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これから(1)

 シャーロットとマシューは広場から西へと歩き、間口が広く凝った外装の邸宅が密集して立ち並ぶ区画に入る。そのうちの三階建ての一棟がフォーダム邸だ。


 玄関に入ると常駐の使用人に出迎えられた。マシューと町屋敷にいること、記者が家の周りを探っていたので注意がいること、の二点をエミリの家に言付けた後、二階の客間の一室に案内される。


 階段を上ってすぐの扉に足を踏み入れる。室内は白い透かし模様の壁紙と大きな窓が明るい印象を感じさせたが、中で待ち構えていた人物の存在感がそれを帳消しにしていた。

 フォーダム卿は扉を開けて入ったシャーロットの姿を確認するなり、安楽椅子から音を立てて腰を上げた。


「シャーロット……!」


 そして続いて入ってきたマシューを見て苦々しい顔をする。

 父はマシューをシャーロットから遠ざけようと苦言していたのだった。気まずくもなろう。

 マシューのほうも、ほとんど立ち入ったことのない貴族の館という状況も相まって、居心地悪そうにしている。

 シャーロットは仏頂面のまま父に頭を垂れ、略式の礼をする。まだ心から、という気にはなれない。

「お父様、ごきげんよう。行き先を告げずに家を出て申し訳ありませんでした」

「うむ……まったくだ、肝を冷やしたよ…………無事に戻って来てくれてよかった」


 予想に反して怒鳴りつけられることはなかった。


「帰ったら一度、家族水入らずでゆっくりと話す時間を持とう。シャーロット、お前の話を聞かせておくれ」


 家族で話す時間。そんな約束をされたのは、初めてではないだろうか。


「……はい」


 シャーロットは熱に浮かされたような頭で、言葉少なにうなずいた。

 父はしばらくシャーロットと向き合った後、マシューのほうに向き直る。


「とにかく、マシュー君、娘を連れてきてくれて感謝するよ。礼は十分にさせてもらおう。何でも好きなものを言ってみなさい」


 さてはこれは「娘さんを僕に下さい」という流れでは、とにわかに色めき立ったシャーロットに、父が付け加えた「むろん限度はあるが」という一言が冷や水を浴びせた。

 シャーロットは横目にマシューをうかがう。彼はいったい何を要求するのだろう。

 父の申し出は一見誠実だが、さっさとことを片付けようとしているようでもある。これで貸し借りはなしだ、と。たとえば謝礼金であれば手形一枚のやり取りで終わる。

 これから新生活を始めようというマシューだから、なにかと物入りで金銭を求めることは不思議ではない。だがもしそうなったら、そこでシャーロットとの縁は切れたも同然だ。


 シャーロットの凝視を受けながら、マシューは口を開く。


「なんでもいただけるというのであれば――教育を受ける機会を下さいませんか、フォーダム卿」

「教育を?」


 返答が意外だったらしい。驚きが父の声ににじむ。


「はい。近々都で親戚の店の手伝いを始めることになっているのですが、そこで経営について学ぶ環境が欲しいんです。書籍でも私塾でもかまわないんですが、その支援をいただければと」

「ふむ……しかし学ぶのであればそれこそ、その店で教わればよいのでは?」

「はい。手伝いであればそれで十分だと思います」


 マシューは続ける。


「俺の家はご存知の小さな雑貨屋です。だけど俺がいつかそれを継ぐことになった時、よその店で得た経験と、それ以上の知識があれば、商売を大きくすることができる。そうしたら卿の領内の経済にもさらに貢献できるのではないかと思います」


 シャーロットは目を瞬かせ、あわててマシューの袖に飛びつくとひそひそと問うた。

「マシュー、町に戻ってくるの?」

「すぐにじゃないですよ。もしもの話です」

 同じく小声で返したマシューの言葉を聞きつつ心臓が脈打つのを強く感じる。

 彼がこんなに考えていたなんて知らなかった。こんなに将来のことを冷静に考え、着実に道を作ろうとしていたなんて。細身の彼が急に大きく見える。



 父は黙って話を聞いていた。マシューが言葉を切った後も、しばらく無言で口元に手をやり考えていた。


「……それは、君の考えかい? それともご両親か、その店のご親戚に勧められて?」

「俺個人の考えです。まだ机上の空論だったので」

「そうか。君は、今までに何か教育を受けたことが?」

「いえ、特別なことは。雑貨屋に入ってくる本や新聞くらいです」


 父はもう一度そうかとつぶやき、少しうつむいた。


「どうも考え違いをしていたようだな……」

 

 そして顔を上げ口を開く。


「マシュー君、君は思っていたより度胸があるようだ。見込みがある。君が望むようなら、働きながら通うことのできる商業学校への通学を援助しよう。それで君への謝礼に足りるかね」

「いっ……いいんですか?」

「もちろん。有望な人材への投資も貴族としての務めだ。詳しい話は明日以降に。……誰かいるかね!」


 父は廊下に控えていた使用人を呼びつけた。


「寝室を二部屋、支度しておいてくれ。二人とも、今日はここに泊まって明日帰ることにしなさい。それまでは自由にしているといい」


 話はそこで終わりだった。下がってよいと許可が下りる。

 シャーロットは声を張り上げる。


「ねえお父様! マシューと外に出てきてもいいかしら?」

「シャーロット」

「だって、マシューはずっと都に来たがってたのよ。見て回ったっていいじゃない」

「我が娘ながら聞かん気な……見物なら馬車の上からでいいだろう。表玄関に車を回させるから、気を付けて出なさい」


 父は使用人に言いつけあれこれと手配をさせる。

 世間体を重んじるところはいつもの通り。だが先日までの態度を思うと、こうもあっさり二人での外出を認めるのはかなりの譲歩であった。


 父の背中をしばらく見つめた後、シャーロットは隣に立つマシューへと声をかける。


「いいですって! ……マシュー?」

「あ、いや、受け止め切れてなくて……」


 マシューは困惑を隠さない。恐縮する相手だったはずのフォーダム卿からいきなり学業の支援を約束されたのだから、それもそのはずだ。

 口元に小さく笑みを浮かべて見せ、シャーロットはマシューを手招いて細い廊下に出た。



 マシューは父に認められた。少なくとも一人間として。喜ばしいことだ。

 ただ、それは、彼が都に居を移すことをまた一つ後押しすることでもあった。


 シャーロットは屋内にありながら北風に吹かれたような気持ちに襲われる。冷たい突風が後ろから追い越してゆき、めまぐるしい勢いに流されてふらふらと足が勝手に動いてしまうようなそれだ。

 その場に留まろうとする抵抗力を失ったのは、気持ちをすっかり打ち明けてしまい重石がなくなったからだろうか。

 言えなかったことは伝えた。未来は明るいほうへと動き始めている。これ以上は望めないほど。


(もう私にできることはないんだわ)


 シャーロットができると思ったことはもうしてしまった。すべて自分の意思で決めたことだ。だから、どんな結果になろうとも、受け入れる覚悟はできている。

 今やシャーロットの心は冬の空のように澄み乾いていた。


次回で最終話です。

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