ーA qui non habes cor erosis Ⅰー
「ふん…ふん…成程…………」
二見はカチカチとマウスをクリックしながら内容を一通り見ていた。
「沙和くん、此処のスレッドのカテゴリ知ってるだろ?信者の多い所にはアンチもいるものさ。とは言え内容見る感じ彼女をフォローしてる連中達って可能性は有力かと思う」
あ、やっぱり。と沙和は思った。どうやら表情に出ていたらしく「やっぱり!って顔してるぜ」と彼に指摘される。
「にしても奴さんの事を探ってフォローしてる奴が数人位他に居るとはね~。知り合いに協力して貰ってるとは言え俺や沙和くんと同じ奴が居るとはちょっと考えんかったわ」
「フォローしてはいても自分はあまり見れてない事が多いですけどもね」沙和は乾いた笑いを浮かべながら二見と同じ画面を見る。
………一連の流れを二人で見ながら情報の収集と連絡を取る方法を考えていた時だった。
~ピロンッ♪と二見のスマートフォンから軽快な通知音が鳴った。
「お?アイツからだ。何だ何だ?」
二見が言う「あいつ」。二見から沙和の事情を聞き快く協力して有夏のSNSアカウントをフォローしている知り合いの人物の事である。
どうやら其の人物から二見へ何らかの連絡があったらしい。内容を見た二見は面白そうに目を見開いて、「おい沙和くん、アイツから奴さんの事が来たぞ、テレビ見てみろってさ」
「テレビ?」
二見から言われた通り、沙和はテレビの電源を点けた。
テレビは丁度、乳児死亡の報の後の彼女達の様子をリアルタイムで伝えている最中だった。
ーー…………………………………………。
ーー……………………。
ーー…………。
ーー……。
『自分の子も大切に出来ない癖に!』
『それで世界を変えるって言うのか!!』
『ふざけるな!!!!』
『どうして赤ちゃんを死なせたのですかー!?』
『育児放棄最低!』
『女神を自称する資格はお前に無い!!!!』
『今すぐやめろ!!お前の所為でもっと世の中がおかしくなる!!』『元の状態に戻して!!』『私の家族を元に戻してよ!!』
…一番に目に入ったのは、今回の件で彼女達運命の女へ抗議に来たデモ隊の強い憤りと姿だった。
『私のおばあちゃんを元に戻して!!』『変な物を買わせたりなんかするなよ!』『お願いだから世の中を変えるんならちゃんとして!!!!』
抗議の声も其々異なるが、最も多く聞こえたのは赤子を死なせた彼女への罵倒と「家族を元に戻して欲しい」といった言葉だった。訴えてくる者達の家族は、彼女達を信奉するあまり人が変わってしまったのだろうか。
『……………。』
暫しの沈黙から、はあああ~と大きな溜息。
聞こえない程度に舌打ち。俯いてギロリと抗議に来た者達を睨んたが、彼女は息を吸って顔を上げる。
『…止めてください。赤ちゃんを亡くしたばかりで疲れてるんですっ。休んだって良いではないですか』
『休む?自分の子を死なす位…どうせ遊んでいたんだろう!?』
デモ隊の一人であろう青年が勇み出て彼女の前に立った。
『遊んでなんかいませんっ!!私がSNSをやるのもゲームをするのも私個人の自由ですし義務ですっ!!!』
『個人の自由以前にSNSやゲームは義務でやるもんじゃないだろ!!!!』
彼女も怯まず返すが、青年もまた物怖じせずシーフォーンの言葉に対して適切な言葉を返す。
『大体赤ん坊がいる母親って立場なら赤ん坊を優先するもんだろ!!責任を伴って産んだ以上は!!』
青年の指摘に彼女は一瞬だけぐっと唸ったが、
『しかし私は夫やでんちゃん達、家族と協力してました!!その上で…』
『協力してたんなら子供が死ぬ様な事なんて起きなかっただろ!!!!』
青年の言葉はごもっともだ。育児に協力的な者の多い環境なら生まれた子が亡くなる様な事故は「ほぼ」無かっただろうし低かっただろう。矢張り彼女が「赤子の世話をしている時に事ある毎に目を離しSNSやゲームをしていた」事が死因に繋がったという噂は本当らしい。
『遊んでたのと変わらねーじゃねえか…』
『乳繰り合っていたの間違いじゃないのか…?』
『そう言えば私聞いた事あるわ…彼女は男も女もどっちも好きで旦那さんだけじゃなく運命の女の仲間全員ともあっちの方でも関係を持ってるって……』『ええ…』
『確かに皆仲が良過ぎるのは変だよな…』『特にあの…確かそこにいるデインナントカって奴とは裸の付き合いだとか色々…』『俺も聞いた!シーフォーンとデイン何とかってシーフォーンが旦那と寝る日以外はお互い裸で抱き合いながら寝てるって!!』
ざわざわと野次馬達が話し始める。下世話な内容も含めて。
(ああ……何て品の無い……私に従い敬うだけの信者でいれば良いのに………)
シーフォーンは野次馬達の話を下品だと心の中で激しく見下した。
つい本心が出掛かった彼女は極力自然な振る舞いを装いながら俯いて、そして悟られない様に態と小刻みに震えた。
ーー其の様子を見て尚も憤りを隠せない青年は、徐ろに彼女に掴み掛かる。
『…っ!何ですかっ!?止めてください!!!放してっ、きゃあっ!!』
映像の中のシーフォーン、改め有夏が大袈裟に振る舞い、掴み掛かられただけで殴られた訳では無いのに「衆目の前で殴られました」と誇張した振る舞いを見せる。
