、登校する生徒と挨拶を交わし合っていた。


「理沙……」


 深呼吸をして朝の新鮮な空気を取り入れた桐香は、そのまま教室に向かう。

 桐香が教室に来た時点では、生徒の数はまだまばらだった。試験期間で部活が休みになった関係で、始業時間にのんびり来る生徒が多くなったのだろう。

 窓際の席に着いた桐香は鞄からスマホを取り出し、メッセージアプリを開く。いくら探しても月尾理沙の名前は無かった。


「そんな……」


 次にアルバムフォルダを開き、この間時計塔の広場で四人で撮影した静画を確認してみる。無情にも、画面に映っているのは桐香と弘貴だけだった。


「……」


 言葉を失った桐香はひたすらスマホの画面とにらめっこをして、現実に起こっている事の再確認を何度も行う。

 そうしているうちに、教室内は生徒が次々と登校してきて賑やかさが増してくる。桐香はA組の生徒に理沙の事を確認しようとしたが、自身の脳がそれを無意識に拒絶している。自分の友人が、この世界から消滅したことを再認識したくなかったのだ。

 そのままB組の生徒にジロジロと視線を送っていると、黒板の前で談笑をしていた二人の男子が桐香を見つめてきた。目が合わさった刹那、桐香は視線をすぐさま窓の外に反らす。

 遠くに見える海沿いの線路を走る電車をボーッと目で追っていると、始業のチャイムが鳴り、担任が教室に入ってきた。日直の生徒が他の生徒全員に挨拶を促すと、起立から着席までの動作を円滑に行う。

 担任が夏休みまでの予定を簡潔に話し、来週の試験に向けての勉強をしっかりとするようにと釘を刺すと、ホームルームは終了した。

 


 理沙が世界から居なくなっても、一日は無情にも過ぎ去っていく。他の人間からはどうって事のない日々としか感じられないこの日常が、桐香にはより一層不気味に感じられる。


(何で……何で、理沙が居なくならなくちゃいけないの?)


 昼休み、桐香は昼食も食べずに自分の席で頭を抱えて、親友の事を悶々と考えていた。しかし教室内は生徒達の談笑により、まともにリラックスをする事もできない。桐香の耳に聞こえてきた談笑の内容は、夕べテレビでやっていた音楽番組「ミュージックステラ」に出ていた男性アイドルグループの話や、ダイエットをするためにスポーツジムに通い始めた話、今流行りの乱闘ゲームの最新アップデートの話等……

 耳に入り込んでくる雑談が全て騒音に感じた桐香は、ゆらりと席から立ち上がる。腹の虫が鳴り、考えているだけではラチがあかないと判断し、学食にでも行こうかと思ったのだった。



「藤森、目、大丈夫か?」


 昼休みでごった返している廊下を歩いていると、背後から男子生徒の声がした。声のした方を振り返ってみると、弘貴が歩いてきた。

 ここ数日、弘貴は廊下ですれ違う度に桐香の右目の怪我に気を配るようになり、以前のようなおちょくる言動は無くなってきた。


「……」


 弘貴の心配そうな顔を見ても、桐香は返事をする気が起きない。自分に今起きている現象をここで馬鹿正直に話したところで、信じてもらえないというやるせなさが桐香を襲う。


「視力はもう回復したのか? 不自由な事があったら何でもオレに言えよ」


 弘貴はそう言って屈託のない笑みを見せる。それを見た桐香は、もしかしたら分かってもらえるかもという淡い期待を抱いたのか、口から親友の名前が発せられる。


「……ねえ逢坂君。月尾理沙――」


 そして次の瞬間、それを口にした事を後悔して口を(つぐ)む。


「月尾……? 誰だそりゃ? どっかの女優さんか誰かか?」


「やっぱりいい! なんでもない!」


 思った通りの返答がやってきたと確信した桐香は、深くため息を吐いた後、廊下を歩く足を速くして学食に向かう。後ろから「変な奴」と声が聞こえてきた。

 学校内の人間が、理沙が居なくなっても平然とした日常を送っているのが気味が悪くて仕方がない。  



 ★



 教室内と喧騒は変わりない学食で質素な食事をして、それから午後の授業を無気力に過ごし、午後のホームルームも終了。あっという間に放課後になり、クラスメイトは教室に残って試験勉強をする者と、談笑をしながら帰宅する者に分かれる。

 桐香は気分転換に試験に出る範囲を復習しようかとも考えて、参考書とノートを机の上に広げたが、それから五分後、やはり気分が乗らず帰宅をする事を決意。帰り際、またもや廊下で鉢合わせした弘貴に一緒に帰らないかと誘われたが、気が進まないとだけ伝えて昇降口に向かう事にした。

 先週の火曜日に弘貴にボールを当てられてできた右目の下の傷。痛みがまだ残る傷を気にしながら、桐香は廊下を歩く。本来だったらまだ眼帯を着けなければいけないのだが、目を押さえつけるような感覚を不快に感じ、今は着けていない。眼球に支障がないなら目元の傷もそのうち完治するだろう……



