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本当の気持ち

 マシューと口論してから五日。

 シャーロットの生活は変わらなかった。予定通りに家庭教師の訪問を受け、時に父からよこされた見合い相手の釣り書きに目を通すなど、年頃の令嬢らしく慎ましやかに日々を過ごしていた。


 そばに控えてその様子を見守っていたメイドのエディスは、ついにシャーロットに訊ねた。


「マシューさんとけんかでもなさったんですか?」

「そんなんじゃないわ。関係ないわよ、マシューなんて」


 まあ、とエディスは嘆息した。

 シャーロットは不機嫌な顔を隠さずソファに腰かける。


 エディスの心配の理由はシャーロットの行動にある。

 普段のシャーロットであれば家にずっとこもってはいられない。暇になればすぐ町へ出向くなど屋敷の外を散策するのが常だというのに、今は庭を歩く程度に留まっていた。


 シャーロットは頭を背もたれに乗せ、壮麗なつる草模様が描かれた天井をぼんやりと眺める。



 あの日、結局シャーロットは想いを伝えられなかった。

 それと言うのも彼が唐突に「都へ行く」などと言い出したためだ。相談の一つもなく、すでに心は決まっているようだった。

 あれ以来雑貨屋には行っていない。ロバートの訪問も、なにを聞かれるか分からなかったため退けてしまった。



 シャーロットは気だるい身体をソファに横たえて、腕で顔を覆った。

 いらだちとも痛みともつかない何かが胸の内に重く溜まっていた。


 どうして引き止めなかったのだろう。


 ひどい立ち去り方をした。突き放すような物言いにカッとなり、発作的に捨て台詞を投げつけて去った。だがあの時シャーロットは気持ちを明かしに行ったのだ。自分の気持ちに素直になろうと動いて、その結果がこれだ。

 当初の目的も忘れるほどに憤慨したからだろうか。それも分からない。我を忘れるほどに怒っていたかも、それとも悲しんでいたのかも、その瞬間が過ぎてしまった今では判然としなかった。



 そして、未だ定期的にやってくる縁談に抵抗しなくなった。

 しばしば使用人を介して部屋に届けられる釣書きや手紙を突き返すことはなく、事務的に開いて目を通す。そうして確かめた書類もずいぶんたまった。未だ返答こそしていないが、それでも以前よりはるかに積極的だ。

 父とは家でも顔を合わせる機会はない。自分から抗議しに行くこともなくなった。おそらくシャーロットが折れたと思っているだろう。



 自分の気持ちに戸惑う。

 確かに自分はずっとマシューのことが好きだった。幼いころからいつも、側にいてくれたのは彼だった。

 それなのに今のシャーロットは、乗り気とまではいかないまでも、他家との縁談を受ける未来に甘んじようとしている。

 これまでの自分ならば考えられないことだった。


(……潮時、ってことかしら)


 認めたくはなかった。だがどこかで感じていたことだった。

 シャーロットが知らない資産家との縁談を拒否し続けていても、父はそれを強要し続けるだろう。縁組はシャーロットだけでない、フォーダム家の繁栄のためだからと。

 だからいつかはマシューでない誰かと結婚しなければならない。

 シャーロットとて貴族の端くれ。それくらいのことは元より分かっていた。


 分かっていながら、彼をつなぎとめようとしていた。


 最初、マシューに近づかれたくないと思ってエミリとロバートの仲を成立させようと余計な手を回したことが、今さらながらに思い出される。

 彼らのことは上手くいったが、その後どうするかにまで気は回っていただろうか。

 またマシューに近づく影が現れるたび妨害して、ついには彼の周りから全ての人を遠ざけるつもりか。

 自分の身勝手さに呆れる。

 これでは自分が責任を取るつもりもなく、彼の人生を邪魔するだけだ。


 新たな恋敵が現れたというわけではない。

 ただ、彼は念願叶って都での生活を始めようとしている。ずっと昔からの彼の夢だ。

 足を引っ張るわけにはいかない。


 それならいっそ潔く諦めてしまうのが一番いい。それが誰にとっても丸く収まるに違いない。



「……そうよね。仕方ないじゃない」


 シャーロットはのっそりと体を起こし、エディスを呼んだ。

 エディスはすぐに近寄ってきて、シャーロットの顔を覗き込む。


「ご加減は大丈夫ですか? お茶を用意いたしましょうか」

「今はいいわ。それより、あれを取ってちょうだい」

「かまいませんが……」

 

