薄明かりの隅で
ライバルとしての出番は終わったが、二人の関係から手を引くとは言っていない。
シャーロットがいるのは町の外れ、自邸とは逆方向にある小さな湖のそばだ。
もうすぐ日も暮れきろうという時間帯、薄暗くなってきた周囲に人影はない。人家から離れた土地には草花が生い茂っている。
湖面は顔を出した月を浮かべ、揺らめかせている。湖のほとりに鈴なりになって咲き誇る小さな釣鐘型の花々が風に揺れながら薄明りを受けてぼうと白く浮かぶさまは、妖精が人目を忍び戯れているかのようだ。
いまからこの湖で起こるはずのイベントにはぴったりの舞台効果である。
シャーロットは湖を一望できる茂みの陰にしゃがんで湖の周りをうかがっている。どうも茂みに隠れることの多い令嬢である。
「若緑」メインルートにおけるクライマックスと呼べるのが今日のイベントである。静かな夜の湖に景色を見にヒロインを連れ出したロバートが自らの思いを打ち明ける、実質告白に等しいイベントだ。
もちろんライバル役であるシャーロットには全く関係ない。
だがここまで見てきた以上は見届けたい。
シャーロットはつい偵察に出向いたのだった。
今回ばかりはこれまでのライバルイベントとも日常的な会話イベントとも重要度が違う。
二人きりのところに姿を表したら本気で邪魔なので、シャーロットは町のほうからロバートらが来ても見つかりづらい場所で待機している。ここですべてが決まると言っても過言ではないのに二人きりの雰囲気をうっかり壊しでもしたら悔やんでも悔やみきれない。
見つからないようにと深い青色のドレスを着てきたうえに金髪を隠す同色の頭巾まで持参する気合の入れようだ。
きっとこれで見つからないはずだ。
意気込むシャーロットの背に、ふいに声がかけられた。
「お嬢さん?」
「ひっ」
シャーロットは素早く振り返った。
そしてそこにいるのが知った人物であるとわかり、再び動転した。
「マシュー! どうしてここにいるの?」
「今しがた配達が終わったとこで……さっき町で、お嬢さんが町の外に向かったのを見たっていう話を聞いたから一応来てみたんです。あんたこそ何してるんですか、こんなとこで、こんな時間に」
シャーロットは町から来たマシューにあっさり見つかったことに内心気落ちした。こう簡単にばれてはあまり偵察らしくない。
その一方で、気にして探しに来てくれたのがマシューであることに喜ぶ自分を感じて気恥ずかしくなる。
それにしても、いぶかしげなマシューにどう説明したものだろう。
悩むシャーロットの耳に遠くからかすかな笑い声が届いた。
「! 隠れて、マシュー」
「うわっ何ですか急に……え、あれ」
急に茂みに引っ張り込まれたことに文句を言いかけたマシューは、小さく息をのむ。
彼が見つめる先はロバートの屋敷の方角で、そちら側に広がる木々の間からはエミリとロバートが出てくるところだった。
「どうしてあの二人が一緒に……?」
「見つかっちゃだめよ。静かにね」
草の間から肩を寄せ合って彼らをのぞき見つつ、シャーロットはマシューに囁く。
湖の周縁を挟んでほぼ対岸といっていい距離があるので見つかる心配は少なそうだが、それでも念のためだ。向こうの声が聞こえてくるくらいだ、こちらも用心しなくては気付かれてしまう。
マシューは戸惑った様子ながらシャーロットの言う通りに口をつぐんだ。
「わあ――」
「――よかった。君に――」
風にまぎれて断片的な言葉が聞こえてくる。遠目に見る限り雰囲気は悪くなさそうだ。
二人はいくらか言葉を交わしながら、闇に浮かぶ湖の光景にしばらく見入っている。
そして、ロバートの影が隣のエミリの手を握った。
一人盛り上がるシャーロットとは対照的に、マシューはぎょっと目をむいて囁いた。
「お……お嬢さん、戻りましょう」
「いいえ、今目を離すわけにはいかないから」
「いやでもその、あれはダメです」
「静かに。大丈夫よ、別にいかがわしい展開にはならなさそうだし」
「お嬢さん!!」
マシューが焦りながらシャーロットの肩をつかんでせかすので、シャーロットは仕方なく腰を上げた。見つかっては元も子もない。
それに、もうシャーロットが出る幕もなさそうだ。
