12.夢の中の親友へ……
夜食パーティは食べ残しも処理しないままお開きとなり、寝室の照明が消されると、二人は床についた。一つのベッドで二人が寝るというものはなかなか窮屈なものだと改めて実感する。
部屋が暗くなってから一時間程経過すると、黒髪の少女は閉じていた瞼を開いてベッドから上半身を起こす。ライブの余韻のせいなのか、理沙はなかなか寝付けなかった。眠れぬ眼を一回こすってすぐ右隣を見ると、栗色の髪の少女が壁と向かい合って寝息を立てていた。
理沙が身を乗り出して表情を覗き込むと、そこには無垢な寝顔がある。
「ホンっとお子様みたいな顔……」
桐香の寝顔を見た理沙はフッと笑みを見せた後、再びベッドに体を落とし、桐香の背中から優しく覆いかぶさる。例え眠っていたとしても、桐香の若々しい血潮の流れと体温が、パジャマを通して理沙の両手と両足に伝わってくる。
「桐香……これは独り言だから聞き流してくれていいんだけど……」
理沙は抱き着いたまま、寝ている桐香に聞こえるような口ぶりで言葉を発する。
「中学の頃、友達のいなかったあたしに初めて声をかけてきてくれたのが、桐香だったよね。実家が貧乏だって事を初めて打ち明けられた相手も桐香だった……」
聞いている者は誰一人いない空間の中で、理沙は淡々と言葉を紡ぐ。
「それから何度も二人でカフェ巡りをしたっけ。無邪気な顔であたしを誘ってくれたね。嬉しかった。生まれて初めての友達だったもの……嬉しいに決まってる。ここだけの話、初めてカフェに行った晩の日、嬉しくて枕をビショビショに濡らしたんだよ。で、あたしはある日、ふと桐香に聞いたよね。『なんで貧乏なあたしなんかと一緒に居ててくれるの? あんまりあたしといると貧乏がうつるよ?』って」
言葉を紡いでいた理沙の声が、次第に震えを帯びてくる。
「そしたら桐香、『私、身分とか家庭事情で人間性を判断する人と友達になりたくないんだよね。でも、理沙はああいった人達と違うって事は分かってる。だって理沙こそが、私を社長の娘とか言って偏見を持ったりせずに、私と一緒に居てくれてるじゃん』って言ったよね……嬉しかった……」
桐香が家庭事情で判断しなかったように、理沙も身分で判断しなかった。お互いを色眼鏡で見ないその気持ちが、二人の間で強い絆を作り出した事を再認識した理沙は、目元から涙を浮かべる。
「んで、今日桐香はあたしの夢を受け入れた人の第一号になってくれた……これは桐香があの時、あの答えを言ってくれたからこそできた事なんだ。何だかこそばゆいけど……ありがとう……」
まとわりついていた両手と両足を引き離した理沙はベッドを立ち上がり、ちゃぶ台の上に置かれている「メモリア」という曲が書かれたバンドスコアを開く。そして一番最後のページに、理沙の桐香への思いを短絡的に書き連ねる。
ペンを走らせ終えた理沙は再びベッドに戻り、眠っている桐香の頭を優しく撫でる。
「桐香、これは万が一の話なんだけど、あたしがもし居なくなったとしたら、あんたはどうするの?」
質問を投げかけても返事が返ってこない事が分かった理沙は、なんちゃってと呟いた後、タオルケットを体に覆いかぶさせる。
「もしそんな事が起こっても、あたしはあんたの事、ずっと見てるからな」
桐香のかけがえのない親友はそう言って仰向けになり、そのまま朝が来るのを待った。
★
もはや見慣れたといっても過言ではないくらいに見続けた、柱時計の夢。
桐香の目の前に三つ並べられた柱時計のうち、真ん中の柱時計の針がとうとう零を指す。その柱時計は悲鳴にも似た鈍重な音色を奏で、夢の中で立ち尽くす桐香を厭わしい気持ちにさせる。しかし夢の中である以上、両手で耳を塞ぐことすらままならなかった……
柱時計の空間が歪みだすと一瞬視界がブラックアウトして、その後白い天井が視界に入ってくる。
これで十四日連続だなと心の中でぼやいた次の瞬間、桐香の体に強い違和感を覚える。その正体は今まで自分が固い床の上で寝ていた事だった。
「えっ?」
小さく驚嘆の声を漏らした桐香は、咄嗟に上半身を起き上がらせる。おかしい、自分はベッドで寝ていたはずなのに……
焦りながら周囲を見渡すと、桐香の頭は真っ白になりそうだった。自分が寝ていたベッドが見当たらないのだ。そればかりか、夕べまでこの部屋に存在した理沙の私物がすべて消滅しており、最初から誰も居なかったかのよう。純が居なくなった日の寝室と全く同じだった。
「これってもしかして……」
冷静さを失いつつ、自分が寝ていたフローリングの床から立ち上がると、寝室の扉を開ける。その奥にあるキッチンスペースは、流しの中にあった食器も無く、引っ越してきたばかりのアパートのようにピカピカだった。
「理沙!」
部屋中に響き渡るように、桐香は大声で親友の名を呼ぶ。甲高い声が部屋の中の空気を振動させても、理沙からの返事は返ってこない。静寂に包まれた空間は、窓からの朝日が差し込んで明るく照らすだけ。
その時パニックになりそうな桐香の目に、フローリングの上に置かれた白い紙の束が入ってきた。それは夕べ、理沙が桐香に託したバンドスコアの冊子。いつの間にか最後のページが開かれており、楽譜の最後の部分に何かが書き加えられている事に気づく。桐香は床からそれを拾い上げ、書かれているメッセージに目を通してみる。
『桐香、あたしの夢を聞いてくれてありがとう。アンタも好きな事やって、夢叶えろよ。あたしはずっと、桐香を見てるからな!』
書かれていた文面を見て目を丸くした桐香は、思わず片手で口を押さえる。
「理沙……」
桐香はしばらくの間言葉を失っていたが、やがてバンドスコアを鞄に詰め込むと、大急ぎで制服に着替えて支度をする。メイクもまともにしないままローファーに履き替えると、鞄の取っ手を強引に掴んで理沙の自宅を飛び出した。
昨日の悪天候が嘘のような青空の下、桐香はアスファルトに点在している水たまりを物ともせずに、学校へ向かって走り抜ける。その足は今にももつれそう。足の遅さと体力の無さが災いし、十分も走ったら息切れし始める。しかしそれでも、今の桐香には速度を緩めるという選択肢は存在しなかった。