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逃亡

 それから、シャーロットは半ば転がるようにして雑貨屋への道を急いだ。

 目当ての建物の前に着き、勢いのままに扉を押すと、カランカランとドアベルがけたたましく鳴る。

 いつも通りそこにいたマシューは驚いた顔でシャーロットのほうを見た。

 息がつまる。

 ひどい立ち去り方をした。一方的に当たり散らして逃げたようなものだった。嫌われても仕方のない振舞いだ。

 マシューがどんな顔をするか、自分がどんな顔で彼に会えるのか、不安で仕方なかった。

 しかしマシューは予想したどんな風でもない、困ったような意外そうな顔でシャーロットに訊ねた。


「お嬢さん? もう来ないはずじゃ」

「来ないなんて一度も言ってないわ。……どういうこと?」


 マシューの言葉をいぶかしく思いシャーロットは聞き返す。

 

「いや」

「ねえ、なにかあったんじゃないの?」

「…………フォーダム卿が言って行かれたんですよ、あんたがもうここには来ないって」


 マシューはシャーロットに押され、しぶしぶ白状した。

 父は先日じきじきにこの雑貨店を訪れ、マシューに言ったのだという。


 ――小さいころから娘の相手をしてくれたことには感謝するよ。

 ――だが、娘はもう年頃だ。縁談も近い。そろそろわきまえさせなければいけない。

 ――君もどうか、節度を守ってくれ。




「……なによ、それ」


 シャーロットは頭の血が一気に下がっていく心地がした。怒りは度を越えるとこうなるのだと、初めて実感する。

 つまり父は、マシューに「もう娘に会うな」と釘を刺したのだ。

 それは、マシューがシャーロットをたぶらかしているかのような言いがかりではないか。侮辱だ。

 いつもそうだ。シャーロットとは話しあおうともせず、勝手にシャーロットの身の回りの物事を差配する。

 娘の幸せのため、というのはいい免罪符だ。シャーロットの大切なものを踏みにじっておいて。

 もううんざりだ。


 シャーロットは半ばやけになって叫んだ。


「お願いマシュー、私も都に連れて行って!」


 マシューはぎょっと顔をひきつらせた。


「なに言ってるんですか、駄目に決まってるでしょ」

「無理を言ってるのは分かるわ、だけど」

「駄目です」


 強い口調に、シャーロットは一瞬黙った。


「俺は都に勤めに出るんです、見習いとして。お嬢さんが思うほどいい生活はできません。あんたには恵まれた将来があるのに、俺なんかについて来て、どうしてそれを棒に振ろうとするんですか」

「っ……肩書きだけが目当ての人に無理矢理嫁がされることの、なにが恵まれてるって言うの? それなら、自分のやりたいように」

「それでも」


 突然、両肩をつかまれた。

 決して痛みを覚えるほどの強い力ではない。しかしその手に、その迫力に気圧されて、シャーロットは動けなくなった。


「やけにならないでください。きっと今は急に決められたことに反発しているだけです。それでも俺みたいな庶民について来るよりはずっと幸せなはず」


 そらして伏せられた顔からは彼がどんな表情でそう言っているのか分からなかった。


「俺とあんたじゃ身分が違うんです。俺はお嬢さんを幸せにはできない」



 その時、店の奥からマシューを呼ぶ声がした。彼の母の声だ。店内での口論を聞きつけたらしい。

 マシューは一度そちらを振り返ると、首だけでシャーロットに向き直る。


「とにかく、今日は帰ってください」


 それだけ言って住居へと続く扉の奥へと消えた。

 後には呆然と立ち尽くすシャーロットだけが残された。






 冬に傾き始めた大地には薄闇が降り始めている。

 重い足取りで並木道を歩くうち、いつの間にか屋敷の前に着いていた。

 正面玄関をくぐるなり、咎める声が耳に飛び込んだ。

 灯りのともり始めた吹き抜けの玄関ホールには父が待ち構えていた。


「シャーロット……また一人で町の雑貨屋か。控えなさいと言っただろう?」

「控えろとは言われたけど行くなとは言われてないわ」


 シャーロットは冷え切った声音で言い返す。それは単なる八つ当たりではない。

 シャーロットにはあたりさわりのない言葉を選んでおきながら、マシューのことはあらぬ言いがかりでもって愚弄した。卑怯だと思った。


 反抗的なシャーロットの態度の理由を分かってか分からずしてか、フォーダム卿は少しむっとして諌めようとする。


「ああ言った意味は分かるだろう。今は縁談を控えた大事な時期なんだ。平民の若者と醜聞でも立ったら――」

「それでいいわ」


 父は聞こえなかったかのように一瞬言葉をつぐんだ。


「なんだって?」

「お父様、私お見合いはいたしません」


 父の表情が、まるで理解できない、という顔に変わる。


「好きな人がいるの。だから、どれだけ釣書きを渡されても、お見合いの場を作ってもらっても、結婚する気にはなれないの」

「お前の幸せのために尽力しているんだぞ!?」

「うちの繁栄のためなんでしょう!?」


 シャーロットは激情に任せて声を弾けさせた。

 父は口をつぐんだ。


「私の幸せなら私に決めさせてくれればいいじゃない。なのに私の話を聞かないのは、やっぱり私のことなんかどうでもよくて家のために決めてるからじゃない。だから彼にあんな卑怯なことを言ったんでしょ!?」


 感情のままに言葉が流れ出す。

 目頭が熱くなるのは、これだけはっきりと叫んでも何も通じていない可能性がよぎってしまうからか。

 父は二の句が継げないとでもいうようにしばらく呆然と立ち尽くしていた。


「今までお前のことを自由にさせすぎていたようだな」


 しばらくして、黙っていた父はそう言った。


「しばらくの間部屋で頭を冷やしておきなさい。町に行くことは許さん」


 呆然とするシャーロットに背を向けると、父は従者を伴ってホールの奥へと消えていった。



「…………っ」


 シャーロットは下唇を噛んで一度うつむき、光沢のある布をふんだんにあしらったドレスをにらんだ。そして、身をひるがえして早足で自室へと戻った。






 その日の暮れ、シャーロットは旅行かばん一つを持つと、メイドたちに何も言わず屋敷を出た。

 そして御者に馬車を出させると隣町まで送らせ、鉄道駅から汽車に乗り込んだ。

 目指す先は南方、都である。


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