そっと湖から離れ、草地を臨む街道沿いまでもどる。
エミリとロバートを観察している間にすっかり日は落ち、あたりは夜の静けさに包まれていた。月の浮かんだ空から白い光が降り注ぎ、草一本の影をもあらわにする。シャーロットの手を引いて先導するマシューの横顔もくっきりと見えた。
帰ろうとも、どこに行こうというのでもなく、揺れるようなまどろっこしい足取りで野を歩く。しばらくの間会話はなかった。
やがて家屋もない道の途中で、細糸がちぎれるように歩みが止まる。
「……あの二人って、夜に二人だけで出かけるような間柄でしたっけ」
闇夜に溶けまじるような静かな声だった。
まるでささいなつぶやきのような口調、しかしシャーロットにはそれが長らくの沈黙を経てのやっとの感想であるとわかる。
(驚くわよね)
その気持ちは理解できた。彼らがあんな風に交際する姿など、それを狙っていたシャーロットでさえ、目にして初めてその実感がわいているのだから。
「そうなったのはほんの最近のことのようよ」
月夜の静寂を惜しみ声をひそめて言う。とはいえ、ついにあの二人がと思うとどうしても高揚がにじんだ響きとなった。
振り返ったマシューはうろんげな目でシャーロットを見た。まだ少し戸惑っているようでもあった。
「……なんだかうれしそうですね」
「ん……そうね。私、嬉しいのよ」
利己心はあったとはいえ、自分のことではない。
だが、うまくいくようにと思っていただけに、まるで我がことのような感慨があった。
「……なんというか、シャーロットお嬢さん、えらいですね」
唐突な誉め言葉だった。だというのにマシューの表情と声色はどちらも無色で、かといってからかっているという風でもない。シャーロットは面食らった。
「な、なによえらいって」
「人のことを祝えて」
マシューは低い声でつぶやく。
ますます不可解だった。特に、彼があえてそれを言葉にすることが。
マシューはもともと感情的でない性質である。他者のことに固執する姿はあまり見られないし、まして大喜びするなどとは思わない。
「あなたはそうじゃないの?」
ひそめた声は草木のざわめきよりも弱弱しくなった。
「……いえ。他意はないんです」
マシューもまた静かに言葉を返した。
その声がいつも通りの当たり前の静かさであることにシャーロットはほっとした。
わずかにでもこらえるような震えが交じっていたのなら、また彼の真意を怪しんで心を乱していた。
「彼女、もうそろそろ帰るんじゃなかったですか」
「そうね。あと一週間もないわ。短いものね」
「そうですね」
エミリの滞在は夏の間の二か月だ。それももう終わる。
二人は道の途中で立ち止まったまま、天にかかる月を共に見上げていた。紡垂形の月は薄雲がかかってなお明るい。湖からはすでに離れ、町までも未だ遠く、人影は二人をおいて他にない。白い月はこの世で二人だけを照らしているかのようだった。
「お嬢さん、もっと寂しがるかと思ってました」
「どういう意味よ。でもそうね、どうせまたじきに来ると思うのよ」
「来年の約束でもしたんですか」
「そうじゃないけど。でも次の夏といわず、今度はもっと別の理由で来ると思うわ。ロバートの努力次第ね」
シャーロットのほのめかした意図は正しく伝わったろうか。
暗がりの中でマシューが息をのむ音がした。
「それって、『そういうこと』ですか」
「そういうことよ。エミリとロバートが周りに認めさせたらの話だけどね。でもあの二人ならできそうじゃない?」
「まあ、でも、いや、確かに……すごいな、あの二人」
「さっきからどうしたのよ? マシュー」
人をほめるのは美徳だ。とはいえマシューのそれはなんだかため息交じりのようだった。
「いや……実際にやりそうな行動力あるよなって思って。エミリは……あんまり知らないですけど、ロバートは実力あるし。俺には真似できないなって」
マシューは言い訳のように言葉を並べ立て、言葉尻を濁しながらついには顔をそむけてしまった。
その最後の一言は、彼の本音を物語っているように思われた。
真似できない。