 純のみならず、理沙さえも居なくなったこの世界。これからどう生きていけばいいのか……そしてこれは本当に桐香自身が呼び起こした力なのか……自問自答しながら一階への階段を降りようとする……


「あっ」


「来た来た」


「わぁ、待ってたよ~」


 頭の中で渦を巻くような思考を巡らせていた桐香に、踊り場で待機していた女子三人に声をかけられる。


「? はい?」


 声をかけられた桐香は、目を開きながら三人を交互に見つめる。彼女達には見覚えがあった。そして声も聞き覚えがあった。先週の火曜日の体育の授業で、桐香の隣でやかましく弘貴を応援していた女子達。そして桐香がトイレの個室に入っていた際、有須(ありす)寛子(ひろこ)と一緒に居た女子達だった。おそらく彼女たちは寛子の取り巻きか何かだろう。


「藤森桐香ちゃんだよね?」


 女子の一人に尋ねられたので、桐香は「そうだけど」と言って受け応える。


「ちょっとだけ、あたしたちに付き合ってくれないかしら?」


「……私に何か用?」


「来れば分かるよ」


 女子の一人が手招きをして、桐香に階段を降りる事を促す。ここで要件を答えない辺り、どうやら桐香に拒否権というものは存在しないらしい。

 女子三人に囲まれた桐香は階段を降り、昇降口でローファーに履き替える。そのまま校舎の裏手へと回り、普段放課後は軽音部や吹奏楽部が使用している音楽室棟を通り過ぎると、やがて運動部が使用しているプレハブ造りの部室が立ち並んでいる場所にたどり着く。さらに奥にはグラウンドが二つあり、野球部やサッカー部の練習中の威勢のいい掛け声が聞こえてくる。部によっては試験期間に関わらず練習をするところもあるのだろう。


「こっちよ」


 女子の一人に先導されながら、桐香は部室が並ぶ場所を歩く。本来部活動に縁のない桐香は、この場所に足を踏み入れた途端、異様な空気が口に入ったように感じられた。


「……ここって」


 連行された末にたどり着いた先は、入り口の表札に「女子テニス部」と書かれた部室だった。


「そうよ、寛子と私達三人とも女子テニス部なの。先月の地区大会で準決勝で敗退して三年生は引退しちゃったから、部員は今私達二年生が四人、一年生が六人しかいないけど――さ、寛子が呼んでるから入って頂戴」


 女子の口から有須寛子の名前が出てきた途端、桐香は何の要件で呼ばれたのかを理解する。同時に体全体が硬直し、顔から冷や汗が吹き出す。


「さ、早く!」


 入口への扉が開かれると、桐香は女子の一人に強引に腕を掴まれ、部室の中へ投げ込まれる。

 部室の中はテーブルを中央にして、ロッカーが壁一面に並んでいる。しかし整理整頓が行き届いておらず、ラケットや脱ぎ捨てられたウェア等の私物が床の上に散乱していた。

 部室の奥では、寛子が椅子に座りながらペットボトルに入ったスポーツドリンクを飲んでいた。

 桐香がやって来た事に気がついた寛子は、「ようこそ」と言いつつにんまりと口角を上げる。桐香は不安になりながら、寛子に静かに尋ねる。


「ええっと……何か話でもあるの?」


「いいから上がれっての!」


 突然桐香の背中が女子生徒の一人に突き飛ばされる。衝撃を受けた桐香は思わず前につんのめり、リノリウムの床にローファーで上がってしまった。


「ちょっとあなた! 部室は土足厳禁よ? あなたって自宅にいる時も土足で生活しているの?」


 寛子は「これだからいいところのお嬢様は」とため息を吐きながらぼやいたので、桐香は慌ててローファーを玄関に並べる。同時に他の女子三人が部室に上がってきて桐香を取り囲んだ。

 紺色がかったおさげ髪の寛子は、椅子からゆっくりと立ち上がり、ペットボトルをテーブルに置く。そして桐香の目の前に近づき、そして見下ろす。


「藤森さん、この前の火曜日の体育の授業で、わたしと逢坂君が試合をしていたのはご存知よね?」


「……う、うん……」


 寛子の獣のような鋭い視線に、桐香は身震いをして後ろにのけ反りそうになる。


「あの時あなた、どうしてわたし達の試合の邪魔をしたのかしら?」


「……いや、邪魔したんじゃなくて、うっかりボールが目に当たって、逢坂君達が私を介抱してくれて……」


「でも逢坂君はあなたを保健室に連れて行ったおかげで、試合を中断するハメになった。これってあなたがボールにぶつからなければ、試合は中止にならずに済んだ事じゃない?」


