幼馴染の攻防
その日のシャーロットは朝から自室にいた。家庭教師との授業もエミリの監視もない休日というのは、久しぶりのことだった。
近頃はそのエミリ周りの監視のため気分でないのに外出せざるを得ないという時もままあった。たまには屋内でゆっくり過ごすのもいいだろうと、一日中部屋で穏やかな時間を過ごすつもりでいた。
花開く庭を見下ろせる窓辺で積んでいた雑誌や恋愛小説を手に取ったり、日の当たるソファに横になって伸びをしたりと、気の向くままに休日を謳歌していた時である。
ロバートが訪ねてきたとメイドが告げに来た。
さして広くはない応接間。長方形のテーブルを中心にして柱や梁と同色の焦げ茶の家具で構成された窓のない部屋は、淡い小花柄の壁紙で彩られることで閉塞感が和らいでいる。屋敷に住むシャーロットでも用も無しには立ち入らない形式ばった部屋だ。
軽い身支度を整えたシャーロットが応接間に降りていくと、ロバートは一人、ソファに背を伸ばして待っていた。
「いらっしゃいロバート。待たせたわね」
「いや」
ロバートは身の入らない相槌を打った。
室内に入ってきたシャーロットを見る目は神妙だ。
その様子を訝しみつつも、シャーロットは彼の向かい側に腰を下ろした。
シャーロットとロバートは幼馴染同士である。近い屋敷、近い家柄に生まれた、年の近い家族のような関係だ。
彼が十八になるまで都の名門寄宿学校に通っていた数年間は多少付き合いも減っていたものの、未だにこうして互いの家を行き来することは珍しくもない間柄である。
貴族の青年が同じく貴族の娘をひんぱんに訪ね、しかも二人が共に未婚である――そういった関係は、貴族社会においては婚約者同士であるという風に想像されてしまうものである。
実際にそういった噂があることもシャーロットは知っている。
だがシャーロットとロバートとの間にそういった意識はない。兄妹同然に育った幼馴染などそんなものだ。今さら婚約しろと言われても嫌だ。
勝手な噂を払拭するためにも早いところエミリとくっついて婚約発表でもしてほしい。
シャーロットが彼らの周りであれこれ画策する理由の一つである。
「お父様に用事だった? もう終わったのかしら」
「ああ、それはもういいんだが……」
正確に言うとロバートはわざわざシャーロットに会うためだけに来ているわけではない。
ロバートの生家キングズリー家とフォーダム家は、同じ地元の名士であることから当主の仕事上でも密接な付き合いがある。キングズリーの次期当主であるロバートは父親の指揮下で見習いとして下働きにいそしんでいる。書類を届けるなどの用事でこうして使い走りに来るのは珍しくないのだ。
そのついでにシャーロットに挨拶をしていくのもよくあることだった。
普段の訪問であれば、茶を共にして世間話に興じて解散するのが通例だ。
だが、今日のロバートはどうも歯切れが悪かった。生真面目ではあっても、口の重い無骨な男ではないのだが。
第一どの使用人が通したか知らないが、この堅苦しい応接間で待っているところからしておかしな話だ。幼馴染の会合は普段であれば庭園やテラス、玄関ホールの隅にある談話スペースでもっと気軽に行うのに。
「どうかしたの?」
ロバートは言葉を選びあぐねるように視線をさまよわせていた。きっぱりとものを言う彼には珍しい態度であった。
せっついてみてようやく、彼はシャーロットを見据えて口を開いた。
「最近君どうしたんだ……」
応接間に数拍の静寂が下りた。
「……なんのことかしら」
シャーロットは何気ない風を装ってそっと顔をそらした。
ささやかな抵抗である。
「分かるだろう。エミリが来てからの君の態度のことだ。会ったばかりだというのに急にいびりだすし、かと思えばすぐなだめたり謝ったり……彼女とかかわると君、なんだかおかしくなるだろう」
返す言葉がない。
分かってはいた。ロバートが不審に思うだろうことは。
「若緑」のゲーム内の「シャーロット」は、完璧人間のロバートに媚びてヒロインへの敵対心を露にするキャラクターである。シナリオではいかにもわがまま身勝手な貴族として描写されている。
対して今のシャーロットは気楽な身分の田舎令嬢。気が強いことは否めないが常識の範疇、強いて特殊な面を上げるとすれば平民の雑貨屋の息子に恋しているくらいである。