 シャーロットが指さしたのは、棚の上に重ねてあったこれまでの求婚者の身上書だ。


「お嬢様、少し前まではあれだけ嫌がってらしたのに」

「いいじゃない。そろそろ候補をしぼらないと。またお父様に叱られてしまうから」


 にこやかに受け取って一番上の書類を適当にめくりながら答える。


「老婆心ながら、結婚のことはそう焦らず慎重に決めるべきですよ。この先の人生全部の付き合いになるんですからね、どうかご自分がどうなさりたいかを一番にお考えになってくださいね」

「分かってるわ。ありがと」


 まるで怒っているような真剣な顔のエディスをあしらいつつ、膝の上の書類綴じをぺらぺらともてあそぶ。

 申し込みは数多ある。中には家格の釣り合う相手も裕福な相手も大勢いる。希望に沿った条件の相手を吟味するのはそう難しいことではない。


 紙をめくっていた手が止まる。


(私の求める条件って、なに?)


 一瞬、部屋が突然空っぽになったかのような感覚を覚えた。

 より多くの財産、より高貴な家柄、より秀麗な見目。シャーロットには分からない、それがどれほどの意味を持つものなのか。つい今しがた、自分がどうやって思考していたかを疑う。

 どれだけ頭をひねっても「求める条件」なるものが浮かばない。

 年若く美しい男性も突出した立場の男性も釣り書きの束の中には多くいるのに、一人も希望に沿うと思えない。中にはそれらをあわせ持つ相手もいるのにだ。


 これでは決められない。シャーロットは焦って釣り書きを次から次へと手繰る。

 周囲の納得するようなふさわしい結婚相手を選ばなければいけないのに。


 はたと、シャーロットは手を止めて顔を上げた。


 今、何を考えた?


 周囲の納得する相手。ふさわしい相手。それがシャーロットの希望だと呼べるだろうか。

 違う。婚姻に体裁を重んじるのは貴族の習いだ。


 シャーロットは唇を震わせた。

 自分がいつの間にか格式にとらわれていたことに愕然とする。そんなものは自分の希望でもなんでもない。

 ――なら、自分の希望とは?


