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11.理沙の儚い夢 ★

 三時間に渡るワンマンライブは、アンコールも含めて全て終了。その後ホールで行われたハイタッチタイムには、観客の半数以上が参加をした。もちろん理沙達も会場に残り、ひしめき合うファンの中で春宮雪乃とのハイタッチを見事に交わす事に成功した。理沙は自分が大ファンである事を数秒間で春宮にアピールをしたものの、他のファン達が押し掛ける関係で、彼女は「ありがとう」としか返してくれなかった。


「一時間も待って一瞬しか目を合わせられないなんて、ちょっと空しいよね」


 凪中央駅に向かう帰りの電車の中で、桐香が隣に座る理沙に話す。


「いいんだ。あたしから見れば春宮と目を合わせる一秒は、平凡に過ごす一年よりもずっと価値があるから……」


 どこかの偉人の名言っぽく答えた理沙は、この世界にもう未練などないほどに満足な表情に満ち溢れていた。



 凪中央駅を降りた二人は、駅前のマックで腹ごしらえをして、このまま理沙の住むアパートに向かう。現時刻は午後十一時。

 桐香はこんな時間にお邪魔したら悪いと断ろうとしたが、理沙にどうしても見てもらいたいものがあるから来てくれと言われ、素直に拒めなくなってしまう。桐香が首を傾げていると、理沙が「今度ロックチャイムのビーフカレーパンを三つおごってやる」と言ったので、結局今夜は理沙のアパートに泊まる事にした。


「お邪魔しまーす」


 理沙が玄関の扉を開けて入室を促したので、桐香は遠慮しがちに中へ足を踏み入れる。玄関付近に申し訳程度のキッチンの付いた、1Kの住居だった。キッチンの流しの中には、使用したままの食器が水に浸ったまま重ねられている。

 最後に理沙のアパートを訪れたのが約半年前なので、久しぶりだと心の中で思った桐香は、住居内の空気を大きく吸い込んだ。



 桐香はひとまず浴室を借りてシャワーを浴びる。その後パジャマに着替えたら、理沙の寝室にお邪魔をした。部屋の隅っこにベッドが置かれ、すぐ近くの壁には春宮のポスターが張られている。本棚には、春宮のCDや写真集がぎっしりと詰まっていた。

 あたしも入ると言い、理沙も浴室に向かったので、桐香は夜食パーティの準備に取り掛かる。キッチンの食器棚から手ごろな皿を取り出すと、寝室の中央のちゃぶ台にそれを置く。そして来るときに買ってきたスナック菓子の袋を開けて、皿の上に全部盛る。

 盛られたお菓子をいくつかつまみ食いしながら待機していると、理沙がようやく浴室から戻ってきた。ロングヘアーの理沙は、ショートヘアーの桐香よりも髪を洗うのに時間がかかってしまうらしく、「お待たせ」と言って待ちくたびれた桐香を労った。

 理沙がちゃぶ台の前に座ると、桐香は二つのマグカップにサイダーを注ぐ。 


「それじゃ、春宮雪乃デビュー三周年を記念して、乾杯!」


 二つのカップが優しく触れ合うと、二人は注がれたサイダーを飲み干して、ライブで乾いた喉を潤した。



 それからしばらくの間、二人の談笑は続いた。桐香が普段トイレで物思いに耽り、くだらない考察をするのが自分の日課なのだと話したら、理沙は大口を開けて笑い出す。そういった自分の恥ずかしいエピソードを含めた雑談をやり合っていたら、一時間があっという間に過ぎてしまっていた。


「桐香ってさあ、将来の目標とか、もう決まってるの?」


 雑談の途中、理沙が不意に真剣な面持ちになって問いかけてきた。


「目標……えー?」


「やっぱ、親の会社はあまり継ぎたくない感じ?」


「うーん、ちょっと気が進まないかな……」


 桐香の自身の無さげな発言に、理沙は手にしていた紙コップをちゃぶ台の上に置く。


「やっぱそうだよね。場所を選んで生まれてきたわけでもないのに、予め決定された道に進むのは、不本意だもんね……」


 桐香に同情をするかのように、先ほどの雑談の時よりも声のボリュームを落として話す。

 桐香はついうっかり「会社なら弟が継いでくれるから大丈夫」と口走ってしまいそうになり、思わず口元を両手で押さえる。それを見た理沙は頭上に?マークでも浮かべたかのように首を傾げたので、桐香は思わず目を反らす事でごまかした。

