本当は(1)
エミリの家に来て「置いてもらう間家事を手伝う」と宣言してから数日。
シャーロットは自身が家事に不得手であることを痛感していた。
洗濯をすればバランスを崩してたらいをひっくり返し、スープを作ろうと台所に立てば指を切ったうえ生煮えと煮崩れのまじった闇鍋を作り上げ、掃除をと思えばモップの使い方が分からず丁寧な指導を受けてしまうという始末。
シャーロットは雲の漂う空の下、呆然と花壇の前にしゃがみ込んでいた。
エミリにも彼女の両親にも苦笑いで気を使われ、最終的に裏庭の草木に水をやる大役をおおせつかったのだ。
エミリの母から借りている服のスカートを汚さないようエプロンごと膝裏に折り込み、小さなじょうろを一定のリズムで左右に動かしながら己を顧みる。
まさかこんなにも家事ができないなんて。
すきあらば屋敷の外へと繰り出すじゃじゃ馬とは言え、シャーロットは由緒正しい貴族の家系に生まれ育った正真正銘の令嬢である。いつだって身の回りのことは使用人の仕事であり、家事のやり方など見たこともないことがほとんどだった。
一家の人々の根気強い指導のおかげでとんでもない失敗こそしなくなったが、まだ半人前にも程遠い。むしろ指導の手間を取らせてしまった分足手まといになっている。
(マシューもそりゃ逃げるわよ)
世話をされて当然の箱入りがただでさえ慣れない新生活に押しかけて来ようとなれば拒否もするだろう。悔しいかな、シャーロットよりもはるかに的確な洞察力である。
じょうろの口から流れ落ちる放物線を眺めながら小さくため息をつく。
はじめ、シャーロットはマシューに振り向いてもらうためにはどうすればいいかと悩み、シナリオの記憶にそれがないと知って愕然とした。そして婚約者選びの強制やマシューの転出という怒涛の問題に流され自分の気持ちにしがみついた。その間うじうじと悩むばかりで、問題を解決する方法からは目を背けた。
(逃げていたのは私も同じじゃない)
マシューを逃げたと責めていた自分を思い出し、一人空笑う。
好意を伝える。父を説得する。
立場やしがらみを言い訳にそうしなかった自分に喝を飛ばす。
決められた道に期待するのはもうやめだ。
貴族としての既定路線に従ったところで幸せになれる保証などない。結局は自分で納得した道を進むのが一番の近道だと、今ならわかる。
前世の記憶に頼ったときだって、結局あれだけ悩まされる羽目になったのだ。
シャーロットは最近では、そういう考え方ができるようになった。
ともあれ、しばらくは屋敷に帰るわけにはいかない。今戻ったところで、待ち構えていた父に縁談を強要されるのは目に見えているのだ。流されまいと決意した今、少なくともそれは避けたかった。
厚意に甘えることになるが、しばらくエミリのところで家事を叩きこんでもらおう。
花壇に水をまき終え、シャーロットは立ち上がろうと思い顔を上げる。
その時、裏門の入り口付近をうろうろする人影が目に入った。
(ご両親のお客……って感じじゃないわね)
あちらがシャーロットに気づいていないのをいいことにまじまじと見てみる。
知らない男だ。ここの家族ではない。
身なりはごく普通だが、肩からは大きなかばんを、そして首には小型のカメラをさげている。
その風体で察しがついた。記者だ。
ぶしつけに裏門の周りを探る男をにらみつける。
彼の挙動から見るに、エミリの家に狙いを定めている様子だ。何の用があるのかは知らないが、むやみに身辺をうろつかれて喜ぶ者もいない。
シャーロットは今貴族らしいドレスではなくエミリの母の服を借りている。こんな怪しい相手だ、この家の関係者を名乗って詰問すれば追い返せるはずだ。
シャーロットは勢いよく立ち上がった。
裏口から門扉まで敷かれた石畳を高く鳴らして男に歩み寄る。
「あなた、どこのどなたかしら。この家に何かご用?」
高圧的な口調を隠さずに問いかけると、男はたじろいだのか、一瞬焦りを表情に浮かべる。
