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誤解

 ロバートが過労で寝こんだらしい。

 シャーロットがその知らせを受け取ったのは、キングズリー邸の使用人が彼の代わりに使いにやってきた際のことだった。

 彼とエミリが湖に出かける予定の五日前のことである。


 メイドにけげんそうな視線を向けられながらも、自室に戻ったシャーロットはほくそ笑んだ。

 数日後に重大なイベントがあるというのにメインヒーローが倒れるなどあわてていてもおかしくなかったが、シャーロットは知っている。これも予定調和のうちであるということを。

 「若緑」メインルートのこの時期には、ロバートの好感度が一定以上だとミニイベントが起こる。それがこのお見舞いイベントだ。自室でふせるロバートの様子を見に行くという名前通りのイベントで、普段とは異なる弱った彼が見られることで人気のある隠しイベントである。

 それと同じことが起こったということは、二人の仲は順調そうだ。

 シャーロットは安楽椅子の上で大きく伸びをして、はたと思いついた。あわや転げ落ちるところだった。


(まだうまくいくとは限らないのよ)


 この見舞いイベント、エミリがキングズリー邸を訪ねないことには始まらない。

 彼女が自主的に見舞いに行こうとする必要があるのだが、果たして本当にそうするかどうか不明である。現実はゲームテキストを送るように簡単ではないのだ。ロバートの屋敷に急に押しかけようとは思わないかもしれないし、そもそも彼の体調のことを何も知らない可能性だってある。


 ここはひとつ様子を見に行ってみようか。

 シャーロットは意気込んで屋敷を出た。




 エミリの暮らす宿屋に向かい女将に取次ぎを頼むとすぐに二階に呼びに行ってもらえた。

 彼女はしばらくしてから一階の食堂におりてきた。


「こんにちは。何かあったんですか?」


 エミリはいつものように口角を上げて朗らかな表情をしてシャーロットに話しかける。

 シャーロットはその様子におやと思った。覇気がないとまでは言わないが、なんだか普段よりも大人しい調子である。

 だが多少気が緩んでいる時などみんなそんなものだろうと思いなおして、当初の目的である質問をする。


「昨日ね、ロバートが体調を崩して寝込んだらしいのよ。あなた知っていた?」

「えっ? それは……だいじょうぶなんですか?」


 エミリは目を丸くして驚いた。


「大したことじゃないわよ。湖の予定にも支障ないでしょ」

「それは、いいんですけど……それなら何よりです」


 その素直な反応に、やはり先ほどの印象は気のせいだったとほっとして、シャーロットは続ける。


「ともかく聞きに来てよかったわ。そういうことだからあなた、お見舞いに行ってきなさいよ」

「えっ!」

「なによ?」

「その、私が行ったら唐突で驚かせると思いますし、それに気が引けますよ! シャーロットさんが行くんじゃないんですか?」

「私一人だったら行かないわよ別に」

「私だけで行くのも不自然では……?」


 案の定遠慮を炸裂させるエミリにもどかしくなる。


「それに急に行ったら迷惑ですし……」

「もう、分かったわよ。じゃあ私と一緒に行きましょう。連絡も入れるし、それならいいわよね?」

「……わかりました。そういうことなら」


 妥協案を受け、エミリはやっとのことで承諾した。




 エミリと時間を決めた後いったん別れ、シャーロットは自邸に戻った。

 キングズリー邸に訪問の連絡を入れるよう使用人に言いつけてから自室に戻り、机の前で予定の夕方まで算段を組み立てる。といっても大したことではない。


 エミリ一人を予定通りロバートの家に放り込むのは難しい。

 なので、ひとまずはシャーロットが彼女に付き添ってキングズリー邸に行き、頃合いを見てそれとなく席を離れることにした。以前のお茶会の時にしたのと同じ方法である。

 元シナリオにない動きではあるが仕方ない。シャーロットはもともとロバートの家の使用人にも存在が知れているから、一人で廊下に出るのにもそれほど心配することはないのである。エミリとロバートを部屋で二人きりにしてシャーロットだけ別室で待つくらいのことは簡単にできるだろう。