 危ない――純が世界から消滅して存在を忘れられているというのに、弟の事を話してまた訝しまれるところだった……


「あたしは将来の事で親といっつも揉めてるからさ、今の桐香を見てるとちょっと共感できちゃったりするんだよね」


「揉めてるって……仲悪いの?」


「高校生がこうやって一人暮らしをするくらいにはね……」


 理沙が話すと表情に影を落とし、マグカップの中を覗き込む。サイダーの水面に映っている自分の顔を見つめているみたいだった。


「といっても、桐香と違ってもっとわがままな理由なんだけどね、両親とのいざこざは。ここ四年くらい続いてる」


「……」


 四年という数字を聞いた桐香は目を見開き、理沙をじっと見つめる。

 そりゃあ自分だって親と喧嘩した事はあるにはある。しかしそれは桐香と純の住む場所に関しての一時的な(いさか)いに過ぎない。


「今は、親とは話してないの?」


「あんまりね。久しく会ったとしても、『お前の夢は諦めろ』の一点張り。だからこっちからは極力連絡はしないようにしてる。バイトで家賃と生活費は稼げてるから、別に話さなくても問題ないかなって……」


「……そうなんだ」


 理沙が今まで話してこなかった素性に、桐香は短絡的な返事しかできなかった。理沙にとって第三者に過ぎない桐香には、親と仲良くした方がいいなんて他人事みたいな発言なんてできない。ただの偽善者と思われるのがオチだろう。


「親から『夢は諦めろ』って言われてるみたいだけど、それを押し切ってでも叶えたい夢が理沙にはあるんだ」


「……うん」


 理沙が静かに頷くとおもむろに立ち上がり、背後にあるクローゼットの観音開きの扉を開く。中には彼女らしく洒落た服がたくさんハンガーに吊り下げられている。その下を潜るように身をかがめ、奥にあった二つの黒い物体を取り出した。一つは大きな楽器入れのようなもの、もう一つは小さなスピーカーのようなものだった。


「うわっ! 何それ!」


 見慣れないものを間近で見て目を丸くしている桐香を他所に、理沙はフフンと鼻を鳴らしながらそれらをフローリングの上に置く。特徴的な形状をした大きな黒いケースのようなものが理沙によって開かれると、中から桃色を基調とした弦楽器が現れる。


「どーよ桐香! 驚いたか?」


「すごい、何これ!? ギター!?」


「ベースだよベース。エレキベースっていうんだ。んで、こっちのスピーカーみたいなものがベースアンプ、弾いた音源を増幅させるんだ――ほら、桐香には特別に触らせてやるよ」


 理沙が自慢げに話しながら手招きをしてきたので、桐香は桃色のベースに近づき右手でネック(弦が張られている棒状の部分)を持ち上げてみる。桐香の右手にはずっしりとした重みが伝わってくる。ベースを持ち上げるのをやめると、桃色に彩られたボディの部分をまじまじと見つめる。


「ねえ、このベースの桃色って、ひょっとして春宮の弾いてたベースを意識してる?」


「フフ……よく気づいたな桐香よ!」


「そりゃ今日見たもん。春宮に憧れて同じ色のやつを買ったんだ……」


「まあね。ネットにしか売ってなかったし、買うのにバイト半年分くらいの給料が必要だったけど……」


 週に六日働くほどに稼いでいる理沙が、半年かかってようやく購入できるベースって……

 少なくとも、目の前にあるものが素人が簡単に購入できる代物ではないという事は火を見るよりも明らかだった。いくら親友のものとはいえ、そんな高価なものはもう触れられないとアピールするように、桐香は両手を膝の前でぎゅっと組む。


「あ、あのさ……理沙はベースを買ってどっかで披露するつもりなの? あっ、今度の文化祭で演奏するとか?」


 桐香のぎこちない質問に、理沙は静かに首を横に振る。


「あたし、実は春宮雪乃を追いかけようと思ってるんだ」


 理沙は両目を見開いて桐香を見据える。その鋭い視線からは、冗談といったものが感じられず、揺るぎない覚悟が伝わってくる。


「それって……アーティストを目指すって事?」


「……うん」


「それが親から反対されても、どうしても叶えたい夢?」


 桐香からの質問に、理沙は再び首を縦に振る。


「考えなしにシンガーソングライターを目指してるわけじゃない。バイト帰りに週五でリハーサルスタジオを借りて、ベースの練習をしてる。もちろん料金はバイト代で支払ってね。そんでもって高校卒業したら上京して、東京のM音大に入学する。バイトしてるのはその学費を貯めるためでもあるんだ。で、在学中に路上ライブも積極的に行ってあたしに対しての知名度を世間に知らしめる……」