『アンタは母親失格だよ!!SNSでそいつ等と乳繰り合って、その上■■■とかいうゲームだか何だかにばっかかまけて自分の子供の事なんて丸投げか放ったらかしにしてたじゃねーか!!』
『~っ言わせておけば…!姉ちゃ………!!』
我慢ならず件のデインナントカことででんが青年に掴みかかろうとした時、
『そんな事っ!!』
有夏は大きな声で叫んだ。瞬間、サッと其の場は静まり返る。
そして有夏は咄嗟にぼろぼろと大粒の涙を溢し始めた。
『…っ!!私がっ、自分の赤ちゃんをっ、放ってなんかっ、いませんっ!!!』
胸を、涙ながらに訴える「母親」の振る舞いを見せた彼女にででん達もデモ隊の人間達もメディアもーー其の場に居合わせた者皆がぎょっとした。
『私にだって、息抜きも楽しみも必要なんですっ!!…っ、あなた達だってそうでしょうっ!!?』
有夏は必死に訴える。
(そのお前が、"彼"の息抜きや楽しみを奪ったじゃないか…生きる為の希望を……)
沙和の映像を見る眼差しが少しばかり暗くなった。
『私は…私は…っ、自分が産んだ子を失って、己の仕出かした事の恐ろしさと、そして私の赤ちゃんの大切さと存在のっ、大きさを実感しましたっ………!!』
ーー其れは、名演技の女優の如く。
『可能な限り夫は私の傍にいてくれましたっ…でんちゃんはっ、私を慰める為に素肌の触れ合いをしてくれただけでっ…!!仲間達も私の悲しみを慰める為に私と交わった、ただそれだけの事じゃないですかっ!!!でんちゃんの肌の温もりも、夫の愛も、仲間達の深い慰めもっ、そんなっふしだらなものじゃないですっ!!!!!!』
有夏は大袈裟に息を切らして涙ながらに訴え続けた。
『亡くなって我が子を想わなかった日はありませんっ…!今もっあの子を想えば想う程私の心は押しつぶされそうな程苦しいっ………!!!』
有夏は胸を強く抑え身を捩らせながら其の場で涙の名演を繰り返す。
名演も程度を過ぎれば只のチープな三流芝居。
然し其れを疑う程の聡い者等今の世では一握りでしか無く。
『シーフォーン様…』
彼女の振る舞いに胸打たれた信者の一人が、彼女の女神としての名を呼ぶ。
『シーフォーン様』『シーフォーン様…!』『なんてお可哀想なシーフォーン様!!』『亡くなった我が子を想う姿は正に美しく慈しみ溢れた聖母の様ですわ!!』
一人を切っ掛けに、信者の言葉は次第に増えてゆく。
『どうか元気を出して下さい、シーフォーン様』
『貴女は私達の希望です』
『貴女様達による世界の改革こそ私達が求めているものです』
信者達は彼女の手を取り、慰めと激励の言葉を贈った。
『皆さん…!!』有夏の眼差しに光が宿り、そして其の身は自身が讚えられている喜びで震えた。
『ああ……皆さん…こんな私でも慕って下さるのですね…!なんて心地がいいのでしょう…』
『私の赤ちゃんはお空に還ってしまったけれど…私は愛する人や皆さんと一緒に、世界を変える為にまだ立てます……私を愛し、私を慕って下さる皆さん、どうか私達を信じて!!私達を愛し慕い続けて下さい…!!!共に美しく理想的な世界を作りましょうっ!!!!!』
有夏はぱあっと先程の表情から打って変わって、少しだけ涙を滲ませてはいたがくるりと軽やかに身をこなし、両手を慈母の様に広げて慈しみ、蕩けた甘い言葉を艶めかしい女へ至る直前の無垢な少女の様な唇で、鈴、或いは鳥の囀りの様に語った。
『シーフォーン様…』
『姉ちゃん…!!』
『ああなんて、なんて慈しみ深き尊い御方なんだ!!彼女こそ正に女神!!私達の女神だ!!』
『彼女こそ世界に相応しい!いや、彼女達こそ!!!世界に相応しいんだ!!!』
ででん達も、メディアも、見物に来たものも、…果ては抗議に来たデモ隊の一部でさえ彼女の一連の行動と言葉に涙を流しながら有夏を賞賛し始めた。彼女が最も喜びそうな言葉を並べ、彼女が、彼女こそ、彼女彼女彼女……と、有夏を美しい、素晴らしい、尊いと金に仕立て上げられた言葉で飾り始めてゆく。
そうして着飾られ輝いた彼女は、一部を除いた多くのデモ隊の人間達を冷めた眼差しで見下した後、自らを信奉する者達へ慈愛の微笑みを向け、大団円を迎えられた女優やセンターで輝くアイドルの様な器用に振る舞いを見せた。
『偉大なるシーフォーン様!!』
『私達の女神!!』
『希望!!』
『運命の女!!』『運命の女!!』『運命の女!!』
憤りを覆い潰す程の信者達の歓声が音声の全てを圧倒した。
抗議に来たデモ隊の本気の憤りすら、自身を輝かせ着飾る為の舞台装置に変えてしまった。
寧ろ己の子の死すら、彼女自身が永遠に信仰され輝き目立つのを維持する為に利用されているのかもしれない。
「………母親ってより女だな」
二見は眉間に皺を寄せながら低い声で喋った。
「…………」
"母親"であった彼女が赤子にやってしまった仕打ちを、彼女の亡くなった赤子を通してうっかり己の過去と繋げてしまった沙和は青褪めた表情で俯いていた。
(こりゃ嫌なもん思い出させちまったみたいだな)
相手の状態を見かねて、二見はテレビの電源を消した。