 今後の流れがつつがなく整ったところで、ふと先ほどのエミリの様子が思い出される。

 彼女は見舞いと聞くや激しく動揺していた。一度は庭先とはいえ敷地内で茶までいただいた身であることを思うといささか大げさと言えるほどである。

 すくなくともシャーロットの知る「若緑」ヒロインはこの見舞いのとき葛藤のモノローグ一つなくキングズリー邸に特攻していたはずだ。意識する異性の自宅におじゃまするのに真剣に思いつめるのと果敢に乗り込んでいくのと、どちらが正しいあり方なのかは判断しかねるところだ。

 ただ、エミリのあの調子を見ると確認しに行ったことは正解だったようだ。ロバートの不調すら知らなかったのなら、教えない限り見舞いなど絶対に行っていない。多少無理矢理にでも連れ出さなければイベントになっていなかっただろう。本人がずっと気後れしていたようだからなおのこと。


(あの子は少し慣れた方がいいのよ)


 ロバートが貴族だからといちいち過剰に反応していたのでは無事くっつくかどうかもわからない。それでは今までシャーロットが陰でこそこそ手を回していたのがすべて無駄になる。舞い上がるのならいいが逃げ腰になってはいけない。

 こうなればエミリにはロバートと結ばれてほしい。もうマシューに近づかないようにとかどうとか以上に、将来的に「ご近所さん」になるのならだれとも知れないどこかの貴族の娘などよりも中身を知っているエミリのほうが、シャーロットにしてみればずっといいのだ。

 ささやかな未来に思いをはせながらシャーロットは約束の時間を待った。



 時は日の傾きだしたころ。

 再び宿屋に向かうと、しぶっていたエミリだったがちゃんと身支度を済ませて待っていた。それでもなお心配そうな浮かない表情だ。


「なに、緊張でもしてるの?」

「いえ、そういうわけじゃないんですけど……本当に私が行ってもいいのかと思って」

「いったじゃない、もう一報入れているの。そんなこと気にするのはやめなさいよ。その格好も別に悪くないわよ」

「そういう問題では……えーと、ありがとうございます」


 もの言いたげな口で困ったように笑うエミリを連れて宿を出る。ロバートの家はすぐそこだ。


 気の乗らなさが如実に表れるエミリの足取りに合わせて、もどかしいくらいの速度で歩道を行く。

 今回は失敗するようなこともないだろうと思っていたが、エミリを見ていると流石にけげんに思う。いつもの彼女ならもう少し慌てたり焦ったりしていてもいいはずだ。心配して思いつめてでもいるのだろうか。

 シャーロットは半歩後ろを歩くエミリに振り向いて声をかける。


「ねえ、別にそこまでロバートの容態は悪いわけじゃないのよ。ただの過労で、大事をとって安静にしているだけらしいから」

「はい……」


 なだめてみるもののあまり響いた様子はない。シャーロットは早々にはげますのを諦めた。屋敷にさえついてしまえばどうとでもなるだろう。


 日はまだ沈みはしないが、雲がかかり始めたせいで夏のこの時刻にしては周囲は薄暗い。久しぶりの恵みの雨が降るだろうか。それは良しとしても、灰色の空の不吉さは歓迎する気にはならなかった。


 レンガ造りの玄関口につくとキングズリー家の使用人たちはすぐに扉を開けてくれた。ともり始めた灯りが鮮やかなじゅうたんや柱の装飾におちかかる凝った造りの玄関ホールが、開いた戸口からのぞく。

 その華美さを目の当たりにして、エミリは声もなくシャーロットの背に隠れた。


「シャーロット様、お連れ様、ご足労くださいましてありがとうございます。主人に代わりお礼申し上げます」

「ごきげんよう。連絡は届いているかしら? こちらがエミリ、ロバートの友人よ」


 応対に一歩進み出た使用人と話し、玄関ホールの奥へ通される。シャーロットはためらいなく先導役に従ったが、振り返ってみるとエミリは立ちすくんでいた。シャーロットが声をかけると、エミリはやっとあわててついてきた。