だが問いかけてきたのが若い娘だと見ると、すぐに口元に笑みを張り付ける。
「どうも、近所の方で? ちょっとばかし質問させてもらいたいことがありましてね」
男は都の新聞社の名をあげ、そこの記者であると名乗った。
その社名を聞いてシャーロットは眉間のしわを深くした。ゴシップ報道でおなじみの新聞社だったからだ。
シャーロットを家人と見なさないあたりから察するに、おそらく家族構成まで調べている。
記者はシャーロットの態度を気にも留めず喋りだす。
「いや実は、財界のキングズリー家の名前はご存知です? そのご子息がこのごろ、昔から検討されてきた婚約を取りやめて平民の娘を妻に迎えるっていううわさが流れてるんですよ。それでうち独自の情報網で調査したところ、どうもここの娘が――」
シャーロットは息を飲み、得意げに語る記者の顔をにらみすえた。
先日の夜会でもずいぶんと話題になった、ロバートの身分違いの関係。
それはこのような形でも注目を浴びることになってしまうのだ。
反応お構いなしに喋っていた記者は、ふと言葉を止めてシャーロットをまじまじと見つめる。
「な、なによ?」
「どこかで見た顔……金髪、庶民らしからぬ手肌……」
ぶつぶつつぶやいたかと思うと、記者は弾かれたように目を見開いて叫んだ。
「ああ! もしかしてあんた、悲劇の令嬢、シャーロット・フォーダムか!」
シャーロットはぎょっとして後ずさった。
なんだその呼び方は。
エミリとロバートの件は無事片付いたと思っていた。
しかし彼らをくっつけようとシャーロットが画策していたことを世間は知らない。外野から見ればシャーロットはこの身分違いの恋に敗れ去った悲劇の人。当事者と見られても不思議ではなかった。
「まさか、恋のライバルの元へフォーダム家の令嬢御自ら出向かれるとは! 選ばれなかった悲劇の美女と社交界の貴公子を射止めた幸運の娘、直接対決か……こりゃ面白い!」
「ちょっと、なにするのよ、やめなさいよ……!」
記者は興奮した様子で帳面に鉛筆を走らせ、さらにはあろうことかシャーロットにカメラのレンズを向ける。
シャーロットはとっさに顔をおおった。
冗談じゃない、撮られてたまるか。妙なスキャンダル記事が流れてはシャーロットも、エミリもロバートも大恥をかく。さらに写真がつけば記事がでっち上げでも信ぴょう性がついてしまう。
顔を背けるシャーロットの予想に反して、いつまでもフラッシュはたかれない。
そっと目だけを出して様子をうかがうと、そこにいるはずのない人の影を見た。
黒髪に痩身の彼は、記者の肩に手を置いて眉をひそめている。
「何やってるんだ」
それは何度となく聞いた声で、シャーロットは助けを求めるあまり幻聴を耳にしたものと錯覚した。
思わずつぶやく。
「マシュー」
「だ、誰だあんたは?」
「その人に何してるのかって聞いてるんだ」
記者は闖入者に驚いたようで、目を白黒させていたが、逆に返ってきた問いを聞いて口角をいやらしく上げた。
「ああ、こちらのお連れで? こいつぁすごい、『シャーロット・フォーダム嬢に新たな相手の影か』、ますます面白くなってきた!」
「……新聞社か……」
マシューがシャーロットの知人であると感付いたらしい。シャーロットは血相を変える。
マシューは口を開く。
「人違いだ」
「は?」
「貴族のご令嬢がこんなところに一人で現れるわけがない。でしょう」
「そ……そうよ、人違いよ!」
「……で、人を、それも無関係の一般人を許可もなく撮影することを良しとするのは、あんたの会社の総意か?」
「え、えーと、その?」
「そういうことなんで、行きましょう」
早口に並べ立てて記者を圧倒すると、マシューは返事を待たずシャーロットの手を取り足早に去ろうとした。あっけにとられ固まっていた記者があわてて声を上げ、追いかけて来ようとするのを背後に感じると、さらに歩調を速め、ついには走るほどになった。