 寛子は肩を震わせる桐香に対し、次第に距離を狭めていく。


「そもそもあなたが試合の観戦をやめたりしない限り、ボールは目にぶつかる事なんてなかった――違うかしら?」


「……」


 桐香を凝視していた寛子は、やがて呆れ返ったかのように腰に手を当てて首を横に振る。背後で逃げ道を遮っている女子三人は、クスクスと笑いを堪えている。


「テニスに限らずスポーツというものは、種目によっては人類が誕生した頃から営まれていた――すなわち人間と共に歩んできたと言っても過言ではない、歴史ある競技。故に試合とは、そのスポーツを通じてお互いの力量を証明し合う神聖な儀式なのよ。あなたはそんな試合の観戦を放棄するのみならず、選手に手を焼かせる事によって中断させるなんて! これってスポーツそのものに対する無礼じゃないかしら?」


 寛子は不敵な面構えで力説をする。


「あなたはスポーツの歴史に泥を塗ったも同然。これはもう制裁ってものが必要よね?」


 寛子が「あんた達!」と女子三人に声をかけると、後ろにいた彼女達は咄嗟に桐香の両腕を掴む。そして三人がかりで力を込めて、両腕が動かないように後ろで固定した。


「……ちょ、ちょっと! 何すんの!」


 桐香が腕を振りほどこうと必死で抵抗するものの、三人の押さえつける力に敵うはずもなく、そのまま寛子の方を向いた状態で拘束されてしまう。

 寛子は身動きが取れない桐香を、ざまあみろというメッセージの籠った冷たい視線で見下ろす。その視線をゼロ距離で受け取った桐香は、肩の震えが一層強くなり、つぶらな瞳が大きく見開かれる。体中の至るところから汗が吹き出し、蒸し暑めな室内に反して妙な寒気に襲われる。

 

「勘違いしないで頂戴。これはいじめなんかじゃなく、わたしのプライドなの。一スポーツ選手として、あなたが憎いのではなく、試合を中断させる行為そのものが許しがたいだけ……」


 流暢に語る寛子の口角は両端に吊り上がるものの、目つきは相変わらず獲物を確実に仕留めんとする猛獣のよう。舌が出てきて唇をペロリと舐めまわす。

 そんな彼女の視線を見た桐香は、寛子の本当の胸の内を探る。



 違う……そんなんじゃない。

 彼女は決して、公徳心や正義感でこんな事をしているわけじゃない。だってもし彼女が本当にスポーツマンとしての怒りを抱いているのだとしたら、わざわざ呼び出して陰でこんな事をしたりなんかしないだろう。

 それに、この間トイレで聞いた寛子の陰口。確か、お高くとまっているいると宣い、七光りと見下していた。この言動から考慮すると、寛子は単に桐香の存在が気に食わないだけ――試合を続行できなかったという鬱憤を晴らしたいだけ……



 両腕の自由を奪われたまま思考だけを巡らせていると、桐香の頬に力強い衝撃が走る。同時に部室内に風船の破裂音のようなものが鳴り響く。そのビンタの威力は、最早殴るというものに比肩していた。

 三人の女子も「うわぁ」と小声を発しながら、拘束していた桐香の両腕を振りほどく。

 頬に衝撃を受けた桐香がゆっくりと顔を正面に向けると、目の前では寛子がフンと鼻を鳴らしている。


「今回は一発……」


 ビンタした右手を腰に当てると、寛子は侮蔑の視線を桐香に向けながら口を開く。


「あなたがわたしに犯した侮辱は一回、だから制裁も今回は一回だけよ。けれど次侮辱をした時は二回制裁をお見舞いするわ。そして三回目は三回の制裁、四回目は四回の制裁――聞き分けのない人間には、同じ程度の制裁じゃ何の意味もないもの」


 寛子はそう言って、赤くなった左頬を押さえる桐香を見据える。少しにやりとした後、寛子は桐香を拘束していた女子三人に声を放つ。


「あんた達? これはあくまで(しつけ)の一つ。わたしの見ていない所で藤森さんをいじめたりなんかしない事。いいわね!」


 寛子が言い聞かせると、他の女子三人は静かに首を縦に振る。そして涙目になりながら肩を震わせる桐香に、寛子は再び視線を移して眉間に皺を刻む。


「藤森さん? いつまでここにいるつもりなのかしら?」


 寛子に言葉であしらわれると、桐香は我に返ったかのようにハッとして慌てて振り向く。そしてローファーを履いて女子テニス部の部室を後にすると、入り口の扉は勢いよく閉ざされた。

 屋外に出た桐香は、扉の前に呆然と立ち尽くす。そのまま再び左頬を押さえると、突き刺すような痛みが生じる。それと同時に堪えていた涙があふれ出し、桐香の顔をくしゃりと歪ませる。

 どうやって言葉にしたらいいのか分からない屈辱感が、桐香の心の中でクルクルと渦巻いている。今の桐香には、自分に非があるのか、寛子に非があるのかも理解できない。そんな答えを見出せない自分に腹が立ち、悔しさからか涙がますます溢れ出てくる。

 そんな桐香の耳には、部室の扉の向こうから話し声が聞こえてくる。

 会話の中から「七光り」という単語が何度も聞き取れたので、何に関して話しているかは容易に想像がついた。


「……もう、いやだよ……」


 地面に向かって言葉を吐き捨てた桐香は、扉の向こうの会話から逃れるかのようにして部室棟から離れていった。

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