 それからすぐ小部屋に通された。現在のロバートの調子を確かめ、面会可能か判断を下すのだという。

 二人の前に茶を並べたメイドが静かに退室していき、ソファに二人だけが残された。

 普段気軽にこの家に出入りするシャーロットは待合室に通されることはかえってあまりない。物珍しい気持ちで内装を一べつする。苔色の壁紙が貼られ床は一面壁と調和する濃色のじゅうたんで敷き詰められている。その上には長机とソファがしつらえられており、卓上や壁はレース編みや金細工のような調度品であちこち飾られている。事業で裕福なロバートの家らしく格調高い装飾である。


 室内をざっと眺め、ふとエミリが一声も上げていないことに気づく。そちらに目をやるとその顔色はあまり芳しくなかった。死人のような顔でうつむいているものだから、シャーロットは一瞬言葉を失いかけた。


「ど、どうしたのよ。まさかあなたまで体調悪くした?」

「い、いえ、そういうわけじゃないんです。その……もともと、来るつもりじゃなかったから」


 はっきりしない言葉にシャーロットはいらだつ。

 しかし物言う前に、エミリはたまりかねたように立ち上がった。


「――すみません、私やっぱり帰ります!」


 そして彼女は振り返りもせず部屋の戸を飛び出した。

 突然のことだった。

 理解が追い付かず、シャーロットはその瞬間何もすることができなかった。

 いったい彼女はどうして。いやそれよりも。


(追わなきゃ!)


 遅れてシャーロットも立ち上がった。廊下に出て周囲を確かめ、玄関のほうにその小さな後ろ姿を認めて、迷わずそちらにかじを切る。速足で廊下を突っ切り、ホールの隅でひそひそと囁き合うメイドたちの影を追い越し、玄関先に出てすぐのところでエミリをとらえた。

 いつの間にか外は霧雨が降り出していた。キングズリー邸の前庭は木々の影が落ちすっかり暗がりになっている。

 エミリの髪はしっとりと湿って首元に張り付いている。振り返ったその頬には大粒の雫が伝っていた。


「え……エミリ」


 それ以上声が出ない。同年代の少女がこのように痛ましく涙を流すところを、シャーロットは見たことがなかった。

 エミリはのどを引き絞るような濡れた声で乞う。


「ごめんなさい、シャーロットさん。急に飛び出したりして。でも私駄目なんです、帰らせてください」

「ねえどうしたのよ? 前にも来たじゃない、あなたが縮こまったりする必要はどこにもないのよ」

「ちがうんです」


 エミリは何度も首を横に振る。


「今はとてもロバートさんに合わせる顔がないんです。私思い上がってました、いつも優しくしてもらってたからって特別に親しくなれるなんて。たった二か月しかいない私が昔から一緒にいるシャーロットさんをさしおいてそんなことできるはずないのに」

「……どうして、そんなことを?」


 問いかけながらもシャーロットはどこかで察していた。エミリの行動の理由を。

 エミリは濡れた頬を肩口で雑にぬぐい、色の抜けた唇で笑おうとしてみせた。


「シャーロットさん、ロバートさんと婚約されるんですよね。お家ぐるみで仲がいいならそうなりますよね」

「は…………」

「あそこであなたみたいに堂々としていられたらよかったんですけど、私にはつとまりません。私の出る幕なんてないです」


 激情で頭が真っ白に染まる。

 そんなことを言ってほしいんじゃない。

 顔を伏せるエミリを見下ろしたまま、シャーロットは一声も発することができずしばし立ち尽くした。

 いったい何がいけなかったのだろう。前世の記憶にばかり頼ったことか。急に本来の道筋から外れようとしたことか。それとも、人の運命を勝手に動かそうとしたことがいけないのか。


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