 膝に重ねた釣り書きの二、三冊がばらばらと床に落ちたが、気にならなかった。



 これ以上考えてはいけない。頭のどこかで誰かが言うが、すでに気持ちはあふれ出して止まらない。

 財産や身分などの能書きではない、ある一人の姿がまざまざと浮かぶ。

 シャーロットの目にも立派に見える求婚者たち。

 それらにもまして、結局のところシャーロットが選びたいと思うのは、たった一人の、もうすぐ会えなくなる人だけなのだ。



 唐突に、調度の何もかもが歪んだ。


「お嬢様?」


 エディスがぎょっとしてシャーロットの顔を見つめた。

 泉が湧き出すように大粒の涙がぼたぼたと落ちる。

 シャーロットは呆然として自身の頬に触れ、やっと気づいた。頭では諦めようと考えながら心はなに一つ納得していなかった。

 涙に遅れてようやく感情があふれかえる。

 自分は本当に、マシューのことが好きだったのだ。



 シャーロットはおろおろと戸惑うエディスの胸に顔を押し付け、固くつむった目からぼろぼろと涙をこぼした。

 そして、しゃくりあげながらあらいざらいをぶちまけた。



 今ならどうして自分がマシューに気持ちを伝えられなかったかがわかる。好きじゃなかったからではない。

 分かっていた。気持ちを伝えようと伝えまいと、どのみち引き離されると分かっていたからだ。

 それを認めるのがあまりにも怖かったのだ。

 だから自分から貴族の通例などというものに理由を押し付けようとした。



 もはや支離滅裂になったシャーロットの告白を、エディスは辛抱強く聞いていた。

 シャーロットがようやく落ち着いたころ、エディスは茶の支度をしてくれた。

 薄手のカップに湛えられた紅茶を口に含むと、薄い渋みの飲み慣れた味に気持ちが解きほぐされる。

 厚い生地のエプロンにこすりつけた目は赤くはれていて、甘い香りを含んだ湯気がやけにしみた。


「……でも、諦めなくちゃいけない」


 諦めなければならないと自らに突きつけたことで、やっと気持ちに気づく。なんて皮肉だろう。

 自分の気持ちを知り、自分がどうしたいかなど考えたところでもはやどうしようもない。このまま婚約者を決めなければ父は怒るだろうし、選択の余地なく無理矢理相手をあてがわれるか、最悪勘当だってありえる。

 それに、マシューに執着し続けては彼の迷惑になる。

 諦めるべきだし、諦めるほかなかった。


 だが、彼を思うことが許されないのなら、もう誰のことも選びようがない。



 シャーロットはうつむいて透き通った飴色の紅茶をじっと見つめる。

 エディスはしみじみとつぶやいた。


「シャーロットお嬢様、本当にマシューさんがお好きなんですねえ」

「からかわないでちょうだい。真剣に悩んでいるのに」

「ええ、申し訳ございません。私、少々お嬢様のお気持ちをあなどっていたようでございます」

「…………ん?」


 うんうんと納得しているエディスにシャーロットは違和感を覚える。

 まるで知っていたかのような言い方だ。


「き、気づいてたの?」

「もちろんですよ。いつもお嬢様をお止めせず見送っていたのは誰だと思ってるんです? お嬢様付きのメイドは大体知ってますよ」

「うそでしょ!」


 シャーロットはカップを持ったままけたたましくソファから立ち上がった。エディスは困り笑いしてシャーロットをなだめる。


「そうお気になさらずとも。私が夫と結婚する前のことを思い出しますよ」

「私がいたたまれないのよ……!」


 へなへなとソファに崩れ、膝を抱えて嘆く。

 まさか気付かれているとも知らず今まで生活していたなんて。ロバートといい、どうして誰も彼も知らないような顔をして全部知っているのだろう。身近な人物全員疑いたくなってしまいそうだ。


 視線を持ち上げて恐る恐る問う。


「彼も気づいてるかしら?」


 エディスは笑いながら応える。


「おたずねになってはいかがでしょう?」


 シャーロットは目を丸くした。

 今、そうやってシャーロットをそそのかすことの意味を、彼女はわかっているのだろうか。


「……私、戻らないかもしれないわよ?」


 そうしたらシャーロット付きのメイドたちだって見逃したと思われて、おとがめなしとはいかないだろう。

 そこまでするつもりはなかったが、エディスの反応を試してみる。

 エディスは笑って見せた。


「その時は私もだんな様の使用人ですから、お探ししないわけにはいきませんね。根比べといきましょう」


 冗談めかして言うエディスに、シャーロットも笑った。シャーロットの側仕えは悪徳メイドだ。


「いいですか、まず何より自分の心を大事にしてください。人のために心を殺したって、他の誰も責任なんかとってくださらないんですからね」


 何年もの人生経験の差が、エディスの言葉を力強いものにしている。

 シャーロットはうなずいた。


 もう迷うことはない。

 泣きわめくほどいやだと気付いたのだ。父の言うまま流れに任せていても意に沿わない未来しか待っていない。

 ならば、自分の望みにおびえている場合ではない。


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