 淡々と語る理沙の目を、桐香は一時も目を離さずに見据えている。


「んで、運よく知名度を手に入れる事ができたら、どこかで単独ライブを開く。最初はバーとかでやる小さなものから初めて、少しずつ規模を大きくして、いずれはライブハウスでの講演を実現させる。そして最終的な目標は……春宮と同じ音楽事務所に所属する事――もし実現できるんだったら、春宮と対バンライブとかやってみたいなー、なんて……」


 胸の内に秘めた想いをさらけ出した理沙の頬は、微かに紅潮していた。今まで桐香に黙っていた事を口にしたのだから、余程恥ずかしかったのだろう。


「き、桐香……お前、笑わないの!? バカにしないのか!?」


「えっ? なんで?」


「お前がシンガーソングライターになるなんて雲を掴む事よりも不可能な事だとか、両親が夢を諦めろって言うのも分かるとか……」


 理沙が尋ねると、桐香は首を傾げる。


「いや、笑うも何も初めて聞いた事だからさ、どう反応して返答すればいいか困るんだけど……」


「……そ、そうだよね」


 桐香の答えに納得した理沙は、ちゃぶ台の上のマグカップにサイダーを注ぐ。そしてそれを一気に飲み干すと、深く深呼吸をする。


「理沙がそれだけ大きな夢を抱いてる事は分かった。努力をしてる事も。でもなんでそうまでしてミュージシャンになりたいの?」


 桐香が尋ねると、理沙は再び真剣な面持ちになる。


「実はあたし、実家に住んでいた時、おばあちゃんがいたんだ」


「そうなの?」


 初めて聞いた事実に桐香は目を丸くするも、理沙は小さく頷いて話を続ける。


「幼いころから可愛がられてたんだけど、結構前から胃ガンを患っていて、今からちょうど三年前に死んじゃったんだ……」


「……」


「悲しみに明け暮れていたから、何か音楽を聴かなきゃって思って近くのCDショップに足を運んだんだ」


「そういえば理沙って、以前から音楽聞く事好きだったもんね」


「うん。でもその店に入って並べられたCDを目で追っても、聴きたい曲っていうのが一向に見つからなかった。悲しさのあまり、自分の好きな事もどうでもよくなっちゃったんだよね」


 落胆しながら話す彼女を見かねた桐香は、傍に寄り添ってあげようと理沙の隣に移動した。


「だからって何も買わずに店を出るのも何となく気まずいから、とりあえず邦楽のコーナーにある商品から当てずっぽうでCDを一枚選んだんだ。そのCDがさ、春宮のインディーズ時代のミニアルバムだったんだよ」


「それが理沙と春宮雪乃との出会いだったんだね」


 理沙が静かに頷くと、桐香に向かって微かな笑みを見せる。


「とりあえずそれを買って家に帰って、そのCDの曲を全部聞いてみた。そしたらさ、なんていうか……心の中に溜まっていた悲しみが洗い流されていったんだよね。そんで、幼かったあたしの体の中の血がフツフツと沸き上がってくるのを感じた。要は痺れたってやつだね。この時あたしは分かった。ああ、音楽っていうのはどんな医者が処方する薬にも敵わないんだなって……」


 理沙があまりにも楽しそうに語るものだから、桐香も思わずつられて口角がせり上がる。


「だから春宮雪乃の曲は、あたしにそんな事を気づかせてくれた。だからあの人にはすごく感謝してる。だけどそれだけで満足しちゃだめだ。世の中には、悲しみに明け暮れる人がたくさんいる。だからあたしは、音楽を通してそういった人達の悲しみを洗い流したい……春宮から引き継いだこの意思を、また誰かに渡したい……」


