六話
私は、失敗した。選択を誤まったのだ――。
駐屯地からぐるりと山を迂廻し、山麓の森が切れる。
騎兵中心に組んだ兵たちと共に抜けた先、閑な寒村とも見える異端者たちの村が見えてくる。
嘗て災害や亡国の泥障を受け、王国に流れて来た流民たち。
或いはウルミスト王国が併呑した国から、戦火を逃れて落ち延びた者の末裔。
他所者として既存の町村では受け入れてもらえず、流れ流れてこの辺境にまで辿り着き、そこで懸命な努力の末に開墾したのだろう。
普段であれば、私もこんな事はしなかった。彼らは税を払っていない為、国家の庇護下には無いが、さりとて平穏に暮らしているだけの民達だ。
一部の貴族達は、そんな流民を毛嫌いし弾圧する者も在ると聞くが、少なくとも私や部下たちはそうではない。
だが、討伐の失敗と将来への不安から、この時の私は視野狭窄に陥り、思考が至極短絡的に働いていたのだと今なら判る。
始めは穏便に、村にいる巫女を引き渡せばそちらへの不利益は起さないと、先触れの兵に伝言を派わせた。
然して予想はして居たが、彼らからの返答は『否』。
使者として赴いた兵が答えを持ち帰るとほぼ同時に、村から住人達が手に手に武器を持って身構えて居るのが遠めにも窺えた。
私は嘆息しつつも、兵を持って武力を行使する事に迷いはしなかった。いや、迷うほどの心の余裕がなかった。
姫として生まれ、しかし生き方そぐわず、武人としてようやく自身の在り方を見出し過ごして来た二十五年が、全て無為と断じられ、顔も知らぬ他国の者の下へ送られると言う未来に情けなくも狼狽えて。
王族として、政略婚する位の覚悟は有った。だがそれは国と、住まう民の為になればこそだ。
ただ借金の為に、その返済代わりに質草として降嫁させられるなど、屈辱と、恐怖でしかなかった。
せめて王都に戻る前に、何かしら余人にそう易く果たせぬ結果を持ち帰り、待ち受ける運命に抗う手がかりとしたかったのだ。
情けないと誹るがいい、だが私も、又一人の人間であり女に過ぎなかったのだと、その時身に沁みて理解したものさ。
武器を持つ相手とは言え、率いるは正規兵の中でも邪竜討伐軍に選抜された生え抜きの精鋭だ。
なるだけ住人を傷つけぬよう前以て指示しておいても、彼らは容易くその命を果たしてくれた。
多少の傷は負わせたが、次々と無力化させ、捕縛して行く。
そうして間もなく、私の前に一人の少女が引き出されてきた。
黒い髪に、黒い瞳。その顔に怯えは見せていたが、それでも意思を宿らせる眸は強く、我らの突然の非道が目的を毅然と誰何し、私はそれに答えようと。
“ギュルァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッ!!!”
突如として村中を、世界を圧するように響き渡る大音声。
同時に晴れ渡った空から降り注いでいた太陽神の恵みが遮られ、濃い闇が周囲に堕ちる。
捕らえていた村人達が、頭を抱えて這い蹲り、必死に祈りを念える。
兵たちが、その“咆哮”に込められた威に当てられ、次々と武具を取り落として膝をつき、地に転げてのた打ち回る。
魔法抵抗の高い特別製の武具を纏っていた私や、騎士団長以下数名であっても、全身から全ての活力を奪い去られ、立っている事すら叶わずへたり込む。
「ぁ、ぁ、っひぃ、ひぁっ、きひぃぃ……ッ?!」
本能が拒絶し、しかし理性が見上げずには居られなかった。
頭上に現れた、その圧倒的な存在に。蒼空を闇に染め、地を匐う我々をねめ下ろす黄金の竜眼。
我らが五度に渡り総力を上げて討伐せんとし、唯の一度とてまともに敵とすら見做されていなかったのだろうそれから、初めて放たれる強烈な意思が。
則ち、邪竜が発する押し潰さんとする圧力すら伴った『怒気』と、魂を握り潰されると錯覚する『殺意』に。
「ああっ、邪竜様! 来て下されたのですね、我らの守り神、リュミストルス様!」
誰もが心折られ、絶望に踏みつけられるこの場で、ただ一人の少女が闇を仰ぎ、声に歓喜を、瞳に崇敬と陶酔を湛えて呼びかけるその名を。
王国の誰も知らなかった邪竜の名を知る『竜の巫女』を、歯の根も合わぬほど打ち鳴らしながら、涙と涎をみっともなく垂らし、更に股間から感じる生暖かな感覚の中で、私は理解した。
戯言ではなく、竜と通じる事ができる人間が居るという事実に。
そして私の選択が、致命的なまでに誤まりであり、牴れてはならぬ“逆鱗”に触れてしまったのだという事を。
落ちて行く意識の中で、ただただ繰り返し後悔する。
私は、間違ってしまった。選んでは為らぬ選択だったのだと――。