再現計画のためとはいえ合わせようとしたら無理があるのは当然だ。
ロバートにしてみれば幼馴染の突然の変貌である。
しどろもどろになりながらもごまかそうとあがく。
「別に、何でもないわよ……」
「なんでもないわけないだろう、あんなに困らせておいて。せめて訳を聞かせてくれないか」
堅物がそう簡単に引き下がるわけはなく、逃げ道は容易くふさがれた。
その場その場では開き直りと勢いに身を任せて思いきり悪役になりきっているからいいとして、平常時に冷静につっこまれるといたたまれなさもひとしおである。
だって悪役令嬢なんだもの仕方ない。しかし彼にはシャーロットの事情など知ったことではない。納得するまで追求したがるだろう。
「この間だって妙に問い詰めたと聞いているぞ」
「それは別に……ん? その話、彼女から聞いたの?」
「いや、俺がエミリから無理やり聞き出しただけだ」
ロバートは間髪入れずエミリをかばう。
シャーロットの反応はふぅんと相槌を打つに留まった。
(私の知らないところでも話しているのね)
彼がいなかった際のことが伝わっているということは、そういうことである。
シャーロットにも私生活はあるので、ライバルイベント以外での様子を完全に把握しているわけではない。彼らがちゃんとヒーローとヒロインをやっているか、不安ではあったが――。
シャーロットが関わらない場でもエミリとロバートが顔を合わせているというのなら、彼らの仲はそれなりに良好なのだろうか。
「そんなことはいいんだ」
ロバートは考え込むシャーロットを本題のほうに引き戻す。
「会ったばかりで何があったわけでもないはずなのに邪険にするのがまず普通ではないし、それでいて親切にしているみたいだし。何なんだ」
「し、親切にする分にはいいでしょ。知っているなら放っておいてよ」
「訳が知りたいんだ」
ロバートの真剣な目がシャーロットをとらえる。
「君が家柄がどうといって人をいたぶるのは、正直なところ信じられない」
実直な幼馴染は真っ直ぐな瞳で見てくる。シャーロットは言葉を詰まらせた。
その見立ては間違っていない。シャーロットは貴族の生まれを嫌ってこそいないが、身分差というものを理由に人を馬鹿にしたことはない。
だからと言って、真っ当な理由で行ったこととも言いがたい。自分の恋路の邪魔になりうる相手にひとつ別の恋をあてがって追っ払おうというのは、真っ当とは言えないだろう。
「だから頭をおかしくしたのではないかと……」
「ちょっと言い方」
理性を失っていると思われるのは大変不本意である。
一方で本当のこと言ったらそれはそれでどうかしたと思われることは想像がつく。逃げ道がない。
この頃の癖で前世の記憶に頼ろうとして、すぐに取り消した。
乙女ゲームに攻略キャラがライバルキャラをなだめるイベントはあまりない。「若緑」でも当然ない。シナリオには頼れない。
自力でこの場をしのぐしかないようだった。
シャーロットは紅茶のおかわりを自分のカップに注ぎながら、とにかく、とため息交じりに言った。
「別に道徳に逆らうような理由で動いているわけじゃないわ。あの子が悪いわけでもないし。ただちょっと……詳細は言えないけれど」
一応エミリへの害意で行動しているわけではない。
だが行動が行動なうえに個人的都合が元であるために、道徳的理由でやっているなどとは言えなかった。
ロバートはまだ納得していない顔だった。
たっぷり黙った後、ため息混じりの声で応えた。
「いや……わかった。言いたくないのなら仕方ない」
ようやく諦めたか。
シャーロットは肩の力を緩めた。
「おおかたの見当はついているし。うん、それならとりつくろいたい気持ちもわかるよ」
「……ん?」
なんだか雲行きがおかしいような気がする。
どういうことかとシャーロットは語調を強めて問い質すも、ロバートはなにやら同情めいた視線を送るばかり。肝心なことをいう気配はなかった。
「君には昔から友達がいなかったからな……」
「ちょっと言い方」
「大丈夫。エミリには俺からうまく言っておくよ。君からも今度会ったらちゃんと謝るんだぞ」
何を言うつもりだ。
何度問い詰めてもはぐらかされるばかりで、結局この日ロバートから意図を聞き出すことはかなわなかった。