 それがあたしの見る夢かなと、理沙は微かな恥じらいを垣間見せつつ言った。


「すごい……すごいよ、理沙」


 理沙が言葉を断ち切ると、桐香はハァと驚嘆の吐息を吐きながら目の前の親友を称賛する。 

 桐香は今まで詮索をしてはならないという思いなのか、理沙の将来を尋ねる事を避けてきた。しかしながら、彼女はこうして自ら己の夢を打ち明けてきてくれた……


「この事って、両親以外は知ってるの?」


 桐香の質問に理沙は首を横に振る。


「桐香に言うのが初めてだよ」


「どうして私なんかに……」


「親友だから……なーんて言うとクサいよね。桐香が一番あたしの夢を笑わなそうな気がしただけだよ」


 照れくさそうに桐香を見つめた理沙は、苦笑気味な笑みを見せる。桐香にはそれが滑稽に見えて、吹き出しそうになってしまった。


「理沙だったら……ミュージシャンになれるよ! 私、応援してる!」


 桐香が自らの意思を伝えると、理沙は返答とばかりに首を縦に振る。そしてゆっくりと立ち上がり、本棚から分厚いファイルを取り出して手に取る。それを桐香の目の前で開くと、中には束になったA4の白い冊子が何冊もファイリングされていた。


「理沙、それは?」


「全部あたしが作った曲」


「マ、マジで!?」


 ファイルのページをめくりながら答える理沙に対し、桐香は空いた口がしばらく閉まらなかった。理沙が答える通りに、冊子一つ一つの表紙に曲のタイトルらしきものが書かれている。

 めくっている途中で理沙が「あった」と口にすると、ファイルのポケットの中から一つの冊子を取り出す。そしてそれを驚愕の表情を浮かべている桐香に向かって差し出した。


「桐香、お前に渡しておきたい」


「えっ?」


 差し出された冊子の表紙には「メモリア」と書かれていて、右上にはホッチキスが留まっていた。

 紙を一枚めくるとそこには歌詞が書かれており、さらにめくると楽譜のようなものが紙一面に敷き詰められていた。


「理沙……これも作詞作曲したの?」


「もちろん」


「……」


 桐香は書かれている楽譜と理沙を交互に見ながら目を見開く。

 バイトをしている傍ら、高校生がこんなミュージシャン紛いな事をするなんて――理沙の行動力に驚嘆せざるを得ない。 

 

「えっ? じゃあこの楽譜みたいなものも……」


「そう。バンドスコアっていうバンド用の楽譜なんだけど、曲作るだけじゃ誰かと演奏する事になった時困るから、時間のある時見つけてパートごとに旋律を作っておいた。ほら、一番上からボーカル、ギター、キーボード、ベース、そしてドラムス……」


「すっ、すごい……」


「つってもこの曲は初めての作詞作曲だったからなー。完成するのに半年かかったよ」


「……」


 桐香は理沙から渡されたバンドスコアをちゃぶ台の上に置くと、彼女の両手をぎゅっと握りしめる。


「理沙! 絶対ミュージシャンになるべきだよ!」


 桐香の力強い眼力を目にした理沙は、怯む事もなく静かに頷く。


「あたしがワンマンライブ開催したら、桐香も招待してやるよ。もちろん特等席で見られるように、手配もしてやるからな」


 理沙から発せられた言の葉からは、力強い信念が桐香には感じられた。

★★★ 人物紹介 その3


月尾(つきお) 理沙(りさ)

挿絵(By みてみん)

●身長……161センチ ●体重……51キロ

●誕生日……6月21日 ●血液型……B型

●好きなもの……バイト先のまかない飯、音楽スタジオのフローリングの匂い、桐香の存在全て!

●髪型……黒髪のロングヘアー

●使用楽器……春宮と同じピンク色のベース(バイト半年分の給料でようやく購入。これを買う前は中古で一万で買ったベースで我慢していた)

●春宮の他に尊敬するアーティスト……福山雅治、矢沢永吉、ジョン・ディーコン


●解説……桐香の親友で、中学時代からの幼馴染。二人はクラスは違えど、一緒に登下校したり学食で食事をしたりするほどに仲が良い。しかし桐香と親友かと聞かれればすこし恥ずかしい仕草を見せる一面もある。

 性格はクールだが、桐香を溺愛しており、毎晩ベッドの中で彼女とイチャイチャする妄想を膨らませる。それは自分が中学生まで友人がおらず、一人寂しく学校生活を送っていたところに、生まれて初めての友人になってくれた桐香への感謝の気持ちの現れである。その気持ちは日が経つにつれて大きくなり、やがて「親友」という関係では収まりきらなくなってきて……

 春宮雪乃に憧れてミュージシャンになる事を夢見ており、バイト代を楽器とスタジオのレンタル料につぎ込み、日夜ベースの特訓と掛け持ちバイトに励む日々が続く。自作した曲のレパートリーは、高校生にして二十曲以上!

 得意なゲームのジャンルはモンスター育成。練習が終わって帰宅をすると、毎晩一匹は育てるという。


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