嘆願直訴
父を説得し、婚約者探しを延期する。
結論から言えば、そのもくろみは困難なものであった。
「先日の夜会では色よい評判が聞こえてきて何よりだった。また顔合わせがしたいとの便りが何通も届いているぞ」
ひとまず例の夜会を終えた数日後、シャーロットは父から再びの呼び出しを受けた。
大きな窓のある談話室は明るく父も機嫌のよい様子だが、シャーロットの気分はほぐれない。
父の執務室があるのと同じ、普段あまり訪れない棟に来ているのも理由の一つ。
だが一番はこの話題のせいだろう。
「他にも何件か申し込みが来ている。あとで釣書きを部屋に届けさせよう」
「あの、お父様!」
シャーロットはテーブル越しに対面する父に向かって声を張り上げた。
父はそれでやっと「なんだ」と言って言葉を止めた。
彼はどうやらこの勢いでシャーロットの見合いを推し進めるつもりらしい。
(負けてなんていられないわ)
シャーロットは意気込んだ。
あの夜会でロバートから背中を押された通り、今日は父を説得するつもりでここに来たのだ。
できれば縁談の無期延期。それができなくとも、せめて猶予を作るために。
ロバートいわく、情に訴えるにはしおらしさと健気さが有効。
幼馴染のアドバイスを胸に、シャーロットは打って出る。
「――お父様。気にかけてくださるのはありがたいのですが、しばらく結婚の話は差し止めていただけませんか?」
「前にも言っただろう? 早く決めるに越したことはないと……」
「はい。ですが私、まだ気持ちの整理がつかないのです」
シャーロットが可能な限りしおらしい表情と声音で言うと、父は見事にうろたえる気配を見せた。
感触よし。畳みかける。
「不安なんです。急に知らない方を婚約者に選べと言われても、その後人生を添い遂げることができるかと思うと。がらりと生活が変わってしまうのが恐ろしくて」
「婚約というのはあくまで事前の取り決めだ。結婚までに相手と打ち解ける機会はいくらでもあるのだから、今変わることを怖がる必要はないんだよ」
「だけど、一度婚約したら簡単には取り消せないでしょう? 決めるなら時間をかけて、慎重に考えたいの」
言いくるめるための出まかせだが、事実ではある。
貴族が婚約を解消すれば家同士が険悪になりかねないし、そうでなくとも社交界のうわさになっていたたまれなくなる。だから相手選びには神経を使うし、あとから問題が発覚したら悲惨だ。
シャーロットの主張を黙って聞いていた父は、神妙な顔で訊ねた。
「……やはりロバートのことがこたえたかね」
今度はシャーロットが狼狽する番だった。
つい婚約破棄の可能性を持ち出したが、これでは半婚約くらいの状態から解消したロバートへのあてこすりである。本人あずかり知らぬところで飛び火させてしまった。
「お、お父様、その話は」
「ああいや、すまないな。まだお前も辛かろうに」
「いえそんなことは!」
父はどうもロバートを気に入っていて、シャーロットがいくらその気がないと主張しても信じてくれない。シャーロットにとって身内同然に育った彼は恋愛対象でも何でもないのだが。
はっきり否定しておこうとしたシャーロットは、ふと考えを改める。
(いっそ勘違いしておいてもらった方がいいんじゃない?)