ロバートは実際、馬術から社交までなんでもできる超人のような男だ。それは幼少期から厳しく指導されてきたがゆえの能力であり、シャーロットからすれば認めはすれどうらやましいとは思わない。
ロバートとマシューは同性で年が近いだけあって親しいが、育ち方の違いはたしかにある。共通項があるだけに本人にその差が目に付いてしまうというのは、ありえることだ。
マシューはロバートのようにできないことに劣等感を抱いているのだろうか。
「あなたには、なにかしたいことがあるの?」
疑問がシャーロットの口をついて出た。
月影の中のマシューの横顔がゆっくりと振り向いた。
「どうなんでしょう」
まるで自分のことを語るとは思えない、手探りの口ぶりだった。
「そりゃ都会に行きたいとは思ってますけど、店があるし。その店だって、このまま継いだところで大した仕事じゃないですし。でも、だからといって都会に出ても、何も目標がないままなら今と同じことで」
マシューはシャーロットの顔を見ず、夜闇の中に遠くぼやける地平線に視線を投じながら言葉を選ぶ。時々つかえながらの言葉は、自分自身と対話しているかのようだ。
「だからもうどこに行けばいいのかもわからなくて――」
シャーロットはマシューの独白にじっと耳を傾ける。
めったに自分のことを口にしないマシューが真情を吐露するのに息をのみ、そのかたわら、頭の隅では全く異なることを考えていた。
確認をとる。
「…………マシュー、今の話、誰かにしたことある?」
「え……そういえばないです。だれにも。どうしてする気になったんだろう」
シャーロットの心臓が早鐘を打った。
マシューは話したことがないという。だが。
(聞き覚えがある、今の台詞)
それがどこでのことだったかはすでに確信を持っていた。
「若緑」の記憶の中にそれはあった。
マシューが今と同じく将来への葛藤を語る場面が。
ただそれは、ヒロインに対してのものだった。
サブルート終盤のあるイベントで、ヒロインに心を開いたマシューが二人で外出した時に心情を打ち明けるのだ。
決してシャーロットにではない。
「…………」
シャーロットは言葉に詰まった。
ゲーム中のヒロインは彼の心境に助言をする。「自分の心とよく向き合って、今行きたいと思う道に向かってみたらいい」と。
その後のエンディングで、帰郷したエミリを追うようにマシューも念願の都に行く、というのが、サブルートの結末だった。
だけどシャーロットにはそんなことは言えそうにない。
どうしたらよいのだろう。
――望む結果になるよう行動すべき。
シャーロットはふと、以前エミリに偉ぶってそう説教したことを思いだした。
「――結局のところ自分で決めるのが最良だけど」
シャーロットは口を開いた。
「別に、今すぐ焦ってどこかへ行こうとしなくたっていいと思うわ。だって私、あなたがいなくなったら……そう、少しつまらないんだもの」
マシューはシャーロットの答えを聞き鼻白んだような顔をした。まるで想定外の返答だったらしい。
「……お嬢さんの都合じゃないですか」
「ま、まあそうよ。私から言えることは私の言いたいことだけだもの。でも、そういう意見もあるってことも知っておいてもらいたいわ」
マシューがあまりに冷静に指摘するものだから、シャーロットも我に返ってしまった。
なんだか重大なことをポロリと言ってしまったような気がする。世界を青白く塗り替えるような月光に当てられたせいだ。
自分ばかりがどぎまぎしているようなのがしゃくで、シャーロットは顔をマシューからそらした。
昼とまごうような月夜では熱い頬を一目で看破されてしまいそうだった。
けれども確かに口から転び出たのは本心だった。
(私、マシューと一緒にいたいんだわ)
そう自覚してしまうと、ますます顔を見せられない。
マシューの声が耳に届く。
「まあ、でも、ありがとうございます」
その声が聞きなれたものよりもはるかに柔らかくて、シャーロットは火照る頬のことなど忘れて彼のほうを振り返った。
マシューはうつむいた顔で、いつもの仏頂面を置き去りに、薄く微笑んでいた。
その緩んだ頬がいとおしくて、なんだか見てはいけないようでもあって、シャーロットは視線をさまよわせた。




