四話
ダンッ!
邪竜が住まう山の麓に設けられた、ウルミスト王国の臨時駐屯地。
そこに建てられた簡易兵舎の奥まった一室で、その主は椅子に腰を落ち着けたそのままに、目前の執務卓を叩き付ける。
「又しても、又しても邪竜めに一矢すら報いる事ができぬとは!
魔法を射てば瘴気の壁に掻き消され、刃を振るおうと近づけば吹き飛ばされる!
攻城用の投石器も、魔術兵数百人を用いた儀式魔法でも、唯の一度として届いた試しが無い……っ」
空高く吹き飛ばされた後、墜落の衝撃を風魔法によるクッションで身を護ったリーネルディット姫と騎士団は、ようやくこの駐屯地に戻ってきたばかりだった。
まだ山に残っている後方支援隊に撤退の伝令を飛ばすよう指示してから、彼女と騎士団長以下幹部たちは、姫殿下に用意されたこの一室へと集まっている。
「姫殿下、既に五度の遠征で王国が取れる全ての手段は出尽くしました。
あの邪竜は恐らく、千年以上を生きた古竜でありましょう。
もはや、万策尽きたかと……」
「判っている、判っているのだ。
だがあの邪竜が、瘴気竜が我が王国に根を張っている以上、荒れた大地は回復せず、その実りは失われたまま……。
まったく作物が育たぬわけでは無いが、民の腹が十全に満たされる事もまた無いのだぞ。
あやつめを討ち果たし、再び健全なるマナの流れを取り戻す事さえできれば、我が国はきっと豊かに、民も我らも安寧を取り戻せる筈だというのにッ!」
『くっ……』
姫殿下の言葉に、居並ぶ団長や隊長たちもまた喰い搾める様に言葉を詰らせ、拳を握り締める。
ウルミスト王国建国から約六百年、それから徐々に版図を広げる最中、この辺境の地にて邪竜と初遭遇したのが三百年前の出来事だった。
当時王国は、総力を以って彼の邪竜を討伐せんと大軍を送り込み――敢えなく大敗を喫した。
それからというもの、急速に大地から清浄なるマナが減少し、邪竜が巣とするあの山頂一体に濃密な瘴気の壁が立ち昇り始め、人々はその怒りに触れたのだと恐れ戦いた。
以後、大地はかつての輝く生命力を陰らせ、王国の食糧生産力は衰退の一途。
他国からの輸入に頼ってどうにか安定させて居るが、その為に外交で弱みを握られた立場に甘んじ続けている。
現在になって、過去より遥かに洗練された魔術理論や、優れた武具を以って再討伐の機運が高まり、十年前に当時既に姫としては相応しくなくも、類い稀な武芸の才を認められていた第三王女リーネルディットは、王命により邪竜討伐を拝し、十五の若さで討伐軍指揮官としてこの地に赴いてきた。
だが、入念な計画と準備を持って仕掛けた五度における討伐作戦、その悉くは失敗に終わったのだ。
王位継承権は低いとはいえ、王族としての誇り、武人としての誇りの全てを、青春の時代を捨ててまでこの任務に賭けて来た彼女にとって、この結末は余りにも無情だった。
「……既に父上からも、此度の作戦が成否に関わらず、王都に戻るようにと御下命されている。
恐らく、当代での討伐は諦める事になるだろう。
そして、私は国費を無為に浪費した責任を以って、借金の返済代わりに何処かしら貸元の国へと輿入れであろうな……はは、不様な事だ。」
「殿下……我らが、我らの権が、及ばぬばかりに……っ申し訳、ありません――ッ!」
「くそっ、あの邪竜さえいなければ!」
悲嘆に暮れる重い空気が暫らく漂う中で、しかしまたリーネルディットの瞳は意思を失ってはいなかった。
「こうなれば……最後の試しだ」
「殿下?」
立ち上がり、執務室を早足で出て行く彼女に追従して行く団長たちを背に、リーネルディットは呻る様な低い声を漏らす。
「どうせ最後と言うならば、一度だけ誇りを捨ててやろう。
あの山の麓にある流民たちが開いた村の一つに、邪竜を崇める異端の者達が居たであろう?」
「ハッ! そういう報告は受けておりますが……姫殿下、まさか」
「奴らの言う『竜の巫女』を捕らえよ。粗奴を以て奴との直接交渉に臨む。
戯言と切り捨てて居たが、粗奴は嘘か真か、あの邪竜と言葉を交わす術を持つというではないか。
一度くらい、その戯れに賭けて見るも一興よ」
「お待ちください、そのような荒唐無稽な物に縋るなどっ」
慌てて横に並ぶ騎士団長が讒言するも、リーネルディットは顔を向ける事無く、だが初めて見せる弱弱しい少女としての表情を浮かべ、苦笑する。
「何、どうせ輿入れなら、その前に竜と言葉を交わしたと言う箔付けをして行くのもよかろうさ。
その位のハッタリがなくば、私の立場は碌な事になるまいよ……ふふ」
「殿下……」