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望まぬ朗報

 じゅうたんの敷かれた広い廊下を渡り、ある両開きの扉の前で足を止める。

 知らずと力のこもるこぶしで、シャーロットは磨かれた大扉をノックした。


「入りなさい」


 中から男性の低い声がした。

 促す言葉に従って扉を押し開き、室内に足を踏み入れる。

 シャーロットの私室と同じくらいの大きさの空間は、落ち着いた暖色の壁紙とじゅうたんで統一されている。両側面の壁は飾り棚や本棚で占められており、扉と反対側に見える奥の壁には大きな窓がある。

 その手前に置かれた書き物机の前には、見知ったシルエットがたたずんでいた。

 シャーロットはその前まで歩み寄り、うやうやしく礼をした。


「お父様、都でのお仕事ご苦労様です。無事のお戻りで嬉しゅうございますわ」

「お前も元気そうで何よりだよ。もう二か月ぶりになるかな」


 儀礼的なあいさつを交わす。

 仕立ての良い重ね着姿、短い口ひげをたくわえ、明るい茶髪を撫でつけた四十代の男性。彼がシャーロットの父、フォーダム卿だ。歴史ある貴族家の当主であり、近隣一帯の所有権をあずかる領主。この本邸のほか都にも町屋敷を所有しており、しばしばこの土地を離れて仕事をしている。

 長期的に出かけていることも多く、シャーロットと顔を合わせるのも久しぶりだった。

 もっとも、この広い屋敷では別々の棟に暮らしているもので、同じ屋根の下にいても元々会う機会も多くはなかったが。

 それでも父であり、この家の主人である。そのためシャーロットは大慌てで帰ってきたのだ。


「出向くのが遅くなって申し訳ございませんでした。いつお戻りに?」

「なに、つい一時間ほど前のことだ。……また供もつけずに町の向こう側に出かけていたのかい。十七にもなったのだから、淑女として少し慎みなさい」

「そうですわね、気をつけます」


 シャーロットは苦い顔をした父親の小言を適当に受け流す。

 いくつか言葉を交わしたあと、父は切り出した。


「ところで、キングズリー家のロバートにどうも好い相手ができたようだと耳にしたが」


 エミリのことだ。


「……そのようですわね」


 シャーロットはできる限り興味なさげに、そっけなく返事をした。

 なんとなく、嬉しい話題ではなさそうな予感がする。


 父は娘の態度をいぶかる様子もなく話を続ける。


「実のところ彼には期待をしていたんだよ、お前の相手として釣り合いが良いだろうとね。だが彼はなにやら庶民の娘を見初めたとかいう話だし……あちらも我が家との縁談には乗り気でいらっしゃったようだから、残念なことではあるが」


 その件にはまさしくシャーロットが一枚ならず噛んでいる。何しろけしかけた本人である。何ともコメントがしづらい。

 それになんだろう。残念だとか言われると、見知った相手を悪く言われているようであまり面白くない。

 歪みかける唇の端をおさえてすました表情を取り繕うシャーロットの耳に、さらに聞き捨てならない言葉が飛び込む。


「だが他家の話だからな、口を出せることでもないから仕方ない。問題はお前の縁談だ、シャーロット」

「はっ?」


 知らず声が裏返った。

 ロバートとそのお相手の身辺事情や事の成り行きについて細かく訊ねられたら困ると思っていた。

 だが現実は予想のさらに先を行った。


「お前も彼とは親しかったから残念だろう。ずっと昔からの仲だし、珍しいほどできた青年だったからね。落ち込んでいるんじゃないかと思って心配したよ」

「いえそんな、彼のことは心から祝福しておりますわ」

「なんと健気な、そう耐えることはないんだよ」


 至って平静に首を振るシャーロットを、父は憐憫を込めた目で見る。どうもかみ合わない。


 思い返せば嫌な予感はこれだった。

 シャーロットとロバートは親しかったし、婚約するだろうという空気があったのは嘘ではない。家族ぐるみの付き合いがあるだけにゆくゆくはとの期待は両方の親族にあった。本人たちにもそのことはわかっている。

 しかし二人はお互い単なる幼馴染同士として過ごしてきたし、ロバートが十八歳で寄宿学校を卒業するまではと、婚約云々は親同士の空想の段階で止まっていた。実際のところ婚約は成立していないのだ。

 そのはずなのだが、父は公式のものであったかのように語る。

 シャーロットは悲しんでも、それどころか同意さえもしていない。もやもやしたものが胸中を渦巻く。


 しかし後に続く発言はシャーロットをさらに動揺させた。


「大丈夫、心配することはない。お前と婚約をという申し出がすでにいくらか来ているからな、今度の夜会で顔を合わせられるように手はずを整えているところだ。ふさわしい相手を見つけてやるから安心して任せておいで」


 シャーロットはぎょっと目をむいた。

 婚約者探し。キングズリー家との縁談が予定されていたために今まで無縁でいられた言葉が、突如として目の前に現れた。

 貴族の令嬢はだいたい十八にもなるころには社交界に出て将来を考えることになる。その進路はほぼ例外なく婚姻である。相手はたいてい貴族か、それに匹敵できる程度の資産を持つ富裕層。その中でも将来性や家格のつり合いといった観点から両親の審査を通った相手と交流するよう指示される。

 つまり、考えるとは言っても、本人が積極的に口を出さない限りは親が相手決めから嫁入りまでの全てを決定することになるのだ。

 慌てて父を引き留めにかかる。


「い、いえ、私急かすようなことなんて申しませんから!」

「いいや、気持ちを切り替えるのは簡単でないだろうが、お前もそろそろ適齢期だろう。早いに越したことはない。早いうちに相手を決めて、来年には婚約を進めたいところだ」


 思わず震え上がった。

 冗談じゃない。シャーロットにはマシューという想い人がいる。

 婚約が成立したらもうその時点で二人で会わせてはもらえなくなってしまう。まして遠方に嫁ぎでもしたら二度と会うことはできないだろう。

 黙って結婚させられるなんて受け入れられるわけがない。


「お、お父様、はっきり言わせていただきますわ。私はそんなに急いで知りもしない方と結婚なんかしたくありません。急にお話しされても困ります!」

「何? 気乗りがしないのか? だが遅かれ早かれ必要なことなんだ。今すぐ決めろとは言わないが、考えておくくらいは自分でしなさい。母さんが相談に乗ってくれることになっているから」


 すでに母のほうとは話をしてあるのだ。おそらく手紙か何かで話しあっていたのだろう。

 それを聞いてシャーロットはかっとした。


(考えろって言ったって、お父様とお母様が決めた誰かから選ぶ覚悟をしろってことじゃない!)


 つまり、マシューのことを忘れて、他の知らない誰かと添うことを考えろと。


「考えろと言われても無理です! いやよ私!」


 シャーロットは声を張り上げた。

 固く抗弁する娘に、和やかに言い聞かせようとしていた父もついに嫌気がさしたようだった。


「聞き分けなさい、シャーロット! もうわがままばかり言っていられる歳でもないのはわかるだろう。とにかく、週末の催しでは他家の令息方と顔合わせをしてもらうぞ。メイドたちにも通達しておくから、ちゃんと参加の支度をしておくように!」


 それが話し合いの終わりだった。


 シャーロットはなお食い下がったが取り合われることはなく、呼びつけられた使用人によって父の書斎から引きずり出された。


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