幸いロバートが話題に上ったことで父は同情ムードだ。
このまま「婚約が破談になった傷心の令嬢」という顔をしていれば、しばらくそっとしておいてもらえる可能性はある。名前を使うのは悪いが、許せロバート。
「いえ、確かにまだ心残りなのかもしれません……」
せいいっぱい悲しみにくれる上品な娘らしい表情と声を作る。
父は眉根を寄せ、効果はてきめんであったかに思われた。
「やはり彼のことを想っていたんだろう」
「ですが、もう決まってしまったことですから。今はしばらく、ただ気持ちの整理をつけさせていただきたいです」
「……そうか。いや、まだ諦めるのは早い」
「……ん?」
「撤回する気がないか、今一度先方の意思を確認してみよう。それにことの経緯を調べてみなければならん。ロバートと婚約に至った平民の女性というのが誰なのかをまずは」
「ちょ、ちょっとお父様!」
思い立ったが吉日とばかりに腰を浮かせた父を、シャーロットはあわてて押しとどめる。
しまった。方向性を間違えた。このままでは事態が思わぬ方向に転がってエミリとロバートに迷惑がかかってしまう。元ライバルのお父さんが出てくる展開、乙女ゲームでなかなかお目にかからない。
「本当にいいんです! 彼の決めたことに文句があるわけではありませんから!」
そう必死に主張して、ようやく父を引き留めることができた。
座りなおした父は、改めてシャーロットに問いかける。
「……お前がそう言うのなら、何も言わないが。だが、お声をかけてくださっている家々には早いところ返答しなければならん。お前が気が進まないのだったら、私が選んで話を進めるが、かまわんか」
「そ、それは、その」
困る。
父はどうしても早く縁談を進めたいらしい。待ってはくれない。
シャーロットは膝の上でぎゅっとこぶしを握り締めた。
「……っそれでは、私が納得できる方かどうかわからないではありませんか」
父は深いため息をついた。
「ならどうすれば納得するんだ」
低められた、貴族家当主の、そして権威ある父親の声が、シャーロットを射すくめる。
父は真剣な目をして、半ば呆れたようにシャーロットに説く。
「こうしていくつも声がかかるのは願ってもいないことだし、そのなかでも申し分ない家を選り分けた。だというのに、一体どうしてそんなに駄々をこねる必要があるというんだ?」
シャーロットは言葉を失った。
たった今、縁談を少しでも遅らせようと散々説得を試みたばかりだ。前にだって、見合いはしたくないとはっきり宣言しているはずだ。
それなのに、彼の中では、シャーロットがとにかく栄えている家に嫁ぎたがっていることになっている。
呆然とするシャーロットに、父はふと気付いたように声を低める。
「それとも、なにか縁談を避けたがるほどの理由でもあるのか?」
「――もう結構です! 今日は下がらせていただきます!」
シャーロットは弾かれたように立ち上がると、父の呼び声から逃げるように部屋を飛び出した。
どこへ向かうとも定まらないままシャーロットは廊下を歩き続ける。
(……だめだった)
交渉が決裂したことに、シャーロットは少なからず消沈していた。
せめて縁談を延期できればと、できる限り粘ってはみた。
だがそもそも、父にはシャーロットの意思を聞き入れる気がなかったのだ。
思えば昔から、距離のある父親だった。
冷淡だとか愛されていないと思ってはいない。確かに家族ではある。母もしかりだ。
仕事で不在がちなのも、広い屋敷の別の棟で暮らしていてなかなか顔を合わせないのも、貴族ならよくあることだ。
そう、とにかく彼は貴族なのだ。伝統と役目を守る模範的な貴族のような人だ。
ただ、家族もそうであるものと信じて疑っていない。
彼の目に映っているのは「シャーロット」ではなく「模範的な貴族たる自分の娘」なのかもしれない。
そう思うほどに、手応えがない。
(もうなにをやっても駄目かしら)
今日のように父に訴え続けても、状況が好転するとは思えない。きっとなにも聞き入れられず、このまま縁談を進められるだけだ。
そうしたらそのうち、馬車にのせられて知らない土地に嫁がされることになる。
何もしないのと同じだ。
どうしたらいいのだろう。
物心ついたときから何度も味わってきたのと同じ、年季の入った徒労感に襲われる。
昔は今よりも聞き分けがなく、両親が仕事や社交で自分を置いて出かけたり、弟にばかりかまったりするのに、わけもわからず腹を立てていた。それがいつものことだった。
そういう時シャーロットはしばしばふてくされてメイドたちについて回るか、雑貨屋に連れて行ってもらってマシューと会って――。
シャーロットは廊下を猛進していた足をぴたりと止めた。
そうだ。マシューだ。
彼に会いたくなって、そして思いついた。
父に話をしても通じない。
なら、今働きかけることができるのはマシューだけだ。
そして、マシューとのことで今できることと言えば。
――マシューに気持ちを伝えないのか。
以前エミリはシャーロットに問うた。
シャーロットはごくりとのどを鳴らす。今が、その答えを出す時ではないのか。
望まない結婚を回避したいのなら、説得が成功しようとしまいと、先のばし以外のなにかが必要だった。
そして今できる「なにか」はそれだけだ。
自然と足は玄関の方へ向いていた。
玄関へと急ぎながら気持ちが高ぶるのを感じる。なにか大それたことをするような気分だった。
それもそのはずだ。
今までずっと続けてきた、子どもの頃からの話し相手というだけの淡々とした付き合いを、自ら破ろうというのだから。
怖くないわけではない。どんな反応をされるだろうか。冷たくあしらわれたら、という可能性がよぎる。
シャーロットはひとり首を振った。
マシューは愛想がない。記憶にある限り、ほんの子供のころからずっと。何気ない会話の中でそっけない対応をされることはしょっちゅうだ。
だが、彼がシャーロットを冷徹に突き放したり追い出したりすることは一度もなかった。
シャーロットが本当に寄りかかりたいとき、気のすむまで側にいてくれた。
彼の存在があったから、今のシャーロットはようやく自力で立っている。
そんな彼と、何もしないまま離れるなんてごめんだ。
そこからの行動は早かった。
シャーロットはただちに家を飛び出し、町へと続く並木道を駆け抜け、雑貨屋を訪れた。
扉を前にして足を止め、ひとつ深呼吸をする。
シャーロットはこれから、マシューに一度も伝えることなく隠してきた気持ちを打ち明ける。
縁談を余儀なくされる、追いこまれた状況。好きでもない相手との結婚など考えられない。
それならいっそ、マシューに気持ちをぶつけて、受け入れてもらえるかどうかを問い質したい。
その覚悟をしてきたつもりだったのだが、並木道を抜ける中で、頭が冷やされたせいだろうか。
足が動かない。
呼吸は荒れるし動悸は乱れてしかたがない。
(なにを緊張してるのシャーロット、今までこれくらいのことさんざんやってきたじゃない)
これまで、マシューに近づかれるくらいならと、エミリとロバートの仲を取り持つため奔走してきた。それと同じだ。目的は直接的になったが、己の恋路のためであることに変わりはない。
だけど。
引き手をつかみかけていた手が止まる。
――本当にこれで正しいのだろうか。
今まで思い切ったことができたのは例のシナリオが念頭にあったからだ。これからマシューに思いを伝えて、その後どんなことが起こるか、まったくわからない。状況が好転するとも限らない。あんな表情筋の働きに乏しい男に愛を告げて何に期待しろというのだ。
シャーロットは頭の中の声に耳をふさいだ。
もう後には引けない。
気持ちを成就させるなら、遅かれ早かれ伝えないとならないのだ。
意を決してシャーロットは雑貨屋の扉を開けた。
「マシュー、いる!?」
裏返った声で呼ぶと、その名の主はいつものようにカウンターの内側から振り返った。
ふたたび、体がこわばる。
シャーロットは緊張を振り払おうと意識を集中させた。なけなしの頭脳を必死に回転させて切り出し方をまとめようと注力する。
そのままぎこちなく店内に足を踏み入れるシャーロットを、マシューは珍しく立ち上がって出迎える。
「……お嬢さん。どうも。ちょうど話しておきたいことがあったんです」
「え? 私に?」
申し出る口調は少したどたどしい。彼はシャーロットの顔を見て、また目をそらす。
マシューがそのようにシャーロットに会話を求めるのは珍しいことだった。集中が切れ、こわばっていた肩の力が抜けると同時に、気分が浮つく。
「な、なにかしら。話してちょうだい?」
シャーロットが本題を忘れてうながすと、マシューは静かにうなずいた。
「俺、都に行くことにしました」
三度シャーロットは凍りついた。




